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Posts Tagged ‘物真似’


『大学入試センター試験問題に「デザイン」が出た』


   


     1月 17th, 2018  Posted 12:00 AM




大学入試制度でのセンター試験では、毎年様々なことが起こるようです。
今年は、厳寒ゆえの交通麻痺から、ムーミンマンガでの出題がありました。
私が注目したのは、国語で「デザイン」がそのまま、
原語からデザイナーの必読本
さらには意味までが、問題として登場したことでした。
これまで、私の著作から、予備校での試験問題、
さらには私立美大の試験問題になったことはありました。
これは必ず著作権としての利用譲渡で主催者から問い合わせがあります。
入学試験問題では後日使用箇所が知らされますから分かります。
さて今年2018年は「大学問題」が少子化とともに
今後の大学存在にも関わるので、
私も共通センター問題で、大学入試の能力程度を知りたかったのです。
そこに国語では「デザイン」がそれこそアフォーダンスまで、
語られたとても詳細な問題であったことです。
正直ここ数年、日本人の感性での美的判断やモダンデザイン離れもあり、
デザイン理解度の低迷を知っていただけに、
私はビックリしたのですが、デザインが語られる参照本は、
デザインセンスを混乱させているだけに
デザイン意味論やアフォーダンスは正解ですが、
最近まとめ直していることにも影響されるでしょう。
たとえば、デザイン盗作やジェネリックデザインとかでの物真似に、
私はがっかりしていたので嬉しい現実でした。
深夜のTVショッピングなどでは、日本人の美感覚特にデザインセンスでは、
落胆していただけに、
センター試験・国語の問題になったことは書き残すべきことと思いました。


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『デザイン造形美は時間軸を超える存在になる』


   


     6月 9th, 2017  Posted 12:00 AM



日本のTVドラマに限らず、米国それもSF映画にまで登場している照明です。
おそらくインテリアデザインの決定的で代表的な要素のフロアランプです。
実際、私の自宅でも一室には、
このフロアランプの位置からソファ配置などを決めました。
たとえば、このランプがSF映画にまで在るとなると、
その未来にまで影響を与えるのだろうか、と私は思います。
しかし、このフロアランプはインテリアデザインでの
象徴的な造形デザインになっています。
SF映画にまで登場するとなると、フロアランプはその未来までと思います。
私は偶然New Yorkでこのデザインで有名なカステリオーニ氏に逢えました。
それはMoMAでの個展に招待され、彼にとっても最大の個展でした。
彼には「自分が柳宗理先生の教え子」だと言ったら、
もの凄く強くハグされていくつかの彼の作品の造形コツを聞く幸運でした。
そのこともあって、私は自宅にこのフロアランプのコピー商品ではない、
正当な照明器具を買い求めました。
いわゆるコピー商品はランプシェードの取り付け位置が違います。
TVドラマでは、すぐにあれは中国製だと分かります。
最近はジェネリック家具とかを教える馬鹿なデザイン教育者もいて、
物真似では造形デザインの肝心なディテールには気づいていないようです。
カステルオーニのデザインでは、
大まかな外観性だけを知っていることは
造形デザインの実際の詳細性までをしっかりと知るべきです。
モダンデザインの旗手として、
彼のデザインはお手本だと認識しています。
かつてサルトルは「想像力」について、
「非現実化」させる機能を意識的に働かせると言っていましたが、
私はその機能は性能と効能を認識出来ることがデザインであり、
そのデザインは問題解決の美的造形力と定義しています。
そういう意味では、カステリオーニのこのフロアランプは、
計算された大理石と大きな円弧のシャフトと球的なランプシェードです。
「非現実的」な想像力からの造形美は時間軸からも解放されています。
そしてこの照明器具という「モノのデザイン」は、
その室内での「コトのデザイン」は時間軸も超えた様々な出来事なのです。
しかし、このランプが非在するのは、照明システムがワイヤレス化時に
形態は変容するでしょうし、それは自分デザインへと思っています。


* 『インテリアデザインからの拡大・森田恭通のパリ個展』
* 『最先端ラボラトリー展にて講演」
* 「自動車デザインはもっとビジネスジェット機から学ぶべきだ」
* 『想像力を今また熟考を毎日繰り返している』
* 『研究室のMac環境は最高性能の自分デザイン』


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『一輪挿しの「赤い植物図鑑」残っているかな?』


   


