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『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』


   


     5月 28th, 2016  Posted 12:00 AM



無念だが、これが「天命」でしょうか。
グラフィックデザイナー・佐藤晃一氏が逝ってしまいました。
毎日デザイン賞を1990年に同時受賞しました。
受賞式は帝国ホテル、彼は群馬から両親をそのホテルに泊めていました。
控え室で、グラフィックデザイン界の重鎮たちから
「いい親孝行ができたね」と、言われていました。
初めて彼と出会いましたが作品はほとんど知っていました。
彼の受賞理由は「グラフィックデザインにおける日本的精神性」でした。
独特の淡いグラデーションの簡潔さは今も生きています。
今ならデジタル表現ですが、当時の手法を真似ることは不可能でしょう。
二人きりで「やかん」の話をしました。
丁度自分はニューヨークでダンスク依頼のデザイン開発を見てきた話、
恩師の作品やなぜ日本では製品デザインが困難かなど打ち明けてしまい
興味津々の彼の眼差しが今も心によく残っています。
彼のやかん探しに自分が驚いたことですっかり打ち解けていました。
お互いに若くして40代で受賞できたことを喜んでいました。
「これでやっとデザイナーだよね」と言い合いました。
受賞式の壇上では、自分を選んだ倉俣史朗氏の急逝を思い出し、
ついつい、涙声になり、とても重すぎる賞碑を支えてもらいいました。
彼は多摩美術大学の教授ゆえ、
客員教授の自分はいつでも話せると思っていて、
とても大事な機会を失ってしまったことが悔やまれます。
当時の毎日デザイン賞の受賞には
必ず国際的な評価が必要だったはずです。
しかし最近はその事例が失われていると批判したことがあります。
壇上で、小声で話していた会話を懇親会でも話しましたが、
この続きは出来るならもうひとつの世界で話すことになるでしょう。
心から冥福を祈り、
やり残した仕事の結果を持っていく使命を確認しました。

*『昨日大先輩は旅立たれた・栄久庵憲司氏から私の評価文』
*『緊急課題になった「リトルネッロ論」の再考と具現化』
*『ケトル・デザインへの好みの集中が不景気感になっている』
*『インダストリアルデザインからプロダクトデザインへ』
*『幻の発明だったモノの現物があった=柳宗理のデザイン』


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『「座る」・人間工学からシーティングエンジニアリング』


   


     5月 1st, 2016  Posted 12:00 AM



28歳時に交通被災、車イス使用者として生きてきました。
車イスそのものを自分でデザインしました。
しかしこのブログでは一度もそのことを書いたことはありません。
もう最近は電動車イスでの移動の身体になりました。
しかも、身体には加齢もあるのか体型変化が起こってきています。
幸いに美大時代の同級生M氏は
シーティングエンジニアとしても高名であり、
彼から早く直すべきと忠告されていました。
確かに体型の変形は内臓にも影響を与えている実感があります。
そこで、彼は身体障害者向けの様々な製品開発や商品化もしていて、
その事業での「でく工房」社長T女史まで測定支援してもらいました。
いつか電動車イスは二人で組まないと素人判断のモノが出てきています。
私の体型診断と測定、
身体保持シートの再設計のために来学してくれました。
とてもいい機会なので、医学系研究科の教授や他大学の教授、
そして学生にすでに「座る」という行為の時代遅れの人間工学から
シーティングエンジニアリングのワークショップになりました。
なぜ、人間は二足歩行で、「座る」という行為の世界的なイスの系譜から
私がモデルになって体型変形の矯正方法や車イスがどうあるべきかを
もはや使えない人間工学を超えたシーティングエンジニアリングを
新たな研究ターゲット発見課題などを私の研究室で行いました。
そして、
今や間違いだらけの電動車イスの欠点から二人の狙いを語りあいました。
彼を私の講座の特別研究員にすることにしました。

*「音を求めて『闇『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
*『誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ』
*『「闇に座す」=土・立、修辞学的な造形の込めた願い』
*「デザインは『付加』するものではないということ・2」
*「関西海事教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン」


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『コンセプトからイノベーションは起こらない』


   


