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Posts Tagged ‘東日本大震災’


『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』


   


     7月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

私はこの4月から阪大院の医学系研究科に、
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を設立し、
デザインをコンシリエンスデザインに拡張し、
危機解決学としての看医工学へのデザイン導入を始めています。
ようやく、コンシリエンスデザイン看医工学は、
昨年に看護理工学会への論文も学会誌に掲載されました。
基本は、東日本大震災に復興や危機管理工学では、
とても危機解決にはつながらないという一心で
工学研究科から医学系研究科に開設しました。
気候異変と感染症増大に対して、
すでに抗体エンジニアリングが登場しながら、
この領域にこそデザイン主導を行うべきと考えて設置した途端に、
隣国の韓国では「MERS」=中東呼吸器症候群が2012年に発見、
この感染症が上陸流行して大変な事態になってしまいました。
2003年に流行した重症急性呼吸器症候群、
「SARS」もコロナウィルスが原因ですが、全く別物であり、
この対症治療方法は見つかっていません。
北朝鮮が万能薬を創薬したなどというのを聞くと、
どうしたものか、あの国家は?と思ってしまいます。
今、コンシリエンスデザインの対象は看医工学という、
これまでの医工連携+デザイン+看護学+保健学です。
また、阪大の伝統である免疫デザイン保健学までが
明確な目標になってきました。
たどり着いているのは「完全無菌」と「抗体保健」という、
無菌化を図れば図るほど、人体は弱体化、
この矛盾にコンシリエンスデザインで
危機解決学の構築が目標となってきました。
この目標に向かって、
MERSもSARSもきわめてデザインが対決していく
新たな免疫デザイン保健学を
構築していく実務になると私は考えています。
これから次世代デザイナーには、
この領域での専門家をめざしてほしいと思っています。


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『これからのデザインを語るために=・・・signare・・・』


   


     4月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

私はデザイン=designを語るために、その原意・原語としての
ラテン語、designareという言葉を40年間も追い求めてきました。
それは、あくまでもsignareを中軸にして、その展開に注目したのです。
1970年だから、レジリエンス=resiliennceが騒がれるようになり、
もう一つのsiliumやsilienceが気がかりになっていました。
それこそ、科学者=Scientistという言葉も、
結局は造語であり、そのことを言い始めた人物がひっかかっていました。
ウィリアム・ヒューエルという人物の存在であり、
彼がまた造語化した「コンシリエンス」が、思いがけずにも、
この概念を利用してエドワーズ・オズボーンは、
この造語に新たな概念を付け加えていくわけです。
私が何よりも人智の凄さを知るのは、思考する連続性や連鎖性であり、
その凄さこそ、人間が思考する動物であり、なおかつモノづくり、
その設計や企画、すなわちデザインという行為です。
それもなぜ、設計し企画するのかと問い直せば、決まって、それは
問題解決であり、難問対策に直結していることです。
私は美術大学でデザインを学ぶことで、デザイナーになりましたが、
これまでいつも立ちはだかっていたのは装飾であり、
デザインは装飾では無いという教育を受けて育ってきた私には、
最大の問題とは「死なないこと=生きのびること」という、
その問題解決でした。特に、March 11.2011=東日本大震災は
私に決定的な問題解決と対峙しなければならなくなったことです。
designを徹底的なコンテクストで考え続けてきた私に、
今、大震災=生きのびるという問題解決のために、
resilienceとconsilienceが浮かび上がっています。
これこそ、間違いなく、「これからのデザイン」であり、
その具体的な実務事例を提示していくこで、
明らかに未来のデザイン、そのあり方を提案出来ると考えています。


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『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』


   


