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Posts Tagged ‘水’


「現在使用のバッテリーパック・・・携帯電力を再考」


   


     6月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

3.11以来の国難によって、日本人はエネルギーを知りました。
しかし、私は電力=エネルギーは間違いだと言ってきました。
エネルギーは、「水・食糧・電力」と定義しています。
また職能として「急速充電バッテリーの開発」に関わっています。
したがって、バッテリーパックは私の日常や出張時の必需品。
だから、いつでも最新の容量性能の進化を追いかけ、
携行時のデザイン機能のモノを選び抜いています。
急速充電バッテリーは、3年前に価格は20分の一になりました。
これは日本だから可能にしたMade in Japanの技術進化です。
日本のこの技術力を私は確信していましたが、
専門家としても相当に日本の技術の信頼感は正直揺らいでいます。
それには大きな理由があります。
つまり、このバッテリー領域は日本技術であるべきですが、
開発するべき企業力に大きな不信と不安が芽生えています。
結論を言ってしまえば、マスコミ報道への信頼を離れるべきです。
それは「再生エネルギー」への期待感などは無謀だと断言します。
2030年の米国政府のレポートでも、
再生エネルギー(太陽発電や風力発電など)が成功しても、
全エネルギー=電源の5%程度だということです。
私は、金属素材のイオン化傾向で、
バッテリー素材を再考すべきでしょうと主張します。
簡単に言えば、イオン化傾向の隔絶性と、
その二つの金属間にあるべき媒介物が問題だと思っています。
さらに、発電形式の再熟考不足を見ているのです。
たとえば、ソーラーバッテリーの蓄電地が、
リチウムバッテリーだという程度では、何も解決していません。
ところが、マスコミが仕掛ける風潮操作は間違いだらけです。
その実例をあげれば、キリが無いほど出てきます。
だからこそ自分用の携帯バッテリーは最新のモノにしています。
残念ながら、この島国は地震列島ですから、
少なくとも、ケータイとパソコンのバッテリーは、
最低、3日間の連続使用を考えておくべきでしょう。
私が提唱する「危機管理デザイン工学」でも、
携帯用のバッテリー開発デザインは最大のテーマです。


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「光造形と3Dプリンターでクラインボトルはなぜか?」


   


     5月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

これは厳密にはいわゆる数学でのクラインボトルではありません。
しかし、3Dの造形においては、
「造形システム」での手法や装置が極めて重要です。
たとえば、
なぜ、Desk Top Publishing=DTPが時代要請だったのだろうか?
この質問に戻らなければなりません。
DTPではPostScriptというOSが無償でユーザーに供給されました。
結果、PageMakerというレイアウトソフトは1986年に生まれ、
Illustrator88がその期待の元に出てきました。
世の中はレーザープリンターの印刷精度値を進化させるのです。
商店街から「軽印刷業」が消滅を始めました。
これは2Dの「版」離れを意図した世界観的な存在感、
少なからずパソコン自動製版と呼ばれた革新でした。
同時期に日本では光造形という実験成果で特許を求めましたが、
見送られた現実がありました。
2Dの世界観を3Dに求め始めるのは当然でした。
その一人がデザイナーの私だったのかもしれません。
明確にニュージャージーのベンチャーとプリンストン大学が、
「歯車」をすでに実現していました。
私は、この装置が欲しく、3D-CGと3D-CADを学ぶために
ベンチャーの本社(トロント)で二夏訓練を受けました。
3D-CGでは、Natural Phenomenaという
今では当たり前の、水と水飛沫や燃える火、夕焼け表現でした。
しかし、私の頭の中では、金型=「型」から解放される、
そんなモノづくりを夢見ていました。
光造形のクラインボトルは、
「何のため?」とどれだけこれまで聞かれたことでしょうか?
想像力のある人は、
金型では決して出来ない自由な表現や実務対象を見つけました。
そこで現代では拳銃やマシンガンさえ3Dプリンターでの
実現可能性が明確になり始めてしまいました。
わが国、日本の技術進化=「技」の系譜は、
はっきりと光造形の下敷きの上に、
3Dプリンターの「技」が確かめられることが分かりました。
このクラインボトルの形態を自由に変形させ、
かつ様々なイメージをそのまま造形化するのに、
廉価な3Dプリンターでもここまで出来ること、
これが重要だということです。


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「三つの革命を促してくれた『光造形』デザイン」


   


