kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘最後’


staffblog 12月22日


   


     12月 22nd, 2016  Posted 11:55 PM

12月22日


今期2回目、今年最後の
KK適塾が開催されました。


今年から初の試みとして、
講師にお二人をお招きします。
今回は、澄川伸一氏と原雄司氏です。


3D CAD・3Dプリンターの
プロであるお二人をお招きしての内容は、
もちろん、次世代モノづくりです。


川崎からも新しい社会的提案があり、
コンシリエンスデザインとしての当塾が、
いよいよ深みと広がりを示すようになりました。


最後はKK塾・KK適塾恒例の
堅い握手で幕を閉じました。


お越しくださいました皆様。
ありがとうございました。
また、次回(1/20)もどうぞよろしくお願いします。


* KK適塾公式サイト


目次を見る

『電柱はもう街の景観にはあらず・電線地下美化倶楽部』


   


     6月 27th, 2016  Posted 12:00 AM



電柱の存在は余りにも酷たらしい現状です。
電柱は犬がマーキングをする存在ですが、
それを見上げていくと、なんとその工事のいい加減さ、適当さに
ひっくり返らんばかりに驚き哀しまざるをえない出来映えに呆れます。
ところが、米国の果てしない荒野の一本道に、
木製の電柱が建っていると、その佇まいはとても美しいのです。
何が違うのだろうかとしみじみと眺め比べてみますが、
たとえば、このような仕事姿勢の違いがあるのではと思います。
「見てご覧、あの電柱は私が電線を張り、電柱が景色の
ひとつの表現になっているだろう」。
「あの電柱、ともかく仕事だから定時間に済ませただけ、
景観、それとの調和?知らないよ!みんな気づかないだろ」。
この意識で街中に見苦しい電柱が一杯あっても、
誰もが黙認してきたのが我々でした。
「電線地下美化倶楽部」があります。この倶楽部を立ち上げ、
提案をしたのは自動車大企業T社の元デザイン部長です。
名古屋工大教授もつとめ、オートバイ大企業のデザインコンサルタント、
旧知の仲です。しかも同世代、「最後の役割だね」ということで、
まず、メンバーを増やそう、そして、日本の醜い電柱写真展から、
ということで、スタートをかけました。
以前、水道管をすでにステンレスにしている地域がありました。
しかし日本は地震大国ですから
フレシキブルな地中水道管工事を、と思っており、
日本の「地下埋設工事全般」に新デザインを、
という提案に電柱も地下埋設。
ロンドン・パリは電柱ゼロです。
ジャカルタですら東京23区・大阪市と比べたら。
これこそ、貧しい都市なのです。

*『瓦礫に祈りを・・・デザインによる復興計画を』
*『この実例に世の中の無責任でいいかげんさが表れている!』
*『電線・電柱・地下インフラのやり直しデザイン』
*『電力会社を破壊し分散させるべき証拠・告発します』
*『スマホのアイコンはインフラ的な高品位性が不可欠である』


目次を見る

『二つのビンテージカー番組に生きる文化論』


   


     5月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



テレビ大好き人間だからTV音響も絶対に最高にと信じています。
そして見過ごせない番組は撮り溜めし過ぎているかもしれません。
最近はCS放送の方が面白くて、
地上波TVは段々とつまらない、最低になりつつあります。
デザイナーであるからどうしても車関係は何度も観ます。
でもそれほどマニアックではありませんが、ビンテージカーについては
「カーSOS」と「世田谷ベース」は大好物番組です。
自分自身も相当に車は乗り継いできました。
この番組は一方が英国であり、所ジョージ氏の番組は優れています。
「カーSOS」は最後に感涙してしまうほどの内容であり、
ビンテージカーのもはや使われていない技術の凄さにため息が出ます。
「世田谷ベース」での彼の車からの文化の話はあまりに長いらしく
早送りされているほどですが、わが国の手遅れ制度批判は大納得です。
ビンテージカーが好みではありませんし、
もはや人生最期の車はAMで最高です。
でも、デザイナーとしてもっともっと進化させたいことは山ほどあります。
その基本的な素材や実装のデザインは未だに現役デザイナーとして、
大学人としても最先端をねらっています。
もはや人生最期の終活デザインを開始しています。
明日もし、あの世に行っても、
やり残したことはできる限りスケッチと文章で残しておきたいと思います。
ビンテージカーのこの二つの番組を
地上波番組は決して追い抜けないでしょう。
これらの番組には確実な「コンシリエンス」が残っています。

*『閏年の2.26=67歳なり』
*『女衒同族と羽織ゴロたる民法TVも国会も同罪である』
*『コントローラーのデザインはまったく進化していない』
*『10年使用すると、そうだったのかということ』
*『対決が明白なTVドラマの効能性の評価』


目次を見る

『ディスクールはアンドロイドロボットで消滅させられた』


   


