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『Fayetの多機能なステッキをもっと知るべきです』


   


     8月 22nd, 2018  Posted 12:00 AM



「Fayet」というブランドを知らない人が多分多いとわかっています。
これは、ステッキの超有名なブランドです。
フランスの例えば薔薇の木をイタリアに渡して、
ステッキとしてはここでは書けない事もあります。
ステッキは心臓病の人には当時の気付け薬のウィスキーもありますし、
それこそ吹き矢から、護身用ナイフもあるほど、
ステッキが多機能であることがとても多いのです。
私デザインのステッキもあります。
400年の歴史ある有田焼、そして奈良県のステッキと取り組みました。
現在は流行しているステッキは、大きな問題があります。
まずステッキのハンドヘルドがHUSATから見れば、問題が多く、
Fayetで試作を重ねている杖のハンドヘルドは、
円形である必要性から杖を真っ直ぐにする機能性があります。
そしてこれからは、杖の樹木は国際的にも国内産に限っています。
最も重要なのは土とステッキとの接触面です。
私デザインのステッキの先は、北海道の水産現場で使っている長靴であり、
それは今では手術用シューズ靴底や、
ロボットのアシモもここのビブラム靴底を使っています。
現在はここのゴム仕様が一番だと思っています。
私がいつでも現在のステッキではFayetの様々な多機能性を見ることです。
かって仕込み刀剣であった吉田茂のスッテキなども本物を知りたいです。
私は車倚子ですが、ステッキならば、Fayetを事細かに知るべきです。


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『いろんな水彩道具がありますが、いつもこれが一番』


   


     8月 15th, 2018  Posted 12:00 AM




美大を卒業しているので、特に水彩画が大好きです。
最も、私は油絵は全く描いたことはありません。
水彩画は入試でもありましたが、私の能力では本当に受かるとは・・・。
ちょうど水彩画は私のクラスでは、最も下手だったろうと思います。
それこそ、連休には父が大学に呼ばれて、「このままでは卒業できない」。
父は、もう一回美大では無いところを受験しなさいと言われました。
そこで、私は主任教授・Yちんに聞きにいきました。
そのとき、彼からは夏休みに40枚描いて来なさい、と言われました。
43枚描きました。それこそ漁港では倒れました。
そして43枚を持って行くと、「君はこっちの世界でも出来る」と言われました。
<そうか!、絵の世界でもこの先生並みの絵が描けるのだ>、
それは教授の励ましだったんだと思います。
それから、水彩画はこよなく好きであり、
私が最も好きなのは水彩画のセザンヌでした。
「曇りの日こそ、色彩がはっきりと見える」というのは大好きです。
この写真は大急ぎなので存分に見えませんが、ある有名なブランド商品です。
色彩パレットは十分に認められるのですが、パレットが塗装仕上げ。
これは絶対に駄目です。
パレットはホーロー仕上げでなければいけないので、それを言いました。
そして、絵筆もブラッシュでこの絵筆が最高です。
かって絵筆は28000円一本をということを
グラッフィックデザインの教授が言ったことがありました。
それは正解です。ブラッシュ絵筆で最高だと私も言いました。
福井という所で育って来た私には、「曇りの日が、色彩が明確」という、
セザンヌの言葉が身体に染みこんでいます。
時折、私からの絵手紙を書いています。


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「法学部学生が発見してくれたデザイン運動」


   


     12月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM




思いがけない、それも阪大の学生たちから自分デザインPKDを発見。
それも法学部・国際公共政策学科のチーム研究そのテーマになりました。
PKD=Peace-Keeping Designが阪大の中からテーマ選択されたのです。
彼らは豊中キャンパスですから、私の吹田キャンパスに学内バスで来訪。
最初、メールが来たときに、ここまで調べての面会申し込みでした。
科研費:科学研究費申請では、退官後はその申請書などには、
医学部・工学部はもちろん・経済・法学・理学・文学などで、
知財権から学際性としてのデザイン関係はそのアドバイスや指導もしました。
それは私には、経済では海外への輸出からデザインがどれほど関与かまで、
さらに学術振興会での申請判断もしていました。
最も学術振興会は税金分配に手法を根本から変革すべきです。
キャリア主導や文科省天下りでの決定精度は変更すべきです。
デザインは学際的に本当に重要なことがこれほどあると教えられてきました。
とりわけ、阪大の学生たちは本当によく勉強しています。
むしろ、教官たちは未だにデザインの意味はき違えが多過ぎます。
本当に自分の専門とデザイン=問題解決+価値創出が分かっているのは、
少数で、もはや私の友人教授たち、
しかも彼らはそれぞれの専門分野でも国内外に有名な教授たちだけです。
さて、今回、法学部の学生達と半日、彼らからの極めて専門的な質問は、
私のこれまでの試作やモデル、発表会、企業との実務開発詳細まで
応答回答をしつつ、新たな問題を教えられたと思っています。
以前も、これをかなり有名な国際コンペに、
「遺伝子検査システムデザイン」も応募し、
日本代表でしたが、落選したので私は意義申し立てをしました。
そうしたら、国際コンペにも関わらずデザイナーである審査委員が、
問題意識もなく、しかも無知過ぎることに私は仰天したぐらいです。
先般もミラノ工科大学デザイン学部長が来学していただき、
もはやデザイン領域の拡大にびっくりされていて大学間協定を進行。
比して、KAIST=韓国科学院大学院大学やフランス芸術大学は
すっかりと理解分別されています。
最近、若い才能で優れていることには二つの原則が彼らのものだからです。
それはコンピューターとデザイン、
アナログもデジタルも無関係であり、必ずデザイン実務との融合です。
改めて、「KK適塾」でのコンシリエンスデザインは伝えようと覚悟しました。
比して、本来の国内デザイン系は相当に遅れてきています。
今回は学生たちから教えられました。


