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Posts Tagged ‘火’


11月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

11月16日 赤口(丁未)

木・火・土・金・水という思想と
空・風・水・地・火は、
仏教思想。
このマトリックス=5×5= 25、
それぞれに全世界概念がある。



川崎和男の発想表現手法


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『見詰める光は「あかり」になるという事例』


   


     1月 17th, 2017  Posted 12:00 AM



「ひかり」に対して「あかり」があります。
私はひかりとあかりをつぎのように区別して説明をしてきました。
光は見詰めることが視覚的にも困難なことであり、
灯りはその光を十分に見詰めるコトが可能なことです。
だから食卓の上には見詰めることの出来る灯り=キャンドルが設置される、
これはとても重要であり、いわゆるキャンドルスタンドの存在には、
都市伝説と思われる様々な物語があります。
それは紙幣の裏側のキャンドルスタンドにもあります。
そういえば、結構大好きでよく読んだ本ですが、絶対に読むべき定本に、
「ロウソクの科学」という本がありました。内容は忘れてしまっています。
それこそ人生最期には「ファーブルの昆虫記」「ドン・キホーテ物語」を
最高の音場の中で読みたいと思っていました。
さて、ロウソクのあかり、すなわちローソクの炎には各部分の温度が
見事に図解されていて、690度から1400度?だったという記憶があります。
が、再度もっと詳しく調べてみたいと思っています。
ともかく、火には温度があります。
たとえば、600度はガラス製作の温度であり、陶磁器は1200度です。
日本刀は玉鋼を1300度から1500度で鍛造していきます。
燃焼具合は温度によるものですが、
私が最も注目しているのは、セシウム除染をセルロース戦略として
セルロース+廃油で400度程度の低温焼却で炭化と発電を図り、
その炭化した物質を土の中に埋めることで土壌改良の一つの方法です。
これはセルロース戦略としてセシウム除染も、
ひょっとすれば有明の土壌改良へのコンシリエンスデザイン技術提案。
シアン除去のカーボン戦術になっていくかもしれません。
あくまでもデザイン提案です。



* 『ひかりをあかりには鏡面である』
* 『「影向」は陰翳を超えた日本伝統の美学を再興した』
* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 「イノベーションのための虚空回帰」
* 『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


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『ジッポーのあかりをデジタルアッサンブラージュ』


   


     10月 10th, 2015  Posted 12:00 AM



デザイナーとしてとても惜しいモノコト=物事デザインは
喫煙具関係です。
人間が喫煙習慣を積み重ねてきた歴史は、
工芸品ともいえる数々のモノを生み出して趣味性が蓄積してきた
美しいモノが一杯ありました。
心臓を痛めてからすぐに禁煙しましたが、60代になったら
もう構わないだろう。
むしろ、喫煙具の美しさは自分の周辺に置いて置くべきだとさえ、
考えて、ワイフには時々叱られますが、
喫煙具の美しさは丹念にもう一度覚えておきたいからと、
収集してしまいます。
特にライターの名品は「ジッポー」です。
確か1930年代に創られたオイルライターは発明者の名前も知りませんが、
ジッポーライターの構成要素の簡潔さは、デザインの基本の基本です。
まず、インサイドユニットとボトムケース、リッドとヒンジ、
ジッポーはその装飾性では、様々なシリーズが出来上がってしまいます。
インサイドユニットには、綿球=オイルボール、と摩擦による発火石は、
確かにアウトドアから軍事品としても、
面白い逸話を一杯生み出してきました。
綿球から芯=ウィックにフリントとフリントホールが摩擦で
「発火」します。
それは、少なからず「文明」を発火させたといえるでしょう。
だから、このブログでもどうしても書いて置きたいテーマです。
文明としての火は、食物を焼いて飢えをしのぎ、
火の暖かさゆえに寒さから身体を守ってくれたわけです。
ジッポーとナイフは人間の必需品であることは間違いありません。
私は綿球だけを買い求めてもう一度詰め込み直しをします。
これで、オイルの長持ちを決めることができるのです。
映画で登場するジッポーの、リッドとヒンジの音はとても心地よいのです。
だから、そのジッポーの音は確かめざるを得ません。
芯材=ウィックはその長さで炎の大きさを調整できます。
それこそ真っ暗闇でジッポーの光は、
西洋が生み出した「あかり」なのです。
もはや私はデジタルサイネージどころではないということを
自宅玄関で実験し、
これを「デジタルアッサンブラージュ」と名付けました。
それは映像とLED、ともにデジタルな技術で「あかり」を制御するのです。
それには、日本的なあかり=蝋燭と、
西洋的なあかり=ジッポーをコントロールする必要があります。
このハードとソフトの開発を発表していくつもりです。


