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Posts Tagged ‘東京オリンピック’


『「聖火トーチ」はデザインで日本技術を発揮した炎と光』


   


     5月 9th, 2019  Posted 12:00 AM



「聖火トーチ」は、日本としての新しい製造工程、
新技術が求められました。
オリンピックに関わるマークはじめビジュアルデザイン、
競技場やトーチとデザインの力が戦後復興の
前回の東京オリンピックで発揮されたように、
今回の災害復興、五輪再興の力となるよう
デザイナーの一人として望んでいました。
「3.11での被災者」・「仮設住宅のアルミ」を再利用し、
インゴットにした押し出し成型から生まれる
桜のトーチが日本列島を縦断し、
その炎から光、同様に心をひとつにしてくれるでしょう。
デザイナーが望んだ花びらの「炎」を
ひとつの「光」変えるという難題に
向かってくれたのはたった1社の企業だったことを知りました。
デザイナーの細かな要望に、トーチ筐体の押出し成形に
挑んだメーカー担当者が果敢に応える姿がありました。
日本の希望の炎、その光のモノづくりに携わる人たちの、
約5年間にわたる精励恪勤なその成果が集結しています。
「炎と光」、技術提案の演出は彼の提案だけでしたので、
彼、一人が「センス」あるデザイナーでした。
聖火トーチは、その造形美、性能美、機能美だけでなく、
ランナーとともにつなぐ炎が光だけでした。
トーチキスの瞬間そして聖火台に向かうフィナーレと
その光で世界中にオリンピズム高鳴る熱狂を
届けてくれると、「新技術」に期待しています。
応募者たちの「デザイン知識」に愕然でした。


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『二次審査へ、私の期待は「やり通す」ことでした』


   


     3月 22nd, 2019  Posted 12:00 AM



1964年の東京オリンピックのトーチは、
恩師の柳宗理氏のデザインでした。
学生の頃、その当時の話をいっぱい聞かされていました。
そして、私は東京2020のトーチの審査員に加わることになりました。
オリンピック・パラリンピックの審査会への参加は、
これまでの難航するデザイン関連の審査を知っていますから、
職能家としての信念と決意を持ってのぞみました。
東京オリンピック・パラリンピックのシンボルマークは、
私には突然のニュースでした。
一見して「なぜ、この形が?」、黄金比で見てもおかしいと思いました。
その後、いろんなことが重なり、彼の盗作が次々と発表されていきました。
ベルギーからは「著作権で闘う」と国際的な論争を生みました。
著作権は、無体財産権ゆえに、商標権で闘ってもまったく敗北です。
結局、シンボルマークの取り消しと、
業界団体から大衆まで幅広く反対運動のおきた国立競技場は、
政府誘導で「やり直し」でした。
トーチの審査会は4月に第一次審査があり、
多くの企業とデザイナーのチームから応募がありました。
それぞれのチームでデザイナーが代表してプレゼしていたので
デザインの力で何としても日本からレガシーとなるトーチをと願いました。
審査も問われるわけですから、
人間工学的な間違いや、機構設計の不具合を指摘したり
素材への知識不足、環境効率の認識、燃料機構の提案についてと
審査員全員が質問を繰り返しました。
やはり世界に通用するデザインは限られていることを、
あらためてプレゼを通して感じました。
「やっぱり、真にやりたい」ことが、
今回の大会へのコンテクストは見事であり、
「これが二次審査に行けば」というのが私自身の期待でした。

知的財年報2010


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『民藝の美とデザインの美は区分分別されていた』


   


