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Posts Tagged ‘病院’


「『ヘルメスの杖』というシンボルの現代的意味」


   


     6月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

日本では、緊急・救急のマークは「赤十字」です。
私には苦い経験があります。
高校時代の級友がドクターとなって、病院を建てました。
その建築設計施工をアドバイスし、病院マークなども作りました。
そのときに、赤色で部分的に「赤十字」が入っていたら、
地元の赤十字病院からクレームが入りました。
初めて知りました。「赤十字マーク」は日本赤十字社の商標です。
よって、×印が赤十字形になっていても、
「意匠権侵害」になるのです。
したがってわが国では日赤系認定以外ではこのマークは使えません。
「赤十字マーク」は国際的な標準マークですが、日本ではすべて、
日本赤十字社のみが使用権と認定機関だけ使用可能です。
救急車でも赤十字マークをつけている車両は日本赤十字社関連だけです。
この赤十字に対して、さらに世界的なシンボルとなりうるのが、
「ヘルメスの杖」と呼ばれているシンボルです。
外国の救急車などや大学や、治安機関では、
このシンボルの持っている意味は古代歴史的にも国際的です。
語源的にはギリシア語「Kerykeion」=伝令官の原義があります。
蛇が纏わり付き、天使の羽や男根的なイメージは、
シンボルとしての意味を伝統として継承されてきました。
それはメルクリウスの持ち物としての杖であり、美の女神・豊穣や、
平和・休戦から勤勉や雄弁など、
天体的には水星の天使といわれるラファエロから、
治癒力・道徳的な正当性・善行など、
人間の倫理的な自覚力までを表しています。
赤十字はまさに、救命を意図したシンボルですが、
商標権に縛られているからには、
この「ヘルメスの杖」は、倫理性や正義感、治癒力、治安性まで、
古代的なイコン性からも十分にシンボル化可能で有り、
このシンボルをマークとして使用することで、
国際的な伝統的象徴性まで意図できるものと考えています。
「ヘルメスの杖」が象徴的な機能を表現するものとして、
これを展開したシンボルマークの展開を、
デザイン賞創設の視覚アイデンティフィケーションへと考えています。


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「鉄アレイ・トレーニング」


   


     5月 8th, 2012  Posted 12:34 AM

車椅子生活を宣告された次の日、
私の両腕にはそれぞれ1Kgの砂袋が着けられました。
「何、コレ?」
「もう、トレーニングを始めるんです」、と
ヘルパーのおばさんから告げられました。
しかし、手首を上げる程度でまったく運動不可能でした。
リハビリの病院に転院してからは、
毎日2Kgから始めて半年後には15Kgで7種の両腕運動を
それぞれ150回づつやれるようになりました。
そうして、ようやく車椅子に自分で乗り動き回れるのです。
したがって、私なりの運動はこの経験から、
両腕7種の運動パターンを150回づつ、ということで、
肉体改造ができると思っています。
最近、メタボかもしれないと思って、
このトレーニングをやるようになりました。
とても昔のようにはやれませんが、
たまたまプレゼントされたモダンデザインの鉄アレイで、
ともかく、両腕7種のトレーニングをしています。
本当はこれにエキスパンドトレーニングの組み合わせが最適。
しかし、心臓に負担がかかりすぎるということで、
鉄アレイだけにしています。
2Kgと1Kgで二つで3Kgですが、
かなり負荷がかかっているようです。
分かっているのは、
ともかく2週間で一つの成果が体にも現れるはずです。
腕を上げるときには、鼻から息を吸い込み、
下げるときには、口から息を吐きます。
リハビリを今またあらためて修練しています。

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「仏・アルビの街のデモ騒動を思い出す」


   


