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Posts Tagged ‘次世代デザイナー’


『書を教えるべきだったー和紙の味覚、趣味の聴覚を』


   


     7月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

衝動的に「書道?楽部」をFB上に創りました。
日本デザイナー「衝動」?楽部としたところから始まったからでした。
これは若手デザイナーの太刀川氏が書道を始めて、そのことのやりとりで
やっとデザイナーにその仲間らしき人物が次世代に現れたと思っていました。
「日本デザイナー書道?楽部」を二人っきりでスタートしたところ
徐々にメンバー参加が出てきてくれました。
そして「しまった」という事態も知ることができました。
最も、大学人になって以来、あれもこれも伝えたい教えたいということは、
デザイン以外にいっぱいありました。
カメラ、オーディオ、モデルガン、ナイフ、鉄道模型、万年筆、
すなわち自分の趣味、こだわりでした。
こだわりというのは拘りという表現で狭く取られていますが、
本来は「木垂れ」からの派生の歴史がありますから、
デザイナーは知識から発想の知恵にいたるまでを自分が恩師たちから
教えられたようにと思いながら、本当に教育は困難なことです。
さて、書道では、筆と和紙、それから硯、硯石、毛氈と至ります。
とりわけ紙墨相発というように、和紙はその根元を伝えなければなりません。
和紙には「味」、まさしく舌で感じる味覚があるのです。
紙パルプにない、草紙というのではない、雁皮・三椏・楮の味です。
有名な和紙や書道具店では、「紙、舐めていいですか」って言うから
すごく嫌われていますが、硯、硯石も舐めることが肝心です。
だから、新素材も舐めること、味覚と聴覚で確認することにしています。
こうしたことを次世代デザイナーには伝えて継承していってほしいのです。
でも、ともかく「日本デザイナー書道?楽部」が出来て、
にんまりと喜んでいたら、ワイフから、
「よくそこまでやりたいのね」と言われましたが、
これが本当にデザインを教えていく根本だと信じています。

* 『紙墨相発・電子ペンとノートとのインターラクション』
* 『ペン・ボールペン、そしてスタイラス、この進化を追う』
* 「ひらがな練習」
* 「もう一度、漢字と『書』へ」
* 『納得出来ない日本の伝統技=和紙の切り売りと分断化』


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『次世代デザイナーへの手本になりたい事例を発表予定』


   


     7月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

アプローチはほぼ3年、そして本格的には2年、
しかも自分の問題としてこのデザイン実務に取り組んできました。
本当は、「手を洗うこと」にとても真剣になったのは、
敗血症になり多臓器不全死まで重篤から復帰してからでした。
自分の問題として取り組むのがインクルーシブデザインです。
つまり、人称、一人称「自分のために」というデザイン。
だから最近は、「もし貴方が入院や介護を受けるとしたら?」、
「自分がこの解決をつけたんだ」と考えてくださいと周囲に主張しています。
「手を洗うこと」、これは感染症を真っ先に予防する手段です。
正直、自分も徹底的に洗うのは自宅洗面所が最も多く、洗剤始め装置には
職業がら細心で最新を求めています。
しかし、自分デザイン、それは自分流の問題解決と価値を新たに、
それを何とか日本独自の新しい産業分野を創成していきたいと願っています。
「手・掌」を清潔にするには、
洗うことはもとより、最近はいくつか方法がありますが、
洗ったときの泡のことから、手・掌の各部位をはじめ、
いろいろと商品世界はありますが、
自分には根本が欠落していると考えます。それこそ歯磨きも同様です。
歯ブラシでのブラッシングでは結局25%程度しか清潔ではありません。
先般も石鹸メーカーに「泡」のことについてかなり話し込んでしまいました。
なんとか、知識よりも知恵をもっともっとデザイナーは発信するべきです。
ようやく、昨年は国からの中間審査もあり、心地よくはありませんでしたが、
プレゼ後には反対に大賛同をもらい逆にアイディアをいただいたほどです。
次には手術の術者の完全無菌化から、もう一つは「うがい」をどうすべきか、
こうした難問に取り組んでいかなければなりませんが、
自分の狙いはもう一つあります。
尊敬される日本のモノづくりを
支援する次世代デザイナーに気づいてほしいのです。

