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Posts Tagged ‘目論見’


「3Dプリンターの素材と成型精度」


   


     4月 26th, 2013  Posted 12:00 AM



光造形システム、私は17年携わってきて、
最初は紫外線レーザーが半導体レーザーに変わりました。
そして、エポキシ系樹脂も、
最初の湿度管理と装置からとても簡便になりました。
素材も、特に医療系は光造形データはシリコン系でも、
ほとんど内臓器官同様の柔らかさで「手術前シュミレーション」にまで、
使えるようになりました。
そして、今、阪大ではデザインのモックアップと
医療関連のスキャナデータを再現するのに使っています。
最大の問題は「造形サポート」設計がデメリットでした。
ところが、3Dプリンターでは、
2000分の1まで回路造形では可能になってきました。
しかし、私は「素材問題」はまだまだ開発が望まれると考えています。
チタンとカーボンもありますが、
カーボンは粉末ではなくて、やはりテキスタイルとしての繊維状成型です。
とりあえず、画像表現されている素材毎の成型は可能になっています。
しかし、私はこの素材提案には新たな感性が必要だと思っています。
何が3Dプリンターの素材かというと、
これまでの素材開発メーカーでは無理がありそうです。
現在私が必要と考えている素材は●●●です。
これは提案されてから具体的な応用範囲が限られていたから無理でした。
しかし、私には目論見があります。
なんとか、素材メーカーに具体物を持ち込んで説得しなければなりません。
画像は海外で試行された素材ですが、
これらの欠点はすべてがソリッド=塊です。
これは光造形がソリッドで考えられた頃と、
同次元の発想が残存しているからです。
3Dプリンターはサポートが無いだけに、
2Dへの吹きつけそのものを変換すべきだと考えています。
ただ、大きな問題は、これからの成形物は、
なんらかの清潔感や耐菌性や耐放射能までが考慮されるべきです。
まずは、「素材、その射出形状のデザイン」が基礎になるべきでしょう。


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「時代はグリーンだが、私の緑をしっかり確認!」


   


     4月 19th, 2013  Posted 12:00 AM



色彩論は40余年前に美大で強力に仕込まれました。
しかし、本当に「色・色彩」を全身で感じられるようになったのは、
車倚子の身になり、ふるさと福井の自然・田畑・空の利休鼠色でした。
グリーンと言えば、まさに現代色であり、商売色になっていますから、
グリーンは、私にとって軽薄極まりない色彩です。
ところが、緑・碧・翠はまさに自然そのものと、
エメラルドや翡翠の冷感があります。
だから、
緑と金色の伝統的な日本の組み合わせはまったく身体化しています。
ふるさと福井でどれだけの緑で視力を鍛えたでしょう。
名古屋時代は、
自宅間近に隼人池周辺の四季の緑を眼底に焼き付けていました。
大阪では、大阪大学の吹田キャンパスは日本でも巨大であるばかりでなく、
様々な植物があり、その緑の季節変化は見逃すことができません。
この画像は阪大病院入り口の緑ですが、多様な緑があります。
この色覚えてほしい、とスタッフや学生に伝えることがあります。
私にとって、色彩は「色彩論」というデザインの基礎学問であるとともに、
私の眼前で、その色彩の詳細を常に気遣って見ている色です。
私の持ちものはブルー系ですが、
このブルーと緑は常に対比する一番の色かもしれません。
したがって、パソコンでの文章作成は、薄緑系に青色の文字です。
そういえば、パソコンメガネでブルー色反応が取りざたされ、
あたかもブルー低減レンズが最適とか言われていますが、
確かに、モニター再現色でのブルー色云々より大事なコトがあります。
それは「ドライアイ」を防止することが最も肝要だということです。
さて、私は8割はブルー系のネクタイですが、
緑系はたった1 本しかありません。
まったく私に緑系のネクタイやマフラーは似合いません。
これが60 年生きてきた緑と身体の関係かもしれません。
それだけに、あの利休鼠色は確実に「緑系」であると私は思っています。
私がワイフに最初にそろえたバックや小物は、
すべて緑からスタートさせました。
その理由?
それは私なりの目論見がありました。
女性にとってのバーキンでは緑系は本当に少ないのです。
そこに私の色の計算があるのです。


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『資本主義からの逃走』
   「幾何の不思議進化が新たな分科学へ・5」


   


     9月 28th, 2010  Posted 12:00 AM

幾何とは
幾何学というのは、図形の性質その数学的な学理です。
さて、幾何という言葉は、「いくばくか・どれほど」という
数量や程度を問いかける疑問詞であり形容動詞です。
ということは、土地や図形の大きさとか、
その程度がどれほどのものかということを突き詰めることが基本だと考えればいいわけです。
本来、ギリシアgeomeroria=geometryが土地の測量を原義とした測量学、
その中国語訳が「幾何学」だったということです。
私は、幾何学を数学が様々に分科していった科学、なかんづく理科学というよりも、
「土地」と「場」=「ち」と「ば」に注目して数学史的な見方を整理することができます。
つまり、「トポロジーとしての情報」は数学的見解です。
それが「情報としてのトポロジー」はレトリック化されながら、
トポロジーの核心となる「情報のトポロジー」に必ず至るでしょう。
幾何学の進化から分科へ
それこそ、プラトンが「幾何学知らざる者は入るを許さず」という伝説は、
「ち」と「ば」にあると思います。
図形という・[かた「ち」]と、その情報記号化する数学的・[こと「ば」]が、
幾何学を様々に分科し、いわゆる位相幾何学は現代幾何学への展開につながっていきました。
私は、Topological spaceをあえてTopology Space論としたのは、
Space論そのものが拡張していることを、造形の幾何、位相からの離脱などを
デザインによる造形対象の形体と形態、図と図形、図式、図解への応用は、
時間軸での図譜への造形、その目論見への試論を意識したからでした。
造形実習課題の評価
造形として、たとえばデザイン実習で「クラインボトル」を課題とすれば、
三つの回答を確認できました。

■ まさしく、数学の教科書イラストレーション的な「クラインボトル的形体」は、
造形資質に能力限度があります。
■ ところが、「これがクラインボトル概念の形態」を造形する資質は、
コンセプトからの造形資質があります。
■ さらに、「クラインボトルを超えた形態」までを造形する資質には、
明確にに創造的デザイナー資質があることをデザイン造形実習で確かめることができました。

結局、「メビウスリング形体」を造形思考できる資質が
トポロジーという学領域には明確にあるということでした。
おそらく、「情報のトポロジー」は、
「情報としてのトポロジー」というレトリックからやがて解放されるものと推測しています。
それは新たなSpace論=位置論+場論だという予感が私にはあります。


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