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Posts Tagged ‘暴力’


8月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

8月9日 壬子(友引)

喧嘩と暴力はまったく違う。
それは
喧嘩には喧嘩道が歴史性まであり、
暴力には、
無謀さ、暴動性、破壊性が
戦、闘いにまで連動している。

その戦や闘争に喧嘩道を当てはめれば、
暴力性に武道、武力の限界性を
人間として、人道性を生み出せる。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『この男に惹かれる・舞踊と舞踏がテーマになってきた』


   


     2月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

かつて土方巽の存在を美術手帳やいわゆる前衛アートで知り、
暗黒舞踏を教育TVで見て、現代舞踏も芸術かと驚愕しました。
ところが米国のクランブルック美術大学院で講義のときに、
そこには「パフォーマンス」が重大主要科目でした。
舞踊家は故・西川千麗女史と「十牛図」を一晩語り、
その後対談講演を京都で行い、突然、彼女の逝去を知りました。
私のロボットは「ロボットデザイン基礎学」をいくつかの大学、
その基本シラバスを恩師が主要大学に分配してもらいました。
私のロボットは「舞」「踊」があります。
だからこれからさらに舞踏と舞踊を追いかけなければなりません。
かつて、Apple本社で提案したキーボードは「プリエ方式」にて、
この時はバレー演者の足の動きを取り入れました。
盟友・松岡正剛は時に私に不可欠な人間関係を与えてくれます。
今般、彼の誕生日に私は田中泯と石原淋氏を知りました。
まだ存分に話をしたことがありませんが、久々の「男」でした。
彼から、彼(一人の農民ですと私に言いました)から、
彼の育てた「フクヒカリ」のお酒が届きました。
「御日待家(おひまちや)吟醸生酒」です。
私は60から大好きだった酒を飲むようになっています。
ちびちびと、石原淋氏からワイフのごとく注意を受け、
そして、松岡正剛との対談本を読み嫉妬しました。
彼の随筆「僕はずっと裸だった」を読んでいます。
一番読みたかったのは土方巽と警察官の息子だったことです。
両方ともすこぶる納得でした。
特に土方巽を知らない世代は、「本当にかわいそう」ですね。
警察官の息子としては私も本来は見てはいけない死体写真、
彼も見ていたらしいのです。私は彼より見ているでしょう。
海外の殺人写真集もありました。
暴力での死体・銃殺の死体・絞め殺された死体などです。
検死から帰ってきてからの父は元来は無口なのに、
その殺され方の推察を交えて聞かされました。
彼には、今夜手紙を書くつもりです。
田中泯の舞踏アンドロイド創りをロボット学者に伝えました。

関連過去ブログ記事
『人生70暴走古来稀・松岡正剛氏』
『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』


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「あらためて『最終講義』告知をします」


   


     2月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

インフルエンザは、私の体調を相当に壊しました。
2度も阪大病院に入院しましたが、
自分で阪大病院に行くとまで言ったのは初めてでした。
しかし、退院翌日には、
ワイフの弟の結婚式でグアムに飛びました。
暖かくて、ゆっくり休みに出かけましたが、
丁度、あの大事件にワイフは1時間前にホテルにもどって無事でした。
大阪市に住むようになって、阪大病院への入院は慣れています。
しかし、大阪市の救急隊員はもう一度、トレーニングすべきです。
おそらく、各都道府県毎に救急隊員の装備から対応、
ユニフォームはまったく差異があるはずです。
「大阪市は最低」と断言します。
やり直さないと全く駄目ですね。
市長も気づいていなでしょうから、徹底検証します。
名古屋は最高でした。
装備、ユニフォームを見ただけで「安心」できます。
このところ、退官間際ですが、スタッフと学生たちが支援してくれました。
このFBでの皆さんも随分心配かえけてごめんなさい。
もうちょっとで、元気復活させて「最終講義」をします。
今回、グアムに初めて行きましたが、
アトリエを建ててもいいと思いました。
ともかく、まだやり始めたプロジェクトに関与する皆さんにも
大迷惑をおかけしました。
どれだけに、まだ、
私は仕上げておくべきコトをつくづくと思い知りました。
4月からは、新たな立場で、デザイナーとして目指すべき仕事をします。
特に、気になっているのは、「体罰=暴力」などの
「問答無用論」ばかりが、わが国ではまたまた平均発想ですが、
せめて、ソレル著「暴力論」という定本との評論無しでは、
とても「知的判断」そのものが野望です。
そのようなことも「最終講義」で語ります。

