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Posts Tagged ‘歴史’


『宝塚と東京喜劇・演劇とデザインには才能の出現が必要』


   


     6月 11th, 2015  Posted 12:00 AM

演劇を本当に久しぶりに観ました。
新橋演舞場も初めて行きました。
インテリアデザイナーの森田恭通氏と彼の夫人・大地真央さんが
気を遣っていただき、招待されて劇場まで配慮されました。
演劇は大好きです。
特に名古屋時代は名古屋の劇場では一番観ていたかもしれません。
そして、私は自分でも呆れるほど、
よく劇場にはクレーマーを演じていました。
最近は車いす対応が進んできていますが、
必ず、文句をつけていたものです。
「熱海五郎一座」三宅裕司座長の喜劇は想像通りおもしろく、
しかも彼らが12年、昨年からこの劇場に進出してきたこと、
さらには、大地真央女優さんをゲストで彼女にも
喜劇をという苦労を思うと、
彼らのプロフェッショナル根性には敬意を払います。
私は浪人時代大阪で宝塚劇場に
最初は冗談半分で浪人同士が集まって行きましたが、
宝塚劇場あの独特さに心を奪われ一人で3回も行ったものでした。
気がついて、私は受験生だったので、
もう来ている場合では無いと言い聞かせたものでした。
いわゆる宝塚という独特の演劇人養成は、今なお優れています。
浪人していた浪人生ばかりの住処ではそこの娘さんが宝塚出身で、
無名で終わりましたが
宝塚出身の女優さんは本当に美しく、
青春時代は大憧れたものでした。
練習を重ねて一ヶ月の公演は、肉体酷使であり、
演劇人が「舞台」というジャンルはプロの局地だと思います。
女優・大地真央さんがこの喜劇をさすがに
華やかに主導してしかも彼女が喜劇を演じきってしまうこと、
私はともかく、プロフェッショナル性を再確認させられました。
演劇とデザインの関係は明白にありますが、
まだ接近していくには演劇の歴史性を
相当にデザインがその見識をつけなければならないでしょう。
どうしてもオーディオ、いわゆるPAが気になってしまう性分ですから、
これは世界的にもまだまだPAどころかプロジェクションマッピングなども
もっと接近すべきと思いますが、
演劇のデジタル性は
とても深い洞察論理とそれを成し遂げる才能が必要だと思います。
しかし、演劇とデザイン、あるいはPAやデジタル化は、
今世にもっと近接させるお互いの才能の出現を
待たなければならないと私は思っています。


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『造形言語と形態言語を裏付ける黄金比』


   


     6月 8th, 2015  Posted 12:00 AM

私が黄金比を教えることでは、これまで様々に考えてきました。
最初に、黄金比で表現されてきていた歴史的な表現を
なるべく沢山見せるという手法。
これまで、デザイン系や美術系ではこの方法をとってきました。
しかし、この応用となると、デザイナー予備軍であっても、
本当に理解しているのはほぼ一割です。
というよりも美的感覚では絶対音感のようなものだと気がつきました。
つまり、自分が生得的に
この黄金比的な感覚が育ってきた環境の中で身体化してるかどうかです。
阪大に来て決心して試してきたことは、正方形を描きます。
正方形の一辺を1とすれば、その一辺にx点をとります。
そうすれば、1:1-xと1:xの比例を数式で2次元方程式が生まれます。
そこで、このxの値を求めていくと、
1.618・・・・・という数値を得ることができます。
そこでピラミッド・モナリザ・アテネの円柱などを測り直したときに、
この1:1.61or1:1.62が必ず「美しさ」、
「美しいバランス」が見つかります。
そこで、最初、
設計段階からこの計算ができるiPhoneアプリまで創ってきました。
私は「美」の数値に黄金比の数値を
最初から意識する方法は成り立つとさえ考えています。
このことに卓越したメーカーをさらに論理化する必要を考えています。
そこで、博士号取得の学位論文=工学博士号で、
国際的にこの「美のバランス」がある製品を徹底的に調べあげたました。
そのためには、製品記号論を構築する言語を用意しました。
「造形言語」=designing language=デザイン意図表現と
「形態言語」=designed language=デザイン内容表現に
まとめることが出来ました。
そこで、「形態言語」としての「かたち」に
どれだけの黄金比がすでに形成されているかという調査をし、
それなら、「造形言語」段階にも黄金比があるかどうかでした。
結局たどり着いたのは決して歴史に残ること不可能は「形態言語」は、
流行として「今は雑誌でも多く取り上げられている製品」であっても、
確実に消滅すること間違い無い製品があるということです。
結局、「造形言語」段階で、
黄金比は絶対音感のごとく存在しているのです。
これは、マガジンで「いかにも最先端」と言われている
モノのかたちに、ありすぎるということです。
恩師、柳宗理生誕記念展は、台北・シンガポール、
そして香港も終えたそうです。海外にて展覧会があって、
国内では、私が講演会を担っただけでは情けない限りです。
私は造形言語にすでに柳宗理の黄金比があったモノが今なお、
日本ではなくて、
アジアで見直されていることがとても重大だと思っています。
したがって「かわいい工藝」などは、
全くあり得ないことを論証しています。
「かわいい工藝」については、
徹底的な批判論理を語ることになるでしょう。

