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Posts Tagged ‘東京’


『土地性と時代性の反映が混在化はどうなのか?』


   


     6月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

友禅というのは、日本の染色方法の一つとして大事なものです。
そして、特に加賀友禅と京友禅がありますが、
この差異性が最近は区別が難しくなってきていると私は思います。
私は金沢美大でしたから、加賀友禅の跡継ぎが何人かいました。
九谷焼の跡継ぎもいましたが、最近はどうなのかは知りません。
よく、京友禅は「公家文化」であり、
加賀友禅は「武家文化」、
また江戸友禅(今では東京友禅)は「町人文化」というその反映ありと、
これらの文化の差異性が表現の下敷きになっていると言われますが、
私は間違いだと思っています。
最も、京友禅は扇師であった友禅という人物名であり、
また彼自身が加賀藩に持ちこんだということで加賀友禅が伝承されました。
最近のそれこそ京都で超有名な扇店で、
「アッ、あれデッサンが間違っている」とか、言い出すと、
ワイフに叱られますが、扇での写実性が歪曲しているのは許せません。
いわゆる花鳥風月の表現、
その写実性は加賀友禅が絢爛豪華さを実現しました。
比して京友禅は優美さの強調性のためにぼやかされた表現が生まれました。
ところが最初に断定したように、
この京都、金沢、東京の友禅は区別性が薄まりましたが、
それがかえって友禅という染色方法を進化させたのかもしれません。
これは陶磁器にも同様なことが起こっていると観察しています。
加賀友禅にしても京友禅にしても、
実際は、その当時、最も進化している景観が描かれていましたが、
現代の友禅作家にはそうした表現が観られなくなってしまったのです。
例ならば京都の鴨川に牛車の車輪が冷やされるために川面に描かれました。
それが今なお京友禅というのは、優美で優雅さが伝承されただけであり、
友禅から時代性が失われたことがちょっと残念です。
そういう意味では、喩えですが、
九谷焼では、現代性を持ちこんだ作家=金沢美大の先輩がいました。
ともかく、着物そのものの消費性や使い勝手の伝統が無くなっているのです。
私が、加賀友禅と京友禅を思い起こしたのは、
「DESIGN TOKYO」の二次審査で、
日本製が本当に少なくなってきたためです。
もう一度、土地性や時代性を反映した製造産業が必要だと思ったからでした。

* 『狛犬をまた金沢から連れ帰る』
* 「絢爛な九谷焼・日本陶磁器の将来」
* 『京都というイメージ?、ブランド?、なのです』
* 『祇園祭・祇園と祭りの根源はもう忘れられている・・・」
* 「自然から学んだはずだった・・・のだが?」


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staffblog 6月7日


   


     6月 7th, 2017  Posted 10:30 PM

6月7日

本日は,東京にて、
文具大賞の審査会が行われました。

例年通り審査委員が一堂に介しまして、
審査を行っていきます。
まずは、審査委員長の川崎より一言。

時流も含めた話題から、
今期の文具大賞の審査へと展開されました。

今回も実に様々な文具が、大量に。
これは文具なのか?という問いも生まれます。
※画像は一部ぼかしています※

個人の審査が終わると全員での議論です。
誰かの独断はなく、
まさに総意で決定していきます。
※画像は一部ぼかしています※

最終的なグランプリの発表は、
7月5日から7日の発表会になります。
詳細はこちらをごらんください。
*第26回 日本文具大賞 2017

休憩時間中の一コマ。
川崎お勧めのヘッドフォンを試すお二人。


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staffblog 4月28日


   


     4月 28th, 2017  Posted 11:55 PM

4月28日

本日は、
タカタレムノス 東京ショールームにて、
高田社長を偲ぶ会が催されました。

乾杯の挨拶をさせていただきました。

川崎の作品を始め、
沢山のデザイナーズクロックが並んでいます。

KK適塾でお世話になった、
澄川伸一氏も、
高田社長にお世話になったとのことです。

美しいものをつくってくださる、
貴重なメーカーの一つとして、
ますますのご発展をお祈り申し上げます。

※タカタレムノス
※タカタレムノス:沿革


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staffblog 10月20日


   


