kazuo kawasaki's official blog

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『資本主義からの逃走』
 「#チュッパチャプス武器論・戦術結果は「効能」成果#3」


   


     3月 22nd, 2010  Posted 12:01 AM


仮説としての性能・機能から
さて本論は背景と手法を述べましたが、あくまでも私論です。
私論ですから、本論に基づいての「結果」については、
なんら結果としての成果については保障はご勘弁いただきます。
本論はあくまでも武器論という論述にすぎません。
つまり、武器は本来は論じるものではないほど、
直裁的であり武器は「効果」の威力性が
「性能と機能」を有してます。
したがって、戦術結果というのは「効能」についての仮説論です。
効能結果の仮説として本私論とします。
手法の骨子は、大きくは二つでした。
まず「自己防衛」自分自身を護る武器としてのチュッパチャプス。
「専守防衛」としての威嚇性能・抑止性能としてのチュッパチャプスです。
そして、武器としてはまったく認知性が皆無であるという実例を示しました。
この手法論は、性能性と機能性でしたが、
結果=成果は、効能性=効能論は仮説となります。
効能というのは、チュッパチャプスの「能書き」です。
本論によって、
チュッパチャプスをこれからポケットにしのばせる人への取説、
取り扱い説明書的な注意書きとしておきます。
あくまでも仮説として読んでおいてください。
とは言うものの仮説というのは謙譲心にすぎませんが・・・
効能
これは三つあります。
1● チョッパチャプスをむき出したパッケージ屑は必ず所定の場に捨てることです。
食べた後のスティックの処理は二つあります。
確実にゴミとして相当の廃棄処置(燃えるゴミ)とするか、
綺麗に洗浄して収集するかのいづれかの選択を決定しておくことです。
収集すれば、また新たな世界があるはずです。

2● これは武器ゆえに、使用にあたっては、
必ず、対戦相手のみに使用し、
ターゲット以外を巻き込むことはあってはならないのです。
まだ、武器指定はされていませんから、
ターゲット以外が、本論を認知してれば、
時に、「不快感」を与えるか「愉快感」を与えるかは、
効能として大きな成果として、
反対極性があることを認識しておかなければなりません。

3● 武器を贈与する成果に対して、その効果を見込んで、
贈与相手を利用しての二次使用効果を策略化することは、
チュッパチャプスの文化性と倫理性を破壊するので慎むことです。

以上が、
結果=効能性成果としての注意能書きとして記しておきます。
ただし、私がここで本論を記してしまっているということは、
明らかに、
贈与相手に対しての二次使用成果を望んでいることを告白しておきます。
武器論とは本来は、
「護る」コトや「護る」モノを明確にした平和・抑止論であるということです。
「モノの体系」へのデザインコンセプト論
私がチュッパチャプスを事例にしていることは、
現在文明での「モノの体系」へのデザインコンセプト論である、
と考えて読了していただくことを願っています。


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2月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 19th, 2010  Posted 11:27 PM

2月19日 赤口(庚子)

ガストン・バシュラールの著作である
『空と夢』は、
風を考える上でのテキストになった。

たとえば、
優しさと凶暴、
清純と錯乱という感情の対立を、
風に託して
私的なイメージにする手法、
つまり、「破壊」と「活力」という
風の二重の激しさで
語りつくしてくれている。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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2月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 14th, 2010  Posted 9:30 AM

2月14日 先勝 (乙未)

「かぐわしさ」を
感じさせない思考方法には、
破壊すべき異臭が
漂っているのかもしれない。

『デザインの極道論』かぐわしい


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『資本主義からの逃走』
 「色彩知識はトロントで消去、そしてbit色彩を知る・04」


   


     1月 22nd, 2010  Posted 1:00 AM

Natural Phenomena
ALIAS本社は、私を受け入れてくれました。
二夏にわたって、トロントに出かけました。
そこでCGソフトのトレーニングを受けました。
その頃、夕焼け、燃えている火や、蛇口からの水を
「Natural Phenomena」という表現研究を傍らで、
Videoや写真でプログラムしているのを見ていました。
今では、火も水も、その勢いまでがCGですが、
当時の研究はチームが大変な緊張感で進行してました。
私は一通りの説明、講義をトロント大出身の新人が、
朝から夕方まで、昼食も一緒になって取り組みました。
「dolly 」という言葉が常に出てきて、意味不明!
dolly

すぐにトロント市内の書店で英英辞書を買いました。
dolly=お人形?なんだ?わからん。
結局分かったふりをしていました。
もう今日で終わりという時に、質問をしました。
「ところで、dollyって何?」
「Oh My God!」でした。
今日までのこと分かっていたのかということでしょう。
dollyとは、画面の中でのカメラの位置を変えること。
それで、すべての謎が解けました。
しかし、それ以上に私の中で、「色彩論」の知識は、
ことごとく破壊されつくされました。
CGでは「色」は「光」そのものの要素と要因で、
プログラム単位を表せば、「質感」、
すなわちMappingの基本を教わったのです。
「透過」・「反射」・「凹凸」・「不透明」・「硬軟」・「吸収」
この六つにパラメーターを与えれば、
ガラス・大理石・木材・絨毯・プラスチックなどが
表現できたのです。
当時はRGBに頼る以前の手続きでした。
そして、そのCGに動きを与えるのに、
24コマをイメージしたパラメータの設定でした。
今ではそうした「手続き」が、
ソフトにパレット化されてツールを選ぶだけです。
トロントのALIAS本社で私が結構知り尽くしていた
「色彩論・色彩学知識」は完全に消去されたのです。
色彩論・色彩学知識の完全消去


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