     3月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



「KK塾」は親友であり同僚、そして今や医学系研究科長の
澤教授にお願いしました。
おそらく、
TV医療ドラマでは有名な心筋の再生医療を知る機会だったはずです。
心臓移植では国際的な権威ですがそれこそ阪大の心臓外科医どころか
緊急医療医としても
医学界では相当の人間生死の現場で経験を持つ医師です。
ところが、
世界でそれも日本の最も慎重し過ぎる薬事法を
「ハートシート」適用させた教授です。
「ハートシート」は患者自身の腿の筋肉を培養して、
細胞シートを心筋シートにして患者の心臓に張り込むことで、
心臓移植どころか、心臓を再生させてきました。
この実績は
日本の薬事法を薬剤でもなく医療機器でもなく細胞シートを
日本の国内法に適用させてしまいました。
これは特に米国を刺激し、
今では世界中からメディカルツーリズムとして
阪大病院にての手術を可能にしています。
澤教授は、心臓外科医だけではなく、無論次世代の医師養成だけではなく、
大阪を中心とした「街づくり」の中心人物になっています。
私自身、私の心臓から身体は阪大にすべてを任せています。
工学研究科から私のミッションである「コンシリエンスデザイン講座」も
今では医学系研究科にて、医学・看護学・保健学、そしてその周辺から、
まだ発表待ちの医療機器、その動物実験、医療環境デザイナーなどは、
すでに、「コンセプトからのイノベーション」ではなく、
「ラインからのアライアンスイニシアティブ」として
やがて公表されることになることを狙っています。
「コンシリエンスデザイン」対「レジリエンスデザイン」は
まさにデザインの本質である発想は「コンセプト」からは逸脱しています。
「lineによってmagic balletなgigがgood vibes」になること。
「デザイン思考」がイノベーションを生み出すと勘違いしている
現代日本を変えます。
「コンシリエンスデザイン」だからこそ、
その実例を看医工学で実際例を紹介講演してもらいました。
生老病死をAIによるゲノムからの再生医療は
医療環境を超えて
新たな街づくりに向かっていることを知って貰ったと確信しています。


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『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』


   


     11月 24th, 2015  Posted 12:00 AM



「Porcelain Nude」。
インテリアデザイナー森田恭通氏、パリでの個展タイトルです。
ヌード写真の美しさを彼の美学で真正面から切り取り撮影し、
プラチナ焼き付けの写真パネルと磁器転写アートとスツールにまで展開。
それもパリではトップクラスのギャラリーで個展を開催しました。
森田恭通氏と最初に出逢ったのが、もう10数年前、それもパリ。
ちょうどルイヴィトンの旗艦本店が建築改築中のために、
仮店舗内でのお互いが買い物中でした。
ワイフが知り合いであったことから初対面をして、
それ以後は伊丹空港や飛行機内で出逢いました。
そのうちに彼の活動を見ているデザイナー友人達が多く重なり、
ますます彼のデザイン活動を知るようになりました。
なんだか私と彼とは顔つきも似ています。
なるほど彼の母親は福井県出身でしたから、
それは私の判断では、
北陸福井とロシアアリューシャン列島系の鼻筋高い顔立ちです。
ちょうどパリに行く機会と彼の個展が重なり、
私はオープニングパーティに出かけました。
正直、そうしたパーティ出席は避ける性分の私ですが、
なんだか彼の活動は見逃せないデザイナー直感がありました。
今度は写真家としてのデビューとその写真を磁器装飾に展開するという
バウハウスからスタートしたキネティックアート的な
フォトコラージュ手法を革新しました。
ヌード写真撮影を自らが行い、それを磁器に展開することで、
さらに彼が最もインテリアデザイン対象としている
レストランやホテルで使用できるモノの効用デザインを果たしました。
フランスでの磁器づくりでは相当の苦労があったはずです。
聞けば、何度と造り直しをしたそうです。
しかもそうしたスタッフには、私の教え子を師匠とする子も居ました。
森田氏は創りたいと思ったら、直接、自らがクライアントを決めて、
自分のデザインアイディアのプレゼンテーションで説得をして
デザイン実現させる
まったく数少ない国際的なデザイナーです。
パリには何度も行っていますが、幸いにインターン生だったフランスの子や、
カーデザイナーとして教育してきた教え子は、全員、海外企業留学しています。
しかし、この個展はやがて歴史的になるであろうテロリスト銃撃戦により、
非常事態宣言により、この個展は中断を余儀なくされました。
しかも、このギャラリーに女性が逃げ込んだことから、
森田氏とそのスタッフ達は閉じ込められたと聞きました。
それはギャラリーと銃撃戦現場の劇場は200mしか離れていなかったそうです。
全員が無事でした。
彼の革新したフォトコラージュ的な磁器アートは、スツール天板まで展開。
私は、インテリアデザインをベースにしながら、
今後はまたデザインの拡大化が出来るデザイナーだと評価しています。
私の役割は、さらに彼のデザイン拡大展開に対して、
私の経験の限りを伝えておきたいと思っています。


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『何がデザイン思考かは終わったのだ』


   


