kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘東京裁判’


「終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本」


   


     10月 4th, 2012  Posted 12:00 AM



「Asia is one.」
これは岡倉天心著「東洋の理想」の書き出し文です。
そして、この言葉が
「大東亜戦争」のテーマ文そのままになりました。
本来、岡倉天心がこの書籍で書き残したこととは
全く異なる東洋の美学論でした。
それは軍部の専制的な当時の論理にすり替えられていました。
しかし、日本軍が成しえた事では、「インドネシア開放」がありました。
列強欧州各国の植民地であったアジア諸国を開放したことです。
しかし、この歴史的事実よりも
「南京問題」や「慰安婦問題」がクローズアップされています。
この「インドネシア開放」を成し遂げた日本軍の活動は
歴史から抹消されています。
現在のシンガポールからベトナムに至る全ての国々が、
植民地から開放されたことは、
あの東京裁判でもほとんど評価どころか無視されたことです。
この開放戦線は「明号作戦」と呼ばれました。
現在、この作戦の資料で残り、
出版された書籍はたった2冊しかありません。
私は、大学人になってからこの17年間にわたって、
こつこつと研究を蓄積してきました。
しかし、まだとても纏められるほどではありません。
来春からの余生においては、この歴史を明らかにしていくつもりです。
二つの理由があります。
まず、徴兵された父の7年間、最後の戦線だったことであり、
「明号作戦」そのものの戦略戦術に直接関与していたことでした。
次に、この作戦に参画した師団・部隊は中国を南下してきました。
当然ながら、南京を占拠してきた部隊でしたが、
彼らの行動・作戦に「南京問題」は皆無だったということです。
アジア各国を開放させて、それぞれの民族の解放、
それこそ、「Asia is one.」をそれぞれ各国が独立することでこそ、
亜細亜をひとつにまとめようという
日本軍の意志であり理想でもあったということです。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・二つの公案を」


   


     11月 22nd, 2009  Posted 1:22 AM

「公案」という言葉には、二つの意味があります。
091122kouan
私は、この言葉の意味を、「神の国・日本」には、
見事に当てはまっている、と考えてきました。

● もともとは、中国で生まれた言葉、
その意味は、裁判物語です。
日本では公案として「大岡政談」が有名でしょう。
もし、この公案として、
日本は、東京裁判を「公案」とすることができます。
「公案としての東京裁判」は、きっぱりと
わが国の世界的な罪状として語られていることを
否定すべきは否定し、正当な再評価が必要です。

無論独裁化した当時の軍部責任問題の罪状は、
認めなければならないと思います。
しかし、一方的な報復、見せしめとして、
この裁判で戦犯とされた人物裁決には、
大きな疑問と再評価を求めなければならないのです。
その人物を戦犯とした歴史は、
今、書き直しておくべきだと私は考えます。

事例として、広田弘毅は文人であり、
なんら戦時責任を問われるべきではなかったはずです。
そして、罪状明確な戦争責任者が、
合祀されている靖国問題もここに端を発していることを
きっちりと整理すべきです。

B級戦犯となった岡田中将の軍人としての主張である、
名古屋空襲への抵抗攻撃もすでに、
忘却されようとしています。
「明日への遺言」という映画記録は公案となっていますが、
どういうわけか、
決して語りつながれようとはしていません。

したがって、
● 私は「公案」=「現成公案」にて、
禅宗的な問題解決の対象として、
東京裁判を配置するべきだと考え提案したいと思います。

なぜなら、
国際法としての戦争責任から考えれば、
母国歴史での罪状が、今なお、問い詰められていることへ
「現成公案」をもって、
罪状よりも、戦争であったからこそ、
果たしえた解放戦線があったことこそ「公案」を
世界に公認させておかなければ、
それこそ、
戦死者への真の鎮魂は不可能であることを
「現成公案」として
「無字」(無門関という禅書の応答)なりの
日本人の心情を国際化することこそ、
「神の国の復興」に他なならないと私は考えています。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「神の国・・・その屈辱・3」