     3月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM



101匹目のサルという論理があります。
一時期、私もこの論理に夢中になったことがあります。
簡単に言い切れば、鹿児島のサル100匹がお風呂に入ると、
北海道のサル101匹目もお風呂に入るということです。
これは全く情報の交換が無くても遊びや習慣が突如として起こるということ。
実際、柳宗悦が「民藝」という日用品の美しさに気づいたことは、
アーツ&クラフト運動、ドイツ工作連盟、バウハウスという歴史変遷が
編年体のごとく連鎖して、特に、工芸とデザインが重なるのです。
ところが最近は、工芸、工藝、民藝、デザインが全てを連鎖ではなくて、
あたかも融合して同次元のごとくという知見不足の解釈が、
それも商業主義的なブランド背景理由にされた言説で語られてしまっています。
まず、柳宗理の弟子として、柳先生は明確に民藝とデザインの関係を
きっちりと区分を自分のデザイン活動の中で、特に手仕事結果である
民藝の美とデザインの美を分別されていました。まして、
最もほとんど嫌悪されていた商売主義(商業主義ではなく)で民芸ならば、
それは手芸であり、お土産品になってしまいます。私の良識では、
デザイン成果は「目的+目標」のアノニマス性の存在とその美しさでした。
民藝からのデザイン成果は「目標+目的」としてのゲマインシャフト性でした。
産業美術学科では工芸とデザインは明確な区分と分別が私たちに徹底。
インダストリアルデザインは確かに大量生産と大量消費の経済構造に、
アノニマス性を埋め込んだ実務としてのデザインが求められました。
それこそ東京オリンピックのトーチや世界初の聖火運搬のランタンが
柳先生のデザインであることは知られていません。
あのアノニマス性からの美しさは、建築とは一線を画していました。
インダストリアルデザインを伝統工芸に導入するならば、
ゲマインシャフトという強固な地域存在性をデザイナーが確約することでした。
決して商品ブランドの商売性からの遮断は当然でした。
アートからクラフト、モダンデザインは、
「民藝の手仕事」の美しさは明確に「デザイン」の美しさとは分断されていたのです。


* 『書かれた柳宗理デザイン=現在出版の書籍で継承可能か』
* 『アンコンシャス・ビューティを学んだから・・・』
* 『手稿は宝物である』
* 『モダンデザインの造形に潜むスーパー楕円』
* 『民藝へのアンコンシャスビューティを再熟読』


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『サインカーブ的なデザイン主導での製品化と商品展開』


   


     12月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



誰もがベンチャー企業家になれるわけではありません。
いわゆるインターネットがらみでのIT企業化は相当に困難だと思います。
1000社のベンチャー企業が30年後には、2.8社しか残らない、
この現実結果はベンチャー企業化の難しさを表していると思います。
しかし、これからもわが国の基幹産業は、
インターネットとの関係は不可欠でしょう。が、IT 化からの離脱も重大です。
しかし、今やブームとなっているIoT=Internet of Thingsは、
勘違いしている企業目標が多いようです。
確実に二つの兆候が目立ってきていると判断しています。
基幹産業は必ずビジネスモデル展開だけでは不足しています。
そして2020年、東京オリンピック後の日本の経済状況は低迷するでしょう。
そこで、もう一度再考の深度を深めて熟考に熟考での製品企画から
製品計画・商品企画・商品計画をいわゆるベンチャーキャピタル的に
デザイン主導を見詰め直したいと考えています。
その思考方法には、ビジネスデザインモデルの提示をし直すことです。
少なからず、製品化のための計画には研究・開発投資は、
リスク投資であることは間違いありません。
そして商品化からの商品展開での投資回収では、デザインは不可欠です。
そこでのベンチャー的な投資とはあくまでも、投資回収が目的です。
したがって、この目標も、問題解決・価値創出・未来創成は少なからず、
デザイン目的の明確な視覚化として、
私はこのサインカーブ的な発想を試行します。
投資目標と、製品化でのデザイン目的をこの図のように設置してみれば、
たとえば、ベンチャー的な投資でのリスクは
デザインが四分の一は背負っていると考えます。


* 『SF映画に示唆される未来性の確認には「目印=sign」がある」
* 『「百貨店の終焉」が始まっていると見ている』
* 「相対化をささえる『かたち』と『ことば』」
* 「ビジネスモデルはビジネスデザインモデルに」
* 「ビジネスモデルにデザインを組み入れた意義」


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『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』


   