「X:1-X・この計算では、1.61803398749・・・が示すこと」


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『ふるさと福井で改めて「羽二重」ブランドを講演』


   


     3月 29th, 2015  Posted 12:00 AM

「羽二重」は日本が貿易立国として、九谷焼の次に大ヒットした
代表的な商品でした。
この歴史的な裏側には由利公正がいました。
由利公正は「五箇条のご誓文」起草者であり、
初代の東京府知事、明治維新政府のリーダーでした。
富岡製糸場も、西陣織りにも、彼の存在がありその背後には、
橋本左内と横井小楠がいたことを私は語り継ぎたいと考えています。
昨年9月に東京で「羽二重」ブランドを歴史・科学・未来で
発表をしました。これは福井県織物工業組合の青年部会でした。
それから、なんとしてももっと拡大をしたくて、
福井県織物工業組合の総会にて講演をしました。
羽二重に至る、歴史性としての偉人達の活躍ぶりから、
科学的には、織物の素材性能を七つの布特性を学術的にまでまとめ、
未来は、まったく新たな織物編物の繊維素材と、
その製品開発の多用性をデザイナーとして紹介をしました。
正直、デザイナーの私としては、25年前、福井在住時には
新ブランドで今では当たり前になっているインナーバックをすでに
福井で提示していましたが、当時は潰されてしまいました。
ようやく新ブランドが福井地元で理解され始めたのかもしれません。
すでに、私のところには新テキスタイルの開発や、
その商品化、見本市への特別参加要請も来ています。
おそらく、羽二重というのは、絹織物ですが、
新ポリエステルからカーボン繊維、さらにはボロン繊維までを
私はこれまで適用されなかったアイディア展開をと狙っています。
したがって、「今日の講演は難しかった」と言われましたが、
私は敢えてテキスタイルが次世代開発の直前にあることを
懸命に伝えたつもりです。
当然、かってパラシュートが素晴らしいので、
敗戦時には米国に徹底的にf福井は爆撃を受け破壊されました。
もう一度、世界で最高の繊維・織物・編物・テキスタイルで
「未来を織り込む」産地づくりにデザイン智恵を出す覚悟です。

 


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『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』


   


     3月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

大学人になって20年になります。
勿論、最もデザイン・大学のことが私の講演内容ですが、
私が語り継ぐことは「橋本左内」のことが一番のテーマです。
大阪大学は懐徳堂という士農工商を度外視した寺子屋が源流です。
その懐徳堂は「適塾」に引き継がれます。
適塾の塾生番号182?が橋本左内でした。
塾長は福沢諭吉でした。
したがって、日本が武士社会から明治維新への大変革期には、
今、大河ドラマになっている吉田松陰の松下村塾での志士たちと
適塾での当時の若者たちの活動が主役であったことは当然です。
しかし、無血革命で、主役が坂本龍馬というのは、
文学=小説が明らかに歴史を歪めてしまっています。
たとえば、吉田松陰の元に梅田雲浜が登場して、松陰の生き方を
確実に変えてしまったことや、梅田雲浜も橋本左内も獄死です。
決して無血革命でもなく、ドラマ主役なる坂本龍馬が、
明治維新を押し進めてきたわけでは決してないということです。
むしろ、安政の大獄で牢中にいる吉田松陰と橋本左内は、
一度も顔会わすことなく、詩を牢番に託してわずかのやり取りをし、
二人とも、井伊直弼の気分で惨殺の刑を受けていることが重大です。
一方の福沢諭吉は英語を学ばなければなりません。
しかし、英語は禁書であり江戸幕府に近づいてしまいます。
そのことで1860年咸臨丸に福沢諭吉が乗り込んで渡米します。
1800年代のすべてを私は編年体的に知識として暗記しています。
その結論は悪政の連続です。時代変革を留める政治は悪政になり、
あの「安政の大獄」になり、優秀な人材が殺されるのです。
しかも「安政の大飢饉」と「安政の大震災」が起こります。
つまり、日本は悪政の時に大震災を招いているということです。
橋本左内は惨殺の刑ですが、彼の弟は日本赤十字社を起こすのです。
大阪大学の源流には、同郷の橋本左内を私は最も敬愛しています。
本日、「平成洪庵の会」では橋本左内とコンシリエンスデザインが
私の講演テーマです。

