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Posts Tagged ‘現実’


6月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 11th, 2019  Posted 12:00 AM

6月11日 先勝(己卯)

デザイナーとして、
今なお、私がデザインに
不足感と不満感があるのは、
かたちをことばで「相対化」
する作業があまりにも少ないという
現実である。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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『伝統工芸品は売れないからこそ「裏切り」があるのだ』


   


     5月 26th, 2019  Posted 12:00 AM



伝統的工芸品産業の振興に関する法律1974年が
なぜ創られたか、その時代背景があります。
これは、沖縄返還の産業政策1972年がありました。
そして1973年にオイルショックで高度成長期の終焉を迎えました。
沖縄では産業は、何も無かったという話もあり、
地域ごとに形成されていた産地を伝統的な工芸として
その産業を見直し、保護、育成、管理、振興すべく
それは、日本全国に伝統工芸産地に及びました。
私自身は1980年に福井に戻り、伝産法全文を見つめ直しました。
当時「第四次全国総合開発計画=四全総」が立ち上がりましたが、
その目標と目的を遂行する活性策の基本的な認識に、
地域活性化の3要因が欠落していました。
活性化には温度=情熱さと冷静さ、濃度、そして触媒でした。
触媒となるデザイン・デザイナーを軸とした3要因を入れることで
福井での私の仕事は、今に続く産地ブランドとなったのです。
オリンピック・パラリンピックでは、伝統工芸製品
そして工業製品までが東京2020ライセンス商品、さらにはG20でも、
伝統工芸と工業製品の推薦商品としての「認定?」を要しています。
伝統的工芸品はその技だけでは売れない現実=私にはわかります。
さらには、産業としての後継者不足がありますから
法制度や、こういった施策や先導には大きな影響を受けます。
今、全国には232(インチキがある)伝統工芸品の指定品目があります。
私の産地には後継者も育っていますが、
新素材や新規工程とデザインを発想しています。
常に伝統を「裏切る」発想=革新こそが、産地が継承されるのです。
売れない伝統工芸品、さらには雑貨までが、全く「売れません」。


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『ジャン・クロード・キリーのサイン入り、スキー』


   


     2月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM



私が車イスになったとき、一番哀しかったのは、
「スキーができなくなる」という現実でした。
3歳からスキーを履いていました。
東芝時代も毎年、雪山で滑っていました。
その頃、ジャン・クロード・キリーのサイン入りの板が、
確か、石川町にあったスポーツ店にあって粘りに粘り4度は通いました。
「分かった、分かった、」とご主人が根負けしてくれて、
3、4本だけのサイン入り板の貴重な1本を、手にしていました。
K2とフィッシャーズを、履き替えて、使っていました。
だから、いつもこの二組を持って、
スキー場から剣岳の長治郎を滑っていました。
福井県の雪は重いのです。
軽井沢や北海道で、出会った雪が見事に軽くてびっくりしました。
その頃は、奥志賀で回転競技を懸命にやっていました。
福井で育ったことで、スキーが、一番好きでした。


歩けた私


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『火星が地球に大接近するようです』


   


     7月 31st, 2018  Posted 12:00 AM



15年ぶりに火星が地球に大接近します。
地球と火星が5759万kmまでになるというのは、
火星の表面が望遠鏡で見えるというのです。
いつか、「火星に住まなければならない」ことが明らかです。
すでに、火星には水があるかも知れないことは、
理論的にもはっきりとしています。
火星の話が東京工業大学で「火星上でのロボット」は、
すでに15年前に聞かされてきたことが現実味を確認できます。
火星に湖があって、それも地下水だと発表は、
イタリア国立宇宙物理学研究所がESAに届でたことで、
私の世代では無理かも知れません。が、
本当に「住むことが出来る」かもしれません。
そして、日本でも1998年の」火星探査機「のぞみ」もあります。
火星からUFOが来たという話もあります。
そして、なぜ火星は赤い色をしているのかという疑問点も、
宇宙である太陽から、4 番目で酸化鉄(赤さび)があること。
だから宇宙人のイメージは、火星人ということがあります。
火星の大接近だから見てみたいと思います。
大阪では見えないかも知れません。
山岳にいたら最も見えるでしょう。


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『「菊と刀」の象徴論があったからこその現実』


   