     3月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

私は彼のいけばなの舞台を間近で見ています。
その日の感激と感動はぬぐいようもなく、私に張り付いてきました。
「花」には美しさがある。美しい「花」というものはない。
この言葉は、小林秀雄のことばですが、
小林秀雄は、
私が受験時代に最も現代国語の問題で引用された作家でした。
とのこともあってか、彼の著作は確かに沢山読んだ記憶があります。
しかし、それよりもデザイナーになって、
「花」と「美しさ」の対照化は自然・人工物と美の問題に直結し、
このことにとらわれてきましたが、彼のいけばなは、
生け花、活け花、いづれとも明確な違いが体感できることでした。
早速、彼のいけばな画集で何度もその確かめました。
ところが、彼自身も、3.11 東日本大震災と対峙して、
彼の「一日一花」は一年毎日のいけばなで、
私もまた、震災と人災で台無しにしてしまった事件と向き合い、
そして、また彼のいけばなによって、
美しい花というようなものではなく、花を美しくする文字通りの
自然の花茎から生花を切り離しながらも、
花を生ける、花を活かす、切ることの大事さこそ、
私は見事な「大切さ」の具体パフォーマンスだと認識しました。
特に、彼が毎日毎日、花の美しさをもう一度、
美しい花にする大切さの体現化は、毎日毎に知らし直されています。
彼と私は同世代だということもありますが、
「大切さ」は、美しい花があるからこそ、花の美しさを体現化する、
その手法には、日本人だからこそ見いだした手法だと思います。
私はデザイナーゆえ、人工物のモノ、
美しいモノを、モノの美しさすら本来皆無ゆえにこそ、
美しいモノをものにしていかなければなりません。
その極致が、「大切さ」を受け止める力が自分にあるかどうかです。
一日一花ならば、一日一スケッチが今、私の日常作法です。

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『コンシリエンスデザイン看医工学の学際化』


   


     3月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

「コンシリエンスデザイン」とは、端的な定義を行えば、
学術性と芸術性、文科系と理科系の融合・結合・統合を
「学際化」することが定義である。
その学際化された教育と研究による
新たなデザインでの造形言語と形態言語によって
問題解決と危機解決を図ることである。
しかし、日本の国内外全ての大学機関に
この教育講座と研究機関は存在していない。
特に本来のコンシリエンス概念には
文科系と理科系のいわゆる文理融合にすぎなかったが、
コンシリエンスデザインは学術性と芸術性+文理融合により、
結合性・統合性による学際化である。
ところが日本は、March 11.2011=3.11・東日本大震災で
国土の三分の一を失った。日本は先進国家であり、
敗戦国家として広島・長崎で被爆経験と国家消滅を体験してきたが、
さらに大震災大津波の天災と人災である福島原発事故では
原子力利用で脱原発から再生可能エネルギーという
科学的な否定性までを呼び込み、
あらためて学術性の真善美と経済性産業性での
教育システムの見直しが当然となっている。
よって、この「学際化」を促し、特に人材養成、
その維持とその実務を具現化するのは「コンシリエンスデザイン」。
やがて100億人を地球環境では支えきれなくなるだろう。
気候異変と感染症増大、エネルギー問題を
学術と芸術の統合性をデザインとして、
問題解決・安全安心の医工連携を、デザインで、
看護学・保健学・医科学を母体に、
超資本主義や超民主主義を革新するための大学機関創成になると判断。
したがって、発想・表現・伝達はデザイン学教育の基幹であるが、
発想のための探索と調査、表現のための思考・意図などを
デザイン記号論にまとめる。
それは数理科学的な言語論としての展開性を
芸術と学術の学際性にまで整理統合する。
それは、造形言語と形態言語での伝達能力の養成を
実務学としてコンシリエンスデザインでの
問題解決と危機解決での教育と研究と実務プロジェクトで
医科学基幹とした学際性を完備させることを目標目的としている。

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『コンシリエンスデザインの基盤は危機解決学である』


   


