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Posts Tagged ‘福井’


8月04日Staff Blog 002


   


     8月 4th, 2010  Posted 5:00 PM

8月04日

福井 増永眼鏡へ。
KAZUO KAWASAKI X MASUNAGA
25周年を迎えました。

増永本社に中田英寿さんが来訪。
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
と歓談、工場など見学されました。
広報の方がもらったサイン色紙を1枚
頂戴しました。


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7月23日Staff Blog


   


     7月 23rd, 2010  Posted 10:48 PM

7月23日

福井駅のお土産屋さんで商品をチェックする
BOSS(川崎和男, Kazuo Kawasaki)。

少しの空き時間でも
様々な情報を仕入れています。


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『資本主義からの逃走』
    「伝統工芸産地と波、幸運なスタート」


   


     7月 17th, 2010  Posted 12:00 AM

自問自答の始まり
「そんなに、デザイン、デザインと言うけれど、
デザインで産地は生き返れるのか?」。
この言葉を投げかけられたことをいつも思い出します。
以後この自問は忘れたことがありません。
私の東京でのデザイナー経験が「何だったんだ」ということになります。
この自問自答に思い悩まなければならなくなった初体験でした。
私は、今も現役で、デザイナーとして製品開発から商品展開をしています。
が、この「問いかけ」を常に抱いています。
伝統工芸と波
30歳でした。ふるさと福井に帰って、もちろん仕事も無く、
夕焼けの日は、日本海に沈む夕日と波を撮影するために車で出かける日が連続していました。
興味の対象は「波」でした。
「波」のかたちは、決して同じかたち=形態のものはありえません。
そして、音響をデザイン対象にしてきた経験は「音波」でもあったわけです。
色彩も「波」でした。
私の中では、これから取り組む「伝統工芸・越前打刃物」と「波」が共存していました。
これが、今考えると「幸運」だったのです。
車椅子生活になったことは「不幸」でしたが、
「幸」そのものが実際はとんでもなく怖いことを示していることを知っていましたから、
「幸運」はすぐにやってきていたのです。
しかし、伝統工芸産地の職人さんたちに、
「だから、デザインなんだ!」と言い切れる自信は、まったくありませんでした。
その「自信」獲得のために、私はデザイナーとして振り出しにもどされていました。
私に覆い被さってくる「波」の形態を見定めるスタート地点では、
「歩けなくなった私」と「車椅子を必要とする私」を見詰めていました。


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『資本主義からの逃走』
「 Media Integrationに向かってきた系譜・2 」


   


     4月 23rd, 2010  Posted 12:00 AM

Multimedia & Art Festival 1992
「マルチメディア」と喧伝されていた時期は長かったと思います。
1990年代であり、ちょうど「バブル時代真っ盛り」でした。
私は東京の「変な浮かれ様子」を北陸・福井から、
極めて冷静に眺めることができたのです。
東京からはいっぱい展覧会や仕事も殺到して舞い込んできましたが、
私の直感は、「これは変!、おかしい」と思ったので、
断れるものはすべて断っていました。
今になると、この判断は正しかったと思います。
当時、マスコミの寵児と言われたスター達は、
名前も思い出すことができません。
デザインに関わったコンサルタントとかコーディネーターは、
消えてしまっています。
私自身、仕事は、Apple本社とのProjectに関わっていたので、
日々充実していました。
1992年夏、箱根で「マルチメディア国際会議」が開催されました。

この国際会議には海外から600名、国内は企業トップ達200名でした。
これだけの国際会議は以後も経験したことが無い大規模なものでした。
民間人はたった4名で、3日間ともに参加していたのは、
松岡正剛氏と私だけでした。他の著名な方は会議内容がわからなかったから、
すぐに帰ってしまったのだと思っています。
この時から、松岡氏との交流が始まったのです。
主催しているApple社には、会議中にも関わらず、
途中、途中でプレゼンテーションを当時会長だった
ジョン・スカーリー氏にしていた。
この会議をすべて統率していたのは、現・マクドナルドの原田社長であった。
そして、この時の基調講演は、以後、私の「情報」への視点を大きく変えた。
そして「的中」していることでした。
Dr. Gordon Moore
基調講演のキーノートスピーカーはDr. Gordon E. Moore氏?でした。 
「ムーアの法則」を提言し、時代は彼の法則を実証しました。
彼の講演では三つのことを語ったのでした。
土・ガラス・空気
これからの時代、コンピューター・パソコンは、
● 「土」・・・これはシリコンを意味していました。
● 「ガラス」・・・これは光ケーブル=光通信です。
● 「空気」・・・これはインターネット・空中に情報です。
そして、私はこの会議で、スカーリー会長が、
「マルチメディアは意味が拡散するだけだから、
Media Integrationへと収束する方向を創ろう」と
プレゼ会議での発言に感動し、
今日まで、私は「何がMedia Integrationか」を、
デザイン領域の中で追いかけてきたと考えています。


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4月9日Staff Blog


   


     4月 10th, 2010  Posted 12:33 AM

4月9日

越前和紙の手紙。
一字入魂?の
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
福井の伝統工芸?刃物/和紙/漆は、
徹底的に取り組んだBOSS。


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『資本主義からの逃走』
 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・02」


   


