kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘生涯’


『眠ることを知るためのアプリを使いながら』


   


     8月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

人間が生きている、ということは、
真実、4つのことしか行動していないという持論があります。
   ● 働くこと
   ● 学ぶこと
   ● 遊ぶこと
   ● 休むこと=眠ること
したがって、それぞれ6時間あればいいはずです。
実際、人間は生涯その四分の一は眠っていることだと思っています。
この考え方になったのは、フリーランスになって、
ともかく「働くこと」だけで、決して4時間以上は眠らないとさえ、
自分を追い込んでいたことがあります。
きっちりと眠り、遊ぶように働き、学ぶように遊び、とかで、
現実、デザイナーの業務は学ぶように働く、働くように学ぶことでした。
最も、働くことが遊ぶこと、遊ぶように働くということが出来る、
そのようなデザイン対象があれば、デザイナー甲斐があると思っています。
年老えば、睡眠時間は短くなると言われますが、
なんとなく自分は6〜7時間は眠っていますし、休日なら、
一日ベッド上で眠っては起きを繰り返すものです。
さて、ここまでiPhoneでは、可能になって来ています。
歯磨きも歯ブラシとスマホの時代になっています。
正直、睡眠不十分というのは、このアプリでは、
自分でこれだけ眠るという時間設定をして、目覚めたときには、
このように視覚化されたアプリでなんとなく眠った経緯を見ているわけです。
自分にとってもう絶対に嫌なことは入院です。
入院するとは、人生では休むことと眠ることだけの時間になります。
遊ぶように休む、遊ぶように眠ることが出来ればいいのですが、
そういうことまでには、介護環境・看護環境・医療環境が患者さんに
与えなければ意味がありません。
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の目標と目的は、
遊ぶように休み、遊ぶように眠ることだと思っています。

* 「二歳児がiPhoneを直感で使いこなす!だから私たちの義務」 
* 『最も基本・バイタルデータの「体温」はデータ化してきた』
* 「# 立ち後れている日本のデンタルケア文化 #」
* 『権威が権力として誤った選別を告知へ、に反抗』
* 「 資本主義・社会主義その文脈には皆無の文化性」


目次を見る

『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


   


     6月 12th, 2016  Posted 12:00 AM

日本が壊れているから我々も壊れている、
このことを知らないままにしようとしているのでしょうか?
私たちは、3.11で思い知ったはずだったのですが、
報道されないと、どこかで忘れようとしているのです。
かつて若い頃に、自分はある企業に対して、
元同僚で同期の人物を口説いて、その企業のデザイン部門長にしました。
私がパリに飛び立つその日に、彼は突然亡くなってしまいました。
パリで私はあるデザイン賞の授賞最終候補になっていました。
しかし、その受賞式の華やかさの中で、完全に自分を失っていました。
帰国したら、すぐに空港から彼の実家に行かなければならない、
そんな気持ちで一杯でした。
そして、受賞出来なかったときの(悔しさがあふれました)感覚と
同様の気持ちに、3.11でも、今の熊本地震でも、包まれています。
「倒壊してしまった人たち」と「倒壊せずになんとか無事だった人たち」、
この対立があると、現地から情報が入りました。
「負けるな!・泣くな!・楽しもう!」、
このコピーは、現地では絶対に使えません、ということです。
この我々の勝手さになんとここまでも壊れてしまっていると知りました。
しかし、レジリエンスデザインチームに39大学が、
なんとか、まだまだ壊れそうなこの日本列島に、
レジリエンスデザインで最も困難なデザインでの問題解決を
熊本に向けたいと考えているのです。
それは、最も怖れていた自殺者を出してしまったことからも、
レジリエンスデザインの最も重大な使命を果たさなければなりません。
デザインだから可能なことに向かいたいと考えます。
デザインで「最悪な状態」は何としても解決するのです。
自殺防止はレジリエンスデザインの目標の最大使命です。
壊れない自分自身を全員が支え合わなければなりません。
壊れていく生涯ゆえ、この列島の花棌の国の鄙美人で生きることです。
そこで、せめて今このビジュアルデザインを差し出し、
死という平等な、幸不幸を生涯に取り入れ直すことです。
「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」を持ち合うことを提案します。