     10月 20th, 2016  Posted 11:55 PM

10月20日

本日は東京にて懐かしい方とお会いしました。
原丈人氏です。
原氏は、内閣府本府 参与をつとめられており、
経済財政諮問会議 専門調査会 会長代理
でもあります。
川崎は、24年前、
箱根でたまたまお会いした、という
稀有なご縁から、今回の再会に至りました。

それぞれの足跡を確かめつつ、
現在取り組んでいる内容を共有しあい、
懐かしいお話が溢れていました。


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staffblog 10月19日


   


     10月 19th, 2016  Posted 11:55 PM

10月19日

この度、川崎は、
内閣府参与でもある原丈人氏から招待いただき、
「2016ワールド・アライアンス・フォーラム
 東京円卓会議」に参加いたしました。
日本橋三井ホールにて、13時から18時まで、
日本から発信すべき企業のあり方について、
議論が行われました。

原氏の掲げる公益資本主義を軸に、
テーマは「GDP600兆円実現は可能」です。

原氏のプレゼンテーションは、
非常に力強く、響いてきました。

発表者はスライドを軸に、
各々が考える日本企業のあり方を、
説明されていました。

企業をはじめ、大学や、
様々な分野から参加されていました。

最後に開始前の会場の様子です。
ここが人で埋め尽くされました。


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『開学70周年「金の美」展の自分デザイン作品展示』


   


     9月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

秋には、東京・金沢・ニューヨークで、
銀座の全ての画廊は金沢美術工芸大学卒業生の美術・工芸・デザイン
それらの作品による展示会で埋めつくされます。
今年度は開学70周年ということで、日本各地、関西地区は、
京都市美術館で関西在住の卒業生が作品を展示します。
自分は毎年の参加は見送ることたびたびでしたが、
恩師から電話をいただき、「展示しなさい」とのことで、
後輩に締め切り後に展示の了解をもらいました。
作品は、今、開発中の「デジタルアッサンブラージュ」です。
展示のためには、もう一度、先輩・同輩・後輩すべてがプロですから、
実働モデルは再度、丁寧に磨きをかけ直しました。
正直なところ、デジタルアッサンブラージュゆえに、
32インチ液晶モニターが仕組まれていてセンサー稼働は外しました。
自分の作品はすべて映像が作品集として流れます。
工業デザインにとって、いつもやっかいなことは、
実物やスモールモックアップモデルは、その展示が大変ですが、
作品集として映像展示は、そのコンテンツ次第でした。
実際、自宅玄関には埋め込まれた55インチ縦のアッサンブラージュが
現在は、夏画面で、水・金魚・くらげ・花火・大阪城が、来訪者毎に
センサーキャッチし、しかもそれは照明をも変えてくれます。
これは今、自分デザインの代表作、
デジタルサイネージの限界を打ち破る
新たな社会提案をめざしています。
今回の「金の美」展には参加をしました。観てください。

* 『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』
* 『自宅玄関には涼しさを「デジタルアッサンブラージュ」』
* 『改めて自宅玄関のデジタルアッサンブラージュ』
* 『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
* 『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』


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『「くまモン」参加のワッペンでレジリエンスデザイン』


   


