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Posts Tagged ‘理由’


『深緑色の画面・深緑から利休鼠』


   


     2月 16th, 2016  Posted 12:00 AM

今回の「KK塾」で私は画面表示・モニター基準色を紹介しました。
これはモニター設計、それもCRTから液晶ディバイスになってからも、
かねてシリコングラフィックス社とALIAS社でCG制作を見ていた時期、
その経験からのカラー表示を紹介したのです。
これにはいくつかの理由とその意味があります。
それは視覚的に安全なカラーと疲れないカラーがあるからと、
最近ではモニターからの青色が突出していて「ブルーライトカット」、
これがあたかも流行となっています。
100円ショップ商品の遮断メガネには、
大きな勘違いがあると思っているからです。
人間には可視光線というニュートンによって発見された
紫から赤色までの7色(白色人種では6色)の色環があります。
とりわけ、モニターからの色表示はすべて光=電磁波ですから、
これらが視覚的に害を成すかどうかはまだまだ研究の成果が必要です。
しかし、紫外線や近赤外線・遠赤外線は、可視光線を超えていますから、
有害なことは納得できます。
特に「ドライアイ」は角膜の三つの層に悪影響を与えていることは
立証されていますから、メガネは「ドライアイ対策」が必要です。
今回私は、深緑を提案しました、
といっても、
PC:Macからの出力もプロジェクターと一致していませんから、
基本的にはPANTONE®カラーのNo.7712から7720までを準備しました。
肝心なのは日本語で言うところの「深緑色」です。
この色をベースにしたときに、これがいわゆる鼠色系になると
これは「利休鼠」になっていくことことを知った時は
大きなショックでした。
しかもその「利休鼠」の色は北陸の初冬の曇天の空の色でした。
私がかつて液晶モニターからの近赤外線が持つ危険性を公表したときに、
あるメーカーは私を訴訟しようとすらしました。
しかし、その近赤外線は特にプラズマ画面からが多くて、
日本ではある省から危険勧告があり、
欧州からはその様式のモニター輸入は全面的に拒絶されたのです。
今、この画面色を私はワープロでの背景画面に使っています。


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『思考の「思う」という象形文字からの意味』


   


     1月 12th, 2016  Posted 12:00 AM

「デザイン思考」をことば、そして概念として再考するには、
まず、「思考」その「思う」:「思」について、
この漢字の由来=象形文字からの系譜とその意味獲得を見直してみます。
かつて著名な国語学者が新書で「思考」について、
その記述は間違いだらけだったことを僕は覚えています。
理由は簡単で、まず、漢字であることには
二つの意味があることを全く無視していたことです。
現在も僕はこの二つの意味が確認されることなく、
「思考」=THINKINGという訳語が生まれて当然だという認識に
疑問ありです。
二つの意味とは、「思考」というのは古典中国的には
見事な陰陽説が裏付けになっていること、
つまり、陰陽説を適合すれば、THINKING一言に決してなりません。
まず、僕は陰陽説では「思」は、陽であり、
これは全く感性的な思考を意味していることを語るべきです。
その根拠は象形文字に見事に的中していることです。
「思」は「田」と「心」から成り立っています。
そして、「田」という漢字要素は、頭蓋骨をシンボルにしています。
しかも、この頭蓋骨も乳児の頭蓋骨、
その「泉門」を含んで解釈が成立します。
「泉門」は、胎児がすでに羊水に居る頃に、
感性で受け止める反応・認知がスタートするということです。
そしてもう一つの「心」も、心臓をシンボルにした象形文字です。
血管+形態としての袋体、そして2つを明示しています。
この2つの明示は、かつては右心房右心室+左心房左心室だと、
中国時代は解釈されていたのかもしれませんが、
心臓は他の臓器とは大きく異なり、感情がそのまま反映するところです。
それは、ドキドキしたり、不安になったり、喜びで高鳴る、
これは明らかに自律神経の交感神経、
もっと専門的にはβ1とβ2という神経回路が心臓を制御していることです。
確かに、感情が心臓には大きな影響を与えていることになります。
生まれてすぐに働き始める感性と、感じて動き出す感情が表す、
行動が「思う」という意味を与えているとみています。
結局、「思う」という意味には感じとる生来の感性と、
感じ取って生理的な感情が心臓を制御しているということです。
したがって、「思考」の「思」だけでは、
THINKING一言には至らないことは明らかです。
僕はあらためて、「思考」の「思」については、
思いつきこと思い込むことが生まれてすぐに
「思う」という行動に直結していると「思います。