*『海抜4mの日本列島で大丈夫だろうか』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『山は崩れてはならない=つちのかたちデザインが要る』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


目次を見る

『もう絶対に逢えない、今日は母の命日』


   


     6月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

この日早朝、母は逝きました。
47年間のうち、21年間は私だけのための生涯だったと思います。
命日を迎える度に、自分が生きてきた目標をかみしめなおします。
しかし、3度は重篤状態になってきた経験からは、
いわゆるあの世で出逢うことは絶対に無いというのが最近の結論です。
どうして、自分があの母の下で育てられてきたのだろうかということは
哲学のまず基本的な命題だと思ってきました。
一浪をして、正直に医学部進学よりも美大に行きたいと言ったとき、
母は「医者になることは全く似合わないから辞めなさい」と言いました。
美大進学が決まれば当時流行になったVANのスーツを買ってくれましたが、
同時に、ブレスレットと指輪も母は私に買い与えてくれました。
厳格な父には絶対に叱られると思って拒否しましたが、
「美大に行くなら、これくらいは当然。そしてもっと男らしく」
ということでした。
「赤い血を見るより赤い絵の具の方が楽しいから」でした。
しかし、ちょうど父は警察の刑事部門の幹部となり、
毎朝、黒塗りの車で敬礼されて出勤をする立場になり、
母は癌を宣告されました。
ところが当時は、本人には言わずに父と懸命に癌治療を考えました。
父からも「和男、大学を辞められるか?」と聞かれました。
「全ての財産を使ってでも直したい」と父は言いました。
私は即座にOKをしました。
母の死後、遺言が出てきました。死の10日前に私宛のものでした。
「あなたは、もう福井に帰ってくることはないから、
世界で活躍できるデザイナーになりなさい」という遺言でした。
大学を出たら地元の短大で美術を教えると言ってきただけに
大きなショックを受け、やれるまでやろうと考えたのです。
美大を道楽学校としか私に言わなかった父に、
大学人になって、医学博士号を受けた報告をしました。
「貴方への借りはこれで返した」と。
父の葬式の夜に、
「結局、父はデザイナーになった私を許してくれなかった」と言いました。
父の友人は言いました。
「何を言っているんだ、酒を飲むと君の自慢しか言わなかった」。
それを聞いて、やっと父との別れに私は号泣しました。

*『母と死別して45年も過ぎてしまいました』
*『指編みを思い出しながら』
*『63歳まで生きました・母より年上です。』
*『大好きな色鉛筆・最近のお気に入り』
*『美大生1年のときに私の最初の社会的なデザイン』


目次を見る

『トリックスターになってやる。』


   


     5月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

メガネフレームのデザインに関わっておそらく30余年もやっています。
それはそれなりの自負はあります。
一方で、雑誌評論のレベルそのものは年々低下。
所詮は「流行・ファッション」で
デコラティブなモノもデザイン扱いされます。
これ実はワイフのコレクションで、
「メガネ」モチーフのアクセサリーです。
このアクセサリーに眼鏡をつるせます。
ところで最近は「モンスター老人」とかで、
老人はすぐにカッ〜となるとか。
そうです。私も明らかに「モンスター老人」ですが、
「モンスター老人を超える人物」が目標です。
そういえば、父は本当に穏やかでした。
若いときに「川崎さんは、あの人の息子さん?父上は本当に穏やかな人」、
なんて言われると(こいつ、怖がっているならもっとだ)と演技しました。
この演技力は磨きに磨きがかかってきたと思います。
自分が生涯をかけて取り組んできたことを破壊されるなら徹底的に、と
相当に「超モンスター化」、これをトリックスターと言いますが、
これに徹した生き方をしなければなりません。
実現しない研究が異次元空間である大学には蔓延しています。
それは私自身も大学でつぶさに見てきましたから、
実務性の無い「産学共創」などは
税金の無駄遣いであることがすぐ傍らです。
そしてデザインなど、
ましてデザイナーなどがどれほど軽く扱われたかを
すべて書いて告訴すべきことだと認識しています。
何の役にもたたないロボットや医療機器はすべて論文のなかで、
研究権威だけが「有識者」扱いされているにすぎません。
実務としてどれだけ多くを輸出品として不成立だったでしょうか。
この自負心でトリックスターとしての
「超モンスター化」をねらっています。
メガネフレームの競争相手は1社のデザイナーだけです。
不細工なメガネをしていると(嗤ってセンス無し)と思っています。

