kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘現象’


『コンシリエンスデザイン事象を創出する職能』


   


     3月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

Phenomenaは私がComputer Graphicで実体験した現象・事象です。
バーチャルで夕陽朝陽、火炎、水蒸気、水の様々な動きでした。
この過程を米国で私は間近に見護ってきた経験があります。
したがって、その体験は現象や事象を現実視できることです。
私はこの過程では必ず記号論的な、
意味すること=designing languageと
意味されること=designed languageが働いていることを知っています。
だからこそ、コンシリエンスデザインという学際化の過程、
その「大切さ」は誰が、いやどのような職能が果たすべきかです。
「大切」ということがコンシリエンスデザインの要です。
それは、危機解決による安心安全である解答と
生命と健康を愛護できうる解答であるためには切断仕切ることです。
その覚悟を常に持ち得るプロフェッショナルは、
学術的背景・芸術的背景・文科系的基盤・理科系的基盤を持ちうる、
デザインディレクターであり、それはデザインテクノロジストです。
デザインディレクターという職能は数名が決めました。
しかし、今では、それがなぜそのような職能名が出来たのは、
忘れられていますから、あくまでも、どれだけの見識・胆識を
護り抜いて大切に出来うる能力が実績としてあるかどうかです。
ましてや、これからデザインの革新と変革は、
コンシリエンスデザインを少なからず看医工学が基幹です。
現象と事象を創造できるプロフェッショナルには、
大切さの覚悟を学際的に統合できる才能を私は求めます。
その才能が学際化して融合・結合・統合を仕切る覚悟が不可欠です。
学際化を基盤と背景にしたからこそ、簡潔に切り捨てる覚悟、
私がコンシリエンスデザイン看医工学で育成された職能家は、
デザインディレクターからデザインテクノロジストとして、
地球存続とエネルギー創発を求めます。

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「結果原因・原因結果からの予知と予測」


   


     4月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

地球環境が1000年に一度を引き込んでいるのでしょうか。
そのような時期に自分の生涯を重ねたくはありませんでした。
私の正直な感想です。
また、スマトラ周辺で大地震がありました。
ということは、3.11の再来が予知・予測されるのかもしれません。
地震は予測ではなく、あくまでも「予知」です。
少なからずこの言葉の意味、コンセプトを読み取ろうとすると、
「科学的」という印象からはずれてしまいます。
私は、地震の予測、あるいは予知、
これは三つの方向から考えられると思います。
それは、結果から原因を見いだす予測の方向と、
原因があるから結果が予知できるかもしれないということです。
大地震は、三つあるのではないかと考えます。
これこそデザイナーのDIVINATIONでしかありませんが・・・。
まず、地殻変動・プレートでのストレス現象です。
これは最も現代地震学の科学性があることになっています。
次が、人間の知恵となっている動物の様々な異変、
特に、魚や鯨の行動異変や大漁が起こるという自然現象もあります。
これは古からの言い伝えにもなっています。
最後が、地磁気力や成層圏での電磁波異変、
これもオーロラの発生緯度低下などの現象です。
私は、この三つがどのようになっているのかは報道でしか知り得ません。
となれば、
報道もこの三つの原因・結果と
結果・原因に敏感であってほしいと望みます。
特に、成層圏と電磁波の関係などは予知どころかまだ未知の領域です。
しかし、オーロラの異常発生が最も、
予知性より予測セグメントが高いと私は思っています。

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9月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 6th, 2011  Posted 10:00 AM

9月6日 仏滅(甲子)

デザイナーは
現象にしばられていて
未来を見つめていない。

『デザインという先手』掌


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『資本主義からの逃走』
「*ファッションというモードと、コードとしてのファッション*」


   


     4月 17th, 2010  Posted 12:01 AM

MODE or CODE
モードは明らかに流行、現象としての流行です。
ファッションは、このモードで千変万化しているものと、
通常は考えられていますが、果たして?ということでしょう。
千変万化などは決して起こっていません。
つまり、モードとしてのファッションは、
明らかに、革新性=イノベーションの要因があります。
イノベーションといっても技術革新ではありません。
循環性による活性化です。簡単にいえば流動性の勢いがあるのです。
顕著な例は、
奇抜なファッションや流行ドンピシャリ的モノに、若者は魅了されます。
ファッションは、若者の特権的なモードになっていることです。
しかし、たとえば就活となれば、
みんなが就職モードと言いつつも実際は、
コードの中でのモードを必ず選ぶことになります。
それは「就活モード」という「コード」です。
この「コード」に革新性は、何事かの事変でも無い限り、
一新されるモードにはなりにくいということです。
では、ファッションを服装ジャンルから拡大して、
いわゆる「モードの体系」と指摘された消費構造に当てはめてみれば、
実際は、技術革新された新製品の商品氾濫は、
明らかにコードを一新して、モードを生み出しています。

デザインは、コードの文脈=コンテクストを消費構造化するとき、
デザインによる目新しさ、すなわち「外観的な特徴」によって、
「デザインされたモノ」=意味されるコトと意味されたコトを
消費欲望に変換させること、デザインが手法化できるということです。