     5月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

私は大学人を選んでもう18年目になります。
なんとしても自力でやりたかった事が「光造形」でした。
それ以前に心臓発作で何度か倒れて、
結局、162日間入院して担当医への質問攻めをしました。
流石に担当医は、一般書から専門書を私に貸していただきました。
私は人体が中空な物の集合体だと思ったのです。
「光造形」は大学でそれなりの設備が無ければ不可能でした。
様々なトポロジーの代表形態を想像力で、
当時のEWSと3D-CADでは、とても困難でしたが、
とりわけ、私を惹き付けていたのは心臓でした。
それは私がやがては「心臓障害者認定」までなりましたが、
これは見事に空洞の中に中空なパイプがトポロジー空間でした。
私は、次の三つを次世代の革命と予想して、
講義や講演ではその具体例をグラフィカルに見せていました。
  ● 遺伝子革命・・・iPSが具体例
  ● 光重合革命・・・光造形から3Dプリンターへと進化
  ● 電磁波革命・・・エネルギー(水・食糧・電力)を意図
この三つの予測はほぼ的中していたと思います。
それでも、おそらくデザイナーとしての半分は、
この進化や連鎖を思考し、具体例を「見える形態=言語」へと、
私は様々な概念や理念で希求してきたと思います。
もっとも私はデザイナーですから、
その世間的な信頼性はいつでも、
「デザイナーは外観の造形専門家」とみられてきました。
しかし、美大時代から、
「デザインは造形という手法で問題解決を提示すること」でした。
したがって、
遺伝子革命や電磁波革命は、
私の科学性=知識性を高めてくれましたから、
直接的ではなくとも、
私の「造形手法での問題解釈」を支援してくれました。
そして、「光重合」では光造形システムから、
3Dプリンター、さらにはこれを取り巻く環境までを知りました。
しかも、この三つの革命は、やっと入り口にきたようです。
私が特に3Dプリンター素材に拘っているのは、
「中空」です。
そうした素材が、「危機解決」という、
人間として生存する日常での最適な応答・回答・解答こそ、
この国難・日本の産業に出来ないかとさえ思っています。


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「大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす」


   


     4月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

私は47歳で名古屋市立大学に芸術工学部が新設され大学人になりました。
準備委員会に参加後、博士後期課程設立まで10年間、
芸術工学という領域で、「健康・都市景観」のデザイナーを養成し、
札幌市立大学学長候補を辞退時には、
四つのデザイン領域を芸術工学から拡大と詳細化をしていました。
 ● デザイン理工学=理学・工学へのデザイン学際
 ● デザイン医工学=医学・工学へのデザイン学際
 ● デザイン文理学=哲学・法学へのデザイン学際
 ● デザイン政経学=政治・経済へのデザイン学際
これらの学際を産業・技術・環境・文化への構築でした。
そして、予想していなかった3.11では、
大地震・大津波という天災=地球環境の悪化と
原発事故という人災=エネルギー(水・食糧・電力)のあり方を、
私たちは突きつけられました。
私は、「デザインがまさに難問解決の学際実務」だと確信しました。
よって、防犯防災・救急救命を盛り込んだ、
形態設計と制度設計をデザインが主導し、
それは新たな国際的先進国・日本の産業文化づくりに向かうと考えました。
大阪大学大学院の私の研究室は、
「危機解決産業の創成重要拠点」になります。
そのために「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開始しました。
研究開発から実務としての新産業を起業させます。
さらに、その専門家を工学博士として誕生させたいと狙っています。
まず、大阪大学大学院の博士課程(学部生と社会人から)を
採用したいと思っています。
彼らを危機管理工学をさらに強靱にした
デザイナーであるテクノロジストに仕上げる覚悟です。
もちろん、これから危機管理に関わる産業での
商品化・記号化・情報化は、「危機管理デザインセミナー」で鍛えます。
これから、このプロモーション活動とともに、
これまでのPKD・までいProjectと、
新たな防犯防災と救急救命の装備を創ります。
インターン生を募集します。


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「陶磁器メーカーの相次ぐ倒産はやむなしかもしれない」


   