*『センスの有無?は、香りか臭いかだと思う』
*『四十暗がり・シニアグラスがこれでいいわけがない!』
*『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』
*『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
*『デザインというスタイリングの二種類』


目次を見る

『ディスクールはアンドロイドロボットで消滅させられた』


   


     1月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

昨年は「ロラン・バルトの生誕100年」でした。
ロラン・バルトは構造主義者として、ディスクール=言語表現、
つまり、書かれたことや言われたことの概念提唱者でした。
生誕100周年記念として、まさに、ディスクールのパターンを
スカーフにした表現はディスクールのデザインでした。
そのパターンの原書が「恋愛のディスクール・断章」そのままのモノ。
僕は読み直しましたが、生誕100年にして、
ディスクールでの抱擁は見事に破壊されていました。
それは、アンドロイドロボットの出現でした。
アンドロイドロボットは、「なぜ、人間は人間であるか」という
この難問解決のデザインだったからです。
単純なアンドロイドロボットとして「ハグビー」があります。
日本人は抱擁し合うことは照れ(若者には無くなりつつある)が残りますが、
フランス人からは、メールの最後にWarmest hugsと書いてきます。
結局、恋愛はすべての小説の最大テーマであったと言えます。
それこそ、日本最古の小説・源氏物語さえそうであったのです。
しかし、無論、恋愛には言葉・言語が本当は要らないように、
恋愛の言語化構造は
ハグすることで一遍に改めての意味が溶解し消滅します。
つまり人間にとって恋愛は一瞬の熱病=これは僕の私見ですが、
その熱病は感染して起こるのか、感染しているから熱病=恋愛でしょうか、
まさに生誕100年目に断章された結果は「ハグビー」というロボット、
つまり言語(ことば)では無くて形態(かたち)によって、
結論が明らかになってしまったことです。
これは言語の脆弱性を形態=ロボットが消滅させたことになります。
なぜか人間は抱擁されることで
コミュニケーションの新鮮度が増加されます。
人工物アンドロイド・ハグビーを抱き合うことが、
あの熱病=恋愛のごとくコミュニケーションを強めてしまうのです。
喋りまくる子供たちはハグビーを抱きしめれば、集中力を持ち、
アルツハイマーの老人の孤独感を消化してしまい、
断絶した者同士が、見知らぬ者同士が饒舌に会話しあうということです。
しかし、恋愛のディスクール・断章はロラン・バルトの生涯のテーマ、
その一部分に過ぎませんでした。
それはアンドロイドロボット・ハグビーに
「作者の死」をつきつけています。
ディスクールの作者が、彼の死に言説化を求めたように、
アンドロイドの創作者は、
どのようにその死と立ち向かうのでしょうか、ということ、
その指定出が起こってしまったということです。


目次を見る

『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


   


