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Posts Tagged ‘真’


11月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 14th, 2018  Posted 12:00 AM

11月14日 仏滅(庚戌)

「売れなければ本当のデザインではない」
という主張は、
デザインの持つ真の<光>を
知らない者のたわ言でしかない。



倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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『経営仮説と収益構造にはジェネリック薬品』


   


     7月 13th, 2018  Posted 12:00 AM



入院してそのまま「骨折」をした私でした。
この「骨折」は明らかに病院のスタッフの無知によるものでした。
そうして、この事故はどうやっても訴訟は出来ないものらしいのです。
今の病院では「医師が院長」という悪しきルールによっている訳でした。
この病院は真に理事長は、売れていると思っているデザイナーに全てを任せ、
スタッフの誰に聞いても、使われている洋服は全員「嫌」と言っています。
が、面白いのは「絶対に私からとは言わないで」と念も押されました。
こういう病院が、デザイナーも入っているからということでOKとは、
絶対に同じデザイナー界ゆえに言い置きます。
おそらく、こういうのがビジネスモデルだとしたらということです。
なるほどデザイナーが入ればそれなりにはできるでしょうが、
私は入院した日に「骨折」し、そのために入院期間が長くなりました。
そして、今の病院ではジェネリック薬品が使われているのです。
「循環器系」は米国ではかなり高額になっています。
ジェネリック薬品は確かに良いのですが、
米国では「循環器系」は辞めているのです。
私はこの病院で薬剤師に、これは確かですか?とも聞けず、
ゆえに退院してから、阪大病院ではジェネリック薬品は、
外してもらいました。
ジェネリック薬品は確かに安いのですが、
それこそ「経営仮説」「収益構造」は病院=患者側では無く、
ジェネリック薬品を使用することは、患者の要求は見事切られていました。
おそらく、この病院ではジェネリックは「収益構造」であり、
なおかつ「経営仮説」では当たりまえなのでしょう。
まず、転院した一日目に「骨折」をし、
しかも、私の希望など無視されたジェネリック薬品を使わされていました。
まさしく米国では「循環器系」事態が
値上がりしている構造も無知だったと今では思っています。
なぜなら、デザイナー・建築家が
「経営仮説」と「収益構造」に巻き込まれていました。
私は海外でも入院しているので、
日本のことをしかっりと報告していくつもりです。


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06月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 12th, 2018  Posted 12:00 AM

06月12日 友引(乙亥)

商品の良さを言葉で語りきれずに、
もどかしげに解説している人をたくさん見てきた。

商品が真に優れたものである場合、
言葉や表現として
うまく僕らに伝わってこなくても、
そのモノは確かに優れている
ということはわかるものだ。



『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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12月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

12月16日 友引(丁丑)

日本では
何をサービスとして
考えているのだろうか。

サービスという概念が
商業化されてしまった。

真の原義であるオイコノミア
(oikonomia=
 神の救済計画を
 受け止めるための義務)
としてのサービスという思量が
まったく普及していない。



『デザインという先手』手抜き 不可欠である誠実さ


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『アドバンスデザインを追い求めることが基本』


   


     9月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM



デザイナーにとって、必ず自分紹介には「履歴書」が要求されます。
若い頃は、本当に出身校と就職先程度しかありませんでした。
しかし、若いということでなんとかクライアントがあり、
福井では画材屋にはデザインのプロ用具もなかったのですが、
ほぼ30代後半には受賞も増えました。
41歳で毎日デザイン賞とともに海外からも受賞しました。
しかし、私には過去の授賞暦など無関係で、
それよりも、クライアントの将来をデザインでどうするか?がテーマでした。
そして、クライアント依頼作品には、決して自分名は不要と考えていました。
最近、次世代には自分名先行でのクライアントを踏み台の仕事をみかけます。
これには呆れています。それより、本当にデザイナーにとっては、
「この企業ではデザインなど不要」として、
「デザインしないで、現状の商品のままがいいです」という
これはデザイン依頼を断ることが、これこそ真のデザインということです。
だから、「これだけのデザイン依頼を断った結果、クライアントの成功」、
これを履歴書にしたいと思うのですが、断ってどうする?というのが常識です。
私の作品には、極めてアドバンス性の高い製品提案が
デザイン作品には多いと断言できます。
このいわゆるアクリル製の花瓶もその代表かもしれません。
アクリルでのこの透明度の塊立方体も当時(89年代)難しく、
しかも、真ん中の円筒には和紙に植物延命溶剤入りを試したモノでした。
これは、ある日、プラスチックの大きな団体の方々が福井に来られました。
それは倉俣史朗先生が突然亡くなられて、
それまで先生は、この団体の顧問だったそうです。
それで彼らは困って、プラスチックに拘りがあるデザイナーを探しておられ、
私の時計シリーズを見て、成形にこの人は詳しそうとのことで、
わざわざ福井に見えたのです。しかし、当初私は断りました。
なぜなら、倉俣史朗先生ほど出来るわけが無い、
自分を知っているからこそ断りをいれましたところ、
もう名刺が出来上がっていて、この名刺を使えば、
どこのプラスチックメーカーでもデザインは可能ですとまで言われ、
そうして実現したアドバンスデザインでした。
今なら商品化できる35年前のデザインです。