     9月 25th, 2016  Posted 12:00 AM



リオのオリンピック・パラリンピックでは、
「日本製でなければ・・・」というスポーツ用品が
相当にありましたが、筆頭は何と言っても、卓球台です。
デザイナー・澄川伸一氏のデザインであることが話題になっています。
彼が来宅してくれて、疑問点を聞きました。
それは、水平度はどこで調整しているのだろうかということでした。
「やっぱり、そこだったんだ」で大納得。
最近は、日本のデザイン界で盗作が相次ぎデザイナーって腐っている、
こんなことを言われてしまいます。とんでもないことです。
ロゴのデザイン料が高すぎると市民運動になるとは、とても遺憾です。
彼のスタジオならロゴ周辺までの仕事がきっと満載しており、
デザイン成果は国際的です。ローカルならず行政のデザイン対価そのものが
実は未だに安すぎるのです。これには自分も反省をしなければなりません。
よくあの金額でOKであったとさえ評価すべきことです。
廉価すぎるというのがプロ=職能のデザイン対価とは海外から「なぜ?」です。
さて、あの卓球台はなんと恩師・柳宗理先生と天童木工での発明デザイン、
バタフライスツール、そのコンテクストがこんなに見事に適合していました。
これまでTVでも紹介されなかったこの話を聞いて、
先生が生きておられたら少しニヒルな批評あっても「凄い」の一言です。
なぜなら、かつての東京オリンピックでは丹下健三氏の代々木競技場、
ポスターの亀倉雄策氏が有名ですが、インテリアは柳宗理先生。
聖火台からトーチ、トーチ輸送装置器具は恩師・柳宗理先生の作品でした。
トーチ輸送装置器具はようやく消えずにアテネの火を守れた
発明的なデザイン輸送装置になったのです。
「建築とグラフィックデザインと工業デザイン」、
このそれぞれの個性を調整し勝見勝先生のデザインディレクションで、
世界で「デザインがオリンピックをまとめた」
最初のオリンピックになったのです。
なんとそのコンテクストがあの卓球台に
澄川氏はしっかりと受け継いだのです。
これまで、特に卓球台はコーナー処理や使い勝手で選手たちから、
不平不満の連続だったのですが、卓球台デザインのすばらしさは、
別途にメダルを合同企業に授与されたほどです。
しかし、これも記さなければなりません。
なんとGマークグランプリとは言わずとも、
Gマーク100に入っていないとは、元総合審査委員長として残念。
「コトのデザイン」からすでに35%?も通過?、
確かにあの制度は褒章制度ゆえ赤字。
受賞数のあり過ぎは大間違いゆえに、Gマークは認知度があっても、
国家的褒章制度は「破綻」しています。
日本のコンテクストでは「大物主神」モノの美神様からの指示で
「事代主神」コトを伝える、情報仕組みの神に伝達があったのです。
この見識無き審査委員に歴史のコンテクストを告げます。
もっと真剣に「美」でこその「モノの美」知識から
見識も悟識もある審査委員になってください。
デザイン界はまずは「大物主神」から
「事代主神」の代理役職能だということです。
デザイン界はもとより、ライバル心はあってもジェラシー心では、
「美」は創れません。目先の利益もあるでしょうが、未来の美が目標。
あの卓球台は柳宗理先生の思想を受け継いだ素晴らしい成果だったのです。

* 『理念という思想からの発明がデザイン造形を決定する』
* 「*貿易国策の一つがGマーク賞制度、その審査委員資格*」
* 「商品・コミュニケーションから意味論的デザイン」
* 「ロンドンオリンピックでのハードとストロング」
* 『現代妄想には闘い続けなければ大間違いの世情になる』


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『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』


   


     6月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



高齢社会は2010年から2025年までに約706万人増加し、
その介護士はとりあえず170万人、2025年には250万人が
絶対的に必要とされています。
参考人として「完全無菌と抗体保健」を内閣府にて提案しました。
これは次世代デザイナーの新たな制度設計と形態設計の
その実例4点を紹介することができました。
特に、重大なことはIoTではなくて、
IoMeT=Internet of Medical Thingsの詳細にまで、
これからのデザイナーは医工連携どころではなくて、
看医工学の三つを提言することでした。

 ● Medical care → Medical log
 ● Health care → Health log
 ● Life care → Life log

として、それらのBig Dataを医療環境の中では、
GMP=Good Manufacturing Practiceによって、
完全無菌な製造・生産・流通・回収に持ち込むことです。
GMPはすでに、
食品業界や医療機器・薬品業界では遵守されているはずですが、
医療機器メーカーでも、
いくつかのインチキを提訴する事態にあります。
もはや日本のモノづくりは、家電業界は確実に行き詰まり、
自動車業界の大変革も目の前にきています。
わが国は、天災と人災で敗戦後と同様に大きな体験をしました。
間もなく東京オリンピックが待ち受けていますが、
私自身、オリンピックでの様々なみすぼらしい準備には
辟易しています。
そしてもっと重大なことは、オリンピック後の経済の低迷は、
産業構造の崩壊と高齢社会にさらに拍車をかけることになります。
そうなる以前に、大阪大学大学院は
コンシリエンスデザインによる看医工学と
その実務事例を準備しています。
この活動は「日本から海外に」発信していくためです。
その根幹は、「尊敬される豊かさ」を
Conect nomeでBig dataを三つのlogとして、
社会資本、国際資本にしていくことです。

*『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』
*『参考人としての内閣府内会議にて・・・』
*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
*『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』


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『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』


   