* 金融工学の始祖はマルクスだった_14
* 「BOP-Businessの前にPKDありきです!」
* 「PKDの途中報告」
* 「17年間という時間は『私・きもち時間』だと思っている」
* 「シリンジの問題解決・2006年から取り組んできた」


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『匿名的な知恵=silienceである』


   


     10月 17th, 2016  Posted 12:00 AM



「Consilience Design」を昨年はKK塾にて紹介してきました。
Consilienceそのものが造語であり、なぜ、この言葉に至ったのだろう。
それは最近では「デザイン思考」があたかも次世代デザインのごとく、
IDEOからスタンフォード大学で語られてきましたが、
自分のミッションは「コンシリエンスデザイン」が成立するかどうか?
この言葉の論理的な脈絡とその実務展開までを
講座成立=教育・研究・開発が可能かどうかでした。
辿り着いたのは、この造語の基本はすでに死語でしたが、
次のような意味がありました。
たとえば、大道芸人の素晴らしく訓練された芸には、何かの芸の核心、
立ち止まって聞き入りたくなるような政治批判、その論理的な知識、
いつかは有名になるかもしれない優れた芸術作品、
きっと、磨き上げればとんでもない宝石になるかもしれない貴石、
すなわち、全く、無名性、匿名性にはほれぼれするけれど、
それは知識というより、アノニマスな知恵だということです。
このsilienceが母体となって、Con+silienceとなり、さらには、
resilience=レジリエンス=強靱な能力までを引き込んでいます。
極めて、日常的で匿名的な、ひょっとすれば大評判となるであろう知識、
それを乗り越えているまだまだ評価はされていないけれど知恵の集合体、
これが「コンシリエンスデザイン」であり、
もう一方では「コンシリエンス看医工学」こそ、次世代が
知識を超えた知恵をデザインと看護・医学・工学へということです。


* 『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』
* 『「アノニマスデザイン」の代表例に選んだモノが消滅』
* 『鉱物学と自然科学が選んできたコンシリエンス』
* 『「不安」が最大なことは被災することである』
* 『silience=無意識だけれども重要な知的核心という解釈』


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『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』


   


     7月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



美大時代、デザイン系の本は数冊でしかありませんでした。
その数冊でも、
「この本は間違いだらけだ、燃やせ」ということも教授からの声。
だから、ほとんど建築系の本を読み漁っていました。
その時に、「デザインにはことばが無い」と思っていました。
だから自分は「かたちとことば」を積み重ねようと決心したのです。
大学人になって、建築系の論文も相当読みましたが、
正直、建築家の著作の方が面白いと同時にデザイン論としてもまともです。
大体、有名なる建築家の文章・文体は立派だと思っています。
最も美大時代は建築家から
特に美術評論のほとんど読解困難な文体に憧憬してきました。
最も読破し、大きな影響をデザイナーとして受けてきましたが、
最近は
「ことば、語彙、日本語漢字原意など」は劣ってきていると告白します。
盟友である内藤廣氏は、
オリンピックスタジアムで相当に批判を受けていました。
が、絶対に彼が誤った判断であろうが、絶対味方を自称してきました。
彼は東大退官後もますます多忙にもかかわらず
彼のことばは待たれている、
だから著作が一段と増えてきていて、自分は焦ります。
ただし「場のちから」についてはじっくりと話をしないと、と思っています。
なぜ「場」なのか?、「場」=ジョウ・じょうであること。
「場」はことばの「バ・ば」でもあり、
いのち=いの「ち」ゆえに、つち=土があり、とち=土地があり、
みち=道があり、さらにまち=町・街があるから、
ち+から=ち+空があるというこの思惟を
何としても伝えなくてならない、そんなきもち=気持ちです。
「場にちから」というかち=価値と読みここち=心地があるからでしょう。
こうした場と地、力と言葉を彼に伝えるつもりです。
彼には、スケッチ・写真・建築というかたちとことばがありました。
内藤廣は、やっぱりかたちとことばをしっかりと表現できる男でした。
自分はめんどうな男と彼に呼ばれていますが(笑)、
大好きな建築家。そして人物です。


