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Posts Tagged ‘母校’


『出版システムそのものまで「デザイン」されたこと』


   


     8月 26th, 2017  Posted 12:00 AM



半年で二冊の書籍が出版されました。
これは出版システムの「デザイン」でもあると指摘することができます。
それは私たち工業デザイン界の
大御所である黒川雅之先生からの著作でした。
「野生の衝動」がこの2月に出版され、
先般は「PARADOX」も私にも贈本していただきました。
黒川先生は、元来は建築出身ですが、GKデザインでIDの世界観が入り、
数多くのデザインを成し遂げられました。
私が赤坂でフリー直後に、いわゆるファンレターを初めて書き、
返信をいただき感激しました。
以後、照明器具のデザインチームにも参加、先生監督で作品化。
bio賞とICSID(国際インダストリアルデザイナーズ協議会)特別賞、
この二つを私が授賞しましたが、会議は海外であったために、
出席されておられた先生が私に代わって受け取っていただきました。
「ギャラリー・間」、私の個展開催も先生が監修者でもありました。
しかし、先生からも喧嘩師を自称する私には
時折、論理背景づけでは叱責されることもあります。
この二冊の著作は確実に「物」と「空間」に喜怒哀楽「美しさ」がある、
この一文を持ってしても私はまだまだ鍛えられることがあると自省します。
おそらく、言語空間自体の使い方を再度自問させらる内容であったことです。
また先生は母校・金沢美術工芸大学・大学院スタート時に大学院教授でした。
よって、民藝という正確な表記とともにアノニマスの功罪論がありました。
かつて、SD誌に「カタストロフィー」のデザイン論が掲載されていて、
当時美大生であった私は「カタストロフィーがデザインに与える影響」が、
見事に美しいイラストレーションとともに掲載され、
そこから、私は先生の「物」を「モノ」と表現すると共に、
理論と存在が、私の中で醸成されたいったのだと思っています。
今般の出版はすべからくアジア人としてデザイン要因が8つ、
そして72の文章ゆえ、根本に九つの金剛界曼荼羅が、
明確に私たちデザイナーはイメージを要求されていると読み取りました。
おそらく、これからの私なりのモノから空間は、
先生からの提示である空間と物との「逆説」ゆえに生まれる「美しさ」を
私も生涯かけて取り組むことを指示された想いで一杯になりました。

#「野生の衝動」
#「PARADOX

* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』
* 『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』
* 『光陰へはただ祈るだけだと思い想っています
* 『アライアンスとして語るべきアンビエント』
* 「わが日常の仏様と幸と合掌と」


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『「金の美」展の出展説明表示プレート』


   


     9月 14th, 2016  Posted 12:00 AM



母校の卒業者展「金の美」展、
その出展作品の出展者として、これが表示プレートです。
このデジタルアッサンブラージュは、
基本的には「訪問看護」での高齢者、あるいは患者向けへの映像機器です。
まず、アッサンブラージュの美術的な歴史性を説明し、
看護・介護環境では、32インチ3台は、全画面、2+1台、各1台、
それぞれには、診る・看る・観る・視るが対応します。
 ● 診る=医療環境
 ● 看る=看護・介護の環境
 ● 観る=観賞環境
 ● 視る=高齢者・患者のバイタルデータ
この4つの性能には、IoT、IoMeT=Internet of Medical Things、
この社会的な存在=効能が実装されることで、
デジタル・アッサンブラージュとしての機能が生まれます。
そして、病院や行政からの情報は診ることになり、
看護や介護を支援して、バイタルデータは、ビッグデータとして、
新たな医療・看護・介護を、さらに科学的な制度を向上させます。
観賞環境はTV・CATV・InternetなどこれまでのTV環境を進歩させます。
今回の「金の美」展では、こうしたことを、
デザイナー・出展者として、
表示プレートにしました。
これがこれからの次世代デザイナーの目標になることを期待しています。



* 『診る・看る・観る・視るを取り囲む安全と安心の環境』
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』
* 「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」
* 『何がデザイン思考かは終わったのだ』