* 『コンシリエンスデザインの認識に向けて』
* 「健康は失い薬づけだが幸運なり」
* 「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」
* 『手の消毒、そんな時代になっている?』
* 「『きれい』にすることが『美しい』こと」


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『「手・掌を清潔に」するモノとコトのデザイン実務』


   


     7月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

「手あるいは掌」をきれいにすること。
手を洗うことは外出したら必ず、これは感染症を防止する日常的な常識です。
ここ数年で、病院はもちろんのこと公の場所や店舗などでも手の消毒剤を
どこでも目にすることができます。
しかし、病院ですら、これを常に使っているのは、
医療従事者、医師や看護師さんは当然ですが、来院者が使っている、
その現場は、自分は常に意識して見てきましたが、ゼロです。
企業の入り口にも必ず設置されていますが、これを使用している人を
全くみたことがありません。
理由は、面倒なこともありますが、何と言っても「手が濡れる」という
この印象が強いからかも知れません。
自分自身は、こうした手の消毒剤を全て使ってきましたが、
高級な消毒剤は、直ぐに乾燥してしまいますが、これではまた、
手を洗うコトと手を消毒するという日常性には大きな隔たりがあります。
自分にとっては、やはり、自動的に手をかざせば、消毒剤が掌に乗り、
それでも水でしっかりと洗い流すことが「手洗い」になります。
わが研究室は「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」であり、
基本は「完全無菌と抗体保健」をデザイン対象にしています。
無菌に拘れば、身体は弱体化するというこの矛盾への難問解決が、
コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザインを実務化する目標と目的です。
したがって、この「手洗い」の革新をこの3年狙って、
「全く新しい日常的な手・掌の清潔」を目指してきました。
この実装は7月28日に正式に記者発表をすることになりました。
これまでも多少、このブログで紹介してきた「動物実験」でのエビデンス、
これは医療関係での学術的な証左事実の確認です。
そしてこれを学術論文として発表をデザイナー自身がやります。
このデザイン実務は明白な「ビジネスデザインモデル」になるでしょう。
そして、こうしたことに次世代デザイナーが向かってほしいと願っています。

*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『デザインはすでにここまでが必然となっている』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
*『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』


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『DESIGN TOKYOでの「PROTO LAB」を充実させる』


   


     7月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

「DESIGN TOKYO」は現在4名の審査委員で出展を決めます。
それだけに審査は3ヶ月かかっています。
その展示会の傍らに「PROTO LAB」を自分の発案で設置、
国内の次世代デザイナーに廉価なブースで作品展示をしてもらっています。
理由は、すぐにミラノサローネでの出展を試みる若手デザイナーが
ミラノに大変高額な自分費用をかけていることへの反発でした。
ミラノで発表する意味など若手には全くありません。
今年度は「DESIGN TOKYO」で昨年からグランプリを出しているので、
次年度から「PROTO LAB」でも表彰してほしいという声が出ました。
確かに、今年度も才能を3人ほど見つけました。
そして大企業のデザイン部長からアドバイスがあったとも聞きましたが、
「そんな考えではあの企業も危ない」と言ってしまいました。
先輩デザイナーとしての経験やアドバイスを一杯していくのが
もはや自分の役割だと思っていますから、出来る限り懸命に伝えています。
ガラス作家・長町三夏子さんを見つけました。もう一息の作品でした。
ガラス工芸の難しさも充分に知るだけに、
製品アイテムを増やすことや
これまでのガラス工芸が気づかない分野などを伝えました。
毎年、この会場で対応する以前に教えたいことが
本当に山ほどありますから、出品者を拡大することや、
是非ともこの領域まで「デザインを拡大」してほしいと思いました。
展示会主催者には、なんとしても三つは伝えて実現をしたいと思います。
最近、経師=ブースづくりがとても下手になってきています。
また、出展各社にもっとヒット作を出してほしいのです。
「PROTO LAB」からはスターになる若者が突然TVに出演しています。
そして審査委員を増やして海外への進出を増やしたい、と思っています。
もちろんこの分野の出展者にも
受賞・グランプリを出したいと思っています。
その分、自分自身、
次世代デザイナーへの新分野デザインに精進しなければなりません。