しかし、私が指摘しておかなければならないのは、
このデザインによるモードの改変、あるいはコードの一新化です。
「外観」づくり=デザインというのではありません。
さらに、モード的な意味の仕掛けや、
コード的な意味文脈の・コンテクストに対しての、
デザインの役割です。
デザインは社会に対する態度である!
その役割には、デザインの本質を常に問いかける姿勢です。
それこそ、モホリ・ナギが「デザインは社会に対する態度」
と言い放った本質論です。
私は、この本質論には、
「デザインとは何か?」
という問いかけは最初からあり得なかった、とさえ思っています。
「デザインとは何か」を
「外観」→「機能性」→「使い勝手」→「快適性」=消費の快楽、
だから、「欲望の刺激」という図式に終始してきたのでしょう。
問いかけの変更、問いかけへの異議は、
「何がデザインとなるか」です。
この問いかけへの対応領域を、
モード領域とコード領域での応答性に変更するべきだと考えています。
そうなれば、
「欲望の刺激はデザインにあらず」ということは自明となります。
よって、「モード的な意味の創出がデザイン」でしょうか?
あるいは
「コード的な意味の一新がデザイン」となるのでしょうか、
という問いかけに、デザイナーの存在位置、
その確認ができると判断します。


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『資本主義からの逃走』
 「iPadがまた拡大させる!?・批判or批評or非難、
               iMacの私の経験から」


   


     2月 5th, 2010  Posted 2:37 AM

iPadだ!
未来 見えているか?

iPadのNewsは様々な批評や期待で一杯です。
Apple社、ジョッブス氏の活発さに惹かれます。
そこには、いつも私たちは未来を見るわけです。
現代、こうしたNewsが、
多大な問題いっぱいの世界をやや救ってくれています。
それは閉塞感満ちあふれる日常での救いでしょう。
かつて、私はiMacを100人評価する雑誌で、
唯一、「ゴミだ!」って発言して、
ほとんど日本中から袋だたきに遭いました。
さらに、Gマークでも金賞候補からはずす主役でした。
問題点は、三つありました。
一つは、すでにあのモックアップは見ていましたから、
がっくりしたのです。
環境ホルモンと流行
ところが、
理由はそれが、ポリカーボネート製でした。
これが二つ目の理由でした。
ビスフェノールAという環境ホルモンの問題です。
今では、ポリカのリサイクルシステムもできましたが、
当時はビスフェノールAだ!って叫んだのは私だけ。
さらに、これがカラーで透明だったので、
おそらく日本の様々な文具から何にでも、
流行現象」が蔓延してビスフェノールAに無頓着、
というのを、一人でも食い止めたいと思ったからです。
まあ、脅迫メールは届くは、
ポリカ業界からも散々な目に遭いました。
この時にも、私は自分を「職能家・デザイナー」を、
絶対に押し通そうと言い聞かせて、耐えました。
結局、「流行」は去り、ポリカのビスフェノールAは、
WHOから、「懸念ある素材」となり、
産業界はリサイクルシステム無しには、
素材使用は自粛されました。
「川崎は理詰め」と言われますが、
理性と感性には、順位があります。
「理をつめなければ、けっして感性優位は排撃すべき」
というのが、私のデザイナーとしての信念です。

私は、iPadには、二つが無かったと思っています。

「新素材・made in Japanを知らなかったこと」
「清潔感をコンセプトにする」

ということです。これは「批評」です。
それでも、iPadが、「iPod」がデカイだけ、
というのは、非難であり、未来が見えていません。
これは駄目でしょう。
私は、私の批評ポイントをはずせば、
やはり、「やられた!」といわざるをえません。
そして、必ず、私の二つの批評が合体するモノを
最も希望しています。


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『資本主義からの逃走』
  「売国奴たちの必殺も辞さず、されど民主主義の脆弱さ」


   


     12月 28th, 2009  Posted 10:00 AM

Democratic Weakness

to be impossible

of bringing sure death in traitors

明らかに必殺は犯罪となります。
よって、国家体制での「裏切り者」の処分と処置は、
決して叶えられること全面的に不可能は自明です。
これが、民主主義というイデオロギーの法哲学でしょう。
しかし、私は時代回帰的にとどまらず、

Traitors

「売国奴」を認定し、処置を決行するべきと判断します。
少なからず、「知性」をもって、
売国奴の追放が、すでに日本国家の一つの選択でしょう。
それは、メタファー、あるいはトリックスターとしての
「現象」の中で溶解して、私たちが避けています。

EXILE

私は、民主主義のこの脆弱性も廃棄するべきというほどの
「過激性」で、
「モノづくり・Made inJapan」を遵守することを
職能意志としています。

この職能意志無きプロフェッションも売国奴と思います。
私の「過激性」は、「暴力性」に直結しています。
「民主主義」が全面否定する「暴力性」こそ、
国家体制・「神の国」、「花綵の国」の伝統の保全と
確信をもってここに書き残さなければならないでしょう。


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11月10日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 10th, 2009  Posted 8:37 PM

11月10日 友引(己未)

デザイナーという
プロの視線がなければ、
ユーザーに見えているのは、
既成概念に囚われた「流行」
あるいは「現象」としての
デザインだけである。
生活に密着したデザインという、
マスコミ的視点の批評は
嘘っぱちだ。

『デザインの極道論』むなしい


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