     5月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM



私デザインの一輪挿しです。
正直なところ毎年必ず一輪挿しをデザインする、
このことを自分には言い聞かせていましたが、
私の作品には、花瓶の類いがあまり無いことに気づきました。
結局、私デザインは何と言っても素材と 加工、製造システムを意識します。
それは相当に困難なことであり、
この一輪挿しの私の商品化された作品、
「赤い植物図鑑」と名辞した商品ですが、
これは「タカタレムノス」から商品になりました。
ところが、製造生産の途中で廃盤にしなければならなかったのです。
「川崎さん、謝らないといけないんだけど・・・」
「どうしたの?」
ちょっと笑いながら、
「これは川崎さんが乗り移ってしまったのかなー・・・」?
「なんで?、僕に関係しているの」?
「実はあの会社と喧嘩してしまったから・・・商品化出来ないかも・・・」。
これが故・高田博社長の言い訳でした。
この「赤い植物図鑑」は、
スタイリストに人気があって、ようやくTV、雑誌にて、という寸前でした。
この一輪挿しはアルミの押し出しを6種類、それを切断・研磨・塗装でした。
植物の葉のかたちは6種類あったのです。
自分での決め事だっただけにとても残念でした。
そうしてこの6個は、私自身、所持しておらず、
ある時にリサイクルショップで見つけた一つしかないのです。
そういえば、最初の作品HOLAは物真似されていて、
永久収蔵されたHOLA時計さえ、これは物真似、模倣だと気づき
スタッフがその証拠を見つけて取り替えたことさえあります。
インドでは、大手の飲料メーカーに真似されたキャンペーンもありました。
当時、大抵は中国人留学生が香港に持ちこんで、型取りされていたのです。
社長は香港でその企画企業に乗り込んで行って、
「怖かったよ、拳銃つきつけられたから諦めよう」とかがありました。
レプリカ再現もあるかも知れませんが、
なんとか、オークションで見つけだしたい私の作品です。



* 「モダンデザインへ、ロシア・アヴァンギャルドから」
* 『毎夏、再自覚決心の日』
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 『「図鑑」=作品集はもう一冊は出したい』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『歴史的な条項言説を正しく使用しなければならない』


   


     1月 7th, 2017  Posted 12:00 AM



私たちは時々、常に知的な常識を表面的な記憶ではなく、
その真意と深意に立ち戻らなければならないと思います。
その最大の理由は、表面的な意味に縛られていて、
本当はなぜ、
歴史的にも私たちには再検証しておくことが必要になるからです。
それは、時代、時流での人間の意識には、
性善説の人たちと性悪説の人たちの
とてつもない嫌な社会的な衝突があるからです。
私が今、自信をもって断言出来ることは、
この時代は、いや21世紀に入ってから、
デジタルの世界・インターネット時代は
それほどでもなかったのに、おそらくSNSが人間社会を二分したのです。
それは世界的にも、自分勝手さが放置されるとともに、
その放置は宗教哲学的にさえ、食い止めることができなかったことです。
今、世界は地球は地球市民とかに性善説な世界観を与えていますが、
実は、ナショナリズムが各国で台頭してきて、
グローバリズムなんて嘘だとは言ってはいけない風潮があるのです。
世界全体を見渡して私の評価・判断を言うことはむずかしいですが、
私の世界、それも日本のデザイン界を眺め渡すと、
物真似?、コピー?、いや、盗作が平然と起こり、
さらには未だに「デザインとは何か?」、この低レベルな発言や講演は、
デザイン教育にまで及んでいることです。
そこで、私が自分の歴史的な知的な深度ある常識を
性善説も性悪説も超越した、古典的な記述を投げかけておきます。
ハンムラビ法典の196/197条?項目、
「目には目を、歯には歯を」という懲罰条項を思い出し、
その真意と深意の正当な報復の現代解釈を持ち出しておくことにします。
「かわいいはデザイン評価にはなりえない」
「工藝とデザインの美学性の正当性を語り直す」
「デザインコンテクストの商売利用」に、この条項を与え直します。



* 「テロという名の殺戮に怒りを込めて」
* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 「グローバリズムは冒涜的な思潮だと思う」
* 「グローバリゼーションはローカリズムの対極だろうか」
* 『民藝というレジリエンスデザインの源流は光化門にある』


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『「KK適塾」は日本からのデザイン思想と実務の発信』


   