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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM



この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』


   


     8月 11th, 2015  Posted 12:00 AM



レタリングにはセリフ体とサンセリフ体があります。
これはレタリングの基本的な知識です。セリフは形素に過ぎません。
だからセリフを主体的にするのは疑問ですが前衛と理解します。
セリフ体というのは日本語では明朝体、サンセリフはゴシック体です。
これはデザイナーになるための基本的な書体描画トレーニングであり、
バウハウス時代(ドイツで創設さえれたデザイナー学校)時代には
ハーバート・バイヤーによってセリフ体は徹底した基本が整理され、
おそらくこのトレーニング教育がアルファベット作成の根本です。
今、私の母校ではこの訓練があるのかどうか知りませんが、
私の世代ではこの根本を泣きたくなるほど訓練されています。
私はCaslonでセリフを、Futuraでサンセリフをデザインストローク、
つまり定規無しフリーハンドで、身体が暗記するほど訓練をしました。
したがって、バイヤーの創作したサンセリフ体は、
現代世界共通で公的な利用が当然であるHelveticaでは遵守されてます。
このレタリング基本が無いアルファベットは「アルファベット風」の
単なる色彩構成に過ぎず真のデザインとは言えないでしょう。
しかしデザイン系大学でこのトレーニング訓練が無くなっている様で、
そのようなロゴタイプづくりやレタリングが氾濫しているようです。
これでは欧州では本来徹底して否定されても仕方ありません。
今話題の、ベルギーの劇場マークも東京オリンピックエンブレムも、
両方とも言うなればこの基本訓練が全くありません。
セルフ体でもサンセリフ体であっても円と直線の関係は、
「ヘアーライン補正」欠落のデザインはアマチュア作品です。
このことを度外視したデザイン風の色彩構成をデザインとは
絶対に呼ばないでいただきたい。プロフェッショナルデザインが
これでは専門職的な社会的な責務が果たされていないからです。
ベルギーも日本も、デザイナー訓練が全く果たされていないことを
私はプロのデザイナーとして、デザイン学者として書き残します。
エンブレムデザインでの商標権を著作権で訴訟とかいうベルギーも
デザイン職能倫理を両方が無くて何が訴訟争いだというのでしょうか。
デザインを台無しにしていることを私は指摘しておきたいと考えます。
こうしたデザイン基本訓練無しの教育を受けてきたデザイナー達が
哀れな闘争をしはじめていることを私は非難しなければなりません。
両方のデザイナーの能力がバイヤーの論理知識無しに呆れます。
私の疑いは日々深まり、これが社会批判の根元かと想う次第です。
デザイン系大学のレタリング教育を見直すべきです。
プロフェッショナルデザインとして社会批判は当然だと想います。



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『強固なるゲマインシャフトからデザインは生まれる』


   


     4月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM



「柳宗理生誕100年記念講演」を私が担うことなりました。
金沢美術工芸大学は今なお先輩後輩の結束は堅くて、
先輩からの指示には最大限の寄与をすることになっています。
同級生が支えてくれていますから、私の役目は懸命に果たします。
講演内容は、柳先生の作品解説と、私なりの、先生との思い出があります。
正直、若い頃は入学直後に、私は覚えられるほど反発していました。
それなのに、東芝に入社すると、新人研修でまたもや先生の講義を受け、
これまた、もう何度も聞いているからと断りに行って、
「お前などもう来なくて良い」と言われました。
ところが、車イスになって母校に非常勤でもどると、
「なんでお前はそんな体になった」と心配を受け、
福井で先生の講演会準備に駆け回りました。
先生が高齢になられてからは、同級生が先生を見護り、
先生の作品収蔵や記念館設立、そして生誕記念講演、
その役目を私に与えてくれました。
先生への反発も、先生から教わってきたことは、今も私の根幹です。
私の世代の美大は赤レンガ校舎で元兵器庫跡ゆえ、
結局は薄汚れた倉庫で、室内には雪が舞い込むほどの寒さでした。
ある時、同級生が教室で煙草を消し去り投げ捨てました。
柳先生は突然、大声で顔を真っ赤にして怒鳴られました。
「煙草を平気で投げ捨てるお前はクビだ!」、
「煙草を捨てる者にデザイナーになる資格が与えられるか!」、と。
私はこの瞬間に、デザイナーと社会の関係を学んだと、
今なお思い続けてきました。
卒業間際になってまだ私にはデザインの真意が分かりませんでした。
あのモホリ・ナギの「デザインは社会に対する態度である」。
このことを目前で教え込まれました。
アノニマスデザイン、
強固なるゲマインシャフト、
伝統は創造である、
発明あるデザインなど、
先生の作品を再度厳密に私は見直し、
これからのデザインを、柳デザインから引き継いで語る、
その覚悟づくりをしています。
先輩たちが私の語らせる役目を果たすべく、
これならデザイン評論になると思っています。



