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Posts Tagged ‘漢字’


3月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 17th, 2011  Posted 9:50 PM

3月17日 友引(辛未)

「言」という漢字は、
象形文字として、
本来、口に刃物を入れて
はっきりと発音するという
原意を持っている。

『デザイナーは喧嘩師であれ』あとがき


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『資本主義からの逃走』
      「もう一度、漢字と『書』へ」


   


     11月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

甲骨文の象形文字
私の思考には二つの文字・記号があります。
一つは漢字です。もう一つは記号です。
デザイナーですから、designare=de+sign=do+signです。
そのまま私の思考の源には漢字があり、それは甲骨文の象形文字から始まります。
私は日本人ですから、文字=漢字が大好きです。
漢字とともに思考も文字的思考に覆われてきたと理解しています。
甲骨文に表れる文字=漢字は殷代の記号です。漢字は記号だと思います。
それが金文になってくると、明確に漢字の形態が装飾化していきます。
図象文字は「書かれる造形的な審美性」になり、「美しい文字」が求められます。
『書』
幸いにして、私は子供の頃から硯と筆と紙は大好きだったようですから、
今なお、「書」は大好きです。
私は「書道」という感覚で「書」と向き合っているわけではありません。
「書道」というのは、やや息苦しさが正直残っています。
和紙と書体
さらに幸運なこと、それは、ふるさと・福井県には越前和紙産地があります。
日本の和紙は、この地から1500年前に広がったと言われています。
したがって、和紙についても私は現場で30代後半には「紙漉」を経験しました。
これは最高に幸運だったと思います。楮・三椏・雁皮の区別は触って舐めればほとんどわかります。
残念なことに、和紙は和風紙になってしまっているのは残念ですが、大きな理由もあります。
どうしても和紙は紙粉があって印刷には不向きなことでしょう。
話が和紙に言及してしまいましたが、
私は、メールの時代にあっても手紙を書くなら、和紙に筆をとります。
日本人であることの幸運さとしかもデザイナーである幸運さがあります。
地域主義の象徴は美しい文字
デザイナーとしては「スクリプト体」というトレーニングを受けました。
それは「カリグラフィ」が書けるテクニックも身体化できたことです。
「カリグラフィ」というのは美しい文字を書くという意味ですから、
「書道」と同等かもしれません。
私は、「書」・「書体」の歴史には、文化の基本としての地域主義が息づいてきたと考えています。
私はあらためて、「書」は、世界各地にあるそれぞれの国家文化の基本、
それこそ「美しい文字」を見詰め直す時期が来ていると判断しています。
それは、グローバリズムを支えるローカリズムの基盤としての文字であり、
「書」と呼ばれる「文字を美しくする」営為を再考することです。
この再考こそ、地域主義からグローバリゼーションへの手法の一つだと評価しています。


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10月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 4th, 2010  Posted 12:17 PM

10月4日 仏滅(丁亥)

私は、漢字の由来が大好きである。
特に、象形文字は、
シンボル化された形象に原意があり、
そこからあらたな解釈や意味の文脈が
広がってくる。

その想像力の整合性が美しいとすら思う。

『デザインは言語道断』学際


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7月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 26th, 2010  Posted 11:28 AM

7月26日 友引(丁丑)

「カッコいい」という表現は日常語である。

本来は、「恰好」というのが正確な漢字表現だ。
「恰」は、あたかも、とか、ちょうどいい、
という意味を持っている。

『デザインは言語道断』格好


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『資本主義からの逃走』
 「解にある三つの手続き=問題解決の三段階」


   