* 「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
* *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*
* 「花綵の国のことばには「ち」、土地と価値がある」
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「オフィスチェアの進化の座り心地」


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『文具大賞「システム手帳」の再発明と効能性という機能』


   


     7月 13th, 2016  Posted 12:00 AM



ヒラリーとテンジンと言えば、エベレスト初登頂です。
登頂に囚われていた自分には、
ヒラリーとなればFiloFaxというシステム手帳です。
このシステム手帳が有名になる以前から使ってきました。
以来、どれだけのシステム手帳を買い換え使い厭きてきたことでしょうか。
そして、もはやシステム手帳はスマートホンで充分でしたが、
日本の開発力は凄いと感心する商品が出てきました。
まさにシステムにふさわしいノートフィルから、様々な手帳の体系を
見事に商品として成功させているモノが、日本文具大賞に応募。
すでに現物を見ていただけに他の審査委員の評価がとっても楽しみでした。
案の定、「やっぱり、よく出来ているな〜」との声が多くて
当初からグランプリ候補でした。
日本文具大賞はグッドデザイン賞の評価は超えていると確信しています。
理由は明解です。
なにしろ、この評価で優秀賞であってもこの数年は大ヒットします。
文具というきわめて日常的な200円から5000円程度の、
ややもすれば衝動買いするモノですが
このささやかなモノには夢があります。
つまり、社会的な存在性が日常化する効能性=すぐに自分とモノの関係が
社会と時代にマッチングしています。
ましてここまで体系化が果たされている性能は、これまでのシステム手帳を
完璧に陵駕していることは明らかですから、
性能と効能が効用と効果をならしめて機能性は充分です。
それは発明が明らかだからです。
180度開閉すること。表紙は合成皮革だからこその一枚仕上げであり、
これまでのシステム手帳をとても軽量にしています。
「機能部門」のグランプリ賞品として
確実に国際競争に立ち向かえるでしょう。
ただし、自分は審査委員長ゆえ、
もっと厳密には要求がこれまでも残ります。
しかし、それを是正するメーカーが無いことには、
国際競争には勝てないことがあります。
この製品にももっと「体系」・「システム手帳」から、「手帳システム」を
なんとしても開発してほしいのです。

*『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
*「ISOTでの勘違いを発見」
*「TV番組の役割は終わっていることを再確認!」
*『映像と音像を変えるHDMIケーブルの進化』
*「審査会=日本文具大賞からスタート」


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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM



この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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『電線・電柱・地下インフラのやり直しデザイン』


   


     5月 14th, 2016  Posted 12:40 AM



有名大手自動車メーカーのデザイン部長から大学教授、
そして有名大手バイクメーカーのデザインコンサルタントの
K氏が代表を務める「電線を地下にする集まり」があります。
「電線地下美化倶楽部」を知りました。
私には、電柱を見ると、二つの識別があります。
一つは、変圧器の種別です。これはオーディオに関わります。
もう一つは、特に京都などでは、昔の地名が電柱にプレート表示です。
しかし、電柱と電線工事は「醜い」限りです。
この醜さは、電線工事の耐えがたいほどのいい加減な公共工事です。
ようやく、電柱は無く、電線を地下配線も大都市では当たり前ですが、
予算が無ければ、電柱と電線工事はこのまま、景観を台無しにしています。
許すべき事ではありません。
だから、この呼びかけ倶楽部には段々と人が集まり始めています。
私自身、電柱・電線、この醜さは撮り貯めています。
だから、展覧会で「やり直し、電線地下」を一緒に訴えたいです。
今やそろそろ水道管をステンレスにしていく地味な活動もあります。
こうした工事にデザイナーが必要だと思っています。
しかも、わが国の地盤は地震などに耐震性が必要ですから、
新素材の地下水から電線までを完全耐震の保護仕様が必要です。
ともかく、この倶楽部を大きくしなければなりません。
だから、私はこの訴求活動に、デザイナープロとして、
わが国のフレキシブルな耐震地下インフラをデザインが主導すべきと
真剣に考えています。

*『電気には「質」がありそれは正弦波測定で確かめられます』
*「電力会社を破壊し分散させるべき証拠・告発します」
*「USBからワイヤレス化と電磁波空間」
*『建築家よ、吟味すべし仮設住宅建設を』
*『私の大疑問は電力というエネルギーへの不配慮』


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『LPレコードのアーカイブが出来上がりつつある』


   