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3月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

3月1日 戊申(赤口)

宗教の誤りが、
真であり、善ではないことは
今世紀に明らかになるだろうと
私は予言しておかざるをえない。
それこそ、
未だに、十字軍と連呼している
歴史が「宗教」を
宗教哲学に変容させない限り
人類の進化は不可能。
ゆえに
私の喧嘩対象は
「宗教」の信奉者達である。

川崎和男「喧嘩道」


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『布と衣と織りと・・・」


   


     1月 28th, 2015  Posted 12:00 AM

私の文明論の基本は、歴史的にも明確な決定モノがあります。
それは、まず、器であり、もう一つが織です。
人間が生きる上での最小限のモノを表します。
飢えているから食物を食べる、水を飲む、そのモノとして器があり、
寒さから身を護るために衣を纏う、そのモノが織物です。
ついでに、文化は刃物から始まることも明記しておきましょう。
刃物=ナイフがあれば、次の道具が創れるからです。
となれば、ナイフが無ければ、器も織りも無かったのでしょう。
器が器械となり、器械は機械、そして械の野蛮さを超える時代ゆえに今は、
機器の時代になっていると考えることができます。
織りといえば、私の故郷は福井、織物産業の街です。
この織物も、絹織物が生糸産業から羽二重に続いています。
そこで、織物といえば、たとえば、紙の原型はパピルスですが、
それはパピルス自体が織物であり、和紙とは大きく異なっています。
ともかく、織りの中でも、肌触りということで、
布と衣が人間の文明から文化に纏い付いてくる正しさがあります。
その肌合いで現代最高のブランドから、選び抜けば、
結局は肌と衣では、このブランドの織物が今は最高だと思います。
日本の伝統工芸での織物や、伝統工芸に寄りかかったままで、
何も努力も無く、先人の知恵にしがみついている織物は滅びます。
そこで布となり、衣はファッション性を時代と社会に表明するには、
今の日本には、私は四つ大きく欠落しているコトがあります。
その一つは必ず、故郷で表現ができるようにとデザイン導入を企画中。
他の伝統工芸や地場産業には、このブランドの少なからず、
布と衣の最大公約数的発想も最小公倍数的発想も全くありません。
少なからず、布は人肌とのベストマッチング性を発見すべきです。
私はそのヒントに、このブランド商品の布性と衣性を記述しておきます。

『地方国家からのデザイン戦略・熟考の成果として』
『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』


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『赤・この色がブランドを決定づけている』


   


     1月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

私は女性が幸運だと思うのは、ハイヒールを履くということです。
ハイヒールの歴史では、男性の物だったことから始まります。
勿論女性にとってハイヒールなんてとんでもない物かもしれません。
最も、私はハイヒールのデザインは、もっと歩きやすいことが重要。
そして、私はハイヒールは最低でも7cmの高さが履けることです。
多分、女性にとってはハイヒールなどは無い方が良いことも分かります。
ハイヒールのシルエットが社長室(男性)のピクトグラムという、
そんな洒落たサインを見たことがあります。
また、このハイヒールを進化させた若い日本人デザイナーがいます。
このハイヒールは、最も著名な歌手が履いていて、
これを履けるということの意味性には、
現代的な明確な記号論が必要であり、ハイヒールの未来性こそ、
男女差の美学性を担っているのかも知れません。
そのハイヒールで靴底を真っ赤にしているブランドには、
ブランド表現の効用性が少なからず経常利益に結びついています。
私自身、靴紐も赤で靴底も赤になるべくオーダーをしてしまいます。
製品のある部位で、ブランド性、効能性を語りきっていること、
これは商品展開においてはとても重大なことであり、
モノ真似があっても、ブランドのオリジナリティの守備範囲は、
知的財産権の大きな守り方であったことは確かなことです。
私は少なからず、ハイヒールについても「学んでいます」から、
その歴史、素材、知識、ブランド特長についてはワイフ以上だと
自信をもって自負しています。それは意味がない?
いえいえ、とても重大なことです。
このファッションデザインという、流行性や装飾性を超える、
利益率はすでに、この色指定で、大きな予測を創り出したデザイン。
すなわち、加飾性を乗り越えた経済的な効能デザイン力があります。
靴底を赤にしたデザインではないという、
もう一つ先行したデザインの策略性を学ぶべきと考えます。

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『和紙は越前和紙ぬきになぜ語れるのだろう!?』


   