最終講義の詳細はこちら


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「喧嘩道・夫婦間では必ず敗北宣言をするべき」


   


     8月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

男同士の喧嘩は、
その限界は暴力に至るでしょうがそれはバカです。
そして大問題は、
「男女間の喧嘩・夫婦間の喧嘩」に、
喧嘩道の結論があると考えています。
殴り飛ばしたい女もいますが、これは耐え抜きます。
しかし、夫婦となるとそうはいきません。
私は、あっさりと「敗北をすること」にしてきました。
ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
私は二度も離婚を経験しました。
浮気ではありませんことを断言しておきます。
「もうこの女性とは無理だな」と思ったら、
その女性に対しての責任を果たせませんから離婚をしました。
それは完璧な「敗北宣言」です。
だから慰謝料は言われるままでしたので、
一切裁判などにもなりませんでした。
ひたすら全財産を失ってきました。
喧嘩道には男女間そして夫婦間がありますが、
これは絶対に「敗北」を覚悟し決意して、
喧嘩の収束をすべきだと思っています。
私のような我が儘さを認めてもらってきて、さらにわがままに、
「貴女との生活はもう無理だ」と告白することは、
夫婦間の喧嘩からの逃避でもありますが、正直さだと思っています。
伯母に現在のワイフと結婚をする報告をしました。
「貴男ね、自分はモテるって錯覚しているでしょ、
いい加減にしなさい。貴男は捨てられたことを自覚しなさい!」と。
「だから、言われるままに慰謝料は借金してでも上げなさい」。
教え子に言います。
私のような生き方はダメだ。真似をするな、と。
女性の教え子には、
料理が出来なかったら浮気されても仕方がない、なんてことを伝えます。
もっとも、これまでの「ワイフたち」は、
流石に結婚しようと決意したわけですから優れた女性でした。
今回、喧嘩道の極地って何かなあってワイフに聞いたら、
「それは離婚での敗北宣言でしょ」って、あっさり告げられました。
それをブログでカミングアウトか、ワイフは書いておくべきだと。
とんでもないと存分に躊躇しましたが、喧嘩道のために告白です。
ともかく、男女間の喧嘩、夫婦間の喧嘩、離婚は、
喧嘩道において「敗北宣言」あるのみです。
読者諸兄の皆さんはビックリされていると思いますが、
喧嘩道を書き残していくにはここは避けがたいポイントです。
もう「敗北宣言」はしたくありませんので、
ワイフに喧嘩を仕掛けるなんてとても完全不可能です。
「捨てられるのは完璧恐怖ですから」・・・・。


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「私が過激に成らざるをえない時が来ている」


   


     8月 25th, 2012  Posted 12:05 AM

私はβブロッカーを毎日服用しています。
βブロッカーというのは、心臓の交感神経と副交感神経をブロックして、
感情の動きと心臓の鼓動を常に一定にする薬です。
「シシリアンガンビット」という心臓の刺激抑制療法です。
だから、「激昂したり、切れる」なんてことは決して起こりません。
でも、「すぐに喧嘩をします。」
喧嘩というのは口喧嘩のことであり、
暴力性は言葉とか言葉づかいに込めるだけです。
無論、相手を傷つけますが、
それは自分にも必ず戻ってきて
自分は相手を傷つけた以上に深手を負うのです。
でも自傷行為になっても、βブロッカーを飲んでいても、
「負けられない」ことがあるものです。
夏目漱石の「草枕」は、
世情や自分の立場が踏みにじられる事情を見事に表現しています。
何度も何度もこの作品を読むことが、
自傷行為の結果、傷ついている自分を慰めてくれる唯一のことです。
たった一つの自分への慰労方法を携えてでも
絶対に発言し同意をいただき具現化しなければなりません。
だから、このブログでの記述形式と読者諸兄を
もはや限定すべきなのかと考え始めています。


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『資本主義からの逃走』
    「人権と情報はアポリアのまま」


   