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『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


   


     8月 16th, 2015  Posted 12:00 AM



私の企画戦略には必ず立ち戻る基本があります。
それはインド思想の木火土金水と仏教思想の風地火水空です。
この四句分別によって25 のマトリックスが生まれます。
それは25のコンセプトが生まれるということにつながります。
少なからずこれは世界観での25の問題点が整理されたコンセプトです。
しかし、これだけ全てを列挙すると、二つの疑問にぶつかります。
まず、デザインでそのようなことをやってもらいたいとは・・・
これで台無しにして仕事をどれだけ失ってきたでしょうか。
デザインでそこまで語ってほしくは無かった・・・
これで仕事をしたくない行政マン、役人(人に役立つ人)を知り、
彼らの生息生理をほとんど知ってしまいました。
このことで、若い頃はクライアントに喧嘩を売り喧嘩師になりました。
最近は利口になって、インド思想にも仏教思想にもある火と水を
主体的に語っていくことを中核にしています。
無論、両方の思想の核心にある火と水には同意性と差異性があります。
それを論理的に学び直したのはガストン・バシュラールでした。
バシュラールは、明確に水と火は対照的な著作を残しています。
そして彼の著作を度外視していたつまらない輩がいたこともあります。
私にとって、現実的には、水と火、それぞれがCGになる過程を
まさに米国で立ち会ってそのプログラミングを見ることができたこと。
これは生涯の思い出になっています。
しかも、このNatural Phenomenaというコードネームには、
明らかにバシュラールが基底で語られていたことです。
火も水も、デジタルとして燃えさかることと水滴や流れまでが、
制御と否制御が起こってしまうことでしたが、
結局、火は燃えさかっても熱くはなくて破壊することがありません。
水も自然と水滴から大洪水も決して起こらないことです。
これがデジタルの限界でありながらも、自然よりも勢いがあります。
私は、自宅にデジタルの全く無温度の火と水を配置します。
それこそ、自然と人工を対比させた日常を側に置いてみることで、
自然=アナログを絶対にデジタルで調和も制御も出来ないことを
言い聞かせる手法だと思っています。


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10月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 23rd, 2014  Posted 12:00 AM

10月23日 丁卯(友引)


「火の粉を被る」
これは、通常ならお人好しその者です。
しかし、
これほど、喧嘩に真っ当で、
非難も承知で正義漢はいません。

火の粉を被る、なら、
まず、火の粉は焼き尽くすことが
その役割ゆえ、
火の粉防止の
絶対にカバーできる安全安心素材で
身を守る、
そして無口で対処する、
これが喧嘩作法である。
結論は歴史が評価するものだ、


川崎和男「喧嘩道」


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「『危機管理デザイン賞』を創設しました」


   