     3月 14th, 2015  Posted 12:10 AM

大阪大学大学院を定年退官したあとに、
私は「危機管理工学のプロダクトデザイン応用講座」を率いました。
しかし、いわゆる「危機は管理できない」ということになり、
結果、「危機解決学のデザイン実務」が不可欠だという結論です。
しかし、旧帝大どころか「危機管理学」は少数の大学にありますが、
私は全てが大間違いということになり、
「解決学」が重要でありデザイン実務での新講座開設を企画しました。
「前例が無い」という結論から、前例が無いなら尚更私が実現をと。
それなら工学研究科から医学系研究科への転籍を促されました。
まず、危機は管理できない、という発想は従弟からの提案でした。
従弟は、信頼・安全性工学のトップであり、
宇宙開発・衛星ステーション開発実施・H2Aロケットの責任者、
彼は「はやぶさ」を不成功プロジェクトと講演するほどです。
そうして、「コンシリエンス」という言葉は医学系研究科から提示、
私はそれなら、「コンシリエンスデザイン看医工学」が可能と判断。
ようやく、この4月1日から、この講座を開設することが決定です。
しかも、招聘教授には従弟はこれまでの実績からも即OKとなり、
韓国No1大学院KAIST(韓国科学院)の永久教授も決定しました。
この講座は、March 11.2011東日本大震災での大経験があります。
気候異変・感染症の増大、日本ならでは敗戦時の被爆と福島原発事故。
これは先進国家である日本が防災から防犯への模範的解決と、
危機=CRISIS(既に起こってしまった危険)と
RISK(予想される危険)という機会を問題解決するデザインです。
文科系+理科系の単なる文理融合だけではなくて、
学術系+芸術系をデザインで「学際化」するという新領域を創設します。
これが「コンシリエンスデザイン看医工学」の学際化講座になります。

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『陽子加速器での核変換デザインによる復興』


   


     3月 13th, 2015  Posted 12:00 AM

東日本大震災から4年目になりました。
復興どころか、最大の懸案は除染という移染と廃炉化計画への覚悟、
これらを大欠落させているのは、
すでに予想・予知されている、火山爆発・首都直下・南海トラフなど
危機管理という大きな過ちが蔓延していることだと私は判断。
私は、新素材開発と陽子加速器での新たな核変換産業の創成です。
危機管理学での「危機は管理できない」という認識を拡大し、
「危機は解決するという危機解決学」の拡充だと結論しています。
私は、次期の「液状化対策デザイン」での素材は、
すでに広島の土砂災害と御嶽山の火山灰回収で一つの実証をしました。
だから、陽子加速器と人工地盤化での福島での新たな産業化を
私はコンシリエンスデザインで提案をしていきたいと考えています。
ImPACT=革新的研究推進プログラムに大欠落しているのは、
プロダクトデザインとインダストリアルデザインを超える発想です。
先般も「廃材利用」というリサイクル概念の停止を訴えています。
「端材=mills ends」での思想理念をコンシリエンスデザイン化、
このことの象徴こそ、核廃棄物ではなくて核融合ターゲットへの
デザイン的な確信だと私はこれから主張していくつもりでいます。
また、大阪大学では「端材」を「端財」と呼び、
この講座も開設していることを知りました。
とりわけ、核分裂での生性物はセシウム136で230万年半減期を
全ての人は怖れていて、あたかもこれこそ科学不信の源扱いです。
しかし、これこそ低能力であることの自己表明だと思っています。
デザインはあくまでも「問題解決」の実務手法であり、
その背景を全変革と全変換することを私はこれから絶叫する覚悟です。
陽子加速器でターゲット元素である鉛とビスマス合金でこそ、
これを福島再生の手がかりをコンシリエンスデザインが構築します。
問題は、脱原発という輩に再学習させること、
さらにデザイン界からも芸術を剥奪して学術性負荷の教育機関を
私は創り出すことだと、今春から大阪大学大学院から発信します。

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『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』


   