     12月 16th, 2010  Posted 12:01 AM

人権と民主主義
人権は民主主義の根本です。
社会が個人尊重を第一義にしている知恵です。
ただし私自身には民主主義懸念が生じています。
だからといって代替主義を見いだしてはいません。
結局、人権と民主主義がアポリアなわけです。
人権へのハラスメント
それは、今や個人は情報によって、あるいは情報の中でのみ、
個人の存在が社会的認知をされてしまっていると考えるからです。
「人権」、その保全・保護・防御すべからく「情報」以外であれば、
身体的、または精神的な人権は、ハラスメントを超えればこれは明らかに暴力であり犯罪です。
無論、セクシャルハラスメント・パワーハラスメントは日常語になっています。
ただし、ハラスメント意識社会は民主主義が前提です。
情報セキュリティはアポリア
人権が未だに軋轢・圧迫されている社会は、
政治的には独裁政治、国際的には未熟な社会といわざるをえません。
ところが、この未熟さを強化するツールにコンピューターの利用は独裁的であるわけです。
人権の消去はコンピューター上で可能となります。
つまり、人権と情報、コンピューターの構造は、
先進国家では、人権確認のいわゆる情報セキュリティに連鎖させて制度化されていますが、
この構造化が技術化されているだけです。
結果、やはり、「人権」と「情報」の関係は、
政治性と社会性の中ではアポリアのままだと言わざるをえません。


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『資本主義からの逃走』
    「アレオパジェシカから遊離した表現の自由」


   


     12月 13th, 2010  Posted 12:00 AM

アレオパジェシカ・表現の自由
「アレオパジェシカ」から見直します。
1644年に英国の詩人のパンフレットでした。
詩人・ミルトンのこの指摘は現代にまで
「人権」を語る重大な発言として世界基準で支えてきました。
それはある種当時の権力=検閲への怒りそのまま「表現の自由」を激しく求めたことでした。
「表現の自由」というのは、まさしく「人権」の具現です。
しかし時に、私はなんでもかんでも、特に偏重したマスコミがこの「権利」を振りかざされると、
何ともイヤな気分におそわれます。
何かというと「表現の自由」となるわけですが、
私は、この「表現の自由」には表現する側に尽くすべき義務があると思います。
それは、人間の営為である「表現する」という権利は自然権ですが、
その自由さは当然として社会的な倫理観に照合された美学性が必要だと思っています。
アレオパゴス・倫理観
ミルトンは、ピューリタン革命時に絶対王政によって検閲されることへの怒りを、
古代アテナイに存在していた裁判所・アレオパゴスから名辞されていると言われています。
つまり、この裁判所での決定事項には、
当然のこととして人間としての倫理観が徹底されていました。
それだけに「表現」は人間の自由権利だから、
すべてが許されているという、特に、マスコミの偏重思想団体や、
宗教法人として納税もしないようなところからの表現発言には異を唱えたいと考えます。
ミルトンに限らず、ロック、ボルテール、さらにはガリレオまで、
学問的な真理を守ろうとしたことも「表現の自由」につながっています。
キリスト教・反ベクトル
私は、この背景にはキリスト教の根底にある懸念、
すなわち相反する矛盾が見え隠れしていると思えてなりません。
「自由」には「拘束(検閲)」という反ベクトルが働きます。
「平等」には「差別」という反ベクトル、
「愛」には「暴力」が反ベクトルです。
したがって、私も「表現者=デザイナー」ですから、
「デザイン表現は自由」であるべきという基本権は十二分に理解できますが、表現者であるまえに、社会的な存在者としての社会的な義務を十二分に果たしているかが問われるべきでしょう。
「表現」に明らかな拘束性、差別性、そして暴力性が感じ取れることは、
「表現の自由」の大勘違いだと指摘しておきます。


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10月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 10th, 2010  Posted 10:33 PM

10月10日 仏滅(己巳 )

このところ連続して起きている
企業による不祥事の中に、
帰属している集団や組織に
飼い慣らされた
家畜になってしまっている
個人を見てしまう。

『デザインの極道論』あやしい


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1月18日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     1月 18th, 2010  Posted 9:00 AM

1月18日 先負(戊辰 )

国家の暴力性が隠匿される時、
個人性は必ず破壊消滅される。

しかもそれは国家の策略であり、
国家によりデザインされた
結果だという見方ができる。

『デザインの極道論』あやしい


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『資本主義からの逃走』
 「対暴力へは守主攻従の理論と実践=デザイン」


   


     10月 5th, 2009  Posted 12:06 PM

私は、民主主義への疑いも、
資本主義への不信も、明確に抱いています。

しかし、
一般的な「資本主義の暴力性」
という断言には賛同はできません。

それは、「暴力」と対決したことない人の言説だと考えます。
最近は、資本主義への批判として、
この発言があまりにも多いと直感するからです。
暴力という力には、慈悲慈愛が不二であり、
行学一如のデザインしか
ありえないことを私は主張しておきます。


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