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Posts Tagged ‘盟友’


『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』


   


     7月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



美大時代、デザイン系の本は数冊でしかありませんでした。
その数冊でも、
「この本は間違いだらけだ、燃やせ」ということも教授からの声。
だから、ほとんど建築系の本を読み漁っていました。
その時に、「デザインにはことばが無い」と思っていました。
だから自分は「かたちとことば」を積み重ねようと決心したのです。
大学人になって、建築系の論文も相当読みましたが、
正直、建築家の著作の方が面白いと同時にデザイン論としてもまともです。
大体、有名なる建築家の文章・文体は立派だと思っています。
最も美大時代は建築家から
特に美術評論のほとんど読解困難な文体に憧憬してきました。
最も読破し、大きな影響をデザイナーとして受けてきましたが、
最近は
「ことば、語彙、日本語漢字原意など」は劣ってきていると告白します。
盟友である内藤廣氏は、
オリンピックスタジアムで相当に批判を受けていました。
が、絶対に彼が誤った判断であろうが、絶対味方を自称してきました。
彼は東大退官後もますます多忙にもかかわらず
彼のことばは待たれている、
だから著作が一段と増えてきていて、自分は焦ります。
ただし「場のちから」についてはじっくりと話をしないと、と思っています。
なぜ「場」なのか?、「場」=ジョウ・じょうであること。
「場」はことばの「バ・ば」でもあり、
いのち=いの「ち」ゆえに、つち=土があり、とち=土地があり、
みち=道があり、さらにまち=町・街があるから、
ち+から=ち+空があるというこの思惟を
何としても伝えなくてならない、そんなきもち=気持ちです。
「場にちから」というかち=価値と読みここち=心地があるからでしょう。
こうした場と地、力と言葉を彼に伝えるつもりです。
彼には、スケッチ・写真・建築というかたちとことばがありました。
内藤廣は、やっぱりかたちとことばをしっかりと表現できる男でした。
自分はめんどうな男と彼に呼ばれていますが(笑)、
大好きな建築家。そして人物です。


* 「『ち』は知の草書体になった理由に神髄がある」
* *「かたち=か・かた・たち・かちという代謝性」*
* 「花綵の国のことばには「ち」、土地と価値がある」
* 『経緯が敬意に、形態言語から自分の造形言語化を』
* 「オフィスチェアの進化の座り心地」


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『経年変化無し素材開発と道具使用を次世代に』


   


     7月 6th, 2016  Posted 12:00 AM



「カッターナイフ」という日本人の発明は凄いと思っています。
一昨年に、このカッターナイフの刃先カットとそのストッカーユニットを
「日本文具大賞」で受賞させたことがあります。
最近、美大に入学してくる学生が、カッターナイフの意味を知らないと
そんな話を聞いていました。
これは私も経験したことがありますが、剪りを知らず、
木工でいきなりその刃をことごとく折られたことがあります。
もっと、大変な事態は半田ゴテを知らずに火傷が多くて、
旧帝大でも半田ゴテを使わせるために保険に入らせることもありました。
自分の研究室でも半田ゴテ使用を5000回練習ということもありました。
この傾向はますます強くなっているようです。
さて昨夜、盟友・光野有次氏が再計測しながら、特に「背もたれシート」を
彼の自作したナイフで大まかにカットしてくれました。
その風景を見詰めていたワイフが今度は、
彼のカットしたウレタンフォームを「カッターナイフ」で
もう一度、調整をしてカッティングし、再構成をしました。
このウレタンフォームが成しえてきたことはとても意義深いことでしたが、
この素材には経年変化が起こります。
私の作品でウレタンフォーム素材は海外の美術館では永久収蔵されません。
今、ようやく経年変化無し、硬さもコンピュータ制御可能で、
なおかつ人体内に設置してもOKの素材が出来ました。
これは3D-Printerで可能になってきた技術です。
これを3D-Printingと呼んでいますが、やがてこれまでの経年変化や
リサイクルに高コスト素材は無くなっていくでしょう。
HUSATやHCDでのとりわけデザイン医工学・デザイン看医工学の対象には、
新しい素材が適用されていくものと判断しています。
光野氏とワイフのおかげで、
変形してきた体型を矯正する車イスシートが幸運にも出来上がりました。
新しい素材での電動車イスデザインは、自分の役割になったようです。