     8月 29th, 2017  Posted 12:00 AM



まさか自分の人生で、「戦争が?」ということが近々にせまっています。
それは、まさか3.11で日本が壊れるとは!とのごとく、
人生においての予定調和論は絶対に起こらないことを十二分に分かりました。
母はもちろん父もこの現実を知らないで逝ってしまったことは、
ある意味では良かったと思います。
しかし敗戦だったことは負けたら追い込まれていく現実が迫っているのです。
それでも日本には「象徴」を持っていたからこそ、
これまでの日本という国家が生きながらえてきました。
それを「菊と刀」が米国で出版された、その日本人文化論によって
敗戦国家は立ち上がることができたのでしょう。
そして、日本人の寛大さゆえに、戦争を忌み嫌う風潮だけは残すべきです。
もし、韓国に北朝鮮が戦争をしかければ、
米国にはもうそれを押さえつける能力など皆無のはずです。
これまで彼らは世界の警察気取りで戦争をし、
国家を民主国家には出来なかったのです。
朝鮮には南も北も「菊と刀」象徴の文化論などが無いことが
米国との戦争を引き込み、その影響を私たちはまさかでも受けるのでしょう。
若狭郷土博物館で若い頃の経験が重なります。
小浜市の伝統工芸、若狭塗りは下級武士の内職ならば、
絶対に硯箱があったはず、と思って何度かその博物館に通いました。
そうしたら、やっと館長と話ができて、
「あなたが絶対にデザインしないというなら教えましょう」と、
私は鳳足石硯があることを教わりました。
無論、伝統工芸なんでもにデザイナーとして手を出すべきではない、
このことも恩師からは教わっていました。
そして小浜氏の山奥に鳳足石硯を見に行き、
希望もしていなかったのにその硯を売ってもらうことまで出来ました。
それは刀においても同じことが言えるのです。
しかもまったく役立たない刀仕上げが今ではやたら外人受けしています。
が、その見識無きデザインには、私は「菊と刀」が知らしめたごとく、
自分デザインのため、いや日本というもう壊れかかっている国家のために、
デザインを本筋にもどすつもりです。


* 『防衛戦術は敗戦といえども硫黄島からの寛容慰霊』
* 『諦め:自己防衛は不可能になってきた大不安』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 『米国は壊れてしまっているその追随国家観を捨てよ』
* 『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


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06月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

06月16日 友引(甲戌)


現実を写実化できる能力、
その能力表現力は
どれほど
今度は「非現実化」
つまり、存在して無いモノ
そのモノを空想で
描き出すことだ。



川崎和男の発想表現手法


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『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』


   


     8月 14th, 2016  Posted 12:00 AM



芸術作品、特に画家はその表現対象を社会に向けます。
そしてアーティストという枠組みは大きな変化をしてしまいます。
芸術という主観的な造形言語がとてつもなく一瞬にして、
芸術の概念を破壊し、一般からは「なぜ、なんで、これが?」という
大疑問を投げかけられます。
マルセルデュシャンの作品は、彼の生きた時期に、その現実を
彼の芸術で社会構造までを破壊することで多くの表現者に
自分の造形言語=表現意志・意欲・意図を変革させてくれました。
彼の作品が及ぼした表現力については建築家の著作では見かけましたが、
建築家自身の講演会では敬愛する北川原氏が
講演の中でマルセルデュシャンの現実の社会構造を
彼の建築で示そうとしていたことが明白。
マルセルデュシャンと言えば、
市販されている便器に彼のサインをほどこし、
便器存在にサインがあることで、
芸術家作品のこれまでの認識を一辺に破壊。
これは立体的作品の立体性をアッサンブラージュ化させて
現代芸術そのものを提訴していました。
レディメイドでの作品によって、改めて表現者は自分の表現、
その社会性での位置を再確認させられたと自分は理解しています。
ところが、彼のアッサンブラージュは、
丸椅子に自転車の車輪を組み合わせることで
コラージュの限界を示しています。
続いてパピエ・プレでは
アッサンブラージュそのものを提訴しているのでした。
そのように思わせる作品を発表しましたがその作品は写真しか無く、
まったく現存していないのです。
自分はアッサンブラージュでの限界どころか、そのデジタル化、
すなわちその否定を提案していると思っています。
おそらく彼にはデジタル表現においての
芸術表現は想像不可能だったと判断できます。
そこで画面にある様々な映像化は、
デジタルコラージュ、デジタルパピエ・プレなどを引き継ぎ、
デジタル的な映像表現がさらに人間心情にまで
表現内容が伝わることとデザインで拡大を意図しています。


