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Posts Tagged ‘現実的’


11月05日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

11月05日 先勝(丙申)

感覚には、
直接的・現実的な感覚と
間接的というか、
仮想的な感覚がある。
特に、仮想的な臭覚、
未来を嗅ぎ取る感覚を
センスという。



川崎和男の発想表現手法


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『透視図・次元的な隠喩としての焦点というイメージ点』


   


     4月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



光は自然現象として拡散する性質があります。
ところが、光の拡散性を絞り込んで集中させることで、
その力を一点にさせることができます。
これを焦点と呼んでいます。
が、光だけではなくて、拡散することを一点に集中させた、
その点を焦点と呼ぶことは、単純な光学的なこの関係を隠喩として、
思考方法にすることができます。
これは焦点化を行うことでいわゆるimage-pointの配置ができます。
「コンセプト思考」からの離脱を主張している要点がここにあります。
まず、dollyとして視点移動から明確なview-pointが決定したとしても
そのview=pointは必ずしも焦点ではありません。
むしろ隠喩的な思考の熟慮もしくは集中化によってimage-pointを
さらに確約化させるのが思考を透視図化すると考えれば
Perspective化した消失点=vanishing pointが存在します。
この消失点への焦点化が思考の目標ということになるわけです。
現実的には透視図は次元数を決定します。
この次元数が3次元になると、ここでは立体図的な
3次元思考が可能になるということです。
次元数と焦点の設定、その隠喩化が思考方法の重大な一つということです。


*『際限は背中に、目の前に未来など無く』
*『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』
*『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
*『F映画が示唆していること=その真実性と想像性』
*『情報記号・印=サインからトポロジーへ・3』


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『医工連携を看医工学ベクトルとしてさらに強化』


   


     12月 1st, 2015  Posted 12:00 AM



「KK塾」で、私はコンシリエンスデザインを冒頭に紹介しています。
今回は、医工連携+デザインで看医工学がコンシリエンスデザインと
極めて密接な関係があることを語りました。
まず、ベクトルとして医学と工学を再定義しても「デザイン思考」では、
語り切ることが不可能なことを伝えました。
その最大の理由は、デザイナー的な思考方法での欠落部が多いことです。
しかも「デザイン思考」は米国からのコピーで、ブーム化しただけです。
医学と工学に、看護学と保健学が加わってこそ、
医工連携では、とても現実的な形態設計もさらに制度設計も困難です。
それこそ、コンシリエンスデザインであり、
これがデザイン思考というブームでは不完全なことをまずは二次元、
二次元ベクトルでの要素を増やすことの提唱をしました。
医学と看護学は安心を与え
医学と工学で対症治療になること、
それも対症療法という曖昧さを排除しました。
さらに、保健学が工学に与えることが安全になり、
看護学と保健学が予防になることをベクトル的に示すことで
看医工学こそ、
医工連携+デザインの真のベクトル的な論理としました。
今回の「KK塾」での私のコンシリエンスデザインこそ、
デザイン思考をブームから解放して、
これが日本からの発信になるという提言にしました。
実は問題は、この2次元上でのベクトル展開だけでは
とても語り切れるものではないことを
次回の「KK塾」につなげることをつたえました。
これは、滋賀医科大+国家プロジェクトEDGEでの基調講演を
さらに深めたものになったものと思います。
私は、2次元上での思考展開では、
いつまでもニュートン的なベクトル展開の限界があると思ってきました。
これこそこれからの実務デザインで、
その革新性につながっていくと考えています。
これはコンシリエンスデザインが
次世紀デザインの基本理念になるでしょう。
今回の「KK塾」の提唱性であり、それは前回、テクノロジストであり、
阪大招聘教授とした濱口氏への講演からのヒントへの回答でした。
しかも、
今回、東大大学院で世界最小のマイクロナノロボット開発者、
生田幸士教授に、
「ブーム」となった時点で、その思考、その行動、
その実績は終わっていると断言してもらいました。
私は、ニュートン的ベクトルでの領域学、その実力を
量子力学、すなわち3次元的アナロジー化していくことを次回示します。


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『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


   


     8月 16th, 2015  Posted 12:00 AM



私の企画戦略には必ず立ち戻る基本があります。
それはインド思想の木火土金水と仏教思想の風地火水空です。
この四句分別によって25 のマトリックスが生まれます。
それは25のコンセプトが生まれるということにつながります。
少なからずこれは世界観での25の問題点が整理されたコンセプトです。
しかし、これだけ全てを列挙すると、二つの疑問にぶつかります。
まず、デザインでそのようなことをやってもらいたいとは・・・
これで台無しにして仕事をどれだけ失ってきたでしょうか。
デザインでそこまで語ってほしくは無かった・・・
これで仕事をしたくない行政マン、役人(人に役立つ人)を知り、
彼らの生息生理をほとんど知ってしまいました。
このことで、若い頃はクライアントに喧嘩を売り喧嘩師になりました。
最近は利口になって、インド思想にも仏教思想にもある火と水を
主体的に語っていくことを中核にしています。
無論、両方の思想の核心にある火と水には同意性と差異性があります。
それを論理的に学び直したのはガストン・バシュラールでした。
バシュラールは、明確に水と火は対照的な著作を残しています。
そして彼の著作を度外視していたつまらない輩がいたこともあります。
私にとって、現実的には、水と火、それぞれがCGになる過程を
まさに米国で立ち会ってそのプログラミングを見ることができたこと。
これは生涯の思い出になっています。
しかも、このNatural Phenomenaというコードネームには、
明らかにバシュラールが基底で語られていたことです。
火も水も、デジタルとして燃えさかることと水滴や流れまでが、
制御と否制御が起こってしまうことでしたが、
結局、火は燃えさかっても熱くはなくて破壊することがありません。
水も自然と水滴から大洪水も決して起こらないことです。
これがデジタルの限界でありながらも、自然よりも勢いがあります。
私は、自宅にデジタルの全く無温度の火と水を配置します。
それこそ、自然と人工を対比させた日常を側に置いてみることで、
自然=アナログを絶対にデジタルで調和も制御も出来ないことを
言い聞かせる手法だと思っています。


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