*『DESIGN TOKYOのPROTO LABから次世代デザイナー出でよ! 』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』
*『DESIGN TOKYOはホスト国として拡大させる』
*「デザインが根付かないままに・・・」
*『若手デザイナーの海外個展を応援する』


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『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』


   


     6月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

高齢社会は2010年から2025年までに約706万人増加し、
その介護士はとりあえず170万人、2025年には250万人が
絶対的に必要とされています。
参考人として「完全無菌と抗体保健」を内閣府にて提案しました。
これは次世代デザイナーの新たな制度設計と形態設計の
その実例4点を紹介することができました。
特に、重大なことはIoTではなくて、
IoMeT=Internet of Medical Thingsの詳細にまで、
これからのデザイナーは医工連携どころではなくて、
看医工学の三つを提言することでした。

 ● Medical care → Medical log
 ● Health care → Health log
 ● Life care → Life log

として、それらのBig Dataを医療環境の中では、
GMP=Good Manufacturing Practiceによって、
完全無菌な製造・生産・流通・回収に持ち込むことです。
GMPはすでに、
食品業界や医療機器・薬品業界では遵守されているはずですが、
医療機器メーカーでも、
いくつかのインチキを提訴する事態にあります。
もはや日本のモノづくりは、家電業界は確実に行き詰まり、
自動車業界の大変革も目の前にきています。
わが国は、天災と人災で敗戦後と同様に大きな体験をしました。
間もなく東京オリンピックが待ち受けていますが、
私自身、オリンピックでの様々なみすぼらしい準備には
辟易しています。
そしてもっと重大なことは、オリンピック後の経済の低迷は、
産業構造の崩壊と高齢社会にさらに拍車をかけることになります。
そうなる以前に、大阪大学大学院は
コンシリエンスデザインによる看医工学と
その実務事例を準備しています。
この活動は「日本から海外に」発信していくためです。
その根幹は、「尊敬される豊かさ」を
Conect nomeでBig dataを三つのlogとして、
社会資本、国際資本にしていくことです。

*『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』
*『参考人としての内閣府内会議にて・・・』
*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
*『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』


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『天災・人災の日本こそ地球保全と人類存続をデザイン』


   


     4月 27th, 2016  Posted 12:00 AM

日本列島は地殻が三つのプレートに乗っている地震大国です。
そして敗戦国家として、ヒロシマ・ナガサキを持つ唯一の被爆国でした。
さらに、March 11. 2011は、大地震とその後の津波という天災、
しかもフクシマ原子力発電所の大事故による人災で、
日本国民は大きな経験をしました。
そして、April 16. 2016のクマモトで、さらに経験を重ねています。
次には、駿河湾と富士山、首都直下、南海トラフという
天災をすでに予測していますが、
これは地球全体の環境保全とエネルギーこそ
水、食料、電力によって人類は生き延びるということを
先進国家ゆえに世界中へ、
これらの体験を国際化する使命があるものと考えています。
それを「コンシリエンスデザイン」によって、
まず、レジリエンスデザインを果たすために、パラ理論とメタ理論で、
新たなデザインの理論拡大をねらっています。
その中心には「無意識な知的感性」であるsilienceからの拡大を
造形言語と形態言語によって、デザインの本質を熟考とその展開を
問題解決・価値創出・未来創成に向けています。
しかし、無念なことはこのデザインそのものの進化を積極化するという
デザイン教育機関があまりに少ないことです。
それはデザイン系大学の教員自体が、自分が経験してきたことがデザイン、
この停止思考に埋没していることです。
デザイン系教育機関の教員そのものの停止思考では、
決して次世代デザイナーは育成不可能です。
silienceからパラシリエンスデザインとメタシリエンスデザインを
この天災と人災国家であるからこそ、未来的な地球環境と人類存続を
デザインしていく義務さえあるということです。

*『毎夏、再自覚決心の日』
*『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』
*『国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要』
*『大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす』
*『大津波、その対策が地元反対を無視して進行している』


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『silienceからパラ理論とメタ理論への展開が可能になる』


   