柳宗理生誕100年記念講演
* 東名高速道路・東京料金所ー防音壁


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「2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない」


   


     12月 19th, 2012  Posted 12:00 AM



私は基本的に、予定調和論などは信じません。
しかし、統計的な崩壊の予測は
それなりの実感が重なればそうかもしれない、と思います。
私自身、大学に関わってきました。
大学人になって17年、名古屋市立大学と大阪大学でその立場になりました。
それ以前は、
母校やその他の大学で非常勤講師や客員教授を務めてきました。
幸いなことは、どの大学にしろ、
それなりの能力評価を受けて入学してきた学生ゆえに、
基本学力的なことではまったく心配はしませんでした。
しかし、精神的なことや高校時代までには知識というより、
常識的なことを知る学生は年々減少、
若者能力が低下していることは否めません。
そして、大変な教授の苦労は学生たちの就職問題です。
その時期、その時代の経済的な動向を就活ではまともに受けていることや、
企業の人事採用にあきれることも随分とありました。
日本の企業力の低下傾向やサラリーマン社会となっている
大企業の実態を知ることで、
わが国の国力の低下を直視することが数多くありました。
さて、問題はもう「少子化」影響が明確に現れてきています。
今年は、大学就学生が180万人だったと聞きます。
ところが、2018年には108万人となると、
特に私立大学の倒産が一挙に起こるという予測があります。
もっとも、大学レベルの設定が、私にはよくわからない偏差値で、
偏差値40というのは、高卒能力すら備わっていないはずですが、
大学への就学希望は年々高まっていて、
そのランクの大学48%は、学生が集まらないだろうとさえ言われています。
今、小中学校の一学年が平均120万にしかいないわけですから、
この「少子化」は、日本の大学制度から破綻していくのでしょう。
私は、47歳で大学人になり、「大学設置委員会」での教授資格は
名古屋市立大学に博士後期課程設置に関わることで、
大変に厳格な資格審査を受けました。
その厳密な厳しさが大学制度にあることは容認しますが、
商業主義的に「私立大学」が設置されてきたことは、
あまりにこの「少子化傾向」を見過ごしてきた官僚や
審議委員のいい加減さは罰せられるべきでしょう。
こんな人が審議委員だと随分見てきました。
2018年、私は大学崩壊を目の当たりに傍観していることでしょう。
なぜなら、私はその時、69歳になっています。
日本の大学は「制度」根本が変革される時期到来だと思います。


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「少数派のためのデザインから・再度、再検証」


   