*『3D-Printingの基本にもう一度戻るために』
*『日本戦略は二つある。3D-Printerと3D-Printing』
*『三つの革命・予測は当たっていた』
*『3Dプリンターブームは「軽薄な流行」にすぎない!』
*『なぜ、私がヘッドホンにこだわるのか』


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『HUSATとInternet of Medical Thingsのデザイン言語 』


   


     7月 5th, 2016  Posted 12:00 AM



美大時代からの盟友・光野有次氏はデザイン対象でも同志です。
彼の唱える「シーティングエンジニアリング」は、
人間工学を超えて、これこそわが国にやっと登場してきた
HUSAT= Human Sciences and Advanced Technologyの
主要なデザイン工学。
自分は車イス生活者として、
体型が変形してきたことを全て見せて、
彼からの大きな支援を受けられることはとても幸運です。
正直、学生時代から人間工学には不信感をもってきただけに、
今回は自分がモデルケースとなって、これを体系化していけるはずです。
人間工学の統計的な平均値からの設計論には大きな偏りがありました。
自分の経験では、まずヘッドホンのデザイン設計からその疑問があり、
メガネフレームのデザイン設計では
幸いにして眼球を解剖出来る立場だったため再確認出来ました。
車イス設計では自分なりのHUSATでデザインを実務実現しました。
しかも体型の変形・高齢化ですっかり自分がモデルになることが可能です。
彼自身も車イス設計から海外製販売会社の日本支店長経験もあり、
現在の特に電動タイプには大きな違和感を持っています。
ユニバーサルデザインを最初に国内に持ち込み、結局、
ユニバーサルデザインはHCD=Human Centered Designに変更しました。
これこそ、HUSAT+HCDをConsilience Designへと、
自分自身の車イスで実験して実務化できます。
まさに造形言語としての「シーティングエンジニアリング」は、
形態言語としてのHUSATされたデザイン内容と効果が生まれると考えます。
しかしながら、すでにデザイン工学としての人間工学は終焉していることを
強く訴求していかなければなりません。
IoTがInternet of Medical Things=IoMeTの骨幹に、
「シーティングエンジニアリング」が成立することは間違いないでしょう。

*『ユニバーサルデザインの原意』
*『座姿勢の複合制御性能とその機能化からのIoMeT』
*『「コンシリエンスデザイン」名詞格を接頭語にした新概念』
*『ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり』
*『ヘッドホン選別の私のポイント提案です』


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『KK塾最終回 松岡正剛氏からの新たな知の編集』


   