     4月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

コンシリエンスデザインの論理的な研究をし、
その講座を「KK塾」として一年開設してきました。
そして、silienceという古語に辿り着いたときに、
レジリエンスデザインを明確に定義することが叶いました。
このレジリエンスデザインを具体的に研究していたのが、
九州大学でしたが、それが科学研究テーマになった途端に
熊本で大震災が連続しています。
すぐに「レジリエンスデザインチーム」をつくり、
大阪大学がこの活動のコアとして情報整理にかかりました。
自分は「KK塾」でも、
レジリエンスデザインに取り組んでいない、
特にデザイン系大学があることを指摘し訴求を始めていたのです。
たとえば、あるデザイン系大学では「防災がデザイン対象?」という
無知識な、そのような教育機関は、
教員がなんといってもsilienceそのものさえも全く知らずして、
大学教育で次世代デザイナー育成は不可能です。
さらに、silienceはパラ理論:Parasilienceと
メタ理論:Metasilienceにて、部分と全体、事前と事後、
さらに理論前提と理論中枢へと、
このデザイン手法とデザイン論理を
深めていくことが可能になってきていると考えています。
これはプライミング効果によって、
機能をさらに性能と効能にデザイン言語で
造形言語=designing languageと
形態言語=designed languageとして、デザインの
意図と内容で、デザインすることとデザインされたことを明快にします。

●レジリエンスデザインチーム
*『レジリエンスデザインチームで少しでも支援を』
*『レジリエンスの学習はデザインにつながる』
*『デザインは記号論的な「造形言語と形態言語」での論理化』
*『記号論でのコンシリエンスデザイン』
*『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』


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『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』


   


     4月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

デザイン発想は「コンセプト」主義に呪縛されています。
僕は、コンシリエンスデザインと看医工学を対象として、
「コンセプト主義からの解放」を
新しい手法論に持ち込んでいます。
それは、文脈と物語性、コンテクストとアフォーダンスで
「ライン」にコンセプトからストーリー発想を込めています。
この結果がつながっていくのが、
インターネットの高密度情報ネットワークの基盤化です。
ところが、これはすでに「スマートシティ」計画や
「ビッグデータ」に結びついていますが、
現在、この言葉もコンセプト、
ほぼ概念どころか観念に近く破綻しています。
これは何としてもコンシリエンスデザインの実務実績の目標です。
また、わが国の3.11での天災と人災では、その復興と対策は不可欠ですが、
国内の全大学でも、3.11を教訓として「レジリエンスデザイン」は大欠落。
僕の次世代デザイナーへの置き手紙はここに集約されなければなりません。
これらをテクノロジーで陵駕していくのは、
まさしくロボット社会ですが、
これは、人工知能的な思考に「手=脳」というアナログ性をデジタル化が
コンシリエンスデザインの最大目標だと認識しています。
そこから、このデザインの対象は
「私たちが幸福だろうか」という根本疑問があります。
この問題解決・価値創出・未来創成を創発させるのは、
「ライフケア」という新たなプライバシーと社会的な新たな制度設計です。
これらを成し遂げる次世代デザイナーは、
必ず、「コンシリエンスデザイン」を下敷きにした、
デザインテクノロジストの養成だと考えています。
インターン生・研究員を公募しています。

*『看医工学としての介護のコンシリエンスデザイン』
*『モノの神話性から物語り性がアフォーダンスを超えていた』
*『コンセプトからイノベーションは起こらない』
*『プライバシーという人権の荒唐無稽さ』
*『コンシリエンスとレジリエンス』


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『球体に働いている力は統合的な知識になる』


   