     3月 11th, 2010  Posted 1:46 AM


「解」という文字も素晴らしくわかりやすい漢字です。
角があるウシに刃物ですから、
そのまま、ウシという対象物を刃物で「解体」する、
と考えていいでしょう。
解体・分解・解剖
だから「対象物」を「解体・分解・解剖」する。
これを第一段階とします。
そうすると、
今度は、「解体や分解や解剖してみたモノやコトを」、
「解釈・解説し、理解」しなければなりません。
これが第二段階です。
解釈・解説・理解
そうして、解釈することができる。解説することができる。
こうしたことは、第一段階でのモノ・コトを、
理解しないと出来ないことです。
そうして、理解しているから解釈もできる・解説もできる、
ということにつながります。
解放
この第一段階・第二段階で、やっと「解放」されるのです。
つまり、そうだったのか、「答が見つかってホッとした」。
この問題から解放された。
それこそ、「問題解決」あるいは「難問解決」からの解放です。
これが、「問題」ー「解答」です。
これまで、
「話題」ー「応答」
「課題」ー「回答」
ということから、真に、デザイン解決というのは、
「問題解決」での「デザイン解答」であるべきなのです。
問題ー解答
ProblemーSolution
Design Problem—Design Solution
これに至るのは、
「解」と言う文字に潜んでいる三段階だと私は確信しています。


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『資本主義からの逃走』
 「応答や回答は、デザイン解に至らずか・・・」


   


     3月 10th, 2010  Posted 1:15 AM


私は「答」という文字は実に完成された文字・漢字だと思います。
「箱」という文字にも竹冠があります。
この竹冠は、まさしく竹という素材でできた蓋だそうです。
だから箱というのは蓋があって対象物が入っている容器です。
となれば、竹で出来た、多分編まれた蓋がピッタし合うこと、
これが「答」ということになります。
私は、「答が違う」というのは、蓋がうまく合っていない、
そういうことになるんだと思います。
話題ー応答
そこで、「話題=Topics」に対して「応答=Reply」があり、
「課題=Question」に対して「回答=Answer」があるわけです。
そこで学校の勉強は、Q&Aに過ぎません。
セールスマンもQ&Aのマニュアルをもたされます。
さて、話題ー応答というのは会話に他なりません。
ただし、これはリアルな会話であり、Twitterでの会話は、
別次元です。デジタル時代のchatやE-mailは、
応答が、Face to Faceとは大きく異なってきました。
「会話」=パロールという事態は情報コミュニケーションで、
大きく変貌してしまったのです。
課題ー回答
これは、教育現場での「会話」による「課題ー回答」の質も
変容させています。
したがって、デザイン解決は「話題ー応答」でもなければ、
「課題ー回答」でも無いことが求められています。
前回私は「回答」という二重性には強度があると述べました。
それは、商品のコンセプトが、
「話題性」になるというのは「応答」しているだけです。
「課題性」への「回答」商品も、本質的価値は持たないのです。
核心は、「問題解決」・「難問解決」です。
デザイン解決
問題=problemー解答=solution
それは、真に「問題=problem」に「解答=solution」です。
これこそ、デザイン解決、
すなわち、デザイン問題に対してのデザイン解答です。
これこそ、「デザイン」に最も突きつけられている、
デザインソルーションが出来たかどうかと言うことでしょう。


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『資本主義からの逃走』
 「商の国、その住人は商人と呼んだ」


   


     3月 5th, 2010  Posted 9:30 AM


時代は、中国の殷の時代=紀元前17世紀末、
もしくは紀元前16世紀初ごろの古代王朝にまで戻ります。
夏王朝と周王朝の間です。
そして、殷王朝というよりは、
この王朝を打ち立てた自称の集落集団の民族、
その地名は「商」と呼ばれていました。
なぜ、殷人が「商」と称していたのかは諸説がありますが、
一般的には、これは高い台地に住まいを構えていたことを
漢字の形象が意図しているという説にまとまっています。
つまり、黄河の下流は湿地帯であり、洪水を避けるには、
高い台地を求めて、そこに集落を
つくらなければならなかったということです。
「商」という文字の構造には、
この表音性と表意性が組み合わされています。
商人
そして商の国の人達を商人と呼んだわけです。
その商人とは、まさしく商=あきないをする人たち
その集団を意味しています。
「あきない」というのは、
本当に毎日、飽きないで商売に勤しむ
ということも言われてきました。
毎日毎日、仕事を続けていくことは、
かならずしも楽しいことではないでしょう。
誰だって、もし、同じようなことを日常繰り返していれば、
イヤになる日だってあるものです。
だから、飽きないでその繰り返しを厭わないことを
「あきない」と言い換えたのかもしれません。
その「商い」や「あきんど」から、
「商品」の意味を突き止めていくことになります。
 