     1月 20th, 2010  Posted 1:00 AM

ふるさと福井にもどらざるをえないほど、
私は体調を悪化させていました。
が、徐々に回復をし、越前打刃物へデザインを導入。
そのとき1984年にMacintosh128Kに出会います。
高校時代の親友は、福井キヤノン事務機の社長でした。
彼は、私をコンサルタントにしてくれていました。
彼の援助は、福井時代にわたって、
私の経済状況を支援し続けてくれました。
Macintosh128K
その彼のショールームで、Macintosh128Kは、
ものすごいインパクトを与えてくれたのです。
MacPaint・MacDrawはもとよりMacTerminalで、
初めてDAIALOG(ロッキード社)につながったのです。
国内メーカーのパソコンはまったく駄目でした。
当時のパソコン雑誌に米国に衛星回線でつながる、
という記事は全て嘘だったのです。
なぜなら、私はすべての雑誌社に確認をしましたが、
「おそらくつがるでしょう」、
という推定記事ばっかりだったのです。
最初の通信は、電話カプラー300bpsが、
机の上で鉛筆が転がっただけで通信不能だったのです。
福井の若手経済界は、福井にデザインの必要性をと、
福井市青年会議所の幹部メンバーから、
本格的なデザインスタジオ開設を求められました。
株式会社資本金2000万のデザインスタジオには、
Macintosh512KMacintosh XLで、
LANがつながり、
Exchange MouseとRed-riderが通信ソフトでした。
モデムも1200bpsから2400bpsで、
BBSも開設していました。
もっぱら、MacDrawで図面、Mac-FullPaintで、
ほぼ正確なレンダリングというように、
私はこれからの「デザインツール」だと確信しました。
そして、私は、EWSでのUNIXの独学を始め、
IRIS3030
本格的なEWS=IRIS3030(Silicon Graphics Inc.)が、
絶対に欲しい(1億4000万円/国内価格)と思い、
米国内の見本市・学会・まだベンチャーばかりの企業を
うろつくことに決めたのです。


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『資本主義からの逃走』
 「数理造形から見えてきたAtom時代の終焉 ・01」


   


     1月 19th, 2010  Posted 9:00 AM

TOSBAC-5600
私が最初にコンピューターと出逢ったのは、
東芝に入社した1972年でした。
新人研修で、FORTRANCOBOLを知りました。
デザイナーゆえに、チューターはどちらにするか、
ということでしたが、二つともやらされました。
TOSBAC-5600でした。

大学時代にタイプライターをマスターしていたことが、
最も役に立ちました。
新人研修はグループ全員が旧帝大卒ばかりでした。
美大卒?、デザイナー?というやや蔑視的雰囲気から
「パンチカード」への入力がうまかったので、
TOSBAC-5600は、私の力量?を認めてくれた!
とさえ、思った出逢いでした。

しかしなんとも面倒で何の役に立つのかは不明でした。
やがて、Appleの存在を知りました。Apple?でした。
買える値段ではありませんでした。
ZX81
Sinclair(英)ZX81がやっと買えたので、
これでMS-DOSを独習しましたが、
本当はCP/Mが大好きになりました。
以後、様々なプログラム言語も独学でした。
気がつくと、
国内メーカーへのコンサルタントになりました。
コンピュータ開発でありデザインではありません。
VENUS-P(KDD)で、MARUNET(丸善)、
この通信系経由から
情報検索システムDAIALOG(ロッキード社)に
接続していたのです。
そして新聞記事を書くまでになってました。

Macintosh128KでSOURCEの会員になったのは、
私が日本人では4番目だったはずです。
SOURCEからCompuServe(現在のNifty-Serve)が、
最初の会員制ネットワーク回線だったことを知る人は、
どれだけ残っているでしょうか。
「北陸の福井に、デザイナーなのに変なヤツがいる」
ということでデザイナーなのにコンピューター雑誌に、
連載を持ち始めました。
これが私がbit社会へ入って行くいきさつの一部です。


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1月12日Staff Blog


   


     1月 12th, 2010  Posted 9:51 PM

1月12日

故郷の花。
福井の花、水仙が届きました。
まずは、一輪差しに。
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
の指示により、
徳田八十吉作、昨年、逝去されました
九谷焼の花器。
正彦氏時代の作品で、
金沢美大の先輩だそうです。
詳細は、BOSSブログに。
美しい。
12_a


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12月31日Staff Blog


   


     12月 31st, 2009  Posted 6:38 PM

12月31日

冬期休暇中、スタッフ代理のブログ。

大晦日です。
朝早くに、手打ちのお蕎麦が
福井から届きました♪
BOSS(川崎和男KazuoKAWASAKI)
の同級生坂野さんからです。
やはり、これは福井ならでは、
暖かい部屋で、冷たいおろし蕎麦で
いただきたいと思います。感謝です。
091231soba


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11月28日Staff Blog


   


     11月 28th, 2009  Posted 1:10 AM

11月28日

越前ブランドと言えば、この季節は
やはりこれ?!
越前蟹です。ズワイ(雄)とセイコ(雌)です。

091128crab

もちろん、BOSS(川崎和男)は、
ふるさとの福井を眼鏡や刃物で、
「世界ブランド」にしております!

明日28日から、
福井県立こども歴史博物館
達人のひろばにBOSSの
コーナー展示がスタートです。
眼鏡や刃物、人工心臓など盛りだくさん。
ぜひご来場ください。


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