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「たかがリモンコンではありえない」


   


     8月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

プロダクトデザインの本質を一言で断言すれば、
「使い勝手と美しい存在性」につきます。
そして、このリモコンが明示している人間と生活への提示は、
企業の社会的存在性を最大限に表示しています。
つまり、この企業が人間としての尊厳確認を自己確認しています。
これらはB&O社のリモコンです。
自宅のオーディオシステムはこのすべてで管理ができます。
すでに廃盤商品になっている20年前のモノ(右端)もまだ使えますが、
これはその当時に、
「いづれ家庭内のTVから照明から電話すべて」を
コントロール可能としていました。
しかし、時代尚早だったために
そのようなシステムまで開発は進化できませんでした。
こうしたB&O商品は、
当時から確実に未来のデザインを誘発させる美学的思想と
ライフスタイルを示唆していました。
しかし、B&Oという企業は現代に至って、
そこまでの経営手法そのものを革新的に出来ませんでした。
明らかに経営者能力が
デザイナーの夢を支えられなかった証明と言っていいでしょう。
翻って、エレクトロニクス関係、情報系、
エネルギー系などへの「デザイン提案」を、
実現するのは「企業経営者の義務」だと明言しておきます。
つまり、デザイナーの夢は「絵に描いた餅」と揶揄されます。
それも経営者という種族が
「たかがデザイン」としか思っていないのが真実です。
私はこうした経営者を喧嘩相手に40余年生き抜いてきました。
こうした経営者が社会的リーダーだというのは大間違いです。
それはほとんど無責任で真善美の人間としての生き様の基軸を、
ひとまずは「仮想の経営者にすぎないこと」にも無自覚で、
とても哀れな存在だと指摘しておきます。
まして、そんな経営者が全世界的に増殖していますから、
これは地球規模的大問題です。
デザイナーは、その専門的職能の真意忠実に、
正道をめざして自分の生涯を
そのような経営者から離脱させるべきでしょう。
「たかがリモコン」ですら、
その存在意義に、世界観のあるべき方向が見えています。
比して、現代の全てのリモコンの醜悪さが、
そのリモコンを社会化した企業、
その企業経営者の何物かの
「あってはならない罪悪性」までを象徴していると考えます。


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「カメラ修行は今なお・・・」


   


     12月 11th, 2011  Posted 12:00 AM

大正時代のPearletteを祖父からもらいました。
それでカメラの構造を知りました。小学生の頃です。
そして父のカメラを時々こっそりと触っていました。
自分のカメラを持ったのは、美大入学して、
UHFのTV局・福井テレビのマーク募集があり、
大学1年の夏休みに制作し、そのコンペで一等賞採用。
今そのマークは使われていませんが、
その賞金は当時10万円ももらえました。
それで購入したのが、「ニコマートFT 」でした。
本格的三脚とこのカメラで、実習課題の撮影をしていました。
ISO400の世界をどう撮影するか自学自習でした。
そしてプロになって、商品撮影でプロの撮影、
特に「照明と陰影や二重露光」の専門的撮影を現場で体験学習し、
日本でトップのカメラマンの方とも出逢いました。
だからテクニックを色々教えてもらうことができました。
フリーになってから、あるデザイン系雑誌の編集長から、
「そろそろこの人に作品撮影をしてもらうべき」ということで、
さらに、細やかなテクニックを学ぶことができました。
カメラ収集にはまり込みそうになる自分をそれなりに律してきました。
が、どうしてもそれなりのカメラは所有しています。
所有することで、使用するテクニックが上等になってはいません。
それでも、マクロレンズで自分の作品である商品、
そのディテールは自分で撮影しています。
そして今では、すっかりデジタルカメラになったのです。
デジタルカメラになって最大のポイントは三つあると思っています。
●「ホワイトバランス」色温度をまず見極めること。
●CCDゆえの曖昧さを利用運用することです。
そうして、
●絞り優先・シャッタースピード優先までを使いこなす、
この3点が重要だということです。
今、どうしても使いこなしたいのはLeica M8.2です。
だから今なおカメラ修行しているといっていいでしょう。

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「12月のデコレーションと絢爛豪華」


   


     12月 2nd, 2011  Posted 12:32 AM

12月は決まって「デコレーション」が似合っています。
まず、クリスマスツリーや、
夜は、照明が煌びやかで歳末というより、
クリスマスを感じます。
しかし、今年は東日本大震災・原発事故という国難を
私たちは背負い込みました。
そして、まだまだ油断ができそうにありません。
慣れたくはありませんが、
時々日本列島は地震がどこかで起こっています。
被災地が揺れるとたまらなく悲しくなります。
だから正直「デコレーション」が今年は何か空しく感じるのです。
もっとも、デザインが装飾という言葉に重ねられている一般認識。
私は、デザインとデコレーションの明白な違い、
そしてデコレーションの意味をすでに40年も語ってきたと思います。
きっと、死ぬまでデザインとデコレーションを語るのでしょう。
けれども、クリスマスを待ち受ける今年のデコレーション、
今年、日本の様々な街に飾られている
色々なデコレーションへの「きもち」は、
何かを心に刻み込んでおく必要があると私は思っています。
寒暖のリズムは激しく変化し、
適うなら、もうわが列島は揺れないでほしいと願います。
ワイフに告げました。
若いときに「絢爛豪華な装飾いっぱい=デコレーション」なんて、
大嫌いだったのに、最近はそんなデコレーションのある
デザインをやってみたい。
しかし、デコレーションと絢爛豪華は絶対に違うのです。
おそらくなんとしても日本文化の絢爛豪華には伝統がありました。
それはデコレーションとは全く異なっていたと思います。
わが国は、デコレーションではない絢爛豪華が必要な国家なのです。

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