     8月 21st, 2012  Posted 12:00 AM



ワイフが母校で特別講義を、ということになりました。
そこでのテーマの相談を受けて、
彼女なりの調査や読書を聞くと、
デザイン史的にはきっちっりとまとまっていないことを知りました。
「生きのびるためのデザイン」
「E.H.エリクソンのノーマライゼーション」
「1970年から準備された1981年からの国際障害者年」
この三つを軸に、
1973年からはわが母校の卒業課題化された「少数派のためのデザイン」や、
私自身が障害者になり、
1998年のNewYorkで開催された国際ユニバーサルデザイン学会、
この学会には私自身も特別講演をしました。
「ユニバーサルデザイン」については、
政府に対して最初の報告書を書きました。
特に、1960年代に
米国・英国・カナダでの「アクセシブル」というデザインコンセプトや、
ユニバーサルデザインという言葉の詳細や系譜、
それらがまったくまとまっていないことを知りました。
これは、私がまとめておく必要があると思っています。
すでに、私の役割には次世代デザイナーに伝えおくべきことが
余りにも多く残っている気がします。
特に、「ユニバーサルデザイン」を軸とするなら、
この歴史的なコンテクストも
故ロナルド・メイス中心で語り残されると思いますが、
これはもっと深く、故マイケル・カリルの存在を書き残す必要があります。
これからこの仕事をやり終えないといけないと思っています。
歴史は、その時期に政治的に記述されると、
それがあたかも「真実」になります。
これは「歴史」の真実です。
「民衆は声を持たない。
己を自覚し自らに誇りを抱くことさえ、
彼らには許されていない。」
私は歴史に向かうとき、この言葉に戻ります。
デザイン史となるべき、私の体験での知識と見識は書き残します。


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7月30日 staffblog


   


     7月 30th, 2012  Posted 7:35 PM

7月30日 staffblog

週末に、
母校である、金沢美術工芸大学の
大阪同窓会に参加した、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)


挨拶を求められお話中。


同期の1972年卒クラスメイトの方と一緒に。

お二人は、
元川崎重工のバイクのデザイナーと
元トヨタのデザイナーで、
現在参与をされている方です。

久しぶりの同級生との会話、
大変盛り上がりました。


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4月23日 staffblog


   


     4月 23rd, 2012  Posted 10:46 PM

4月23日

ボスの母校である
福井県立高志高校の同窓会にて
ムービーを通し母校への想いを語る
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)

そのための
ムービーインタビューがありました。

高志高の3世代にわたる卒業生の中で
第1世代代表として
インタビューを行いました。

楽しかった高校時代の想いで、
大幅に予定時間を伸ばしてしまったですが、
インタビューに来られた方も高志高の後輩で
高校時代から地元の原子力問題まで
幅広く話しができ、
とても有意義な時間でした。
地元福井への深かい愛情を感じました。


また、インタビューの後は
就活中の川崎研究室博士前期課程の学生
二人の面接アドバイスも。


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「若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認」


   


     3月 6th, 2012  Posted 12:00 AM


ルーブル美術館は年間来場者数400万人と言われています。
比して、21世紀現代金沢美術館は
日本では最高200万人近くの来場者数です。
美術館としての社会的存在性を
金沢という街と相補的な関係性を保持しています。
母校の卒業制作展とともに、
「若手芸術家の発掘」企画展においても私はまた学ぶことができました。
日本生まれの英国人アーティスト
ピーター・マクドナルド「訪問者」の企画展で、
私は欲しくてたまらない彼の作品(↓)を見つけました。
彼の自由な平面構成絵画に表現された彼の「感性」です。
あらためて私は「範・感性」と言っておきます。
デザインにおいても「感性」表現、
「感性工学」が基本的学識になって久しいのですが、
私なりには一家言を持ってきました。
その一つは、デザイン教育者として、
徹底的に「感性」を哲学的知識として講義し、
デザイナーとして、自分の「感性」と対峙してきました。
特に、私の「感性」は、まず音響があり視覚的刺激があり、
生きがいの感受性の確認でした。
理性・悟性・感性を歴史的定本から学ぶとするなら、
ギリシア時代、感性を低次な認識知としていたことは、
カントの理論的集約によって理性以上に重要な大きな世界観になりました。
さらにそれはニーチェから構造主義やポストモダンまでが
その再定義や認識性を与えてくれました。
私にとって、
「感性工学」という範疇に自分のデザインは配置していません。
むしろ、直観と感性をDIVINATIONとして
デザイン対象に込めてきたと想っています。
そして、彼の作品を日常生活に置いてみたいと思うほど、
彼の感性から「範・感性」を感じ取ることができました。
少なからず、現在進行中のデザインプロジェクトには、
絶対に取り入れたと考えています。


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