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『曼荼羅図に「思」と「考」を配置して論理を確認する』


   


     1月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

「デザイン思考」=Design Thinkingというビジネス論が流行しています。
まず、僕はこの流行批評を云々する前に、
「思考」という「思う」+「考える」という言葉の周辺を
金剛界曼荼羅:3×3:に基づいて、「思」と「考」についての
論理を整理します。
「思考」とはあくまでも日本語であり、これがいきなりThinkingとの邦訳は
決して僕は成り立たないと考えます。
その最大の理由は、デザイン+思考であり、
デザインの思考、デザインという思考、デザインのための思考などを
デザイン=問題解決・価値創出・未来創成を
明確にすべきだと考えるからです。
まず、「思考」と「考思」があることと、
そのための論理構造を曼荼羅分析で整理する必要があるのです。
僕にとってこの金剛界曼荼羅に配置されたイメージシンボルは
きわめて重要だと考えるからです。
決して、この配置を思っているのではありません。
「考える」ことと「思う」こと、の配置から、
それぞれのことばの意味と意義を
僕は思考の論理背景に置くべきだと考えます。
この配置からは簡潔にThinkingで邦訳が正確なのだろうかと、
まずは疑ってみるべきだと僕は考えます。
「思う」ことは
感じること、意識すること、考えること、熟考し認識するまで
この二つの曼荼羅は明確に僕たちの再考を促してくれると
僕は認知し、認識することがやっと完結すると思うのです。
この「思い」は感じて知ってまさに思識や思念、考査や考定に至ります。
日本語の概念考察は観念の熟知と認識を位置づけてくれます。
僕は40余年もプロのデザイナーとして、
デザイナーの思考方法がビジネス世界でも有効であると思ってきました。
だからたとえブームである「デザイン思考」を否定はしませんが、
さらに「デザイン思考」を止揚させる必要があると考えるのです。
その止揚に至ったのは、この曼荼羅的な概念あるいは観念の配置です。
「思考」あるいは「考思」を成立させている認知と認識の思量や考慮は
確実に再度、この曼荼羅配置で再考することから
僕は開始すべきだと考え思うのです。
つまりそれだけ人間には「思い」・「考える」という認識、
そこには知識・知恵の世界があるということです。


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『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


   


     1月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

美大を卒業すると教授命令で東芝に就職しました。
教授は他企業は認めず、(今ならパワハラ?、教え子には命令出来ず)
もし他企業ならば卒業させないとまで言われました。
しかし、東芝から始まったサラリーマンデザイナーは最高の日々でした。
サラリーマンではない、ビジネスマンになるならと、
トレーニングを上司達に教えられてきました。
僕を使いこなしていただいた上司達はすべて恩師達です。
にも関わらず、
僕は出張をすれば、ついついその地に泊まり過ぎたり、
遅刻は余りにも多いのでとうとう自由出勤が認められました。
けれども「四番バッター」と言われて入社したので、
ヒット商品は必ず出していたと思っています。
幸いにして、オーディオ分野専門であり「Aurex」のロゴも僕のデザイン。
「Aurex」での僕のデザインは今もオークションで手に入ります。
ほとんど所有しているので金沢21美術館の個展で紹介できました。
現在、東芝は企業として深刻な事態にありますが、
その理由は、顧問をしていたこともありほとんど解っています。
私のようだった東芝マンが当時は存在していたのです。
おそらくこのようなことは決して許されない時代になっているのでしょう。
入社して銀座で飲んでも、社員証でツケが効いた時代でした。
何と言っても僕のビジネスマン的やり方も
なんとなく認められた時代でした。
僕のひらめきは企業ルールをこっそりと変えてしまいましたが、
まあまあ叱られても決着してもらっていました。
電車で通勤すると、時には「電車事故」といってダイヤが変わります。
そうなると、タイムカードに「電故(電車事故)」というハンコを押します。
これをヒントに僕は「バ故(バス事故)」というハンコをモデル費で作成し、
自分だけのタイムカードに押していました。
多分半年目に労働組合にバレてしまい、大説教を受けました。
無論、デザイン部長(電器釜デザイン)にも叱られましたが
発想は認められた、そんな時代でした。
東芝は交通被災で辞職を余儀なくされましたが、つい4、5年前に、
オーディオ事業部OB・OGの「音友会」で挨拶をさせてもらいました。
東芝にはすでに教え子がデザイン部で活躍していますが、
かつて僕が天衣無縫なビジネスマン時代はすっかりと失われました。
入社した翌年「オイルショック」、退社して「バブル景気とその破綻」、
「失われた20年」という日本経済の転落とともに在った時代に、
僕の生涯が乗ってきましたが、
「バ故」というハンコが認められた大らかな日本の時代こそ、
日本が元気いっぱいの歴史を創り上げていたのだと思います。
「天衣無縫」な時代を失うことは、
時代と社会が歪むのだと思わざるをえません。