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『資本主義からの逃走』
  「なぜ製品なのでしょうか・商品を語る前に」


   


     3月 4th, 2010  Posted 12:01 AM

つくる

モノ=人工物を私はカタカナ表現します。
人間はモノをつくります。
その「つくる」は三つの漢字で表します。

作・造・創
「作る・造る・創る」です。
日本語の素晴らしさがあります。

「作る」というのは人間が斧を持っている象形文字です。
したがって、「削る・切る」という材料へのマイナス活動。

「造る」は辶がありますから時間まで、様々な材料を
組み合わせるプラス活動です。
醸造などは時間軸までプラスされています。

そして、「創る」は倉があり刃物ですから、
プラス+マイナスが同時に起こせる活動ということです。

さらに日本語には、「造作」というプラスマイナスまでを
表現するほど、「つくる」ことを明確にしています。
そこから、「制作・製作・製造・生産」がつくるという
文脈になっているわけです。
ここから「作品・製品・物産品」という言葉それぞれに、
意味が付随していると考えればいいわけです。

製品

この「つくる」品が「製品」です。
したがって、この「製品」価値は、
「つくられた価値」であり、「価値づける活動」です。
あくまで「つくる」活動の成果と結果でしかありません。

ちなみに「創作」はマイナス性が強く、
「創造」はプラス性が強く発揮されています。
したがって、文学は文学作品となります。
マイナス=削り取るということは、文章をより少なく、
広大無辺な世界観を表現することが「作品」です。

あらためて「つくる」ことだけに集約や収束が、
「製品」ということになります。
この「製品」ができて後に、
「売る」・商売するモノが「商品」です。


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『資本主義からの逃走』
 *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*


   


     12月 15th, 2009  Posted 9:00 AM

かたち」という言葉を身体化する「いのち」が、
多分、私の生涯になるということは明確です。
次のマトリックスが、私の身体を包んでいます。
091215katachi1

そして、
重要なのは、「か」・「た」・「ち」という平仮名です。
これらの平仮名には由来の漢字=表音性と、
漢字=表意性が日本語には備わっています。
そうした、1文字の組み合わせが、
それぞれの意味と発音によって、
包括性=inclusive性があり、「かたち」の創出である
デザインの意図は、この「包括性」と「要素」に、
根源・由来・原義から効用と効果が求められています。
091215katachi2

「か・かた・かたち論」は、代謝建築論によって、
「かたち」、日本の美学機能を語られました。
私も、学生時代にこの「思考」によって、
デザインの「方」=方向を教えられました。
それからデザイナーとしての経験と医学にて、
「代謝」という「身体生理」で「かたち」の
隠喩性をすべて解放できたと考えています。
いわば「代謝デザイン論」がまとまりました。
結果、私のデザイン、デザイン造形での、
性能性・効能性・機能性を「実務」効果として、
究極の「人工臓器」にまで「かたち論」になりました。
「実務の無い」デザイン論は、「論」でもなく、
まして「学」でもありませんが、
昨今はそうしたことを「デザイン学」と言う傾向です。
こうしたことがデザイン教育だというのは、
「罪悪」であり、「美学」は決して生まれません。


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11月18日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 18th, 2009  Posted 10:32 PM

11月18日 大安(丁卯)

「院」という漢字には、
周囲を垣や塀で取り囲んで居づまいを
取り締まるという意味、原義がある。
大学院なども、そうした意味が
明確と言っていいだろう。
一方、「園」という文字には、
楽しく解放された空間という意味がある。
幼稚園ということばを思い浮かべればいい。

『プラトンのオルゴール』贈られたブリコラージュ


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