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『狛犬をまた金沢から連れ帰る』


   


     6月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

わが自宅の玄関には九谷焼の狛犬がいます。
したがって、狛犬をもう一組連れて帰ったら喧嘩になるやも知れません。
4年ぶりに金沢で
恩師「柳宗理生誕100年記念」講演をやることを先輩同輩の命でやりました。
帰阪するにあたって、いつもの九谷焼Shopに立ち寄ったら、
顔なじみの方がいらして、しかもこの狛犬が私を見つめていました。
(問題あるな〜)とか考えながらも、
そうだ!あの狛犬は、格を上げて、守備範囲を変えることを決めて、
この二匹を連れ帰りました。
今、
玄関を新たなデジタルサイネージ=自分のデザインで変えています。
それに見合ったペルシア絨毯も手に入れてありました。
ところで、ペルシア絨毯までが
跡継ぎがいない伝統工芸になっているとのことです。
確かに、絨毯というのはとても根気のいる手仕事であり、
この存続がやはり地元では大問題になっているとのことです。
21世紀に入って地球規模での大変化が起こってきているようです。
簡単にイノベーションをという安易は許されなくなってきています。
それこそ、オリンピックに向かって、国立競技場の設計に関しても、
安易な批判をする人がいますが、
確実は批判論理があったとしても、すでに決定されたことに対して、
逃げ出してしまっている肝要な人物非難はあってしかるべきです。
しかし、今、連日、あの建築に向かっているプロ、専門家を
安易に批判することは許しがたい!
政界、スポーツ界は外野であり、
準備つまり資金を準備するのが役割である。
けれども、
非難されていること以上に重大なことは東京オリンピックの実現であり、
そのことに懸命になっているプロ達は
同業のプロとして護り抜きたいと思っています。
プロ中のプロに向かって、
素人的な発言には私が狛犬のごとく守護するつもりでいます。
まして、レベルも無いところからの批判は非難にすぎず、
その批判をした人格が明前です。
明前であるなら、私は狛犬のごとく守護します。
私は九谷焼は、
実際にこうした人形系を専門としている窯元も知っているだけに、
再度、
日本に出現した狛犬のコンテクストを再学習してほしいと思っています。
これから私には二組の狛犬が私の守護をしてくれるものと思っています。
狛犬がなぜ、ペアであるかは知り置くべきことだと私は思っています。

「三匹の狛犬は活断層から護ってくれるはず・・・」


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「三匹の狛犬は活断層から護ってくれるはず・・・」


   


     5月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

私は三匹の狛犬で護られています。
まずは、越前市(武生市合併)に1300年代から、
千代鶴国安(二人説もあり)が、
刀を一振り製作する毎に、
武器=人殺し利器にならぬようと願いをかけ、
砥石を素材にして作ったと言われている狛犬です。
千代鶴国安は京都の刀剣作りからドロップアウトして、
国府であった武生市で野鍛冶を始め草刈り鎌を発明し、
それがやがては福井藩の重要な物産品になりました。
橋本左内や横井小楠が、この物産品製造でのルールを取り決め、
その古文書が残っています。
750年の伝統工芸産地・越前打刃物を私はブランド化しました。
「タケフナイフビレッジ」には、
神殿=祠と劇場=工房までを整備し、すでに30余年になります。
「タケフナイフビレッジ」のシンボルマークにもしています。
そしてペアである狛犬は、
九谷焼でわが家の玄関に鎮座しています。
なにしろ自宅は大阪中央区の地上100m32階にあります。
隣に大阪城がありますが、見下ろす高さです。
明石大橋までが見渡せます。
しかも最近に分かったことは「上町断層」直近です。
南海地震があれば、この断層は3.3m隆起し、
震度は7.2とか予知されています。
だから、この狛犬には絶対に護り抜いてもらいたいのです。
名古屋から大阪に引っ越したときに、
なんとしても狛犬でしかも九谷焼を探し求めました。
そうしたら、その想いを抱いた直後にわが家にやってきました。
絶対に、タケフの狛犬が派遣してくれたと確信しています。
必ず活断層からこの狛犬たちが私たちを護ってくれるはずです。


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「陶磁器ようやく作品化から商品化まで」


   


     3月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

陶磁器については、私の関心は小さいときからありました。
ほとんど日常生活は九谷焼に取り囲まれていました。
唐三彩などは雪国の利休鼠色の曇天には
とても重要だったのではと思っています。
デザイナーになってから、
ともかく超えられない陶芸作家が3人いました。
まず、徳田正彦氏(徳田八十吉・三代目・金沢美大先輩)から、
若尾利貞先生・小松誠氏です。
正彦氏の九谷焼は高校時代に大きなショックを受けました。
これまでの九谷を大革新した唐三彩の色使い、
それが、在米日本大使館の大きな玄関にある大皿は本当に見事です。
小松誠氏は知人であり、彼の陶磁器デザインは秀逸です。
なるほどMoMAにはすぐに収蔵されるデザイナーです。
そして陶芸家としての若尾先生の陶磁器研究や
その制作現場には大きな憧れがあり、先生の思想を作品から学びました。
小松誠氏の作品は何度か批評を書かさせてもらい、
氏からも作品をいただいていました。
したがって、彼らの作品を前にするととても打ちのめされていましたから、
自分の発想がアポリアになってしまいます。
しかし、有田の福泉窯さんからステッキのデザインを依頼され、
あらためて世界の陶芸ブランド品も収集しながら、
ともかくティーカップの前にコーヒーカップからトライを、
これがようやく2年がかりで商品化するまでになりました。
本当は、もうアルミナ素材で
すべてをセラミックス化をと思っていましたが、
伝統工芸の産地で、この投資は困難です。
そこで「PMR=Platinum Morphological Reflection」と名付ける
Anamorphosis的な効果をねらうために、
プラチナ釉薬を現地産の天草陶石で試作を繰り返してもらいました。
このミラーリング効果は、
おそらく陶磁器表現としては世界でも初めての試みだと思います。
なんといってもミラーリングによるAnamorphosis的な効果を、
さらに完成度技法をアップさせなければなりません。
プラチナ釉薬や陶磁器素材と焼成方法を進化させる方法が
すべて自分の中に蓄積できました。
ここから、新たな革新を有田はもとより、日本各地の陶磁器産地へと
セラミックス容器デザインそのものを今世紀に革新できるでしょう。
そして、こうした素材・釉薬・焼成などから
日本の新たな輸出産業化をめざしたいと考えています。
相変わらずの陶磁器デザインに固守するデザイナーは義務放棄です。
いくたびも、試作品で、「飲み心地・使い心地」の確認をしてきました。
まだまだやれそうなことがあると考えています。
そうして、新たな陶磁器・セラミックスデザインのために
新たな才能を見つけ出すつもりです。
もはや私はプロデューサーに徹したいという希望があります。

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