     1月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

美大を卒業すると教授命令で東芝に就職しました。
教授は他企業は認めず、(今ならパワハラ?、教え子には命令出来ず)
もし他企業ならば卒業させないとまで言われました。
しかし、東芝から始まったサラリーマンデザイナーは最高の日々でした。
サラリーマンではない、ビジネスマンになるならと、
トレーニングを上司達に教えられてきました。
僕を使いこなしていただいた上司達はすべて恩師達です。
にも関わらず、
僕は出張をすれば、ついついその地に泊まり過ぎたり、
遅刻は余りにも多いのでとうとう自由出勤が認められました。
けれども「四番バッター」と言われて入社したので、
ヒット商品は必ず出していたと思っています。
幸いにして、オーディオ分野専門であり「Aurex」のロゴも僕のデザイン。
「Aurex」での僕のデザインは今もオークションで手に入ります。
ほとんど所有しているので金沢21美術館の個展で紹介できました。
現在、東芝は企業として深刻な事態にありますが、
その理由は、顧問をしていたこともありほとんど解っています。
私のようだった東芝マンが当時は存在していたのです。
おそらくこのようなことは決して許されない時代になっているのでしょう。
入社して銀座で飲んでも、社員証でツケが効いた時代でした。
何と言っても僕のビジネスマン的やり方も
なんとなく認められた時代でした。
僕のひらめきは企業ルールをこっそりと変えてしまいましたが、
まあまあ叱られても決着してもらっていました。
電車で通勤すると、時には「電車事故」といってダイヤが変わります。
そうなると、タイムカードに「電故(電車事故)」というハンコを押します。
これをヒントに僕は「バ故(バス事故)」というハンコをモデル費で作成し、
自分だけのタイムカードに押していました。
多分半年目に労働組合にバレてしまい、大説教を受けました。
無論、デザイン部長(電器釜デザイン)にも叱られましたが
発想は認められた、そんな時代でした。
東芝は交通被災で辞職を余儀なくされましたが、つい4、5年前に、
オーディオ事業部OB・OGの「音友会」で挨拶をさせてもらいました。
東芝にはすでに教え子がデザイン部で活躍していますが、
かつて僕が天衣無縫なビジネスマン時代はすっかりと失われました。
入社した翌年「オイルショック」、退社して「バブル景気とその破綻」、
「失われた20年」という日本経済の転落とともに在った時代に、
僕の生涯が乗ってきましたが、
「バ故」というハンコが認められた大らかな日本の時代こそ、
日本が元気いっぱいの歴史を創り上げていたのだと思います。
「天衣無縫」な時代を失うことは、
時代と社会が歪むのだと思わざるをえません。


目次を見る

『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』


   


     1月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

我ながら、どこまでApple製品に囚われているのでしょうか。
そう想いつつも確かなPCもPadも進歩はしていません。
そして、ベルトが二重巻きのApple Watchに至っては、
時計もそれなりに気ままに使ってきた私でさえその未来は見えていません。
それにも関わらず、絶対に二重巻きの時計は手に入らないとなると、
元来、一人っ子だった僕の物欲が呼び寄せてしまうのです。
もはや時計、クロック、Padにしろウォッチにしろ
稼働部品は極めて低額です。
実際、生産原価はどのブランドにしてもほとんど知り尽くしています。
Apple Watchも、稼働ユニット部品は定額コストであり、
筐体やベルトでのほとんどそれこそ付加価値での競合にすぎません。
Padのスタイラスペンにおいても同様です。
僕はプロのデザイナーですから、結局、モノとブランドの価値で、
所有価値と使用価値を価値判断にしてしまっています。
このApple Watchは皮革ブランド独自の価値を借用して、
時計の価値を高めているだけにすぎません。
最も、僕は銀座のApple Storeで現物を見、その説明を受けました。
結果、この店員さんからは絶対に購入しないと決めました。
そして、ブランドショップで改めて質問をした結果、
商品知識ははるかに勝っていましたし、
ほとんどいつ注文しても困難でしたが
結局、すぐに私の所に来てしまいました。
それこそ、Padのスタイラスにしても、
僕がそれなりに認めているブランドと
新興ブランドは、一方はレンダリングスケッチ用であり、
もう一方はすでに書道用に落ち着いています。
商品価値がブランドに左右される時代にあって、
デザインがデコレーション価値になってしまうことはやむを得ないですが、
やはり、僕はデザイン=問題解決・価値創造・未来創成ですから、
ともかく、現代性でデザインのこの三つを満たしているモノの世界観に
僕自身は取り囲まれていたいと思うのです。
デザイン=問題解決・価値創造・未来創成の結論は、
「美」に集中と集約される焦点でなければなりません。
それは、僕自身が「真善美」三つはとても自分には立ち向かえないけれど、
「美」って決して分からないかもしれないけれど、
「美しいモノ」に取り囲まれるコト=環境に
ありたいと思ってきたからです。
物欲も年齢とともに消えていく、
そんな気配が忍び寄っているのも事実ですが、
あくまでも、自然は自然なりに美があっても、
自然も人間も裏切りがありますから、
デザインされた「美」には自分を浸すことができます。
自分の生涯において物欲からの「美」は求めるつもりです。