     11月 13th, 2016  Posted 12:00 AM



日本のデザイン界は、無念ながら見過ごせない盗作問題、
その根底にはジェネリクデザイン?なるデザイン教育はあきれ果てました。
そしてデザインイベントでの人災事故にまで至りました。
このイベント以前の「Design Saturday」には自分も参加しましたが、
米国デザイン界から、若手デザイナーには物真似が多いと言われました。
その後「Tokyo Design Week」には、G マーク審査委員長として
次期審査委員長とそのイベントに出講したこともあります。
しかし、その時の(喧嘩?)以来、傍観者に徹することにしました。
後輩達が参画して事務局とトラブった話も随分ありました。
そしてこの極めて過剰な商業主義は人災大事故になりました。
オリジナルデザイン無視があり、デザインへの誤解は、
「たかがデザイン」なんてという風潮にまで及んでいます。
これはデザイン対価を怪しくしてしまい、
一般的なデザイン認識不足が起こってしまっています。
 その大きな理由は、未だに日本独自の思考理念を失っていることです。
「デザイン思考」=Design Thinkingはブームとなり、
デザイナーの発想への大きな勘違いになりました。
キーワードとして「イノベーション」もその結果となって、
「IoT」・「Big Data」・「AI」・「ロボット」・「3Dプリンター」など、
全てが輸入されたものの引用どころか、
私の判断では独自性を置き忘れた盗用にかき回されているとさえ考えます。
自分には、3.11で破壊されたわが国あって、
大阪大学は「懐徳堂」から「適塾」という身分制度にたちむかった寺子屋、
それは安政の大獄にまで繋がっている歴史をもっています。
大阪大学は「コンシリエンス・デザイン」を日本からの発想として、
問題解決・価値創出・未来創成の実務手法に至りました。
その講座として今年度からは「KK適塾」という名称で、
次世代に向かって、「学術+芸術・理系+文系の統合化」から、
「コンシリエンスデザイン」・「レジリエンスデザイン」を
国外のデザイン界に向けて発信していきます。


* 『コンシリエンスデザインをともかく訴求!』
* 『美しさの判定は言語判定での倫理に宿っている。』
* 『ジェネリックデザインは模倣=犯罪である!』
* 『日沈む景観であっても景気はデザインが主導する』
* 『1800年代安政の頃・「適塾」を最も語り継ぎたい』


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『ペーパージュエリーという新しい提案に美しさ』


   


     9月 2nd, 2016  Posted 12:00 AM



次世代のアーティストやデザイナーを見つけると
なんだかとてもいい経験をしたと思います。
紙での装身具を提示する作家の作品、
その商品を京都のデパートで見つけました。
とても繊細なFC女史のとても新鮮な作品でした。
そしてもう一つは、いつも誰かへのプレゼントを探しています。
特に海外の友人や来宅者へのささやかなプレゼントです。
次世代のアーティストやデザイナーの作品では、
新たな「美しさ」を見つけ出して、その商品流通の作法までが新鮮だと
とても感心させられることは人生では絶対必要条件だと考えます。
インターン生だった彼女にもこのペーパージュエリーを贈りました。
紙の切り抜き、この新鮮さと繊細で緻密な手法は賞賛に値します。
そして販売手法もよく出来ていると思いました。
心配なのはこのこの物真似、盗作が現れないかということです。
デザイン界ではジェネリック・プロダクトとかをまるで中国人のように
平然としているデザイナーは見過ごせません。
そんなことよりも今は次世代作家やデザイナーの新しい提案を知ることは、
自分が今まで様々なデザイン活動をしてきたからこそ、
飛び込んでくるアイディアに驚愕するのです。
若かった頃は先人の芸術家や工藝作家、
そして目標としたいデザイナーがいました。
そして現在は、若い陶芸作家、次世代の新しいデザイン活動を
自分の眼差しで見詰めてことばとかたちを語りたいと思っています。

# Papar Jewelry

* 『羊と鋼が調律の要だった、それを実証した友人』
* 『伝統の革新は新素材開発と情報エンジニアリングを図る』
* 『いけばな、日常の美しさは大切さを決定している』
* 『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』
* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』


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『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


   