* 『一輪挿しの「赤い植物図鑑」残っているかな?』
* 『金網越しに道にまで花がある、その製品化と商品化』
* 「BMW i8が実現し始めた新たな造形言語と形態言語」
* 『JBL4343の上には造形美のあるモノを置く』
* 『「時計」はデザイン対象、デザイン力量が試されている』


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『コンセプトで「美」、その創出は不可能である』


   


     6月 18th, 2016  Posted 12:00 AM



「コンセプト」、この幻惑に閉じ込められて来た現代人の
発想・思考、そして論理構造を断罪しました。
一言で表せば、「コンセプト」そのものが曖昧で、
思考の源泉である知識・学識・常識の否定です。
そこで、「コンセプトの完全否定」から、
自分としては「ライン:line」発想・思想・論理を提案します。
理由は、とても明快です。
思想・良識・知恵は「真・善・美」に最終結論として到達するはずです。
したがって、少なからず、「真」である科学性・非科学性も、
「善」に関わる思想・理念も、概念では説明すら曖昧になります。
それが「美」ともなれば、
「コンセプト」には大抵大概にして「感性判断」を求められます。
ここに「コンセプト」では決して「美」には到達不可能であることを
まず「知る」ことが重要です。
それこそ、silienceで辿り着いた「知られざる知性・見識」であり、
「コンセプト」では決して
「美」を語り切ることが不可能だということです。
感性での「美」の判断はとても「コンセプト」論理では近接できません。
昨今はあたかも感性重視でのコンセプト発想が、
「美」をも絶対的に完遂するという思考が氾濫し始めています。
なぜ人は「美学」という学識で
連綿と美しさを追い求めてきたのでしょうか。
結論を言えば、
コンセプトで美は決して創り出すことは不可能だということです。
デザイン界もコンセプトと感性でこそ、デザインが形成されているという、
この幻想の中に封じられてきました。
それこそどれだけのデザイナー、芸術家、建築家などが、
コンセプトで語り切ろうとするこの曖昧さの中に
「美」をはめ込んできたのでしょう。
その実例が、機能的なデザインには美がある、という発想でした。
これは単なる曖昧で感性的なコンセプト論理でしかなかったのです。
あえて自分は「コンセプト」で語られてきた「美」の曖昧さを否定します。
この曖昧さを捨てるときに「ライン」発想・思考・論理に、
「美」が見えてくるはずです。

*『Silienceの原意・・・デザインが何になるかという意義』
*『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』
*『「真善美」をプラトンに教えられたから生きてきた』
*『たかがリモンコンではありえない』
*『若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認』


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『難問解決の大ヒントは「素材」開発デザインの美です』


   


     5月 25th, 2016  Posted 12:00 AM



自分にとってデザインはまずは問題解決をねらうことですが、
その答は常に、「応答」・「回答」・「解答」があります。
そしてそのそれぞれは「美学的」であることが一番です。
プラトンの言葉にも、
答に迷ったなら「美しさ」が第一というものがあります。
真・善・美の中で美だけをよりどころにしてきました。
したがって、答える条件として「素材」を新素材化しなければ、
「美しいモノ」としての
それこそ難問解決の解答は無いと確信してきたのです。
一昨日は素材メーカーと会い、昨日はメガネメーカーと会いました。
今最も取り憑かれているのは3Dプリンターで
「素材」そのもののアウトプットです。
かつて、福井にもどった時にメガネフレーム素材は、
ようやくチタンに気づいた時でした。
それはオーディオの世界から10年遅れていました。
とてもエンジニアリングプラスチックなど気づいてもいませんでした。
まだヘッドホンが300gの時代に、
エンプラ(エンジニアリングプラスチック)で
150gを実現しヒットさせていましたから、
エンプラメーカーを福井に呼びました。
しかし、当時はやっとチタンであり、
エンプラの提案などは全く採用されない有様。
もう30年になりますが、
ようやく3Dプリンター成果での素材がドイツで受賞になり、
これからこの世界が必ず拡大していくはずです。
しかも、この新素材は生体適合性を持っていて、
アレルギーもなく、殺菌も可能です。
新しい素材に触ると未来の「美しい解答」が見えてきます。
それは商品アイテムをもっともっと見せてくれるのです。
今や、車から手術機器、さらには素材の細胞化までが
おそらくデザイナーが最も関与することになるはずです。
ちなみに、メガネは「サバエ」というより「フクイ」の技術が一番です。
最先端は「フクイ」が成し遂げ、
その下請けが「サバエ」だと強調しておきます。