     1月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

失業率4.5%と聞くと思い出すことがあります。
1998年、「フランスにおける『日本年』」で、
私は公務講演として「経済と文化・デザインの役割」で
トゥールーズに行かされました。
パリからすぐにトゥールーズに飛び、連日強行な視察の連続、
スタッフがこの強行さに文句をかなり言ってくれました。
しかし、私はアルビという街で倒れて入院しましたが、
アルビのロートレック美術館・知事公舎(中世の城)・
国立鉱山大学を観ました。
ロートレック美術館では、私がデザイナーということで、
ロートレックのシルクスクリーン原版も
収蔵庫から出して触ることまでできました。
知事公舎では「デザイン貢献賞」をいただきました。
ところがパーティー晩餐会も終わり頃に、
知事公舎はデモ隊に取り囲まれて大変な騒動になりました。
屈強なガードマン二人が城の地下道を車椅子の私を運んでくれました。
そして地上に出るとなんとそこは朝市の市場に通じていました。
なるほどこれはすごい、ちょっとした冒険気分を味わいましたが、
その夜、連日の疲れで救急搬送され入院しました。
フランスの病院は看護婦さんが美人で毎朝ハグされるのですが、
症状が治まったとき、彼女たちの体臭とフケ頭髪で愕然としました。
入院しつつも途中では医師団から猛反対でしたが、
なんとしてもトゥールーズでの講演が渡仏してきた公的義務、
出来ないなら、「日本人だから切腹するんだ」と言って出かけました。
そしてなんといっても、その市民デモの凄まじかったことです。
それは「失業率が4%」という事態に対しての猛烈な抗議活動でした。
すでに、日本の就業形態は大きく変貌してしまいました。
派遣社員の拡大と完全失業率が4.5%、生活保護手当がパート収入以上です。
日本の社会就職システムは崩壊しています。
それでも日本人は、抵抗も抗議もせずに大人しい限りです。
政治が「さらなる消費税アップ」を
政策化することはとても容易いことです。
なぜなら、政治家の積極性はこの方向を選択し施行しようというだけです。
それ以前に、少なからず、
議員定数の削減と行政改革と拉致問題があります。
しかも、沖縄問題はもとより
大震災復旧とエネルギー問題も抱え込んでいます。
私は4%でのフランスのローカルな街での
デモ騒動のすさまじさを思い出します。
そんなデモ隊の街なれど、病院は素晴らしく美しい環境で、
ここなら死んでもと思いました。しかも、病院の隣が大墓地でした。

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「健康は失い薬づけだが幸運なり」


   


     1月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

28歳交通被災で車椅子生活。
交通被災時に心臓も直撃されたために心臓障害。
これが私の宿命でした。
絶望だけはせずに、自分を諦観の中で生きてきました。
ところが、幸運だったのは大学人になってさらに、
名古屋市立大、大阪大でもそろぞれの附属病院で、
詳細に体調管理されていることです。
入退院、手術は幾たびも、しかも敗血症まで、
こんな重篤も乗りこえることができました。
これは幸運なことだと思っています。
だから、「幸不幸」はコインの裏表みたいなものです。
「幸不幸」から幸運や幸福をつかみとらなければなりません。
毎月病院で診察を受けます。
これは体調が良いときです。
体調が悪いと診察にも行けないのです。
敗血症から生還してきたとき、
病院の待合室で大勢の患者さんを見ていてこう思いました。
「病苦で自死を選ぶ」というきもちがつくづくわかりました。
毎月毎月、死ぬまで病院通いなんていうのは耐えられないし、
常時食前食後就寝前に服用しなければならない薬を見ると、
きもちはすこぶる落ち込みます。
ICDを入れる前に比べると、格段に薬の種別も激減しましたが、
それでも常に万一を考えると、薬づけの生活です。
だからこそ、「薬」の形態や色彩のデザインが不可欠です。
そして薬の形式をもデザインで変えてしまうべきと考えています。
なんとしても「ドライパウダー化」して経肺吸引が目標です。
現在は、ワクチンをミスト吸引するシステム開発が進行しています。
機能食品という名の「健康維持のサプリメント」ブームです。
しかし、サプリメントととの最適性などは、
もっと確実にしていく必要があると考えています。
いづれ、私の常備薬がドライパウダーになってくれたらと思っています。
自分のための造形された、デザインされた薬が必要です。
デザイナーとして、
こんなことに気づかせてくれたのは「幸運」だったと思ってきました。

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10月9日Staff Blog


   