     1月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

関西では阪神大震災のことがより詳細なTV報道が増えています。
あらためて当時のことを思い出せば、この20年間、
そしてMarch 11.2011東日本大震災での反省とは大きく異なります。
あの日、私は福井におりました。大きな揺れを感じてTVを観て、
唖然となるほどの大惨事で映画の場面かと思いました。
神戸の友人には当然電話がつながりませんでしたが、
メールで彼の周囲のことを知り、私もすぐにAppe社にメール。
直ぐに支援金とPC100台を福井宛に送付してもらいました。
多額な支援金でした。そのときに対応していただいた方々がいます。
父はすでに福井県警を退職していましたが、福井県警は最初に、
神戸に入ったのです。福井震災の体験があったからでした。
が後に最初は新潟県警という誤りがありました。
そうして、キヤノン販売も被災地ショールームにあるコピー機を全て、
避難所に具えることがOKされました。
当時はMacに精通した連中がかろうじて情報の整備をしたのです。
私が最も気がかりだったのは身障者の人たちがどうしているかであり
デザインが間に合わなかったモノ、それはラジオだったのですが、
これもクライアントが無かったことで実現していませんでした。
この震災から、私のこころの中で、危機状況へのデザインでの対策は
大きなデザインテーマになってきています。
当時も、大きなデマが流れていました。それは火災爆発の危険性流布。
あれから、情報化手段は確実に大変化してきています。
なんといってもスマートフォンの普及であり、この情報ネットワークは
以後、3.11・東日本大震災でさらに強化されたと思います。
ところが、スマートフォンの発売は格段に増加しましたが、
こうしたネットワークも無いスマートフォン販売企業は不要です。
明日にでも日本列島は大震災の予測があります。
それだけに、まずはスマートフォンには呼び笛とミニ印鑑が必需品であり、
震災時のトレーニングは毎月必要だと言っていいでしょう。
これはリスク対応ではなく、クライシス対応だと付け加えておきます。

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『3.11以来、私のパズル、私の義務、私の使命だ』


   


     11月 9th, 2014  Posted 12:00 AM

東日本大震災が私の人生を決定づけてしまったと思っています。
正直自分の人生でこのことは全く私は知りたくなかった事件でした。
ともかく、これまでの日本は理想国家だったと思います。
天災と人災後、私は石巻市で復興計画をプレゼンし、女川まで車で、
震災後の街々を見て回りました。おそらくこれほど愕然としたのは
私の生涯では初めてのことでした。
前政権の中川防災大臣にもプレゼンをしてこれも大がっかりでした。
東北から戻ると、直ぐに、南海トラフや液状化地域が分かり、
私の復興計画は、大幅なやり直し作業を進めることになりました。
大天災は明日かもしれません。
毎日がせかされる中で、私には、デザインコンセプトづくりに、
大きなテーマを掲げました。
印度思想と仏教思想、この五大思想の組み合わせです。
5×5=25、25のデザインコンセプトをテーマにすることでした。
コンセプト=概念というのはあまりにいい加減な定義、
私は「一言で言い切れること」、様々なイメージ重複で、
イメージと実態が離れないことを断言できる言葉だと考えています。
木火土金水と風火空水地はこの組み合わせで世界観は断言出来ます。
3.11から丁度10ヶ月目に私はこの25のコンセプトを掲げ、
現在は自分の関わる仕事すべてに、この25の一言言い切りがテーマ。
私はこの25の断言表は、4×4=16、3×3=9へと
集約をつくしていくことになるまでやっと辿り付いています。
私の目の前には、二つの五大思想を核心とした表のセル25があり、
ほとんど毎日、この表を埋め尽くしていると言えるでしょう。
これは私が、最も最悪だった3.11から、立ち向かわされている、
テーマであるばかりか自分の思考を差し戻していく評価表なのです。
私の生涯のパズルであり、アクシス=基軸にもなっています。

「風と自然、自然と風」
「音を求めて『闇に座す』」
「三大観念の世界観を!」


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「『まさか』『ふだん』、だからこの寄附講座開設の動機です」