     8月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

先般、東京で誤報が流れました。
誤報であっても、日本人には必要なことだと思わざるをえません。
案の常、我々には「熊本大震災」はまだまだ連続していますが、
報道が無いと終焉したような錯覚が起こってしまいます。
現地では九州大学、そして現場熊本の崇城大学が
「レジリエンスデザインチーム」として、地道な活動をしてくれています。
バックアップできることは本当にささやかなことですが、
「レジリエンスデザイン」という領域がやることは、
これまでの「強靱化」というよりは、はるかに次世代、そして、
日本ならではの大切な提案・提唱になっているもとの考えます。
三つのワッペンを最初にデザインして、ようやく熊本県の認定で
目星のシンボル「くまモン」マークも使用可能になりました。
レジリエンスデザインチームの建築系ではコンペ企画も実施されるでしょう。
阪大の私の研究室でも明確な製品開発と商品化をねらってます。
ようやく、たかがワッペンかもしれませんが、
デザイン力の具体的な実務がワッペン一つの裏側には一杯潜んでいます。
今「全瓦連」がほとんどボランティアで修復に入っています。
このところ、日本では連続した地震が頻発します。
それだけに、3.11も熊本も明らかに、
日本民族の「知恵」=Silienceにするべきです。
次世代デザインではレジリエンスデザインとコンシリエンスデザインが
切っても切れない密接な関係にあることはこのチームにテーマが出るかぎり、
デザインの拡大、デザインの実務性は明確になります。
もはやユニバーサルデザインでは解決不足は明らかです。
それこそ、人間工学の一分野が「シーティングエンジニアリング」のごとく、
知識、学識、の大変革が起こっていると言って構わないでしょう。
「学際化」なんて誤魔化しだと言い放った無能さにはあきれるだけです。
レジリエンスを明確化するコンシリエンスデザインは
すでに本格的な実務としての次世代デザインに、
たったワッペンデザイン1枚で表現されているのです。

* 『熊本の草木鳥がレジリエンスのシンボルになる』
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『レジリエンスデザインチームだから屋根材・瓦を新開発』
* 『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』
* 『熊本大震災への新たな瓦屋根材のデザイン開発』


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『ふるさと福井の大震災を胎内で経験していたと聞く』


   


     7月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

1948年(昭和23年6月28日16:13pm)福井大地震が起こりました。
地震規模はM7.1、1945年の大空襲は日本での三大空襲の一つでした。
羽二重によるパラシュートの産地だったからです。
地震1ヶ月後には集中豪雨により、3度も市街地は破壊されました。
自分はまだ母の胎内に命がようやく出来た頃で、
翌年の2月にこの世にでてきました。
大地震が発生した時、母は実家の竹藪に入ったそうです。
母の実家裏の竹藪は300坪ほどありました。
そして竹藪は竹の根が強くて地盤がしっかりしていたそうですが、
夕焼けと同時に福井方面の空が真っ赤だったと聞きました。
戦争から復員して、父はノンキャリアの警察官であり、
その若さから、
県境を自転車で乗り越えて石川県警に伝令を努めたそうです。
福井から県境に行くまでに数人の倒壊家屋に閉じ込められた人を救ったと、
戦争の話は従軍7.5年ながら、一切話さなかったことにくらべれば、
小さい頃にそのいくつかのエピソードは聞かせてもらいました。
阪神大震災の時には、父はすでに退官していましたが、
私はまだApple本社とのつながりがあり支援金と、
PowerBook100台が東京から福井に届き、
それを福井県警が最も早く神戸入りをするときに運んでもらいました。
と同時にキヤノン販売には、神戸にあるショールームのプリンターを
避難所にいるボランティアに開放していただきました。
しかし、その直前まで開発していた「ラリア」という
非常事態専用SOSラジオの中断が
とても悔しかったことを今も忘れていません。
以後、行政がらみのデザイン意義はないものと考えています。

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『都市伝説であれ、地震雲あり空をよく見よう』
*『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』
*『想像力と直感あれど『東京ラリア』具現化出来ず』
*『児童を守らねばならない! そんな国ではなかった』


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『電柱はもう街の景観にはあらず・電線地下美化倶楽部』


   