     3月 29th, 2016  Posted 12:00 AM



2015「KK塾」最終回は松岡正剛氏に講演を依頼しました。
1992年箱根でのマルチメディア会議に民間出身4名の一人でした。
その会議で基調講演ではムーアの法則のゴードン・ムーアが
3原則論を述べ、
これを聞いたのはその会議出席者では、私と彼だけでした。
箱根の強羅花壇で初めて挨拶をしてからの盟友です。
おそらく「隠坊」の話で人生を学んだ共通点があります。
「隠坊」とは、死者を火葬する時に夜通し火葬状態を見守る人であり、
死の世界へ人間を送り込む職業があったのです。
「隠坊」については書き残す必要があると思っています。
松岡正剛が「千夜千冊」はとうとう1604冊です。
これは書評ですが、これを読めばその本を読んだこと、
その疑似体験ができて、本格的に読むべきかと言う書評は
この日本にしかありませんから偉大な仕事です。
私もそれなりの読書家だと自負していましたが、
彼の読書しかも批評眼にはとても太刀打ちできません。
彼の書評している本のうち400冊ほどは読んでいる程度です。
全てを「編集工学」という名辞は、新しい言葉を生み、
新語を生み出してくれていますから、漢字と書の世界観があります。
これこそ、彼の言う「日本という方法」、
日本は国家であるより方法を定義しています。
「遊」という雑誌こそ、まさに文理融合統合、
私が言い始めているコンシリエンスデザインです。
それこそ、知的関心の方法を編集学化した「知の巨人」は松岡正剛でした。
「情報の歴史」と「アートジャパネスク」こそ、
すべての若者の教科書です。
彼が率いてきた「連塾」には私も講演をさせてもらっています。
その後、「日本という方法」は、あの3.11で終了しましたが、
なんとあの天災と人災は「3.11を読む」に編集されました。
それは原子力発電の問題が中核ですが、
その背景には蝦夷と沖縄の問題が
全知識人へのおおきな謎かけになっています。
彼を支援しているスタッフの役割分担力は
おそらく日本ではトップでしょう。
スタッフ一丸となった講演支援の見事さは圧倒されました。
3.11 で日本は、もう一度、国の立て直しを自然と今度は文明の
しかも最先端である原子力の虚像を晒け出してしまいました。
彼も指摘しているリスボンの大地震が欧州を少しは変えたぐらいだけに
3.11の自然と人工でのこれぞ革新の本質を松岡正剛の知こそ
その方法論=編集工学で一新される必要性を再度、
彼自身から語ってもらった気がしています。
当然、私のルーチンである講演開始のプロフィール映像の音楽は
Lady GaGaであり、
対談ではお互いが大好きなグレングールドの話で終わりました。
2016の私のミッションとして
「KK適塾」をこの秋から開講するつもりです。


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『「葉巻」にはダンディズムが確かに宿っている』


   


     11月 19th, 2014  Posted 12:00 AM



私は45歳で完全に禁煙をしました。そして、盟友たちには、
会えばすぐに執拗に禁煙を強調していましたが、
私自身60代になってからは禁煙をすすめることをすっかり止めました。
今なお、喫煙を絶対に止めない盟友たちは、日本の才能です。
私が禁煙したときには、喫煙の道具、パイプも捨ててしまいました。
今になって、喫煙が体に悪いというサイエンスの証明は、
とんでもないサイエンスだと言わざるをえません。
私自身、初老になったら、絶対に「葉巻」なんだと思っていました。
だから盟友たちに見習ってもう喫煙も構わないだろうと思っています。
おそらく、この話を書けば、ワイフはじめ叱られそうですが、
最近は「葉巻」のイロハを習っているくらいです。
葉巻は癌に無関係であって欲しいと思っていましたが、やはり喫煙。
サイエンスを恨まざるをえませんが、
葉巻の香りはアロマセラピーだと思っています。
そして、無論、人類が喫煙に目覚めてその文化は本当に豊でした。
しかし、禁煙はそれをすべて壊してしまいましたが、
もはや、葉巻とその葉巻周辺のモノの歴史はダンディズムです。
したがって、タイムレスプレッシャーという喫煙の一服は
人類が培ってきた確かな文化だと言わざるをえません。
それこそ、湿度を70%で自然物である葉巻の管理から、その周辺に、
私は心を惹かれていますし、それこそ、カーボン製のモノまでが
すでに出来上がっていたのをみると、これは喫煙ではないとさえ、
私は主張したくなりますが、まだまだ私には知識がありません。
先般も葉巻の専門店で話を聞いていて、その深さに圧倒されました。
そこで、もう唯一になってしまったジッポーのライターを、
部品一つ一つから、すべてをやり直しました。
先般も、盟友と食事をしたときに、たばこと葉巻をプレゼントして、
彼はびっくりしていましたが、
「もう、人生も最期だから」と言ったら、深く納得していました。
私は、絶対に人生の最期までに葉巻への知識は存分にします。



『きっとまた心配されると思うが・・・ダビドフの文化』


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『 ひとりの親方が逝った・・・ 』


   