*『素材=ボロンとダイヤモンドですでに開発していた』
*『ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり』
*『「瞬感」SHUNKAN=液晶サングラスを実現しました』
*『I seeの世界観』
*『商品が記号となった実例・私の体験と確認』


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『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』


   


     4月 15th, 2016  Posted 12:00 AM



この領域では仕方の無いことですが、真似されています。
しかし、2003年に公表して、地元ではすぐに物真似され、
真似た企業トップ直々に、真似たと言われるありさまです。
自分にとっては、物真似されても、
自分の造形を超えてほしいと思っています。
けれども「不細工な造形」が多いのが実情です。
特に、メガネ、ナイフ、時計などは根本を変えても
すぐに真似られます。
物真似から盗作ともなれば、ここには法的知財権の問題、
最近はSNSで、真似られた本人が糾弾されるという馬鹿な話になります。
もっと大きな問題は、無名の日本人デザイナーが「カモ」にされている、
海外のデザイン見本市があります。
無論、成功しているデザイナーは成功物語になりますが、
そうならないデザイナーは「カモ」であり、
多額の出品料、展示料、渡航費でほとんどが失敗していることです。
このことに気づいている海外は出品せずに「海外進出」で別戦略なのです。
教え子や元スタッフでこの失敗例を随分見てきました。
デザイン作品の発表でたとえ授賞しても、それは次回の「カモ」です。
そして、そのデザイナーはかえって「能力無し」になっているのです。
正当なデザイン評価を受ける真の方法を熟知してほしいと願います。
そして、デザインの物真似あるいは盗作があっても、
本当のクリエーターなら、そのデザイン評価は定例的な方法があることを
私は伝えたいと思っています。
物真似であっても「アプロプリエーション」という確実な歴史的な
記録性があるまでの「能力向上」を次世代に求めます。


*『プラチナ・ミラーリングのティーカップ』
*『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』
*『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』
*『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
*『DESIGN TOKYOのPROTO LABから次世代デザイナー出でよ! 』


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3月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 1st, 2015  Posted 12:00 AM

3月1日 戊申(赤口)


宗教の誤りが、
真であり、善ではないことは
今世紀に明らかになるだろうと
私は予言しておかざるをえない。
それこそ、
未だに、十字軍と連呼している
歴史が「宗教」を
宗教哲学に変容させない限り
人類の進化は不可能。
ゆえに
私の喧嘩対象は
「宗教」の信奉者達である。



川崎和男「喧嘩道」


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『「真善美」をプラトンに教えられたから生きてきた』


   


     11月 18th, 2014  Posted 12:00 AM



私が高校時代に最も大好きだったのは「倫理社会」でした。
日本には、当時、この教科書は5冊しかなくて、
しかも最も薄かったのです。書籍は薄いのが最も簡潔でした。
これまで何かを学ぶテキストは最も薄いのを求めます。
担当教諭は、私に残りの4冊を与えてくれたので、
おそらく、倫理社会が得意な科目になりました。
そして出会ったのがプラトンであり、「真善美」が世界の基本、
このいわゆる「イデア論」を知りましたが、
自分が生涯にこの三つなどは出来るわけがないから、ともかく、
一つだけを選ぼうというのが高校時代に生き方を決めた手がかり。
真って、わからないし、善を貫ける気性とはとても自称できない。
なんとなく、「美しい」ってことは感覚的には分かるかも知れない、
この程度だったと思っています。
結局、美大そのものが「美」に近づく手段に最も近接していました。
要は「美しいって何なんだろう?」、この答えがわかるはずはない、
かも知れないけれど、「美しいって何なんだろう?」っていう、
難しくいえば「イデア論」があるから、死ぬまで考えている自分、
その自分が存在していることを知ることができているのだと思います。
私は12人を選んで「プラトンのオルゴール」展は私の代表作ですが、
肝心のプラトンのオルゴールは凹鏡球面の中にある実物球は、
虚像を浮かび上がらせることができます。
これはそのまま、実体である自分は凹鏡球面にあれば虚像の私です。
虚像の私が本当は実体なのかもしれません。
凹鏡球面が現実の時空間なのかもしれません。
だから、多分、私は選びぬいた「美」と自分の関係は、
この「プラトンのオルゴール」だと生涯幾たびも書いていくでしょう。
自分は美だけを自分の生涯に置いたことは正解だったと思っています。
プラトンが「イデア論」を書き残してくれたからではなくて、
「イデア論」が手元にあったから生きていく核心が私にありました。


「原点回帰と思っている作品」


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