     5月 29th, 2016  Posted 12:00 AM



美大生時代には徹底的に「作品の暗記」をさせられました。
海外のデザイン誌に載っている作品を覚えました。
自分のデザインが決して誰かの作品に似てはならないことを
体に叩き込まれました。
あるときテーブルのデザイン依頼があり、図面化しました。
しかし、なんともどこか喉に引っかかっている気がしてならず、
ひょっとしたら、自分の記憶にある造形をしてしまったのでは?
この思いにとらわれてしまいました。
そこで、デザイン誌を積み上げて再チェック。
ほぼソックリなテーブル造形がありました。
それを見つけ出した喜びがあり、続いて、自分にがっかりしたものです。
それでクライアントにその誌面と自分の図面を持っていって、
気づいたら真似でしたと告白して締め切りを延長してもらいました。
クライアントからは
「もっと凄い造形が期待出来る」と言われ、
結局実現はできませんでしたが、信頼された思い出があります。
ところが、最近では、亡くなってしまったデザイナーの作品が
登録されていないからとか、
すっかり忘れられているからいいだろうということで、
物真似、あるいは盗作と呼ばれる事態が起こってきています。
その評判によって、日本のデザイン界全体が非難され、
デザイナーなんて、その程度、と言われてしまう状況です。
確かに、工業意匠登録は20年ということですが、
著作権となれば、それは永久に道義的な責任が問われます。
デザイナーは、知財権での権利保有とともに、
著作権としての道義的なデザイナープロ意識を毅然と持つべきです。
どういうわけか、
国際問題になりかねない盗作に対する訴えが自分に集まります。
しかも自分のモノ真似を「不細工」と発言すれば、
自分自身がSNSで非難されるそんな時代に直面しています。

*『ジェネリックデザインは模倣=犯罪である!』
*『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
*『不細工なモノは不細工である』
*『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』
*『知財権は意匠権によってコンシリエンスデザインとなる』


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『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』


   


     4月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



この領域では仕方の無いことですが、真似されています。
しかし、2003年に公表して、地元ではすぐに物真似され、
真似た企業トップ直々に、真似たと言われるありさまです。
自分にとっては、物真似されても、
自分の造形を超えてほしいと思っています。
けれども「不細工な造形」が多いのが実情です。
特に、メガネ、ナイフ、時計などは根本を変えても
すぐに真似られます。
物真似から盗作ともなれば、ここには法的知財権の問題、
最近はSNSで、真似られた本人が糾弾されるという馬鹿な話になります。
もっと大きな問題は、無名の日本人デザイナーが「カモ」にされている、
海外のデザイン見本市があります。
無論、成功しているデザイナーは成功物語になりますが、
そうならないデザイナーは「カモ」であり、
多額の出品料、展示料、渡航費でほとんどが失敗していることです。
このことに気づいている海外は出品せずに「海外進出」で別戦略なのです。
教え子や元スタッフでこの失敗例を随分見てきました。
デザイン作品の発表でたとえ授賞しても、それは次回の「カモ」です。
そして、そのデザイナーはかえって「能力無し」になっているのです。
正当なデザイン評価を受ける真の方法を熟知してほしいと願います。
そして、デザインの物真似あるいは盗作があっても、
本当のクリエーターなら、そのデザイン評価は定例的な方法があることを
私は伝えたいと思っています。
物真似であっても「アプロプリエーション」という確実な歴史的な
記録性があるまでの「能力向上」を次世代に求めます。


*『プラチナ・ミラーリングのティーカップ』
*『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』
*『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』
*『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
*『DESIGN TOKYOのPROTO LABから次世代デザイナー出でよ! 』


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『不細工なモノは不細工である』


   