     7月 14th, 2014  Posted 1:22 AM



昨夜は、このニュースに仰天し悲しくて泣きました。
今年に入ってこれで3人の盟友を失いました。
三人ともまだまだの年齢でしたから、ひたすら無念です。
タケフナイフビレッジを創立してきた第一世代・10人の一人です。
第二世代が20名になり「親方」と彼らは呼ばれるようになりました。
彼が癌ですでに手遅れだったという報告で、
私は、変わらずに「たかだか病になんか負けているのは駄目だ」、
「技術を継承させるにはまだまだだ、君の技術・技能を信頼してる」
これが彼に伝わったとき、親方の前で大泣きしたそうです。
「言われたら、病どころじゃないな」と言って、
毎日現場で第二世代を見まもってくれていたと聞き、
さぞかし、私はこの30年、彼らとの姿勢を変えませんでした。
そして、みんなが大阪大学の私の研究室にも来てくれて、
大学内のレストランで食事をし、彼とは冗談を言い合っていました。
(きっと、かなり辛いだろうに・・・)と思いながらも、
彼は私がいつもながら、そして第二世代にも厳しく接していました。
結局、3週間前に現場ではもう無理の体になってしまいました。
年齢は私の一つ上でしたが、
「病気と思うな、病だから、気はモノづくりに」と激励だけでした。
刃物職人ではなく「ナイフ作家」として見事に成長してくれました。
彼らしい、素晴らしいナイフを私に創ってくれました。
シースも自作するまでになってくれていましたから、
第二世代への私からのテーマ刃物を見せたかったと思います。
行きたくても行けないので、弔電と献花を送りました。
親方衆と身内だけで密葬の通夜を送り、葬式ですが、
北陸のみんなに「盛大に見送ってほしい」と伝えて、
彼には、「冥府の道、その先導役を」と役割を与えました。
盟友達が冥府の世界に逝ってしまっています。
私は無念さで、もう憚らずに泣いてしまいます。
合掌です。


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『建築家の主張を、反撃反論にすべきを望む』


   


     2月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM



久しぶりに建築家・内藤廣に会いました。
彼も松岡正剛の誕生会発起人の一人でした。
出逢い時に、「あの主張で友人を失ったよ」と言いました。
私はこのところ日本の建築界が、「新国立競技場建築コンペ」で、
大騒動をしているのを傍観していました。
建築コンペ最優秀選択への審査訂正論文は読み応えがありました。
その論文を今更というのは、これまでの建築コンペ審査反対では、
いくら提示しようが、ある意味は残っても、それだけです。
まして審査に関わった審査委員非難はほとんど無意味です。
案の上、盟友・内藤廣は正面からその反対運動そのものへ、
彼の主張を提示していました。
私は、あの建築家の提案を認めていますから、
彼が提示したことに大納得していました。
21世紀になってすぐに私はGマーク賞の審査委員長でした。
私は、「Gマーク審査委員」という表記が名刺にある人を、
「来年消去」を要求し、
消去無し友人を審査委員からことごとく外しました。
「川崎は友情と国家、どちらを選ぶのか」と罵倒されました。
即、「君への友情は無くなった」と告げました。
私は根っからが過激ですが、内藤廣はとても温厚な人間です。
その彼への敬意無き人は、元から友情など無いのです。
彼は、Gマークの審査委員長を引き継いでくれました。
彼も相当にGマーク賞の改善を試みてくれた人物です。
彼は最も「国家的な正当性」を語り切れる建築家であり、
私のデザイン活動を厳しく批評してくれます。
私は、いまなおこのコンペ非難で「署名運動」に関わる人は、
もう一度、わが国の制度となっている日本の建築コンペを
歴史的に検証し直してほしいと思います。
最優秀案となった彼女の「建築意味」を
これまでの彼女の作品で読み直してほしいと思います。
私は内藤廣の主張を「反論反撃」にすべきだと支援します!