   


     9月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

昨日朝に大阪市880万人に非難訓練の速報がスマホに鳴りました。
正直、びっくりしました。
私は今春大学を退任後、3.11でのやり残しもあって残っています。
「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設しました。
危機管理学は、
1960年のキューバ危機後に、国際関係論の学域に提示されました。
ところが、私たち日本人は、東日本大震災大津波という天災と、
原発事故という人災によって、大変な「国難」にあります。
この天災=ふだん、という事態と、
人災=まさか、ということを実体験してしまいました。
以来、私のほぼ最終時期に入って、デザイン活動の中心を、
ふだん=CRISISとまさか=RISKに対して、
これまでの危機管理学を危機管理デザイン工学とすべく、
国内の論文で学域設定を行い、超党派での政治への提案事項を
エネルギーをかけて取り組んできました。
私は、なぜ、この国難を自分の生涯で体験したのだろう、と
随分と考え込まざるをえませんでした。
結論は、この事態にこそ、「デザイン」による、
机上の論理と化している制度設計の不備だらけを正し、
危機管理学を形態設計によって産業の創成に向かわせること、と
新たな学域と実務手法を明確にしました。
それは、これまでの大学機関のあり方の一新を取り込みます。
私自身、美術系大学で学び、芸術工学という学域で、
これまでのデザイン対象を拡大してきました。
そうして、デザイン対象領域を拡大するには、
さらに大きな大学院領域での活動を7年間してきました。
その大学人が終わる寸前に、
「ふだん」=CRISISと「まさか」=RISKという事態に
私自身がこの小さな日本列島で対峙しています。
ようやく、来10月から本格的な「デザイン講座」を基幹にして、
「デザイン」実務ゆえの具現化実現に向かわせる覚悟です。


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「デザイン講座は制度設計と形態設計での問題解決」


   


     8月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

『March 11. 2011』東日本大震災が立ちはだかったままです。
前政権の政府力量の皆無さをなんとしても解決するべきだと、
私は大学を去るにあたって、最も大きなストレスでした。
ところが、退官後も阪大に残りました。
あらためて、デザイナーと大学人を残った人生の役割にしました。
名古屋市立大学で大学人になってからも、
プロのデザイナーとして作品を商品化して、
産業経済の実務家としても、それ相応の仕事と使命を自覚。
それこそ父から言われ続けてきた「行学」を続けてきたはずです。
あらためて、「行学」についてまとめると、
「行為と学業、修行と学問」を十二分に果たしてこそ、
己の生きがいと働きがいを生き様にするということです。
まして、自分の生涯で、やっと祖父や父たち世代が、
敗戦から、理想的な国家はすでに全滅瀕死の状態だと思います。
私は、デザインをまさに策略であり、問題解決の手法、
このように考えてきましたから、8年前に阪大に転籍後には、
学問領域を四つにわけて、さらに中心の実務学を配置しました。
しかし、一人でこの四つの領域を成し遂げることは不可能です。
ただし、絶対に書き残すことは、
もはやデザインを専門学校や美術系、あるいは工学系では、
とても問題解決の先導であり主導である実務手法は不可能です。
定年退任してから、私はこれまで以上に多忙になってきました。
理由は、四つの「塾」をデザイン講座先導と主導、
これらの「行学」の根本にしました。
その実務手法の目標と目的を具体的なモノとコトにしました。
何をデザインで解決した形態設計の行学だろうか。
何をデザインで解決した制度設計の行学だろうか。
私にはこの実務手法を残された時間に配置しました。
活動はこの秋、10月から活動を開始する覚悟です。
今は「国難」の時です。
それは大震災と大津波で「地球環境」を思い知ったのです。
原発事故も何ら解決していません。
けれども、先進国家のわが国だから出来るのです。
「行学」を果たす者には、最も最適解を出していくのは、
「デザイン」だから可能だと信じています。


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