     8月 2nd, 2012  Posted 12:00 AM



2023.8.1・昨日、日本は世界に向けて本賞を設けました。
わが国は、伝統的、四季的、自然環境と日常生活を
堅固に結びつけてきた美しい花綵の国ですが、
一方では、自然災害、台風、地震、雷に晒されてもきました。
ところが、最近では地球温暖化などで、
気候状況は、竜巻、大豪雨、落雷など
とんでもない危機状況に入っています。
3.11は当然ながら、今後の南海トラフや火山爆発も予知されています。
まず、自然環境での危機回避があり、
人災は、学校のいじめ問題から原子力発電、放射能はもちろんのこと、
テロから企業へのスパム攻撃まで複雑化と多様化と回避困難が拡大です。
よって、本賞を設けることで、危機管理産業から危機管理制度設計まで、
モノのデザインとコトのデザインを顕彰してその活性化を目指します。
本賞のシンボルマークには、「ヘルメスの杖」を引用しました。
アスクレピオスの杖やヒギエイアの杯も検討しました。
つまり、この賞には、
人類が歴史的な命の守護をどういうシンボルに象徴してきたか
ということに焦点を絞りました。
「生きる」こと、「生き延びること」、
危うい事や「まさか」、「いざ」という危険性=命の防御、
その象徴を求めました。
したがって、このブログでも、
ヘルメスやアスクレピオスなどについてメモ記述をしてきました。
それは、私の思考メモでした。
「ヘルメスの杖」への異論が存在していることも十二分承知し、
しかも、「ヘルメス学」という知的歴史性をテキストにした結果の、
マークとロゴタイプの統合シンボルです。
この賞シンボルは、本賞創設とともに、
危機管理産業・モノデザインと危機管理制度設計・コトデザイン、
その展開・アプリケーションを完備させました。
ここで紹介していくつもりです。
無論、本賞受賞によって、あらゆる「想定外」=「まさか」を回避し、
「いのち」を本賞選定基準からもう一度、
見つめ直すモデルケースを普遍化していきます。


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「一条の光明は創出するもの」


   


     8月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

闇に一条の光明を、
これは私たちが闇にあるときに
必ず願うものです。
しかし、これもレトリックでしかなく、
一条の光明というのは、
創り出すものでしかありません。
それはまさに暗闇に入れば一本の蝋燭が必要です。
すなわち、暗闇に光りを見いだすには、
「蝋燭のような」発光体がツールとして不可欠です。
「蝋燭のような」というレトリックに何が、
その闇を明白にするかということです。
蝋燭は灯りであり、その正体は火です。
したがって、「蝋燭のような」というレトリックの本質、
レトリックではない具体物がツールになりうるでしょう。
「闇」という表現はレトリックではなくて、
メタファーという意味がみえてくる気がしてなりません。
特に未来が闇のごとく不明な場合には、
未来の不明さはレトリックにすることは容易ですが、
メタファー的に「闇」は置き換えること不可能です。
今、日本の未来は「闇」です。
この国難そのものが「闇」であるからには、
少なからず一本の蝋燭のようなツールが必要です。
しかし、これはすでに「ような」ツールではありません。
私が意図していることは、
国難のわが国・日本の未来を「闇」にするわけにはいきません。
今夜もその「闇」への一条の光明=蝋燭のような、
灯り=火となるツールを見つけ出すか、
あるいは発明、創出しなければならないと考えています。
結論は、ツールの創出というデザインに他なりません。
火が文明の基本であったように、
今、未来の日本は再文明化出来るツールの発明、
何を創出するかというデザインです。
デザインは、一条の光明を創出すると確信しています。


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「火と刃物が抗自然することの行く末」


   


     5月 31st, 2011  Posted 12:00 AM

火は自然を燃え尽くします。
刃物は動植物を切り尽くします。
人類が、火と刃物を使いこなすこと、
それはまさに制御です。
「制御」とは、使いこなす対象が人類にとって、
価値=望ましいことと好ましいことになることです。
そして人類にとって、制御対象は二つしかありません。
人類にとって、「人間自体」と「自然全般」です。
人間自体の制御が、社会システム=政治であり、
自然全般は、自然の変動が予測不可能であればあるほど、
その制御は困難であり、不可能になっていきます。
その手段である利器として、
「火」と「刃物」を使いこなす技こそ人類の進化でしょう。
しかし、人類の進化は「戦争」が歴史を率いてきました。
「火」も「刃物」も戦争の武器であり、
その進化は武器としての「火」は爆弾となり、
「刃物」は武器機能は代替されていきます。
さて、おそらく読者諸兄にとっては、
この記述の方向が「原子力」に向けられている
私の導入であることに想像がついているでしょう。
まさしく、「火」と「刃物」に対する人類の進化が、
「原子力」に向かっていきました。
それは「武器」という範疇でした。
しかも、「火」も「刃物」も、制御ということでは、
それが「光」=電磁波にまで到達することが
文明の進化だったと前述しておきます。
私は「文明」の基本に立ち戻って、
「原子力」に向かわなければ、
これまでの「推進派」は「批判派」になり、
「反原発」が正論となって「脱原発」になります。
しかし、世界全体が原発停止に向かったとしても、
私は、原発ではなくて「原子力」と「自然」とを、
明快に制御対象化していくことが重要だと考えています。
私は推進派でも批判派でもなく、
「脱原発」にこそ、
「原子力へのまなざし転向」が重要だと思っています。