目次を見る

『まず、ニュートン的力学の隠喩としてのデザイン』


   


     12月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

学術と芸術が分離あるいは分担されてきた教育、
このわが国の教育システム・制度の歴史はとても長いと思います。
幸いにして、私は学術と芸術、それも芸術に派生してきたデザインを学び
プロのデザイナーになることが出来ました。
人はいずれ長じれば自分の職能的な経験値を伝える使命と義務があります。
このことは、すでに大学の恩師達には分かっていたのかも知れません。
私が想像もしていなかった交通被災で車イス生活を余儀なくされた時、
恩師たちからは、大学に戻れと言われ、その大学を辞した時には、
別の大学で、教育系では情報デザインとデザインを、建築系でもデザイン、
こうした教育側の訓練を受けていたのでしょう。
私が大学人を選んだ時には、「やっとその気になったか」と納得を受け、
大学人とデザイナーとして今日を迎えています。
そして、芸術と学術、文系と理系の融合化統合化によって、
私は「コンシリエンスデザイン」と「レジリエンスデザイン」を知り、
デザインを看医工学に焦点化した時には、
学域のデザインは人間の社会と時代、生涯に向かいました。
結果、健康と福祉は「命」=生きることを支えることを明確にしました。
これは私が芸術=美術大学時代の教授達が今なお私に、
プロとしてのデザイナー、その経験に基づく新たなデザイン、
その手法を発見させて、次世代への教育目標を創らせたのでしょう。
私は素直にニュートン的なベクトルの合力によって、
作用点に人間の思考・知識を置いて、その合力が人間に向かえば、
明らかに、健康と福祉が命を支えていること、
この支援力には、
レジリエンスという、例えば自然や社会からの
抑圧に抵抗する力をレジリエンスデザインとし、
レジリエンスデザインを充分に知り尽くしているからこそ、
コンシリエンスデザインが人間の支援力になるということを
明確に確認させてくれているのです。
学力・デザイン力を「コンシリエンスデザイン」とし、
まして私は、身体障害者であり心臓障害者ゆえに
「命」とデザインの関係を相反させて伝えていく使命と義務があるのです。
そして、すでに、このニュートン的な力、合力だけではなくて、
量子力学的な相互作用的、重力的、電磁力的な隠喩としての
新たな「コンシリエンスデザイン」を定義して、
次世代デザインを提唱していくことになるでしょう。


目次を見る

『新作007・ボンドカーでも確認できた曲線美』


   