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『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


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『わが人生最期の車は美しいデザインを』


   


     1月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

ベンツSL500を10余年乗って使ってきました。
車を10年以上も乗るなんてことはありませんでした。
なんとかワイフを口説いて、私の人生最期の車を選びました。
私にとって前提は、車イス対応ゆえに、二つの大きな条件があります。
車イス収納と両手だけでハンドル操作とブレーキ・アクセルを、です。
ともかくAMには、男の子としての背景に007がありました。
選び抜いた車は、4ドアスポーツタイプ「ラピードS」。
注文後7ヶ月、途中直接ディーラーがAM英国本社で、
車イスユーザー用のアタッチメントを検討してもらって、
国内での取り付け工事。これさえ最初のことのようでした。
アタッチメントは全く進化していないことをFBでぼやくと、
いくつかの提案をいただき、ディーラーが工事企業を調査し、
英国本社ともコンピュータ制御と取り付け検討で部品決定。
その間のやりとりはこれまでに未体験多くて、
モノづくりの根本で新しいやり方を知りました。
こっそりと1/12サイズモデルを探し出してワイフに叱られました。
ところがなんと本社対応では、
全ての注文仕様で素材も同等の1/8が注文可能だと知りました。
しかも、そのモデルで軽自動車2台は購入可能を知りました。
ナンバープレート番号入りの写真と、
左の取説を今はじっくり読破中ですが、
エェッという機能はこれからの自動車のあり方、
それはデジタルとアナログの使い分けがとても明快でした。
結局、自動と手動の使い分けで、
絶対コンピュータ制御を避けて、マニュアル制御を護り抜く、
この考え方には大きく同意しました。
私には、車とオーディオ、そしてカメラには、
これからのアナログとデジタルの
インターラクションの決定手法があります。
それは特に、車とオーディオには共通項が多いことでした。
それこそ、カーオーディオは自宅で使用のB&Oが仕込まれていました。
しかも現代流のBluetoothで制御が可能になっていました。
ある時、ワイフが、
「あの車とても美しい」と初めて言いました。すかさず私は、
「あれがアストンマーチンだから、どーお?」
「・・・・・」、妻の完全沈黙、あれからの説得でした。
ともかく、徹底的な美しさだけを最期の車に求める結果が選んだ理由です。
本当はSL500を手放すことは随分とためらいました。
私は自分の人生は、すべて左ハンドルでした。
車イスには絶対、左ハンドルでなければ、通行上にも問題があります。
さて、これから3年かけて自分用にしていくというのがポリシーです。
なるほど、自分の身体との整合性を求めていく過程を楽しむということ。
67歳になって最期の車を、ゴールドカードの免許証のまま、
私が最期に乗っていた車にするつもりです。