     3月 30th, 2016  Posted 12:00 AM



僕はオーディオのデザイナーから出発という幸運があります。
東芝では当時オーディオ専門ブランドAurexに関わり、
Aurexブランドロゴから製品開発・商品化だけではなくて
ショールームからコンサート企画、
そしてLPレコードづくりまで担当しました。
単純に担当というより、
自分で企画書を書き上げて上司を説得していました。
そんな中でも、
LPレコード企画などが東芝では通らないことはしばしば。
そんな時にはその企画を
DAM(当時最大の量販店のオーディオクラブ)に、
僕は持ち込むと同時に、 DAMから信頼も受けていたので、
TV-CFやDAM販売キャンペーンのディレクターもしていました。
無論、東芝の上司にはほぼ公認をしてもらっていました。
DAMといえば、特別高度な音質のLPレコードを出版していました。
これは当時、東芝EMIの力添えがありました。
東芝EMIで担当であった方が亡くなり、その遺言から、
DAM レコードを後世に残す話が持ち上がり、
東芝の社員であり、また45回転で超厚のレコード盤制作に
まさにはまっていたことからも、協力者の一人として参加。
DAMのLPレコードは、音質の優秀さで、有名な指揮者事務所や
有名歌手グループ事務所からなどクレームが出るほどでした。
私が直接関わったレコード盤は、
「トラックダウン=レコード製作プロセス」を知らせることで
それはオーディオ機器、カートリッジやプレーヤーシステムまでの
音質チェックになるレコード盤があり、レコードジャケットデザイナー名を
入れてもらうことで、東芝に納得をつけてもらっていました。
これはバイノーラルレコード出版につながりました。
東芝ではOKがもらえなかったのですが、
DAMでのヒットゆえに、
結局は東芝のプレミアム広報として実現しました。
かつて、オーディオでの最も正確な音質レコード盤の
アーカイブが完成しました。
アナログレコード盤としては最高のモノづくりだったので、
今では徐々にファンが増えてきています。
私はひたすら音響関係のデザイナーであればそれでいいと思っていました。
だから、今でもその思いは残っています。
大学人をリタイアしたなら、
もう一度、オーディオ機器のデザインと設計に関わりたいと考えています。
すでに、ヘッドホンアンプの設計とデザインに取りかかっています。

*「企画は必ず具現化すること」
 http://www.ouzak.co.jp/blog/?p=23523
*「ここまで粘り、あきらめないこと・・・」
 http://www.ouzak.co.jp/blog/?p=23541
*『世界でトップだったアナログ45回転レコード盤の復活』
 http://www.ouzak.co.jp/blog/?p=42369


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『コンセプトからイノベーションは起こらない』


   


     3月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



「KK塾」は親友であり同僚、そして今や医学系研究科長の
澤教授にお願いしました。
おそらく、
TV医療ドラマでは有名な心筋の再生医療を知る機会だったはずです。
心臓移植では国際的な権威ですがそれこそ阪大の心臓外科医どころか
緊急医療医としても
医学界では相当の人間生死の現場で経験を持つ医師です。
ところが、
世界でそれも日本の最も慎重し過ぎる薬事法を
「ハートシート」適用させた教授です。
「ハートシート」は患者自身の腿の筋肉を培養して、
細胞シートを心筋シートにして患者の心臓に張り込むことで、
心臓移植どころか、心臓を再生させてきました。
この実績は
日本の薬事法を薬剤でもなく医療機器でもなく細胞シートを
日本の国内法に適用させてしまいました。
これは特に米国を刺激し、
今では世界中からメディカルツーリズムとして
阪大病院にての手術を可能にしています。
澤教授は、心臓外科医だけではなく、無論次世代の医師養成だけではなく、
大阪を中心とした「街づくり」の中心人物になっています。
私自身、私の心臓から身体は阪大にすべてを任せています。
工学研究科から私のミッションである「コンシリエンスデザイン講座」も
今では医学系研究科にて、医学・看護学・保健学、そしてその周辺から、
まだ発表待ちの医療機器、その動物実験、医療環境デザイナーなどは、
すでに、「コンセプトからのイノベーション」ではなく、
「ラインからのアライアンスイニシアティブ」として
やがて公表されることになることを狙っています。
「コンシリエンスデザイン」対「レジリエンスデザイン」は
まさにデザインの本質である発想は「コンセプト」からは逸脱しています。
「lineによってmagic balletなgigがgood vibes」になること。
「デザイン思考」がイノベーションを生み出すと勘違いしている
現代日本を変えます。
「コンシリエンスデザイン」だからこそ、
その実例を看医工学で実際例を紹介講演してもらいました。
生老病死をAIによるゲノムからの再生医療は
医療環境を超えて
新たな街づくりに向かっていることを知って貰ったと確信しています。


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