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『資本主義からの逃走』
  「日本の国際的立場、その再編にはNoblesse Oblige」


   


     1月 4th, 2010  Posted 8:00 AM

Noblesse Oblige

昨年は米国と韓国で、DESIGN made in Japanを
アピールとプロパガンダしました。
また香港投資銀行のあるファミリー企業から依頼されて、
Clinton Global Initiativeのプロジェクトに加わりました。
そして、グッドデザイン審議委員会にて2年間、
「日本のデザインをGマーク制度を運用しての国際化」、
その議論を相当にしました。
その視座から見えていたのは、
あらゆる「モノづくり」ほとんどすべての業態や産業が、
世界から注目されてはいないという現実でした。
大学では、「関西海洋教育アライアンス」を担当しました。
Ship of the Yearの審査委員にも推挙されました。
そこでも、日本の海事・港湾・造船領域が、
世界的立場を危うくしていることでした。
こうしたすべての現実に、産業界・経済界がともかく
国際化不能にしているものの正体を見たことでした。
それこそ、「日本の資本主義構造」を、
制度化と慣習化と革新化を怠ってきた問題が余りに多い、
ということでした。
この惰性的で怠惰性はデザイン界も同様でした。
昨年のGマーク賞の審査でもこの怠惰性が露見しました。
私は、デザイナーの美学は、
デザイナーの見識と良識だと思っています。
それはデザイナーという職能だけではありません。
まず、「自分の役割」とか「自分の責務」が前提です。
とても現代では死語扱いになっている「献身性」です。
たとえば、グッドデザインの審査委員は、
少なからず、建築・グラフィック・プロダクトなど
デザイナーとしては選ばれたある種のエリートです。
こうした人達に、まず求められるのは、Noblesse Obligeです。
それを尽くしてはじめて、
「わがデザイン」であるべきだと思います。
そんなことも欠落した者を
私は今後決して「デザイナー」とは呼ばないでしょう。
高校時代だったななら、
きっと、必ず、「殴っていたでしょう」。
そんな輩が、デザイン界だけではなく、
本当に、この日本中に増えました。
「この企業は、もう駄目だよ」って、スタッフに伝えると、
必ず、そんな企業は「倒産」=会社更生法適用となります。

Principle

日本は、まず「日本人であるPrinciple」あってこそ、
新たな「日本的な資本主義」、
それはきっと、「これまでの資本主義」を廃棄する勇気であり、
あらたなNoblesse Obligeだと考えています。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義、自らが生み出したキーワード」


   


     12月 16th, 2009  Posted 9:44 AM

Service産業は第三次産業と呼ばれています。
第三次産業の「形式」と「内容」は、
次のようなキーワードで大きな変容をしています。
現代のキーワードは次の九つが思い浮かびます。
aaa

です。

これらへ「資本主義」がどう影響・支配・制御したかと
いうことが、「現代問題」だと考えることができます。
それは、わが国の大学教育での学部の、
こうした言葉を、冠「学部・学科・講座」名が、
見事に増加していることに「現代問題」が重なっています。
正直、こうした言葉を「冠」としている「分科学教育」を
私はまったく信頼していません。
ある調査では、たとえば、「人間学部」などという学部に、
進学する学生の偏差値は大学学生になるべき資質は無い、
という調査さえあります。
高校での偏差値が、55以下は「大学進学」などは、
しない方が本来は、人生として「幸せ」なのです。
こうした価値観の「社会的評価」制度が必要です。
実際的には60が最低でも必要だというのが、
私が大学教授としての「判断」です。
● 私は、偏差値が若者の「評価基準」と言っているのでは、
決してありません。
●「資本主義」その「サービス産業化」しない大学には、
学部で「学ぶ」べき、真の倫理性と道徳性のある資質です。

なぜなら、
こうしたキーワードを生み出したモンスターとしての
特に経済的資本主義と政治的資本主義支配と制御下での
「次世代の存在性」を問い直したいからです。
つまり、
「資本主義自らが、生産と消費を破壊したこと」が、
こうしたキーワードを下意識主義としていけるだろうか、
ということに、「デザイン」・「かたち」で
応答・回答・解答したいからです。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義、逃走した後の文明と文化の対象」


   


     12月 2nd, 2009  Posted 9:00 AM

「資本論」にもどれば、それは文明論にすぎません。
やはりその著作当時の想像力の限界を知ってしまいます。
残念ですが、「文化論」としては、読めません。
まず文明は、「飢えと寒さ」への産業の進化だと思います。
「飢え」は、食べることが叶わない人間の欲求です。
「寒さ」は、体が冷えるから寒いことには耐えきれません。
だから、
食べるための「器」が必要になります。
寒さをしのぐために「機」織りで衣服が必要になります。
「機」と「器」なのです。