     1月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

陶磁器は、文明の象徴です。
なぜなら、
文明は器=飢えと機=寒さから護る衣服から始まったからです。
にもかかわらず、
欧州の有名ブランドの倒産がここ数年顕著になっています。
無論、
わが国の伝統工芸陶磁器産地も風然の灯火と思える状況になっています。
高校時代から陶磁器には人一倍興味を持って見つめてきました。
そして、自宅の陶磁器はそれなりに選んで集めてきました。
自分でデザインすることもここ3年ほど取り組み、
プラチナの釉薬で、
インダストリアルデザインの導入を有田焼で商品化し始めています。
そうして気づいていることは、
陶磁器が中国の景徳鎮から始まった文明であり、
やがて文化になってきました。
しかし、その技法がとてつもなく進歩・進化しただろうかと判断すると、
伝統は継承されてきただけで、
破壊され裏切られた事例は本当に数少ないと観ています。
あくまでも素材は陶磁器であり、
無論、セラミックという先端技術が陶磁器に応用には至っていません。 
欧州の紅茶文化や、食卓文化、料理との相互性などにおいて、
私は、まず、「創意工夫」が尽くされてきたとは思えません。
これは、陶磁器デザイン=工芸デザインは、相変わらずに、
「装飾主義」がデザイン・意匠に結びついているからです。
せめて、伝統を裏切り、新しい食器文化を問題意識において、
「問題解決」としての陶磁器を超えてくるべきだったと思います。
すでに、水はペットボトルに、
コーヒーメーカーから缶コーヒーがあり、
紅茶のシステムも変化しています。
文明の再構築は「器」への問題意識なのかもしれません。
陶磁器デザインは「絵付け」にありとするなら、
その絵付けなどは、
パソコン、インターネットなどで自由に、
自宅で絵付けと焼成ぐらい出来て当然です。
今年早くも、
イタリアの名門陶磁器ブランド・リチャードジノリの倒産を知って、
私は、インダストリアルデザインの立場からの発言を決心した次第です。
まったく形態デザインの問題解決がほとんど見られません。


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「減災・防災・救災のために」


   


     2月 15th, 2012  Posted 12:00 AM

日本が地震大国ゆえにその予知報道に翻弄されます。
そして3.11は私たちの価値観を変えてしまいました。
私は10ヶ月かけて「復興計画」企画書を書き上げました。
これからその計画書では企画・戦略だったので、
本格的な計画の推進をめざしたいと考えています。
大震災直後に、情報の集約化をめざして、
このwebsite内に放射能のことなど情報を集め発信してきました。
そして、減災・防災・救災というレベル設定をして、
もし、天災に見舞われたらどうするべきか、
「ふだん」と「まさか」に峻別した情報集積をしています。
そのwebsiteのトップ画面です。
3.11で学んだことを集積し集約して、
まず「自分の命を守る」こと。
そのためには避難するにも「手ぶらで逃げる」こと
これが基本だということです。
防災グッズは様々なモノが市販されていますが、
それよりも、「手ぶらで逃げて命を守れば」、
減災と防災が適います。
そうすることで、救災ということばで、
「助け合う」ことの主役になるということが大事という考え方です。
「手ぶら」といっても、
最低限はいつも身につけておくことが肝心です。
それは、「財布・ケータイ・ハンコ」ということです。
財布とケータイにハンコを加えたのは、
3.11で「避難所生活」で必需品だったことです。
「ふだん」と「まさか」に、
日頃から準備していくモノややっておくべきコトを、
このsiteに集めたいと思っています。
衣・食・住に対して、私は医・職・趣を付け加えています。
医は救急医療、
職は職能の保持、
趣はたとえ天災に遭っても、
自分やみんなが励まし合うエンターテイメントです。
そして、水・食料・電力というエネルギーを
どうしていくべきかは、日本の宿命的課題です。
私は、ともかくなんらかのエネルギー確保を、
さらに改良し、進化させるデザインが必要だと考え、
そのデザインと開発のフィーザビリティに取り組んでいます。

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「新たな年頭に自我捨象を念頭」


   


     1月 1st, 2012  Posted 12:00 AM

今年は、3.11を乗りこえていく最初の年です。
大地震・大津波・原発事故という私たちにとって
この苦難国難を共に抱えて乗り越えていかなければなりません。
よって、そのためには「自我捨象」が根本だと思います。
本年もよろしくお願い申し上げます。


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「資本主義からの逃走」
 「『痛み』・・・辛いことはこの世に戻るとき」
  


   


     3月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

人体・生体はポリ袋
ポリ袋に水が詰められています。
そのポリ袋など、針先で簡単に孔が開きます。
孔が開けば、水はそのポリ袋から漏れ出します。
人体というのは、70%が水です。
人体をポリ袋に喩えれば、まさにポリ袋など簡単に破れて、
水が漏れ出すように、命がなくなります。
生命というのはおそらくこのポリ袋の水が漏れ出してすぐに息絶えるという代物でしょう。
この世・あの世の狭間往来
私は3度、この世とあの世、その狭間の暗闇を往復したという個人的な現実、
他人からみれば幻想だと片付けられるでしょう。
3度の体験は、サイクルが決まっています。
まず、失神していますが、これは確実に幻想の中にいます。
動物らしき物がいたりしますが、
現実に引き戻されると、病院の天井や室内環境が見えます。
そしてまた多分失神しているのでしょうが、
闇の中に引き込まれると、遠くに光の神々しい輪が段々と近づいてきます。
そこで、気づくのです。
この道を戻ろうという意識になると、ドクターやナースが大声で呼びかけてくれます。
「眠っては駄目です」、とか・・・
「まだやり残していることあるでしょう」、・・・とか。
そしてとてもまた痛みも無くて心地よくて苦痛は快楽的な気分になります。
するとまた闇の中を・・・・・
これを何度か繰り返して、明らかに現実を体感すると、
まず、強烈な寒気で体が震え出し、次に吐き気、そしてまた高熱で失神です。
この繰り返しが、短くて1週間、長いと2週間です。
この世は辛いという現実
はっきりと言えることは、「この世」に戻るときの苦痛を超えた「辛さ」です。
つまり、「この世」に存在するためには「辛い」コトだらけです。
「あの世」へのプロセスは、光の輪に吸い込まれていく快楽が在るということは確かです。
「かけがえのない大切さ」=『痛み』
現実は辛いことがいっぱいだということを識れば、
『痛み』こそ、自分だけの辛さの確認=現実的な自分存在の確認だということです。
『痛み』を識る、自分の痛みも他人の痛みも「かけがえのない大切さ」、
これがアイデンティフィケーション、哲学者・中村雄二郎先生の定義は、
私自身の「生と死」への往来で納得していることです。