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『医工連携を看医工学ベクトルとしてさらに強化』


   


     12月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾」で、私はコンシリエンスデザインを冒頭に紹介しています。
今回は、医工連携+デザインで看医工学がコンシリエンスデザインと
極めて密接な関係があることを語りました。
まず、ベクトルとして医学と工学を再定義しても「デザイン思考」では、
語り切ることが不可能なことを伝えました。
その最大の理由は、デザイナー的な思考方法での欠落部が多いことです。
しかも「デザイン思考」は米国からのコピーで、ブーム化しただけです。
医学と工学に、看護学と保健学が加わってこそ、
医工連携では、とても現実的な形態設計もさらに制度設計も困難です。
それこそ、コンシリエンスデザインであり、
これがデザイン思考というブームでは不完全なことをまずは二次元、
二次元ベクトルでの要素を増やすことの提唱をしました。
医学と看護学は安心を与え
医学と工学で対症治療になること、
それも対症療法という曖昧さを排除しました。
さらに、保健学が工学に与えることが安全になり、
看護学と保健学が予防になることをベクトル的に示すことで
看医工学こそ、
医工連携+デザインの真のベクトル的な論理としました。
今回の「KK塾」での私のコンシリエンスデザインこそ、
デザイン思考をブームから解放して、
これが日本からの発信になるという提言にしました。
実は問題は、この2次元上でのベクトル展開だけでは
とても語り切れるものではないことを
次回の「KK塾」につなげることをつたえました。
これは、滋賀医科大+国家プロジェクトEDGEでの基調講演を
さらに深めたものになったものと思います。
私は、2次元上での思考展開では、
いつまでもニュートン的なベクトル展開の限界があると思ってきました。
これこそこれからの実務デザインで、
その革新性につながっていくと考えています。
これはコンシリエンスデザインが
次世紀デザインの基本理念になるでしょう。
今回の「KK塾」の提唱性であり、それは前回、テクノロジストであり、
阪大招聘教授とした濱口氏への講演からのヒントへの回答でした。
しかも、
今回、東大大学院で世界最小のマイクロナノロボット開発者、
生田幸士教授に、
「ブーム」となった時点で、その思考、その行動、
その実績は終わっていると断言してもらいました。
私は、ニュートン的ベクトルでの領域学、その実力を
量子力学、すなわち3次元的アナロジー化していくことを次回示します。


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11月7日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 7th, 2015  Posted 12:00 AM

11月7日 仏滅(丁亥)

私はいつも
明解に喧嘩をいとわない。
なぜなら、
自分の生き様に不要さは
人間関係でも
断絶を怖れないなからだ。

理由も極めて明解で明確だ。
なぜなら、
それが出来ない発想など
明解さも明確さも無いからだ。

川崎和男の発想表現手法


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『「KK塾」の対談と質問はイニシャルで方向決定』


   