     10月 9th, 2011  Posted 2:11 PM

10月9日

BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
ただ今、病院にてメンテナンス中。
ベッド卓上セットはこんな感じで、
規則正しい生活サイクル満喫です。


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『資本主義からの逃走』
「病院という悲しみの日本語に『もてなし』という意味は無い」


   


     6月 5th, 2010  Posted 12:46 AM

重篤
重篤という言葉があります。
私は3度、重篤状態を通過しました。
周囲が、ドクターたちから重篤と告げられました。
周囲は充分にその状況を理解していましたが、
私自身が重篤状況だったということは全く知りません。
危篤と重篤、医学的には危篤という言い方ではなくて、
重篤の方が医学術語だとドクターたちに教わりました。
さて、私自身の肉体的問題は、きわめて日常的です。

デザイン医工学
そうしたことで、私は「デザイン+医学」領域に携わっています。
この領域を「デザイン医工学」と呼称づけています。
このデザイン医工学には、

反健康=健康では無い=病気・病
半健康=いわゆる一病息災という日常的な病を持っている
範健康=健康であるためにどれだけ体調管理・保健であるか

以上のようなことから、
それぞれに対する「デザイン」対象として健康を見詰めています。
そこで、「病院」という機関・組織・空間・サービス・制度を明確に定義するとき、
この日本語はやはり、歴史性としての意味が閉じ込められていると判断しています。
ずばり、「病院」とは「病を閉じ込めた空間」という意味です。

閉鎖空間
「院」という文字は、「完全な閉鎖空間」を意味しています。
大学院も完全な閉鎖空間です。
比して、学校も「校」は板塀で取り囲んだこれも閉鎖空間です。
ところが、幼稚園などや学園の「園」は、遊園地もあるように、
「開放空間」です。
こうしたことから考え直せば、
私は「病院」は「病園」、
いや「療養園」が正しいのではないだろうかと主張をしてきました。
病院や医療関係者の方々からは、
現代性と重ね合わせて多くの賛同を得てきました。
なぜなら、「病院=病の閉じ込められた館」、
閉鎖空間であってはいけないという発想が出てきたことです。
それは、「病院」=ホスピタルからホスピスという日本語は、
Hospital・Hospisという英語の原意からは、
「病院」=Hospitalでは無いということです。

もてなし空間
HotelやHospitalは「もてなし空間」を意味しています。
したがって、
病気療養は、医療従事者のもてなし=看護の十分さが問われているということです。
つまり、私たちは漢字観=古代中国の病院定義を引きずっています。
Hotel・Hospitalの意味には相当の距離観があるということです。
現代、すでに「病院」という言葉の変更は必至だと提案します。
病院とホテルは「もてなし空間」として同格ある必要があるわけです。
そうなれば、「ホスピス」は終末医療の「園」であって、
「病院」の延長線上にあるわけではないことは自明です。


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『資本主義からの逃走』
「日本語が曖昧になって現代認識の観念化を誤るかもしれない」


   


     5月 31st, 2010  Posted 7:17 PM

曖昧さ検証へ
私は次の言葉も、「情報」のように曖昧にしていると考えてきました。
福祉
機械
環境
人間
病院
医療
科学
しかもこうした言葉は、「現代」・「現代の問題」を抱え込んでいますから、
大学や行政でも、とても重要視される言葉です。
にもかかわらず、私は、こうした言葉が曖昧になってきたのは、
おそらく三つの理由があったのではないだろうかと推測しています。

■ まず、国際的に「英語」表記が拡大し、
 グローバル用語と日本語との対照訳語、その意味性に距離観がある。
 しかし、その検証を放任している。

■ すでに日本語として確立している言葉だけに、
 現代的意味性がどれほど付加しようと、
 こうした現代性を引き出してまで検証はしない。

■ 既知の意味性、その認識がすでに常識であるために、
 最も通用する、という大錯覚があるにもかかわらず、
 ラングでありパロールとして社会的、絶対的な信用語としている。