     10月 4th, 2015  Posted 12:00 AM



デザインはエンブレム問題・盗作問題・Gマーク問題で
一般的な不信を背負ってしまいました。
これは未だにデザイン=問題解決の手法というより、
デコレーション・装飾性や付加価値性が強いからです。
一方では、「デザイン思考」これなどはスタンフォード大学からの
借り物に過ぎませんが、私はユニバーサルデザインを
米国から持ち込み、その定義を政府に提示した一人です。
しかし、ユニバーサルデザインも誤解され、
ヒューマンファクターデザイン:HFD、UXデザイン、
インクルーシブデザインなどの大勘違いを指摘しました。
そうして「デザイン思考」に行き着いたわけですが、
この借り物を「コンシリエンスデザイン」にしました。
根本は、March 11.2011東日本大震災から、
気候異変・感染症増大に対してのデザイン実務背景を整理しました。
これは文科系+理科系をさらに学術+芸術にして、
信頼学・価値学・保健学・防衛学を加えることで
安全・安心・防災・防犯へ。
デザインを危機=危険時を機会として
解決を図るデザイン実務文理学際学にすることが可能になります。
危機解決では、リスク:起こるであろう危険だけではなくて、
クライシス:起こってしまった危険との、両方の危険回避と解決を、
デザイン実務に向けるという論理的な図解も、
学術と芸術の学際はデザインに集約するという段階に至りました。
実際は大阪大学大学院の医学系研究科にこの寄附講座を設置して
後期からは私が授業をやり、社会的には「KK塾」を
霞ヶ関にある大阪大学の分校的な場所で講座を開設します。
講師は、私がすべてのとりまとめをしますが、
選び抜いた講師陣を配置することになっています。
「KK塾」は、以前は大阪で実施してきましたが、
どうしても東京でという
この要請が強いことや講師陣を東京にも拡大することができます。
「デザイン思考」が例えば、医工連携+デザインになってきましたが、
私が看医工学という、保健学がきわめて真の人間学、
それは環境化(人工:ロボットや情報と自然との調和ではない)に
最適であることをこの図解では、明確になっていると考えます。
当然にPKD=Peace-Keeping Designと「完全無菌」対「抗体保健」を
なんとしても3.11復興と気候異変+感染症防止に向ける開発は
年内には、「デジタルアッサンブラージュ」としての
機器装置からロボティックス情報環境づくりで
これがデザインであるという、
デザインと何らかの発想を大転換できると考えています。


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『コンシリエンスとレジリエンス』


   


     8月 27th, 2015  Posted 12:00 AM



デザインが問題解決の手法として、さらにデザインの学域を
統合させるということで、「コンシリエンス」にたどりつきました。
そして、このことばの源流までさかのぼると、
重大な人物に出会うことになり、「知の統合」に到着。この作者、
エドワード・オズボーンが、実際は、ウィリアム・ヒューウェルの
造語をさらに詳細に定義づけていることがわかりました。
1873年の彼の著作=History of Inductive Scienceに戻りました。
彼がScientist=科学者と言い出した最初の人でした。
そして、2004年に「レジリエンス」という心理学用語が登場しました。
これは心理学では長い間、物理用語であったストレスへの対抗、
精神力的な快復力・対抗心・克服力という概念とその方法論が
まさに問題解決、私はこれをレジリエンスデザインと名付けました。
地球環境の保全の重大さは、気候異変と感染症増大への
文系+理系と学術+芸術の統合性をコンシリエンスデザインと
丁度対峙する概念とその手法・実務論が危機解決学と定義しました。
最初は危機管理学と考えてきましたが、
危機は管理できるものではないということが明白になったからです。
危機は危険な状況をチャンス=機会ととらえて革新することでした。
危機管理学はリスク=起こるかも知れない予測の危険でしたが、
危険にはもう一つ、クライシスという起こってしまった危険があり、
これは管理では無く解決=デザインすることという結論でした。
そのためには学術と芸術が必然であり、この統合こそ、
コンシリエンスデザインでありその対抗力がレジリエンスになりました。
ところが統合ということの説得性、その論理を求めなければならず、
それは次の四つにおいてすでに認識的に論理的な分類ができていました。
機能的統合・ネットワーク的統合・規模的統合・文化的統合です。
したがって、コンシリエンスデザインでの危機解決は、
見事に、防犯・防災・安全・安心が統合概念に対応することが
とても明白になったと考えています。


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10月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

10月26日 庚午(大安)


今、わが国は
3.11という大地震・大津波、
その結果としての原発事故によって、
国家体制が破綻してしまったことは
「敗戦」と同じであり、
国家の再興、再構築を余儀なくされている。

しかし、この「危機」こそ、
危険状況を機会として、
前向き=これまでを再考し直す、
喧嘩体制だと、
私は捉えて、危機解決に立ち向かいたい。

川崎和男「喧嘩道」


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「1964年15歳だった。2020年71歳時に見られるだろうか」