     11月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾」スタートは米国から、すでに大阪大学招聘教授である
濱口秀司氏の講演と私との対談、観客からの質問により、
予定時間を大幅に超える熱気の中で行われました。
講演内容は、林信行氏が、
会場から同時間のままSNSアップをしていただきました。
この実況があったためか次回参加者の申し込みが殺到しました。
したがって、ここでは私が彼との対談や観客への回答を
記述しておきたいと思います。
私からの対談テーマというか質問は、
IoTの今後、特に人工知能の可能性でした。
私は彼のプレゼンテーション映像や彼が認知している、
特に彼は「Bias的手法での成功例」や、
阪大親友・石黒教授との合作である2体のロボット会話、
その会話に、人間が加わるだけで、
2体ロボットには、全く人工知能化はいらないことを説明。
そこで、私の持論となりつつある「人工知能無理説」、
つまり、DNAと神経がロボットに実装されない限り無理を
人工心臓デザインの実際や、エボラ出欠熱がRNA破壊など
そうした実例での人工知能の無理説、無謀論を述べました。
人間細胞を決定している遺伝子=DNAはすでに解釈されていますが、
DNAを制御しているRNAを破壊するエボラ出血熱は
ほとんど医療治療は不可能です。
これは100億人を地球環境がとても支えられないことへの
自然淘汰なのかもしれません。
濱口氏の回答は明解でした。
ともかく仕事としての問題があれば最適解を必ず出しますという姿勢。
これこそ、私がデザインを学術性と芸術性を統合出来る能力者、
こうした次世代を大阪大学大学院の私の講座、
「コンシリエンスデザイン」で育成したいテクノロジストです。
そのお手本がまさに濱口秀司氏でした。
観客からの質問は二つに集約できました。
濱口氏は「ともかく練習・訓練が必須」でありその方法論紹介でした。
そして、私にも向けられた質問は、
自分の提案が拒否された場合は?でした。
これは私がデザイナーとしての40余年間の生き様でした。
私の提案が拒否されたなら、
「拒否する人物の社会的存在そのものを総否定する」ことです。
この意見には濱口氏も賛同をしていただきました。
理由は簡単です。
私はデザインからのイノベーション定義こそ必要と考えます。
イノベーションの提唱者であった
「社会階級論」著者・シュンペンターは、
革新ではなく、コンバイネーション(独)、
「新結合」でした。
これこそ、コンシリエンスであり、
これも18世紀の造語であり、対語であったレジリエンスを
現在の大学機構、特にデザイン系大学では
この教育が無いことです。
だからこそ、
私は「KK塾」でも一般的な認知論を開講したのです。
次回からこの講演レポートを配布します。

講演実況 by林信行氏*http://togetter.com/li/893475


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『外出すると・・・これだけはやらざるをえない!』


   


     11月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

なるべくもはや外出をしないでおきたい、
今ではすっかりと私はそのように思っています。
自宅に潜んでいるのが最高です。
外出するのなら、今は大きな条件をそろえています。
最も理想的なトランスポテーション装置が必要ですが、
現在の飛行機、ヘリコプター、鉄道、自動車もほとんどが最悪です。
これまでは自分デザインの車イスでしたが、
もはや体力的には、
米国製の軽量といっても20Kgの電動に乗っています。
しかしどうしても、今は月1度だけの講演は引き受けていますが、
そうなると、最も大変なことは私が車イスであることも含め、
移動のための衣類などが増えてしまいます。
これまで、どれだけの旅行用鞄を使ってきたでしょうか?
今はワイフがキャスターのバッグ一つは手持ちになります。
そして行き先向けホテルにそれも多いと2~3ホテルにバッグを送付。
どれだけ手荷物を減らすかが問題です。
ところが私は使わなくてもついつい趣味性のモノを鞄に隠し入れて、
見つかってしまい叱られます。
ただ今は、万一、天災・地震などを考えると、
最低の救急用品が必要になりますから、
この判断は相当に私には難しいことだと思っています。
国内の主要都市であれば、コンビニで万一はほとんど事足ります。
しかし、海外でも最初の訪問地では様子が不明であり、
特に車イス対応では問題がありますが、
それはむしろ国内の一流ホテルですら間違いが多いのです。
「お客様、私どもはユニバーサルデザインに基づいて・・・」
なんてことを発しようものなら、
(ユニバーサルデザインっていうのは自分が日本に持ち込んだ)と、
そんな顔つき=喧嘩態度になるらしく、ワイフは厳しい顔で私を制します。
最近は、ホテル予約が困難になりつつあります。
理由は、(嫌な)中国人観光客があの爆買いとかで来日多しです。
私は「なぜか」電動車イスで彼らにぶつかってしまうのです。
彼らのほとんどは謝罪しませんから、
「なぜか、それも激しく」私の電動車イスは暴走します。
このあたかも無意識なる暴走は仕方ありません。
決まって、マナー無しの中国人に私の電動車イスは暴れます。
先日は銀座で一人っきりで買い物をしました。
いつもワイフやスタッフがいるのですが、思いっきり行動しました。
ちょっとだけ暴れざるをえなくて、ホント困りましたが、
スワット仕様の手袋は凄いなって思いました。
何をしたかって?一応大学人であり障害者ですから、
そのモラルは遵守しました。


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