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『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』


   


     1月 30th, 2014  Posted 12:00 AM



大体、男世界でのライバル心とジェラシー心について、
私にはとてもつまらないことです。
だから、私が相手にもしない男輩には、
ほとんどがジェラシーしかないものだと断言してきています。
大学空間、デザイナー空間も、つまらん輩のジェラシー一杯です。
久々にライバル心を確認することは幸運さだとさえ考えています。
そしてつまらん輩にはなるべく会いたくもありません。
先般、盟友・松岡正剛の「暴走古来稀」の集まりでは、
いつも少数ながら話し込む人物に出逢えます。
いとうせいこう、ワダエミ、真行寺君枝、井上鑑、そして内藤廣。
無論松岡正剛を支えるスタッフは長年変わらずの懸命な賢明さに、
いつも大きな敬意があります。
今回、田中泯そして石原淋と出逢いました。
田中泯、この舞踏家は久々に出逢った「男」でした。
そうしたら、「意身伝心」という対談著作が出てました。
早速注文して、会議中も読んでいました。
正直、松岡正剛と田中泯のやりとりに「嫉妬」しています。
まだ、読書途中ながら書き留めようと思いました。
なぜなら私と田中泯との出逢いと突発的な緊迫時がありました。
そうして、次にいつ逢えるかと私は思い続けていて、
そうだ、ともかくこの本ともう一冊、彼の本を読みます。
知ったこと、彼も私も警察官の息子でした。
父親が警官であることは、
ある種の生真面目な礼節で社会に向かう性癖は残るようです。
しかし、その環境が育成してくれたことの差異はあるでしょう。
ともかく、私がなぜ、田中泯にこれほどの親密感を覚え、
なぜ、松岡正剛との対談に嫉妬しているのか、
もはや、この男の嫉妬は無論ジェラシーごときではなく、
されどライバル心ではありません。
もう一度、今度は三人で逢ってみたいのです。
というより、田中泯と松岡正剛の間に割り込んでやるのです。


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「3D-Printing技術の正確な方向=日本戦略として」


   


     6月 30th, 2013  Posted 12:00 AM



7月6日に大阪大学にて、3D-Printingに関するイベントを開催。
すでに、日本でも量販店の店頭で3D-Printerの発売始まりました。
私は、確実にいづれ各家庭に3D-Printerが消費財になるでしょう。
しかし、3D-Printer(印刷機?)で「金型」が出来る?、
それは大きな誤りだと指摘しています。
「HANDAI 3D-Printing」を掲げました。
それは、ラピッドプロトタイピングから3D-Printing進化は、
まったく間違いはありません。
しかし、しっかりと未来を確実にするならば、
正確な予測が必要だと思っています。
家庭用と工業用では3D-Printerを包括することが間違いです。
一般にすでに発売されているアクセサリーも、
工業用から製造されたモノがほとんどです。
ところが、光造形から3D-Printing技術までの系譜があれば、
写真のアクセサリーが出来上がります。
おそらく、こうしたことが第一歩だと思っています。
写真中央の人物とは光造形が日本で開始された時から盟友です。
その彼から、私たち夫婦に、「ここまで、あれ?で可能」と、
渡されてしまい、もう、びっくりです。
確かに、米国でのこうした作品は一杯見てきましたが、
そっくりなようで、実は「本質技術が違う」こと明白です。
元来、光造形もわが国が発祥であったことからも、
私は「3D-Printing日本戦略~阪大から」のアイディア展開、
しかも、これを中小企業から地方産業での新たな素材開発。
こうしたことを開始し始めました。
ともかく、私が1980年代後半から取り組んできたことが、
さらに、3D-Printingへ向かいます。
そして、もっと問題は、
3D-Printingのその次はどんな進化になっていくのだろうです。
この回答から解答がなければ、
やがては、家庭用は家庭用、産業用とは大きな隔たりができます。
予知することはデザインではありません。
予測することはデザインを少し支えますが、
私は、デザインでの確実な進化を実現したいと生きてきました。


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