     6月 27th, 2016  Posted 12:00 AM

電柱の存在は余りにも酷たらしい現状です。
電柱は犬がマーキングをする存在ですが、
それを見上げていくと、なんとその工事のいい加減さ、適当さに
ひっくり返らんばかりに驚き哀しまざるをえない出来映えに呆れます。
ところが、米国の果てしない荒野の一本道に、
木製の電柱が建っていると、その佇まいはとても美しいのです。
何が違うのだろうかとしみじみと眺め比べてみますが、
たとえば、このような仕事姿勢の違いがあるのではと思います。
「見てご覧、あの電柱は私が電線を張り、電柱が景色の
ひとつの表現になっているだろう」。
「あの電柱、ともかく仕事だから定時間に済ませただけ、
景観、それとの調和?知らないよ!みんな気づかないだろ」。
この意識で街中に見苦しい電柱が一杯あっても、
誰もが黙認してきたのが我々でした。
「電線地下美化倶楽部」があります。この倶楽部を立ち上げ、
提案をしたのは自動車大企業T社の元デザイン部長です。
名古屋工大教授もつとめ、オートバイ大企業のデザインコンサルタント、
旧知の仲です。しかも同世代、「最後の役割だね」ということで、
まず、メンバーを増やそう、そして、日本の醜い電柱写真展から、
ということで、スタートをかけました。
以前、水道管をすでにステンレスにしている地域がありました。
しかし日本は地震大国ですから
フレシキブルな地中水道管工事を、と思っており、
日本の「地下埋設工事全般」に新デザインを、
という提案に電柱も地下埋設。
ロンドン・パリは電柱ゼロです。
ジャカルタですら東京23区・大阪市と比べたら。
これこそ、貧しい都市なのです。

*『瓦礫に祈りを・・・デザインによる復興計画を』
*『この実例に世の中の無責任でいいかげんさが表れている!』
*『電線・電柱・地下インフラのやり直しデザイン』
*『電力会社を破壊し分散させるべき証拠・告発します』
*『スマホのアイコンはインフラ的な高品位性が不可欠である』


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『伝統工芸産地を補助金漬けから開放し法律の改正が必要』


   


     6月 20th, 2016  Posted 12:00 AM

30代になって自分はふるさと福井に戻り、福井県下の伝統工芸に、
インダストリアルデザインの導入、
打刃物・和紙・漆にブランドを創成し、その活動に必死でした。
タケフナイフビレッジ・オータキペーパーランド・エチゼンキジファーム
このメンバーを一同に集めて、
東京・New Yorkで「越前物語」展までをやりました。
結局、タケフナイフビレッジでは褒章叙勲者を2名出しました。
しかし、創立メンバーで力量あった職人さんは逝ってしまいました。
昨日、二人目の瑞宝単光章叙勲を祝ってきました。
かつてのメンバーがみんな揃ってくれました。
現在、ふるさとでは新しい伝統工芸へのデザイン導入が行われていますが、
その実情を聞かされてとても危惧する事態になっていることを知りました。
結局は、「補助金目当てのデザイン導入」と
「本来はそうしたアイテムは伝統工芸にはなりえないモノ」と
デザイナーやプロデューサーと称する者達の知識不足、能力不足をすでに、
しっかりとふるさとで見抜いている人たちから聞かされました。
最もキッチンナイフにしても、
自分が30数年前にデザインしたモノは今も売れていますし、
その時に発明した形態の模倣はどんどんと国内外に増えています。
これは福井県の伝統工芸とデザインの関係だけではありません。
それこそ、私自身がふるさとで
「伝統工芸奨励法」を徹底批判していました。
が、この法律は何も変更されること無く
どれほど日本が「クールジャパン」を絶叫したところで、
確実な「伝統工芸ブランド」にはなりえません。
元来、「伝統工芸」が注目されたのも沖縄返還時に沖縄の工芸を産業化する、
この法律制定を国内本土の伝統工芸に向けただけのものにすぎません。
この改正も行われること無く、「伝統工芸産地」は補助金漬けなのです。
補助金で伝統工芸が復活することは絶対にありえません。
重大なことは、デザイナーと産地の職人さんたちとの哲学です。
明確に自分流には「ライン発想」が必須だと確認しています。

*『親方二人目の褒章受勲・タケフナイフビレッジ』
*『750年をタケフナイフビレッジで革新して30年』
*『ひとりの親方が逝った・・・』
*『30年前のデザインを伝統工芸産地で商品化して今なお・・・』
*『安政の決定事項にデザイン導入してから・・・』


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