     12月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

フランスのパリでは「非常事態宣言」を受けました。
が、「007・SPECTRE」試写会を観るために帰国。
これは外車ディーラーの主催で、
しかも新たなボンドカーが展示されました。
「007」映画シリーズは、おそらく私の生涯において、
何度も何度も見直し、しかも、シリーズのDVDまでいつでも観られる、
そんな状態にするほど大好きな映画です。
おそらく、スパイ、未来的ガジェットの武器や装備、ファッションです。
そしてなんといっても趣向を凝らしたボンドカーは、
とりわけ、工業デザイナーにとっては、たまらない魅力があります。
パリから大阪の試写会場映画館、そのデパートには、
ボンドカーが展示してあり、なんとも多くの人が写真を撮っていました。
だから、それほど近接して観ることができませんでした。
ところが、ディーラーのショップに呼び出されて行きました。
決してそういう場所には出かけないタイプの私ですが、
「じっくり、ボンドカー観られますよ」ということで、
出かけて、本当に触って全てを観て確認することができました。
007、ファッション、ボンドカー、未来的なガジェット様々は
男の夢の塊だと思っています。
正直、実は、試写会は時差ぼけもあったのか、途中で眠ってしまいました。
でも、どうせ何度でも観るからいいのですが、
今回初めてこの新作ボンドカーを専門家として、触って確認しました。
何と言っても風圧と車体曲線美の関係は側面から後部にかけての触感で、
「ああ、なるほど!」と納得することができました。
そして、SPECTRE用のこの車体デザインに活かされている曲面、
ハイライトラインから、この車種メーカーの拘りの確信を知りました。
この車体ラインを知ってから、それこそ、鉄道から車両全てで、
決して考慮されていない曲面カーブの極地を知った気がしています。
人生最期の車種はこのカーブで包まれているべきだと思いました。
私は、家具であれ、スーツであれ、靴であれ、掌中に感じ取る触感こそ、
造形美に取って不可欠と感じているだけに、この曲面カーブという性能こそ
求めきってようやく車体の機能美が、街の景観に溶け込むのだと思います。
ボンドカーによって進化してきた車のハイライトラインは
工業製品の技術表現だと思っています。


目次を見る

『10年ぶりに書庫奥で見つけ出した日本語辞典』


   


     9月 8th, 2015  Posted 12:00 AM

自宅の地下に倉庫=書庫と駐車場があります。
正直、大阪に来てこの10年、書庫に赤坂・福井・名古屋と、
ずーっと持っていた辞典シリーズがありました。
しかし、どれだけ探しても見つからず、
この「ことば」の意味を徹底的に調べたいという時は、
この辞書には解説が必ずあるはずと思ってきました。
先日、ワイフとスタッフが書庫の最奥部に行き、
このシリーズ全巻がそろってあるのを見つけました。
本当は、自宅には書籍を最初は一冊も置かないことに決めていました。
そして、もう購買することも辞めようとぐらい思い、
相当に名古屋時代に処分してきましたが、
書籍は毎月増え続けています。
なんとか電子書籍にすべくと思っていますが、なんとも書籍のページ感覚は
私には捨てがたくて、PAD内よりも本そのものに戻ってしまいます。
そこで、おそらく日本語辞典となれば、広辞苑・大辞林・
そして明解国語辞典ですが、
これらはすでに電子書籍で十分、けれどもこのシリーズは、
日常の傍らに置いておきたくて、
地下から持ち上げて自宅に配置することにしました。
自宅には書籍があっても読み終われば地下書庫行きルールを辞めました。
当然にワイフの反対がありましたが、
スタッフを巻き込んでこれは自宅にあるべきを主張しました。
私がこれまでも「ことば」に拘ってきたのは、
デザインは「かたち」を追求しますが、
建築界ほど「ことば」はありませんでした。
そのことが若いときから、
「ことばとかたちの相対論」が生涯のテーマでした。
それから数冊の本を書き出版もしました。連載記事が本になりました。
私は日本語のことばひとつひとつの原意が気になって仕方ありません。
漢字はなんと言っても同郷の白川静氏、
そして相反していた藤堂明保氏を確かめます。
さらに奥深い意味性ではこの辞典シリーズに向かわなければなりません。
この10年、どれほど書庫を探したかわかりませんが、
書庫の最も奥にこれが収納されていたのです。
今、影干しをして自宅のシェルフを決めてこれを置いておくつもりです。
一冊毎に開けてみれば、なんとも辞書の香りがしてきます。
この匂い好きです。


目次を見る