   


     9月 9th, 2013  Posted 12:00 AM



2020年オリンピック・パラリンピック開催地は東京。
真夜中から明け方まで、TV報道を見続けてしまいました。
プレゼンテーションを見届けて発表の瞬間を撮りました。
この国難、福島原発事故は汚染水の大問題を世界の不安材料とし、
開催地国家への不信感を高めていました。
被災地の方が、とてもこの機運とは別世界にいるという発言は、
私には身につまされる思いにさせられました。
それでも、オリンピックが決定したことは本当に幸運でした。
人生にはやはり喜怒哀楽がこれほど巡り巡っていること。
3.11で私たちは哀しみのどん底に落とされ、
しかも、その後の復興では国民の思想も2分されました。
しかし、私は、この開催地決定が明確に「景気」になるでしょう。
プレゼンを成し遂げた、アスリート、高円宮妃、首相、都知事と、
主体者であった委員のチームワークは素晴らしいものでした。
彼らがプレゼンに込めた願望の下敷きには、
3.11以来、アスリートたちやスポーツの効能性が、
「復興」の大きな力になるという認識を共有していたのでしょう。
人間には、「感激・感動・感謝」という感性サイクルがあります。
そして、感激と感動を最も効能を与えるスポーツと、
勝利を獲得するためのアスリートたちが、
必ず、応援に感謝するこのサイクルの効能性を私は、
デザイン・デザイナーにも好ましく・望ましいことだと思います。
私は「価値」というのは、好ましいこと、望ましいこと。
この定義を語ってきましたからこの決定は「価値」だと思います。
少年の頃、オリンピックがあったことを思い出します。
おそらく、自分の人生でもう一度開催されること、
これは、国難の哀しみに対して大きな喜びであり、楽しみです。
今、確かに不確定で不安極まりない時代、その社会にあって、
スポーツが成し遂げる力をこれからの7年間が過程でしょう。
そしてこれからの7年間こそ、国難脱出の機会になるでしょう。
「危」険を体験した「機」会こそ、「危機」でした。
その解決の大きな一つのきっかけの一夜だったと思います。


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「『危機』・ことばの定義について」


   


     8月 16th, 2013  Posted 1:20 AM



終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。


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「絶好の危険な機会だから・・・仲良くなればいいのです」


   


     7月 26th, 2013  Posted 12:00 AM



「危機管理学」の「危機とは」、
この定義を私は明白にしつつあります。
険」な「会」を人間はどうするべきか、ということです。
危険なとき、危険なことを「絶好の」機会、チャンスとすること。
もし、橋本左内が生きていれば、
この無駄なアポリア=宿痾の状況を危険だからこそ絶好の機会、
チャンスは今あります。それこそ、「今デショ!」。
わが国は「竹島」であり歴史的な史実をもってわが領土です。
私もこの考え方には全面賛成します。
しかし、
韓国は「独島」と呼び、すでに実効支配(軍備)されています。
お互いがそれぞれの主張をすればするほど危険度は増加一方。
そのたびにお互いが無駄をし尽くして疲れ果てていることを隠し、
いわゆる「領土・覇権主義・問題」をし合います。
つまりません!いい加減にすればいいのです。
全く無効な心理戦は事実戦時にいたるやもしれません。
それなら、島は二つあります。
それぞれが持ち合えば、また取り合いになるだけでしょう。
やめませんか?
仲良くなることこそ「人類の知恵の結晶」なのです。
二つの国家が二つの国の最高の技術で、この今は役立たない
覇権主張を大変革すればいいのです。
この二つの島に、理想の遊び場をデザインしあえばいいのです。
小さな島に台風も来れば、
海洋のあり方の研究チャンスがあるでしょう。
「危険」極まりない覇権主義をデザインで融解するのです。
大きな絶好のチャンスある島が二つあるから、
お互いが最高技術でこの島を「知性と知恵の未来創発島」へと、
デザイン開発で連結したアイランド結島化することです。
私は、もし、橋本左内は生きていれば、
いい加減にこの無駄をチャンスに変えるでしょう。
確かに、宝庫があるのかもしれません。
だから取り合うのでしょう。
宝物、そんな物ありません、と私は確信しています。
在ったなら、分け合ってこの両島に投資すればいいのです。
残るは軍事発動でしょうか?
未来は軍事で創出は、歴史学的にもエビデンスは皆無です。
デザインで、この「険」と「会」を「危機」として、
危機解決のプロダクトデザイン管理学で、
納税・財務も二国間制度設計を果たせばいいと私は思っています。
私は日本人です。そして、きわめてよくいう超・右翼なのです。


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