     8月 13th, 2015  Posted 12:00 AM



「コンシリエンスデザイン」を定義化してから、
どうしても、私自身が説得不足を感じていたことがありました。
それは「統合」についての整理された論理が必要でした。
学術と芸術の統合というコンシリエンスの基底論理でした。
まだ30代の頃、CIブーム時にはCI=「企業イメージの統一」論へ
CIデザイン論の再構築という論文をデザイン専門誌に書きました。
「統一」から「統合」をW.S.ランデッカーの考察から学んだことが
私はとても気になり、その論文をバックナンバーから探しました。
しかしどうしても見つからずに、この専門誌発行元に問い合わせ、
それが見つかってきて、あらためて私はとても驚きました。
なんとそれはMacintosh 512KでMacDrawでの図解で描かれていました。
そして「企業イメージの統一」CI論を企業の戦略的効果の消滅として、
「社会は、いつの時代の変動もその局面を強調して、
将来への予測とその準備を強要するものである。」という書き出しは
今も健在であり、常套化したデザイン手法=企業イメージの統一から
いち早く逃れるべきである、ということを指摘していました。
企業イメージの統一=CI論はケインズの経済学を引きずっていました。
そのための統一から統合を、私は今なお主張し続けていることです。
W.S.ランデッカーは、「統合」を以下の四つで整理していました。
 ● 機能的統合
 ● 伝達網的統合
 ● 規模的統合
 ● 文化的統合 でした。
私はやっと思いだしてとても大きなヒントになる予感です。
この四つでアイデンティティ=存在性の再考が可能という予感。
それこそ今、話題騒然としている、オリンピックエンブレム問題も、
エンブレムデザインでは、東京オリンピックのイメージ訴求は
決して統一は困難であり、今なお著作権でベルギーが訴訟しようが、
東京は商標登録しているからという対決姿勢だけの不毛さは、
「イメージの統一」に寄りかかっているからに他なりません。
重大な事は、オリンピック・パラリンピックともに、
イメージの統合のために、そのエンブレムが、
機能的・伝達網的・規模的・文化的な四つの統合性があっただろうか、
この質問を投げかければ、
文化的統合はすでに壊れているということです。
それは、文化的統合とは、無知と差別を解消することですが、
エンブレムは、オリンピックとパラリンピックには、
差異性、いや差別性をデザインしたということです。
もっと、厳密に言うとケインズの経済学が亡霊だと気づかない、
そんな21世紀がまだまだ続いているということです。
ここまで気づかない能力だと思いますが書いておきます。

*CI=C.I.=コーポレート・アイデンティフィケーション


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『柳宗理のオーバルとエリプス製品数理記号的な造形論理』


   


     5月 12th, 2015  Posted 12:00 AM



ラングからパロールは「創り出すこと」は出来ない。
エリプス=楕円は形態言語であるが、オーバル=楕円は造形言語。
私はこれを柳宗理のスーパー楕円論だと仮説定義化しています。
この論理からは、
「モノは無意識に生まれてくる」=アンコンシャスビューティであり、
しかもアノニマスデザインとなる実際例の一つは関越道のトンネルです。
ほとんどの人がまさか、このトンネルデザインには
土木工法を決定している造形言語があること自体が無意識です。
丹下健三の建築、亀倉雄策のポスター、
そして柳宗理のトーチホルダーは東京オリンピックを
おそらく世界で最初にデザインが引導しました。
そして今日のオリンピックデザインが日本から始まっているのです。
建築家もグラフィックデザイナーも有名ですが、
もっとその美意識の根底では、柳宗理の存在は無名の受け入れがあり、
特に、金沢美大の私たち弟子には、
なぜ、勝美勝氏がディレクションしなければいけなかったのか、
その理由が分かります。建築とグラフィックと工業デザインは
当然のこと激しい美学的な闘争・大喧嘩があり、
三人の闘いの調和は急務だったのでしょう。
私はその話を聞かされてデザインを学びました。
柳宗理には、彼の父親・柳宗悦の強烈な民藝論が立ちはだかり、
さらに祖父・柳楢悦(数学者・海図開発)へのライバル心があり、
血縁関係からのゲマインシャフト性への信頼があったのでしょう。
私はあらためて、
工業デザインは最近は私も含めデザイナーとしての明記が公知されますが、
結局、具体的にはこのトンネルのごとく、
アノニマスなモノとして、社会一般に溶け込んでいくのです。
つまり、パロールであるオーバルをデザイン意図とし、
エリプスというラングによってデザイン内容は受け取られています。
「デザインは意識活動である。