     11月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

ユネスコの世界無形文化遺産に「手漉き和紙」が登録されたと聞き、
私は心からとても喜びました。
ところが、和紙の原産地である「越前和紙」が選外と聞き、
驚愕仰天しました。和紙のどこを見ているのだろう、
文化庁の担当者・その偉いさんと話してみたいと思っています。
30代に私は越前和紙産地と格闘していました。だから和紙について、
私と討論するなら和紙の伝統・歴史・真のデザインを語りましょう。
絶対的な知識量と私自身、和紙産地で実際に手漉き和紙を様々に
トライをして、和紙の職人さんたちと喧々諤々、喧嘩仲間です。
テレビは、日本の和紙はスゴイとか、ふざけないでほしい。
楮・三椏・雁皮が歴史的にも伝統と歴史があります。
しかし、半草というのがあります。これは和風紙です。
半草=和風紙を持ち出してきて、何が雁皮だと私は指摘します。
和紙デザイナーたちの稚拙な作品も、黙って見てきました。
和紙作家で「先生」とか言われている爺さまの作品も見てきました。
私は本物を確実に見分けることができます。
正倉院に残っている和紙は越前和紙です。その技術をなんとしても
盗み出そうとしての悲しい話のある産地は選ばれていません。
和風紙で「いかにも伝統的な和紙」ばかりが現代市場です。
京都の有名なお店は、私が行ったら、年配の店員さんは逃げます。
なぜなら、私は「舐めていいですか?産地は?現材料は?」
嫌われることを承知で質問をし「インチキじゃん!」と断言します。
和紙を使った「いかにも照明器具」などインチキばかりです。
もはや、ユネスコ登録には間に合わないのであれば、
私が真実の和紙を越前和紙で漉いてもらいます。
インチキデザイナーは、絶対に私に作品を見せられないでしょう。
「越前和紙」を語らずして、ユネスコ認定なんて全く駄目です。
私は「和紙論争」いつでも受けて立ちます。
これは1980年代にニューヨークで発表した作品です。
最高の和紙を作成し創っています。土佐楮という最高品です。
本物の雁皮紙ならA4サイズ10枚で2万円です。
それが現在商品になるわけがありませんし、その後継者育成を
本当に選ばれた産地は育成しているのでしょうか?
作物も出来ない貧しい村に川上御前が表れ黒漉かしが出来る産地。
しかしその黒漉かしは財務省管轄で産地は禁止、なぜでしょうか?
それが漉けない産地がユネスコ登録とは摩訶不思議過ぎます。
翻って越前和紙産地よ、胡座を組んで威張っている場合じゃないよ!

「伝統は熟知必然・実例としての和紙か和風紙か」
「越前和紙から名塩和紙への悲しい物語り」


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8月10日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

8月10日 癸丑(先負)

歴史は権力で再作成されたモノにすぎない。
まして歴史小説はフィクションである。
小説は仮構に過ぎないから、
確信すべきコトでは無い。
しかし、
歴史から「学び取る」コトは、
知識と感性と感情の制御力を育む。
したがって、
仮構装置を歴史から
マイナスさせる力こそ、コトの創出、
鍛え上げなければならない一つだ。

「川崎和男 強い人弱い人」


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『陶磁器の二つの歴史・創れないモノまた創れるモノ』


   


     2月 7th, 2014  Posted 12:00 AM

私は陶磁器には二つの歴史があると見ています。
縄文弥生にあった六古窯の歴史と、
秀吉の朝鮮征伐により日本にもたらされた家元制度の歴史です。
そして、私が陶磁器には進化が無かったというのは、
かつて革新されてつくれたモノが現代では創れなくなったモノ、
もう制作不可能だったモノが現代、なんとか再現できるモノです。
日本が貿易国家になっていった九谷焼(右)はもう再現不可能。
比して、現代、弥生時代には出来たであろう越前焼(左)です。
九谷焼は明らかに有田焼技能が北前船で伝わったであろうこと、
しかし、有田での輸出品よりはるかに技術開発されましたが、
現代、九谷でこのガラスのような磁器と絵付けはもう出来ません。
福井にいたころ、越前焼ではないと私は主張し過ぎて、
越前焼には出入り差し止めでした。
ところが、陶器である六古窯時代を再現する若手が出てきました。
これら陶磁器はいづれも日本の伝統工芸です。
私は恩師から、伝統工芸にデザインを向ける時のまず知識、
その蓄積を教えられました。
そして、革新的な「造形」の新製造生産システムづくりです。
したがって、伝統とは継承ではなくて「革新」です。
ところが、日本のモノづくりの大誤解が最近まかり通っています。
それは、日本の伝統工芸への美的なセンスの全く無い、
プロデューサーを自称する輩に「産地」が騙されているのです。
伝統工芸の革新づくりには勿論、現代生活への適合性が必要です。
だからといって、安易な手法での商業主義では台無しになります。
こうしたモノを見たときには、徹底的に非難します。
問題は、もはや再現できなくなった技術の復権である高度化と、
再現が可能になったなら、過去になった伝統性への裏切りです。
デザインにとって、日本の伝統工芸には未来があるのです。

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