     12月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

わが最も敬愛する橋本左内は16歳で「啓発録」を書きました。
それは16歳において、人はすでに一人前であったことを宣言したのです。
しかし、時代は、政権は、彼を26歳で斬首の刑に処しました。
今や人は、知識獲得を16歳ごろから問い詰められます。
端的には、あなたは「文系か、理系か」と。
まだしも「学術系か、芸術系か」の方が、ましかもしれません。
幸運にも私は学術よりも芸術を選びました。
学術が嫌いだったわけでもなく、芸術のそれこそ当時ははずれという
デザインという領域に私の知識欲は吸い込まれていきました。
その最大のおかげが、学術も芸術も、ましてや、
文系も理系も乗り越えるほどの膨大な知識体系に居る自分に出会いました。
少なからず、芸術系だと自称しても「美しく無い物事」には
激しく嫌悪感を覚えました。
それは思想上の問題に、経済上の問題に、生命の問題に、
見事に的中する中で、「デザインありき」に至ったのです。
真善美を語るとするなら、とても私の知識の中では、
たった一つを選ばざるをえませんでした。
それは美であり「美しい」ことを具体的にしている「美しいモノ」でした。
40余年、私は工業デザインを主に、糧と成し、
デザイン全般への表現意欲を決して失わないことと、
誰よりも自分が表現するデザイン・設計・計画に最も自分の正当性を、
それこそ、容姿端麗であること、端正的な生き方を貫くことでした。
時に、思想が真っ向から反対であるなら、
命がけでこれを最大に攻撃することで、人からはその存在を怖れられ、
私を排撃しようとする輩には、
徹頭徹尾、彼らの存在をも抹消したいと念じています。
そこには自分の野性と野生を常に息づかせておかなければいけません。
ロランバルトの生誕100年、
彼のディスクールはその本の装丁すらスカーフになるのです。
そのことの美しさを知ることができたのも、芸術の範疇でのデザイン、
デザイナーという職能にあるからかも知れません。
プラトンは、「もし迷ったなら、美しい方を選べ」と。
私にとっては文系も理系も、まして学術も無いのです。
デザインが芸術から派生していたとしても、
デザインによる統合=文系+理系・学術+芸術は
すべてが要因要素なのです。
したがって、統合的なデザインを私は
「コンシリエンスデザイン」と呼びます。
学術+芸術、文系+理系の中心に球体を置いて、
私はこの球体に働く力の概念を確認しています。
それは次世代デザイン、次世代デザイナーへの遺言なのです。


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『若手デザイナーの海外個展を応援する』


   


     11月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

私が自分のデザイン活動をようやくニューヨークで
発表したのは30代中頃でした。
それは、いつか、海外で発表をと思っていた時期に、
米国のギャラリーからも誘いをいただきましたが
資金もなくて1年間待ってもらった経験があります。
そしてニューヨークでの個展から、
ようやく私も海外での仕事ができるようになりました。
日本がバブル経済で東京が浮かれているのを私は見ていて、
何か、変だと思っていたときは、
Apple本社でいくつかのコードネームでデザイン提案をしていました。
だから、最近は、次世代デザイナーの一部の
海外での活躍ぶりには目を見張るものがあります。
しかし、海外での日本人デザイナーの仕事は、
明確にはっきりとしつつあることが起こっています。
海外でのアドバンスデザイン展でのプロトタイプをコピーし
まさに盗作。
この情報も私には届いていますが、
先般の盗作問題もあり、
私はこうしたことが一般化することを反対しています。
これは正当な海外進出ではありませんから、
やがて国際問題にならないことを願いますし、
この事実は黙秘せざるをえません。
しかも海外評判を国内に逆輸入しているデザイナーには呆れます。
それを助長しているマスコミには大きな疑問があります。
国内の雑誌などで、いかにも国際的活動だという取材を見ると
残念でなりません。
しかし、このところインテリアデザインを主体に活躍している
Yasumichi Morita氏が、今度はインテリアを超えて、
写真家として、しかも写真表現そのものを
モノづくりに向けて、パリで発表することを以前から聞いていました。
丁度、パリには行こうと考えていた時期と重なり、
その個展を見にいくつもりです。
欧州には、教え子たちが何人かいます。
フランスにはインターン生だったフランス人もおり、
彼の仕事ぶりが心配なので会ってこようと考えています。
また、教え子たちでも車関係・カーデザイナーを目指す子は
企業留学しています。
私の時代、何も分からずに米国から出発しましたが、
最近は、なんとか次世代のデザイナーに
私に出来ることはないかということを自分に求めています。
なにしろ、最近は海外を目指す若者が減少しているだけに
そのことが不思議でたまりません。
Yasumichi Morita氏の国内外の仕事は、かえって海外での評価が高く、
そうした仕事は、海外からの依頼かと思っていましたが、
すべからく自分でそうした仕事を求めて行くという勇気を
私は絶賛しています。
彼がパリで、写真家、そしてそのデザイン応用の個展は
ほとんど国内で宣伝をしていませんが、
私自身、その個展を見てくるつもりです。
幸い、教え子たちにも会えそうです。


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