kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘物’


7月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 1st, 2010  Posted 11:50 PM

7月1日 赤口(壬子)

「物」と対峙する概念が「文」である。

この相互関係は、
私がデザインについて語る際に
「かたち=物」と「ことば=文」を
相対化する行為と一致している。

『デザインは言語道断』物品


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6月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 30th, 2010  Posted 9:05 AM

6月30日 大安(辛亥)

牛が雑食であることから、
物については
万物という表現が成り立ったと推考できる。

さらに、
牛は大物だという外形にかかわる
単純な発想が加わり、
色や形についての一切合切が、
物という大きな概念に
収束していったのではないだろうか。

『デザインは言語道断』物品


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6月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 29th, 2010  Posted 9:03 AM

6月29日 仏滅(庚戌)

「物」は、
語源的には「牛」に関与している。

これは「美」が
「羊」と関連しているという
古代人の発想と同じである。

『デザインは言語道断』物品


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5月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 26th, 2010  Posted 10:06 AM

5月26日 仏滅(丙子 )

単にモノをデザインするだけでは、
「物」と「文」が一対を成す時代は
終わってしまった。

コンピューターを
「機器」として、
「物品」として、
あるいは
「品物」として見てみる
時期に来ている。

『デザインは言語道断』物品


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3月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 29th, 2010  Posted 8:50 PM

3月29日 先負(戊寅)

決して、
「形」という
月並みな感じで
形態を表現しないことを守っている。

「ことば」や
「モノ」というのも、
決まって
「言葉」とか
「物」という
具合には表現しない。

『デザインは言語道断』容姿


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『資本主義からの逃走』
 「商人の商売、その物が商品」


   


     3月 6th, 2010  Posted 12:01 AM

商人
殷=商の時代も歴史は周人によって滅ぼされていきます。
当然、商人はさげすまれて賤民となっていくのです。
集落も失いました。
そこで、彼らは行商という、これは技能です。
商売
「商売」を手に入れていくことになります。
「商売」技能とは、計算能力だったり、
多言語に精通していくことだったわけです。
簡単に説明をしてしまえば、
流民、いわばジプシーとなった彼らは、
農産物と畜産物を交易する仲介の立場になるわけです。
農産物をつくる人の環境では、
牧畜によって皮革や毛皮を得ることは出来ません。
反対に、畜産物を産出している人には
農産物は不可欠でした。
商品
だから、この取引の中間に彼らの存在があり、
「商人」、「商売」、「商品」という言葉が
認識されていくのです。
そして、現代に至る歴史まで、
この言葉は継承されてきました。
彼らは、そのまま「商人」と呼ばれ、
彼らが商いする物を
「商品」と言うようになったということです。
売る、ということ!
ところで、「商人」というのは、
「売る」ということがそのまま商売になりました。
「売る」という行為は、
うさんくささがつきまとってくるようになります。
つまり、彼らはただ、物=商品を持ってきて、
なんらかの言葉で、
その物の売り込むだけで儲けていることになります。
農作物を季節に合わせたり、
畜産のために労働をしているとは思われないのです。
いわゆる中間的な利益だけで、
金儲けをしている人々であるということになるわけです。
仲人口というのがあります。
見合い結婚などで、結婚するのに、
いかに良い相手であるかということを、
「売り込む」ための手法だと思います。
「商人」の役割は、
どれだけ自分が物=「商品」を持ち込んできて、
買ってもらうには、
これだけの価値があることを「売り込む」ことが、
商人の役割であり、権利であったわけです。
当然ながら、
その「商品」に対する責任を持つことが義務でした。
「商品」が買っただけの価値がなかったとするなら、
その商人の信用は大きくくずれ、
彼は商売が不可能になるということが、
商道徳の基本になります。
商慣習と商道徳や商倫理になっていくのです。


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