* 『「アプロプリエーション」という芸術手法はデザインに非ず』
* 『意識して見つめたい「光」を』
* 「絵画に惚れることの重大さ」
* 「大好きな画家・これが私のまなざし」
* 『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』


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『アッサンブラージュの進化を原点・コラージュから』


   


     8月 13th, 2016  Posted 12:00 AM



芸術家=アーティストとデザイナーは、
違っていますか?、この質問を自分はよく受けます。
端的に答えることができます。これは回答です。
アーティストは「主観的」に表現をします。
デザイナーは「客観的」に表現をするのです。
主観性でモノ表現と客観性でのモノ表現は、
表現された内容=形態言語がどれほど客観的に解釈されても
造形言語そのものの意図が、自分中心なのか=主観と
自分以外のことも考慮する=客観に大きな違いがあると思っています。
しかし、アーティストの主観が表現意志・意図に込めたことは、
必ず歴史・現実、そして未来を呼び込もうとしているコトが明らかです。
美大時代に、いわゆる現代美術が全く理解できなかった自分に
「アンフォルメル以後」という宮川淳の著作は人生をすっかり変えてくれた
芸術・美術・デザイン・建築への思考方法の大転換でした。
さて、この三点の作品は、いわゆる美術でのコラージュが次の段階へと
芸術表現形式や形態言語化されたときに再問された手法に関わっています。
ピカソが残したキュビズムでのコラージュは、
ジャスパージョーンズによって、新聞紙を何枚も何枚も重ねた上に、
「フラッグ」と名付けられた国家が新聞報道の上に成立しているという
国家観を表すというコラージュを超えて「アッサンブラージュ」になりました。
この芸術手法はさらに昇華された表現にロバートローゼンバーグが進化。
それは「モノグラム」という題名に結実しました。
まず、ペーパーが積み重なりしかも立体化、しかも産業用のペイントで
アッサンブラージュそのものが、芸術表現的な進化を見せるのです。
これは明確に芸術、その表現が現実を批判し批評して、
次世代への疑問形をちりばめてくれたと解釈することができます。
コラージュという手法すら時代を驚愕させたことを起因として
アッサンブラージュは立体にも向かってその主観性を
次の人間社会に社会構造の疑問を差し出したと考えることができました。


* 「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「アーティスト、デザイナーにだけ降りてくること」
* 『アートからの革新=フォンタナの作品から』
* 「この画家をもっと知らせたい」


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7月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 26th, 2016  Posted 12:00 AM

7月26日 仏滅(己酉)


スケッチを描くには
トレーニングが必要だ。
まず、
絵=現実のモノを
確実に
描けることだ。



川崎和男の発想表現手法


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『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』


   


     6月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM



文系と理系が大学教育では完全に分離してきました。
文理融合は必然の教育テーマになっています。
都合のいいことは、これをまた米国の大学から、
d.Schoolのそれこそコンセプトを知らされると、
余りに見事、i.Schoolを掲げて、
文理融合というより、デザインの発想を取り入れるのが大きな手法となり、
「デザイン思考」がその決め手ということになりました。
しかし、理系を文系に、文系を理系に接近させたところで、
その合致点は、結局、理系そこそこ、文系そこそこ、
デザイン思考ならば、デザインには確実な実技がともなっています。
具体的には、「スケッチが描けること」が必須なわけです。
スケッチが不得手であったなら図解の基本は?となり、
現実にデザイナーが居なくては、この教育は全く不可能なのです。
阪大は、デザイン思考に疑念を持ち、徹底的にその源にもどりました。
それは「コンシリエンス」という
知識・知恵の造語を19世紀に見つけました。
それを自分は「コンシリエンスデザイン」として、
最も何も社会化出来なかった医工学に当てはめる論理を打ち立てました。
そうしたら米国のMITでは「コンシリエンス」に
科学−社会自然学を適合させていました。
とても明快になりました。デザインは「問題解決」ゆえ、
その対象を「看医工学」に差し向けると、
一体これまで何を実現してきたのか、
どれだけ税金を投機し無駄に終わってきたのか、
その医工学の欠点が明らかになってしまいました。
なぜなら、看護学・医学・工学・保健学によって、
安心・安全・最新医療環境・予防までが明快に論理解決できたことです。
明言すれば、医工学のこれまでの効能性ゼロを証明してしまったことです。

*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『『デザインとは何か?』=デザインとは前頭葉である』
*『手描きスケッチのツール』
*『プロとして元気の素は鉛筆への作法』
*『イラスト・漫画はデザインスケッチでは無い』


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