   


     11月 19th, 2009  Posted 9:00 AM

本土爆撃・沖縄占領・原爆による完全敗北は、
「神の国は、勝つ」と洗脳されきた国民を絶望させました。
軍部による独裁を今なお呪っています。

それは「神の国・日本」が屈辱を受ける裁決で始まったのです。
私のふるさと福井も空襲で、廃墟になりました。
パラシュートを製造していた繊維の街だったから。
私はまだ生まれていません。
父は、7年半も戦地で青春を奪われていました。

私は東京裁判をもう一度、検証するべきだと思っています。
特に名古屋空襲での、
一人のB級戦犯となった人物への裁決が正しかったのか、
どうかということです。

米国による空襲は、明らかに民間人を相手にした爆撃です。
これは、国際法規違反です。
そうなれば、沖縄も、広島・長崎はじめ、
日本各地への空襲はすべて、国際法違反です。
少なからず、日本の真珠湾攻撃は軍事施設破壊でした。
民間相手ではありませんでした。

名古屋が空襲されれば、内地防衛をしていた軍部は、
爆撃機を攻撃し、打ち落として戦闘を行います。
結果、米国軍人を殺しました。
これを勝者は裁いて戦犯としたわけです。
彼は相当に食い下がります。
一部は彼の主張の正しさを認めていたと言われます。
東京裁判での裁決の勝者の勝手さは、
きわまりなく、勝者は国際法規などは完全無視でした。

私は今更という思いでこの東京裁判の一つのエピソードを
持ち出しているのでは、ありません。
この敗戦直後の、「屈辱」こそ、
敗戦した日本人から、
「神の国」=「日出ずる国」の「誇り」を失いました。
すなわち、負け戦となった理由付けで、
戦後、屈辱を内面に傷として癒さぬまま生きてきた
「神の国の住人」の精神性に絶望が今なおあることを
明示しておくべきと考えるからです。
この癒し方が、
資本主義と民主主義を受け入れた気持ちになっていたのです。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
 「神の国・・・その冒涜・2」


   


     11月 18th, 2009  Posted 9:46 AM

美大時代、
私は日本美学に惹かれる訳が無いと思っていました。
これはすぐに消滅しました。
学園紛争は金沢美大にまで及んできました。
全共闘赤軍派などが知ったかぶりで叫んでいました。
私たちはファッションにこだわり、
立て看を片付けて、彼らと対立していました。
しかし、赤ヘルメットで、
ただデモしているだけのお粗末さがセンスの無さを証明。
馬鹿集団としか思えませんでした。
学生運動が歴史的に勝ったのはイタリアでたった1回。
この知識すら知らない連中たちでした。

私は団塊の世代です(嫌いな言葉ですが)。
同世代には「当時はね、左翼系で、よくデモってました」。
こんな教授達に出会います。
あれからあなたは何をめざして生きてきたのでしょうか、
私は質問したくなりますが見下すことに最近決めました。
大学教授なるみなし公職にあり、
青春の志を転向したあなたを、
決して認めることはないでしょう。
あなたは「神の国・日本」を冒涜して生きているのです。

「神=自然神の国」を冒涜したのは、左翼系インテリです。
こうした人間は、
日本が犯した大罪であった世界大戦を指摘します。
私は日本美学を岡倉天心と天皇制と武士道に求めました。

18_a 18_c 18_b
そして、結論。
冒涜は、三つあったと判断します。
大東亜共栄圏構想には、
「東洋の理想」岡倉天心著の書き出し、
「Asia is One」=「東洋は一つである」が、
当時の軍部に引用されました。
岡倉天心の美学と愛国心を悪用したのです。
● あの戦争は「天皇制」が原因と、
戦後その理論を吹聴。
それらが進歩的文化人と言われた左翼系学者や作家です。彼らは「神の国」の冒涜者です。
●「東京裁判」での国際法の無視です。
具体的には、名古屋大空襲に立ち向かった、
一人の中将=武士道の抵抗と
その正当性を忘却させていること。
無論、東京裁判を今、再考し直してこそ、
あらためて憲法9条論議を乗り越えていくべきです。