私は、すでに日本語として既知認識となっているこうした「言葉」こそ、
その意味性には慎重でなければならないと考えてきました。
特に、現代問題の核心となっている「言葉」は、まず概念よりも観念に直結しています。
したがって、デザインワークの前提には、
「コンセプトワーク」・「コンセプトメーキング」という段階があります。
あくまでも「コンセプト」ですが、
これは必ずしも「概念」で捉えるだけでは不十分です。
私は、「コンセプト」は日本語になっていると思います。
Conceptとコンセプトには距離観があります。だから「概念」より「観念」です。
コンセプトには「概念+観念+問題意識」が不可欠だと考えます。

「環境」という言葉を事例に
たとえば、『環境』という現代、最重要な言葉においても、
「環境=Envilonment」というわけにはいきません。
それは「環境」という言葉には、
日本語になるまで中国からの連綿とした歴史があります。
なぜなら、東洋では「元史・余闕伝」から周囲論という意味、この言葉から始まります。
そして西洋ではヒポクラテスの時代に、
「空気・水・土地」から生態論へ移行して意味の集約に入ります。
この二つの文脈から、「環境=Envilonment」この等式には無理があるようです。

曖昧さの利点と欠点
結局、現代問題の核心となる「日本語」、
そして国際的な英語の訳語としての隔たりと
漢字での表記意味の正確さを対照化するべきと考えます。
そこで、私はこれを「近さの概念」=トポロジー的概念として捉え直す、
その数学的手法も熟考方法になると確信してきました。
その具現化の応用も適用し、評価を受けてきました。
あらためて、日本語の曖昧さの利点と欠点に、
実は「観念」から「概念」
そしてコンセプト・Conceptの文脈があると結論化しています。


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『資本主義からの逃走』
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


   


     5月 31st, 2010  Posted 12:01 AM

私は、「情報」という日本語が、
次のような意味合いを統合しているとしたら、
すでに曖昧な言葉に成り果てていると思っています。

Information
報道・制度的な広報・私的あるいは公的事実性
Intelligence
秘匿事・隠匿事・企み事・戦略・策略
Knowledge
知識・経験事・生活の知恵・伝統伝承事
Consciousness
意識・見識・良識

私は「情報機器」という製品アイテムを対象として
デザイン成果も生み出してきたと自負しています。
それだけに、すでに新たな「情報機器」を概念と観念で再考しなければ、
次々と進化する機器設計そのものと、
人間との関係が成立しがたいのではないだろうかと考えるようになりました。
したがって、特に、デザインを職能とする人や、
情報工学、環境情報、情報制御、医療情報などすべてが、
「情報」の意味と意義がどこまで、
日本語ゆえに曖昧であるのかを検証するべきだと提言します。
企業情報戦略も国家情報戦略も、
これからのネットワークの進化に対して、
この日本語でいいのかどうか、
あるいは、日本文化が伝統としての「曖昧さ」が本質であるとするなら、
その曖昧さの再利用を創出する時期になっていることを提案したいと思います。
そうなると、「情報」だけではなく、
再考し新たな概念と観念の言葉そのものを探し出す必要があると考え提示します。

たとえば、次のような日本語が考えられます。
以下の言葉については、この20年ほどいつも熟考対象にしてきた言葉です。

福祉
機械
環境
人間
病院
医療
科学

などです。
そして、こうした言葉がもっとも多用され始めている大学、その学部名や学科名、
そのコンセプトやアジェンダやスキームなどに対する
大きな懸念性と疑念性を捨て去ることができないのです。
この懸念性は私に突然、襲いかかってきたある種の不安感でした。

「デザイン」提案の大前提
なぜなら、将来・未来は、「言葉」から始まります。
さらに、わが日本には、「大物主」「事代主」によって、
物質と情報は決定づけられた伝統の文脈があるからです。
決して、この論理は宗教論でも、神がかりな論法でもありません。
真摯に「未来づくり」へ文化への新しい文脈づくり、
すなわち「デザイン」提案の大前提なのです。


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『資本主義からの逃走』
 「* 東京の白っぽい桜、想像力と創造力が・・・ * 」


   