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まさに現代の「機器」を生産していく産業ということです。
「資本論」では、衣服に関するたとえ話があります。
無論、人間にとっての「衣・食・住」は、
文明の基本でした。

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私は、文明からさらに資本主義が成し遂げたことは、
文化」だったと思います。
それこそ、
衣はファッションとなり、
食がグルメとなり、
住はヴィラとなるほどの
豊かさを資本主義下の一部は掌中にしました。

私は、
「衣・食・住」に対して、「医・職・趣」が、
さらに、文明と文化によって、
これからの人間社会、人生、生きがい、働きがいに
不可欠だと言い続けてきました。
最近、「衣・食・住」に対して、「医・職・趣」を

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自分が、あたかもオリジナルということを
論文にまでしている人を散見します。
しかし、そうした人には「医・職・趣」の解釈がまるで
間違っているのです。
その最大の理由は、
「医・職・趣」の

  ●「医」は、健康だけではありません。
  ●「職」は、職能だけではありません。
  ●「趣」は、趣味だけではありません。
 
実は、「資本主義から逃走した後の文明と文化」論は、
生産」や「産業」では語り切れないのです。
明確に、「モノづくり」での文明文化論が必要なのです。
つまり、「資本主義から逃走」という問題解決に、
デザイン=Solutionの対象に、
「衣・食・住」と「医・職・趣」のマトリックス化を
策略化=designする能力が必要なのです。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義から離脱してきたデザイン」


   


     11月 26th, 2009  Posted 8:00 AM

私は金沢美術工芸大学の出身です。
「産業美術学科・工業デザイン専攻」でした。
明らかに、
産業=資本主義への献身性への教育です。
「インダストリアリズム」=工業下意識主義を
下敷きに「デザイン」を学びました。
しかし、決して、
産業美術的な教育を受けたわけではありませんでした。
それが、大きな財産となっています。
常に、「トレーニング=身体性でのデザイン技術」の
習得と「理想主義としてのデザイン美」でした。
いわゆる実技は、「平野門下生」として、
徹底的に「身体化」されてきました。

●デザインストローク
●スタイライゼーション
●フィッシュボーンプランニング
●ジョイントワーク
●ファスニングシステム
●レタリング

自作モデリング、がほとんど「平野門下生」が、
基礎・基本としてマスターさせられました。
したがって、
本当に「造形デザインが出来るデザイナー」は、
こうしたトレーニングを身体化できた連中だけです。
日本の少なからず、産業デザインで、
「商品デザインの造形」は、このトレーニングを
受けた者だけ、というのが私の持論です。
しかし、
インダストリアリズムの終焉とともに、
「デザイン職能」は、時代的に大きく変貌しています。
私は、産業デザインとは、
「欲望の刺激装置」と言ってきました。
つまり、「欲しくさせる装置を仕組むデザイン」です。

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「インダストリアリズムの終焉」という副題で、
私は「プラトンのオルゴール」という著作と、
展覧会をしました。
1994年のことです。

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1994年・ギャラリー「間」での「プラトンのオルゴール」個展

2006年、この個展でのインスタレーションは、
「作品」・「スケッチ」・「展示計画」が、
金沢21世紀美術館に永久収蔵されました。

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2006年の永久収蔵から2008年一時常設展

1996年、名古屋市立大学芸術工学部が新設。
この芸術工学部では、
「産業」を「健康」の基盤にする「デザイン」でした。
89年・ベルリンの壁崩壊。
91年・ソビエト崩壊。
こうした時代変遷の予測は、
私はすでに、美大で「産業美術学科」でありながら、
柳宗理先生、平野拓夫先生
平野先生は最初の国費デザイン留学生であり、
Gマーク制度創設者の一人によって、
「身体的に」たたき込まれていたと考えます。


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11月11日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     11月 11th, 2009  Posted 12:00 PM

11月11日 先負(庚申)

経済活動のための
欲望の刺激装置としてのデザインの
時代は終わった。
そのことを、
プロであるデザイナーがまず
誘導し主導しなければならない。
もし、
経済や産業に
デザインが与するとするなら、
それは、わが国が
貿易立国として存続していく
戦略や戦術としての
デザインである。

『デザインの極道論』むなしい


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