     1月 19th, 2016  Posted 12:00 AM



昨年は「ロラン・バルトの生誕100年」でした。
ロラン・バルトは構造主義者として、ディスクール=言語表現、
つまり、書かれたことや言われたことの概念提唱者でした。
生誕100周年記念として、まさに、ディスクールのパターンを
スカーフにした表現はディスクールのデザインでした。
そのパターンの原書が「恋愛のディスクール・断章」そのままのモノ。
僕は読み直しましたが、生誕100年にして、
ディスクールでの抱擁は見事に破壊されていました。
それは、アンドロイドロボットの出現でした。
アンドロイドロボットは、「なぜ、人間は人間であるか」という
この難問解決のデザインだったからです。
単純なアンドロイドロボットとして「ハグビー」があります。
日本人は抱擁し合うことは照れ(若者には無くなりつつある)が残りますが、
フランス人からは、メールの最後にWarmest hugsと書いてきます。
結局、恋愛はすべての小説の最大テーマであったと言えます。
それこそ、日本最古の小説・源氏物語さえそうであったのです。
しかし、無論、恋愛には言葉・言語が本当は要らないように、
恋愛の言語化構造は
ハグすることで一遍に改めての意味が溶解し消滅します。
つまり人間にとって恋愛は一瞬の熱病=これは僕の私見ですが、
その熱病は感染して起こるのか、感染しているから熱病=恋愛でしょうか、
まさに生誕100年目に断章された結果は「ハグビー」というロボット、
つまり言語(ことば)では無くて形態(かたち)によって、
結論が明らかになってしまったことです。
これは言語の脆弱性を形態=ロボットが消滅させたことになります。
なぜか人間は抱擁されることで
コミュニケーションの新鮮度が増加されます。
人工物アンドロイド・ハグビーを抱き合うことが、
あの熱病=恋愛のごとくコミュニケーションを強めてしまうのです。
喋りまくる子供たちはハグビーを抱きしめれば、集中力を持ち、
アルツハイマーの老人の孤独感を消化してしまい、
断絶した者同士が、見知らぬ者同士が饒舌に会話しあうということです。
しかし、恋愛のディスクール・断章はロラン・バルトの生涯のテーマ、
その一部分に過ぎませんでした。
それはアンドロイドロボット・ハグビーに
「作者の死」をつきつけています。
ディスクールの作者が、彼の死に言説化を求めたように、
アンドロイドの創作者は、
どのようにその死と立ち向かうのでしょうか、ということ、
その指定出が起こってしまったということです。


目次を見る

『ゴジラというアンプ思想はアンプジラ2000に継承』


   


     9月 16th, 2015  Posted 12:00 AM



このところオーディオマニアで話題になっていることです。
GODZiLLAというパワーアンプの話です。
私が東芝で結局最後の仕事になってしまったSZ-1000という
エレクトレットコンデンサーカートリッジの
イコライザーアンプに直結した話にもどります。
理由は、私はオーディオの世界で社会人デザイナーになり、
おそらくありとあらゆるオーディオ機器は聴いたと断言できます。
正直、当時のアンプで,今も定評があるアンプは
私にはさほど大したことはありませんでした。
ある日、このイコライザーアンプはプリアンプなので、
パワーアンプを探していました。
そんな時、どこからか板金そのままで荒々しい、
とても商品とは言えないアンプが来ました。
一台は完全に分解されていましたが、
この時期にはトロイダルコイルの開発で国内メーカを、
探していました。電源部はトロイダルの話が蔓延していました。
それ以上に、荒々しいレタリングで素人が書き殴った
GODZiLLA:ゴジラは、日本の怪獣映画で、
パワー最大という印象がありました。
そのレタリングがシルク印刷されていてそれも焼き付けされていない程。
これはとても商品では無いと思いました。
当時この評価記事があったらしいのですがあり得ないと思っています。
なぜならこのアンプと鳴らすべきスピーカーシステムはJBLから独立して、
レッドツェペリンの後押しでできたメーカーで2名がAurex提携で来日。
私は磯子の音響工場で彼らと話して,彼らから来ないかと誘われました。
私はこのメーカーに企業留学を決めて交渉をしていました。
彼らから、このスピーカーシステムはJBLを超えるが、
それにはこのゴジラしかないと言われていました。
無論、このゴジラのアンプはアンプジラでした。
このスピーカーシステムを知っている人はまだ出会っていません。
しかし、ゴジラもアンプジラも製造物責任法が丁度できたのに、
使用者納得であり、製造物責任は今も放棄しないと使えません。
それは、このアンプで感電したり、
スピーカーシステムが破壊されたりしても「使う」ということです。
そして、ジェームズ・ボンジョルノの存在を知りました。
私は、SZ-1000は必ずこのアンプを繋いでならしていましたが、
表向きにはAurexのパワーアンプでした。
アンプジラ2000はようやく大阪に行ってから手にいれました。
しかし、そのためには整流器が当然必要であり、
電源コードもメディカルコードでなければなりませんし、
このアンプの下も本当は金素材ですが、
私はインド産の石材を使っています。
アンプジラ2000はジェームズ・ボンジョルノの最後の作品です。
彼はもう逝きました。


目次を見る