しかし、自然に逆らった意識活動は醜くなる。

なるたけ自然の摂理に従うという意識である。

この意識はデザインする行為の中で、究極のところ無意識となる。
この無意識に到達したところより美が始まる。」
柳宗理が我々デザイナーに書き残していただいたメッセージです。


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『1949.2.26日から生きている=死んでいく私』


   


     2月 26th, 2015  Posted 12:00 AM


私が交通被災に遭って車イス生活になったのが、28歳の時でした。
半年、救急病院で手術をし、転院してリハビリを受けました。
その病院で、統計データを見せた担当医は、私に、
「データ上では、確実に、40歳までが君の寿命」と言われました。
(こんなことを患者に伝える、お前はバカか!・・・)
それなら、いち早くこの病院を出ようと、
たとえ熱があっても体温計をゴマかしてリハビリ訓練をしました。
私の予測道理に米国のベトナム戦争傷兵脊髄損傷者の訓練で、
半年でリハビリ病院を出て、赤坂でデザインスタジオを開設、
しかし、父の命令で福井に帰り、40歳までをと・・・
気づいたら40歳になり、運良く毎日デザイン賞を受賞していました。
(あの嘘つきドクター!)と思っているどころか、
47歳で逝ってしまった母を考えて、47歳で大学人になりました。
2049年には100歳ですが、2050年以後の予測までを読んでいます。
66歳になってしまった私ですが、
やり残していることは、まず、デザイナーとしてやり遂げたい、
したがって、大阪大学を退官時の作品集「川崎和男Design」を出版。
出版社には、とんでもない、もう一冊作品集を出すと言っています。
結局、大阪大学大学院医学系研究科に転籍して、
今春からは正式に「コンシリエンスデザイン寄附講座」を新設です。
3.11の復興、範原発(脱原発は論理・言語論としても間違い)、
南海トラフ対策、そして2020年の東京オリンピックは観たい、
これが生きている=死んでいく私のとりあえず2050年までの計画です。
生まれて生きていくのは死んでいくことを明確に認識しています。
66歳ゆえに時間の体感経過速度はあっというほど光陰矢のごとし、
当然です。
66歳ともなれば、一年は66分の一で過ぎ去ります。
恩師は93歳で逝かれました。100歳を約束しました。
真正面で死を見つめて、それも3度も観てきた経験がありますが、
これから66分の一で過ぎ去る一年間にやれるだけやるだけです。


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『12月28日・2014年の忘年会』


   


     12月 29th, 2014  Posted 12:15 AM



毎年の忘年会は、大阪大学の石黒教授(アンドロイドロボット)と
東京大学の生田教授(マイクロロボット)でしたが、
今年は、私の従弟(宇宙開発・元JAXA役員現JAXA系企業社長)と
私の出版関係を昔の連載からこれからの出版や講演企画の中筋氏、
そして、
なかなか会えないけれど兵庫県立美術館の蓑館長も気楽に加わり開催。
全料理はワイフがデザートまですべてをこなしてくれました。
話題は、宇宙の話からロボットから建築、美術と放映できるほど多彩。
これほどのメンバーで話せば、政治も宇宙も経済もとほとんどの
話題に事欠かないほどでした。
明日は石黒教授のアンドロイドの特番が放送だとか、
蓑館長の対談本出版、そしてマイクロロボット展をやるなら、
電子顕微鏡が何台必要になるとか。
私と石黒教授は、どうしても危ないと思われる機器の開発。
来春から、私の講座に准教授クラスの人物が欲しいことなどを
東大・阪大に公募したいとかで、おそらく話はつきなくなります。
そういえば、お互いメールはしあっていてもなかなか会えないので、
来年こそはもっと会いたいし、それぞれの対談講演をとかを
中筋氏にイベント企画をお願いしました。
ワイフがどうしても聞きたいという宇宙の話は、従弟が、
これは確かで、それはほぼ物語と決着をつけてくれました。
3.11直後から、この復興計画でのデザインアイディアは必ず、
従弟(信頼安全性工学の第一人者)に聞くことができます。
そして、いつ聞いてもすごくて面白いのは、ハーバード大学での
蓑館長のPh.D.考査の美術史問題やそのインテリジェントな回答法。
来年はまずこのメンバーそれぞれの講演を私は開催するつもりです。
なぜなら、アート・宇宙・ロボット・デザインは
おそらくもう22世紀の話をしていくことになると思うからです。
その前に、東京オリンピックをなんとしても無事開催したいと
全員が思っていました。

左から
中筋氏
生田教授
川崎和男
石黒教授
川崎ひろこ
蓑豊氏・兵庫県立美術館館長
いとこ:長谷川秀夫氏


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