     1月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



僕が小学校4年生だった頃でした。
父から男はたわしで体を洗うべきだと言われて、
痛いのを我慢して洗っていた時期がそれこそ成人になってもでした。
ところが、それは皮膚を傷つけていると言われて辞めました。
しかし、父の皮膚は痛んでおらず、79歳で逝きましたが、
70代になっても、まだ50歳後半に見られると言っていました。
そんなこともあって、どうも束子の形態をドーナツ=トーラスにしたい、
その思いを海南市で、
海南の国際コンペの審査委員の頃、提案ができました。
いわゆる地場産業にも加わり、スポンジの素材形態を変えたり、
これ幸いとして、束子もドーナツ状の製品開発をしました。
確かに、当時は「RON」というブランドまでも開発して
その試作をしました。
が、つい最近、
シュロでそれも脱色した「ソックリ」が店頭にあってびっくりしました。
これを模倣だ、コピーだ、
やがては盗作だとかと言うことはすでに無理です。
なぜなら試作・製品開発発表しかしていません。
RONの他シリーズはデザイン賞を受賞しています。
先般も、僕のApple社提案モデルが
あるメーカーから商品発表になったときに、
「不細工」と所感を書いたら、僕がもの凄い非難を受けました。
著作権は、当然、すでに僕の作品集に図面があるわけですから、
現在は、デザイナーの盗作問題がトピックスどころか、
デザイン界の大問題になってきています。
非難する連中には、
 ともかく大問題になってほしい=事件興味だけ
 明らかに盗作だ=知り尽くしている人々
 いや、川崎が笑い飛ばせばそれでいい=私非難、などなどですが、
僕が「不細工」といっているのは、
現実にデザイン実現した企業デザイン部門が
「MindTop」を知っていれば、もっと確かな実現ができたでしょう。
ともかく、物真似、模倣、ついには盗作ということが
SNSなどで「本質を見失う面白さと不気味さと怖さ」の問題です。
明らかに盗作には、
これも倫理上の問題から知財権という法的制度問題が重要なことです。
翻って、この束子などは、僕が提示したときには、
試作は出来ても生産的には無理だと説明を受け納得していました。
工業デザインには、提示が時代的に早すぎたり、
MindTopはもっと重層化された複雑な問題、人種問題も当時はありました。
商業的な困難さもありますから商品化されないことなど一杯あります。
例えば、生産のシステム機械などは、メーカー依頼で商品化しても、
売り先では、それを元に決して一般人には目に触れないから、
それこそソックリどころか盗作など平然とやられています。
僕がグランプリ受賞しても、ある業界では平然と真似られるどころか、
ほとんど盗作だらけの世界もあるわけです。
せめて、オリジナルをやったデザイナーが、
真似られたモノを「不細工」というのは当然です。
そういう意味では僕自身、知恵不足だと笑い飛ばしていますが、
グローバル市場では国際問題化されることが出現してきましたから、
「ハーグ協定」がやっと始動してきているのです。


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『幻の発明だったモノの現物があった=柳宗理のデザイン』


   


     1月 17th, 2016  Posted 12:00 AM



柳宗理のやかんは今も市販されています。
しかし、最も普通のやかんですが、金沢美大卒の僕らには
強烈な図面が脳に焼き付いています。
それは「発明された熱効率のいい、湯沸かし短縮」のやかんです。
ご子息の新一氏から、
これまで使われていた現物ですよ、と初めて見せられました。
なるほど、当時、メーカーは、量産はどうしても無理と考えたでしょう。
だから10数台は製造したのでしょうし、その一部が使われていたようです。
「新一、すぐにお湯が沸くよ」と言われていたそうです。
確かに!
先生は「デザインには発明が要る」とよく言われてきました。
だから、僕もデザインの度に、
どこに発明があるのかを自分自身に問いかけてきたものです。
ヘラ絞り?、溶接?、アルミ素材には量産は無理!
今なら、ステンレスで、こうすれば可能になるはず。
まさか、ケトルのツマミに孔が空いている?
そうか、ここから熱湯の湯気を逃がしている?
だから、ハンドルは絶妙の角度で傾く構造になっている。
僕はこのやかんの図面にとても当時驚きましたが、
市販されているのは今なお商品として流通しているやかんです。
(あれは幻だったのだろうか)
「川崎さん、現物があるんだよ」と聞かされていました。
僕は実物の全てを触って確かめることができました。
「必要だったらいつでも見せるから」と言われています。
ついつい、「あれ、在りますか?」
「在ります」
「絶対にまだしばらくは見せないで下さい、
 あれは革命だったのですから」、
そんな会話をしました。
「デザインは問題を美しく解決する、そのためには絶対発明が必須だ」
その声が木霊してくる気がしてなりません。
今、余りに平然と、もう忘れられているかもしれない、
だったら、自分のデザインで!
なんということなんだ、腐っている!
実現される時代になったから
発想者・発明者、元来のデザイナーが黙認なら、
こんな情景に汚染されてしまっています。
僕らはデザインされたモノはすべからく覚えさせられました。
それは、自分のデザインが物真似と言われないことが
最大倫理だったからです。
物真似では決して美しいモノは創出できません。
もし物真似をする自分自身であったなら、
その自分では決して「容貌端正」にはなれないのです。
「美しいモノと生きれば、美しく死んでいくことができる」
これは岡倉天心もそう言い放っていたのです。
柳宗理先生の発明作品はまだしばらく、
現代にはまだまだ見せるべきではないのです。
僕ら弟子達は、しばし、心の記憶にしまっておきたいのです。


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