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Posts Tagged ‘止揚’


『曼荼羅図に「思」と「考」を配置して論理を確認する』


   


     1月 11th, 2016  Posted 12:00 AM



「デザイン思考」=Design Thinkingというビジネス論が流行しています。
まず、僕はこの流行批評を云々する前に、
「思考」という「思う」+「考える」という言葉の周辺を
金剛界曼荼羅:3×3:に基づいて、「思」と「考」についての
論理を整理します。
「思考」とはあくまでも日本語であり、これがいきなりThinkingとの邦訳は
決して僕は成り立たないと考えます。
その最大の理由は、デザイン+思考であり、
デザインの思考、デザインという思考、デザインのための思考などを
デザイン=問題解決・価値創出・未来創成を
明確にすべきだと考えるからです。
まず、「思考」と「考思」があることと、
そのための論理構造を曼荼羅分析で整理する必要があるのです。
僕にとってこの金剛界曼荼羅に配置されたイメージシンボルは
きわめて重要だと考えるからです。
決して、この配置を思っているのではありません。
「考える」ことと「思う」こと、の配置から、
それぞれのことばの意味と意義を
僕は思考の論理背景に置くべきだと考えます。
この配置からは簡潔にThinkingで邦訳が正確なのだろうかと、
まずは疑ってみるべきだと僕は考えます。
「思う」ことは
感じること、意識すること、考えること、熟考し認識するまで
この二つの曼荼羅は明確に僕たちの再考を促してくれると
僕は認知し、認識することがやっと完結すると思うのです。
この「思い」は感じて知ってまさに思識や思念、考査や考定に至ります。
日本語の概念考察は観念の熟知と認識を位置づけてくれます。
僕は40余年もプロのデザイナーとして、
デザイナーの思考方法がビジネス世界でも有効であると思ってきました。
だからたとえブームである「デザイン思考」を否定はしませんが、
さらに「デザイン思考」を止揚させる必要があると考えるのです。
その止揚に至ったのは、この曼荼羅的な概念あるいは観念の配置です。
「思考」あるいは「考思」を成立させている認知と認識の思量や考慮は
確実に再度、この曼荼羅配置で再考することから
僕は開始すべきだと考え思うのです。
つまりそれだけ人間には「思い」・「考える」という認識、
そこには知識・知恵の世界があるということです。


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『資本主義からの逃走』
  「理想主義は『全体価値』によって創成する」


   


     7月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

デザインは、その本質において理想主義です。
理想主義であるかぎり、
理想主義を意味づけることと、意味づけられた理想主義は、
「付加価値」で成し遂げられるものだろうかということを考えます。
全体に対して、属性的な付加価値づくりがデザインの役割だとするなら、
それは理想主義を叶えるものとは言い難いでしょう。
もし付加価値で、現実主義的なモノ・コトへのデザイン効果が、
理想主義へ止揚あるいは転換することがありうるだろうかということになります。
したがって私はデザイン営為によって、
理想主義の構築、その可能性があるということを自らもインプリンティングしてきました。
特に、「商品デザイン」=利益価値に直結しているモノは、
その商品の存在が社会的な理想主義を具現化もしくは支援化するものと考えています。
商品の存在は生産と消費の構造の中で、
金銭的価値=profitと社会還元的価値=benefitを生み出します。
私は、そのためにこそ社会建設的な「理想実現が目論まれた」=デザイン、
すなわち理想主義の具体的手法を積極的に提案と具体化をしてきました。
あらためて、「全体価値」を想像し創造する営為をデザインと定義しておきます。

もはや、抱えきれないほど山積している問題群のある現実社会で、
理想主義をめざすことは綺麗事だと批判されるでしょう。
それでも、人は「生きる日常」は、今日より明日がさらに幸運で幸福であることを願います。
この綺麗事は正当です。
この順当さと正しい率直さこそ、より少ない簡潔さがより多くを授けてもらえるのです。
これをless is moreと解釈しておきます。
デザインは理想主義を実現する唯一の手法だと考えています。
理想主義は「全体価値」の創成によってのみ、
私たちは手に入れることができると私は判断しています。


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