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『資本主義からの逃走』
    「2010年・行学に向かい合ったか」


   


     12月 26th, 2010  Posted 12:00 AM

「行学」に向かって
この一年のテーマは「行学成就」。
「行学」とは、私なりの定義があります。
行とはまっすぐな道を進んでいくことゆえ、
学問なり実務に正面から立ち向かう修練のことだと考えています。
そして、私は現代の経済社会中心とこの社会を支えている民主主義の真実に懸念があります。
このたとえようもない懸念の中で、「自分の中にあるかもしれない美意識」を職能として、
デザイン・教育・研究に向けて「行動」しています。
無論、やりきれなかったことや、自分が自分に弱いから成就できなかった成果を、
来年を迎えるにあたって直視しています。
成就できたことは、入院する事態にならなかったことは幸運でした。
自分が自分に言い聞かせて実現・具現できなかったことへの反省・自省があります。
知財権の中であらためて自分の職能権利である「意匠権」については学び直すことができました。
特に「アプロプリエーション」を、デザインがどう受け止められるか、
誰も指摘してこなかったことを法学分野に提示できたことは私の修練結果だったと思っています。
さらに人間は自分を育んできた歴史観に自分の存在を差し出す必要があります。
私が自分の行学基盤として、歴史観を常に学び直してきた気がしています。
メガネフレームのデザインは25年間も取り組みながら、
未だにこの難しさと対面していることを思い知りました。
医療機器は、人工心臓からロボット手術支援機器、さらにはワクチンの開発まで、
まだまだ自分の力量が試されています。
具体的に取り組み始めたエネルギー・水などの社会システムに、
これから私の行学の核心があることを確認しています。
そして再確認しているのは、デザインにだけ自分の美意識を重ねることができるということです。


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『資本主義からの逃走』
   「ケータイの「かたち」の基本は原点回帰」


   


     12月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

ケータイにプラスα
「Smart-Phone」が出そろいました。
無論、これはこれまでの電話機を超えました。
ケータイに電話通信プラスα、このαが問題だったわけです。
iPhoneはこのαを創出したモノであり、
このαは、コトの世界でした。
コトの世界を整理します。
コト=情報ゆえに、私流には四つの世界観を包み込んだのです。
ここまでの話は、おそらく、ケータイ開発に関わる職能者がみんな語り合ってきたと思います。
四つの世界観を「包み込む」というべきを「詰め込む」と、取り違えたことが最大の過ちです。
本来なら私は四つの世界観はコトを実際は日本観の中に「詰め込もう」としてきたことです。
だから、結果、「詰め込まれた様々な機能」ゆえにガラケーになったのです。
私はFOMAのコンセプトづくりに関与しました。
ところが、このコンセプト議論の会議室の席を離れたときに、
「世界標準から確実に離脱する」ことを予言し発言をしました。
受けいられないまま、FOMAやi-modeに未来はまったく見えなかったのです。
この時期から私自身は、NOKIAの日本仕様やエリクソンを自分のケータイとしました。
そしてiPhoneで、四つの世界観へとネットワーク化、つまり、
ケータイの構造化、これがSamart-Phoneでした。
では、四つの世界観とは、情報=information・intelligence・knowledge・consciousnessです。
Smart-Phoneの四大元素だと私は結論づけています。
■Smart-Phone四大元素

● 火=電源・バッテリー
● 土=シリコン・CPU
● 空気=ネットワーク・インターネット・WiFi
● 水=必要不可欠な要素で無意識化可能ですが、私は「光」と考えます。

私がケータイからの進化は、この古代「アルケー」という原点回帰だったと判断しています。
となれば、Smart-Phoneの「次世代」の「かたち」はイメージできるはずです。


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