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「文明の序・火と刃物」


   


     5月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

文明の基本。
それは火と刃物。
私はこの二つが「自然」との
対抗手段になってきたと思います。
火は自然に備わっていました。
火山の爆発や溶岩が流れたり、
自然現象の山火事などから学び取り、
人類自らが発火させる方法を発見したと思います。
そして火が解決してくれることが生まれてきます。
一方、人類にとって、石器時代から文明が芽生えます。
石器は利器として、「刃物」につながっていきます。
私は、フリーデザイナーになって、
ふるさと福井県越前市(元・武生市)にある、
750年の伝統工芸・越前打刃物に出逢います。
武生市は小学校高学年から中学時代をすごした街でした。
だから、鍛冶屋さんの仕事はよく見ていましたから、
越前打刃物の現場で、「刃物」から学んだことが、
現在私のデザイン思想=デザイン文明観になっています。
まず、「刃物」は、
漢字には「刀」・「刃」・「刂」・「弋」・「戈」などが
含まれることで、文明利器そのものから文明観が指示。
初・武・創・解などおおよそ60数程度文字があります。
その「刃物」も「火」が無ければ、
創り出すことが出来ませんでした。
私は越前打刃物の伝統技を間近で見ながら、
「火」と「刃物」とがどのように反応しあうのかという
大きな感慨と思考をすることができたと思っています。
結論的に言ってしまうと、
「火」・「刃物」は、人間の生命に関わっています。
それも重大に、尊大に、食物と寒暖に関わり、
人間の生死を制御しているわけです。


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『資本主義からの逃走』
   「ケータイの「かたち」の基本は原点回帰」


   


     12月 2nd, 2010  Posted 12:00 AM

ケータイにプラスα
「Smart-Phone」が出そろいました。
無論、これはこれまでの電話機を超えました。
ケータイに電話通信プラスα、このαが問題だったわけです。
iPhoneはこのαを創出したモノであり、
このαは、コトの世界でした。
コトの世界を整理します。
コト=情報ゆえに、私流には四つの世界観を包み込んだのです。
ここまでの話は、おそらく、ケータイ開発に関わる職能者がみんな語り合ってきたと思います。
四つの世界観を「包み込む」というべきを「詰め込む」と、取り違えたことが最大の過ちです。
本来なら私は四つの世界観はコトを実際は日本観の中に「詰め込もう」としてきたことです。
だから、結果、「詰め込まれた様々な機能」ゆえにガラケーになったのです。
私はFOMAのコンセプトづくりに関与しました。
ところが、このコンセプト議論の会議室の席を離れたときに、
「世界標準から確実に離脱する」ことを予言し発言をしました。
受けいられないまま、FOMAやi-modeに未来はまったく見えなかったのです。
この時期から私自身は、NOKIAの日本仕様やエリクソンを自分のケータイとしました。
そしてiPhoneで、四つの世界観へとネットワーク化、つまり、
ケータイの構造化、これがSamart-Phoneでした。
では、四つの世界観とは、情報=information・intelligence・knowledge・consciousnessです。
Smart-Phoneの四大元素だと私は結論づけています。
■Smart-Phone四大元素

● 火=電源・バッテリー
● 土=シリコン・CPU
● 空気=ネットワーク・インターネット・WiFi
● 水=必要不可欠な要素で無意識化可能ですが、私は「光」と考えます。

私がケータイからの進化は、この古代「アルケー」という原点回帰だったと判断しています。
となれば、Smart-Phoneの「次世代」の「かたち」はイメージできるはずです。


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