これら三つの冒涜が、「愛国心」という言葉すら、
日本語の危険語としてきた戦後の教育だったのでしょう。
「神の国」の均衡心=バランスとハーモニーという
日本の美学を冒涜していることだと私は考えます。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
  「神の国・・・その定義・1」


   


     11月 17th, 2009  Posted 7:00 AM

戦後は、東京裁判の裁決からスタートしたと思います。
しかし、戦中、マルキスト=インテリと錯覚した若者は、
特高との壮絶な弾圧との闘争だったと知らされています。
1949年生まれには、まったくわかりませんが想像できます。

しかし、子供心にも「ニッキョウソなる教師」の戯言は、
私には滑稽きわまりなく、
「日の丸も君が代も、あれが日本を滅ぼした」、と。
そんな教師を、私はほとんど軽蔑・侮蔑していました。
だから、彼らの担当科目は常に成績はトップでなければ、
という敵対心で勉強し、その軽蔑心を押さえ込んでいました。
なぜなら、
unknown
「日の丸」は、世界でもっともシンプルで、
夕焼けの太陽のごく美しく、
「君が代」のあのメロディと詩には、
「・・・さざれ、石の苔むすまで・・・」という
直感的に、
「美」・・・当時はまだまだ不明だったのですが、
体にしみこんでくると思っていたのです。

宮大工の大棟梁だった祖父は、
「神の国の話」をいっぱいしてくれました。
倉には、輪島塗りや久谷焼きや鎧甲や大工道具があふれ、
特に、伝統的な毛針=鮎釣りの美しさに
「神の国だから存在してきた物」が
いっぱいあったのです。

「神の国」とは、「自然神の国」というのが、
私の定義です。


目次を見る

『資本主義からの逃走』
「資本主義という宗教・宗教としての資本主義・2」


   


     11月 16th, 2009  Posted 5:00 PM

日本には八百万の神=自然の草木から岩に至るまで、
すべてに神がいました。
仏教には、五大思想での木・火・土・金・水があります。
儒教は、
仁・義・礼・智・信という人間としての徳性が基本でした。
歴史的には、
日本では
仏教と儒教が一体化したり分離という理が学問であり、
それがさらに八百万の神=神道とも一体化しました。

日本の神を全否定したハビアンの主張は、簡潔です。
ハビアンが、キリスト教の優位性を主張したのは、
世界の「創造主」の有無であり、神道・仏教・儒教の
「無為自然」や「空」・「無」なる心情が
全ての人にとって確信性が明白では無い、と
いうことを論破したのです。

ところが、儒教精神や仏教さらには神道で、
「自然」、特に樹木・岩・石から物すべてに「神」を
「武士道」に「理」として朱子学などは、
江戸時代から精神性の学問とまで昇華されていきます。

私がこれまで蓄積してきた歴史観の一端しか、
ここでは述べませんが、私は思います。
「賢者は歴史に学び、勝者は歴史をつくる」というなら、
私は「賢者」でありたいと思っています。
あらためて語りつなぎます。

日本は「神の国」であるという政=まつりごとの
根本理念と精神支柱として人格性の基盤となり、
そこに「天皇制」という民族思想は統一されました。
小さな島国、資源も面積も無い日本にとって、
民族自身の保身に、愛国の思想、
その核心が「神の国」であったことが、
悲しくも逆作用をしました。

甚大な戦災と被爆に遭遇した哀しみすら
「神の国」ゆえということを否定した
左翼系思想がマルクス思想だったことが、
ハビアン的な反発だったとみなすことができます。

歴史的考察を短絡して語りきるなら、
「東京裁判」による、
日本評価と判決を私は許容はできません。
日本の資本主義が、
「神の国」を仕舞い込んでまで、
生きながらえてきた戦後を
そろそろ総括するべきでしょう。


目次を見る