     3月 30th, 2010  Posted 1:20 AM


もうすぐ4月、上京してきてからの寒さが怖いと思います。
桜も戸惑っているような蕾や開花も、寒々しい感じです。
ふっと、社会人になって就職してきた時の桜の色を思い出しました。
北陸育ちで大学も金沢だった私には、
東京の桜がとても「白っぽかった」ことが重なりました。
気持ちはすこぶるもうデザイナー気分でした。
しかし、これから始まる社会人、そしてデザイナーになるぞ!、
そんな気分に、なんと桜が、
白い華に見えていたのはなぜだったのだろうかと思います。
もう40年も前の感覚に振り戻されました。
自宅には、教え子が贈ってくれた
盆栽の桜は見事に桜色で花開いていました。
その桜を見てから上京し、
早稲田大近辺や霞ヶ関近辺、そして六本木近辺の桜は、
あの上京した当時の「白っぽい桜色」です。
連日、大学人として、デザイナーとして、
ひたすら「何に自分を向かわせるべきか、懸命」です。
自分が正直に行動していることは自負できます。
白っぽい桜色
社会人としては、日吉から銀座に通勤していました。
東横線で、大きな施設が綱島にありました。
労災病院でした。
ラッシュアワーの車中から、その施設の周囲にも桜が咲いていました。
28歳、その施設の体育館から、
東横線を見つめる日々がありました。
「もう、二度と東横線には乗れないな、
なぜ自分はこの施設の体育館でリハビリをしなければならないのか?」
車椅子生活のためにリハビリ施設から見えた桜、
それもとても「白っぽい桜色」だったのかもしれない・・・。
あのリハビリ施設で、現在、大学人になっている自分など、
まったく想像もしていませんでした。
想像力がデザイナーの資源です。
その想像力に自分の未来など決して見えていませんでした。
その程度の想像力なのに、「想像力をなんとか創造力」として、
デザインを蓄積してきたものだと思います。
あらためて、また東芝のデザインセンターを訪ねます。
これまでもいくたびか、
フリーになっても行きました。
講演にも行きました。
しかし、今度の訪問は何かあらためて自分の想像力を
確かめに出かけるのです。
1972年同期入社、多分1600人ぐらい新入社員だったはずです。
今、その一人が社長として「原子力事業」を率いています。
私が育った東芝が、「未来を原子力」に向かわせています。
自分の想像力と創造力を再び重ねることになるのかもしれません。
まったく不明ゆえに、
私の想像力が「白っぽい桜色」なのかもしれません。


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『資本主義からの逃走』
 「システムとダイナミックス・対
          ・アソシエーションとフォーメーション」


   


     2月 10th, 2010  Posted 1:00 AM

SYSTEM
DYNAMICS

私はシステムとダイナミックスという言い方をします。
当然ながら「システムダイナミックス」という術語は、
特にシミュレーションという領域で生まれてきました。
しかし、私は、これはあくまでも机上の論理、
そんな考え方で理解せざるをえない部分が多くて、
むしろ、デザインでは、
デザイン+システムダイナミックスは、
私自身、理解し、さらに解釈をしても思考の引用だと
思ってきました。だから、例示的にも、
病院のシステムとダイナミックスと表現しました。
これは、資本主義社会そのもののシステムは、
きわめて簡単に、制度や慣習や規範で語れます。
しかし、ダイナミックスとなると、
これは「動因要素」や「流動性」が加わり、
ちょっと、まだまだ、
デザインに取り込むには困難という私自身の見解です。
そして明らかにもう一つこのような解釈用語があります。

Association
?Formation

それは、「アソシエーション」と「フォーメーション」。
おそらく、これまでの資本主義体制での集団性は、
アソシエーションというヒエラルキー世界でした。
ところが、
それこそ、サッカーやスポーツでの集団的行動の、
まさしくダイナミックスは「フォーメーション」です。
だから、私は、
資本主義社会での集団性は、
アソシエーション社会構造の変化や変革が進行し、
すでには、
フォーメーション社会構造へと移行しつつあり、
それこそ、すでに、システムの柔軟性には、
ダイナミックスという
新たな「動因性・4次元」の「体系化」づくりが
待ち受けていることを伝えたいと思います。
資本主義からの逃走は、
いやもう開放というべきでしょう。
まさしく、「フォーメーション」の
「ダイナミックス」化、
そのデザインだと確信しています。


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