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Posts Tagged ‘米国’


『若手デザイナーの海外個展を応援する』


   


     11月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

私が自分のデザイン活動をようやくニューヨークで
発表したのは30代中頃でした。
それは、いつか、海外で発表をと思っていた時期に、
米国のギャラリーからも誘いをいただきましたが
資金もなくて1年間待ってもらった経験があります。
そしてニューヨークでの個展から、
ようやく私も海外での仕事ができるようになりました。
日本がバブル経済で東京が浮かれているのを私は見ていて、
何か、変だと思っていたときは、
Apple本社でいくつかのコードネームでデザイン提案をしていました。
だから、最近は、次世代デザイナーの一部の
海外での活躍ぶりには目を見張るものがあります。
しかし、海外での日本人デザイナーの仕事は、
明確にはっきりとしつつあることが起こっています。
海外でのアドバンスデザイン展でのプロトタイプをコピーし
まさに盗作。
この情報も私には届いていますが、
先般の盗作問題もあり、
私はこうしたことが一般化することを反対しています。
これは正当な海外進出ではありませんから、
やがて国際問題にならないことを願いますし、
この事実は黙秘せざるをえません。
しかも海外評判を国内に逆輸入しているデザイナーには呆れます。
それを助長しているマスコミには大きな疑問があります。
国内の雑誌などで、いかにも国際的活動だという取材を見ると
残念でなりません。
しかし、このところインテリアデザインを主体に活躍している
Yasumichi Morita氏が、今度はインテリアを超えて、
写真家として、しかも写真表現そのものを
モノづくりに向けて、パリで発表することを以前から聞いていました。
丁度、パリには行こうと考えていた時期と重なり、
その個展を見にいくつもりです。
欧州には、教え子たちが何人かいます。
フランスにはインターン生だったフランス人もおり、
彼の仕事ぶりが心配なので会ってこようと考えています。
また、教え子たちでも車関係・カーデザイナーを目指す子は
企業留学しています。
私の時代、何も分からずに米国から出発しましたが、
最近は、なんとか次世代のデザイナーに
私に出来ることはないかということを自分に求めています。
なにしろ、最近は海外を目指す若者が減少しているだけに
そのことが不思議でたまりません。
Yasumichi Morita氏の国内外の仕事は、かえって海外での評価が高く、
そうした仕事は、海外からの依頼かと思っていましたが、
すべからく自分でそうした仕事を求めて行くという勇気を
私は絶賛しています。
彼がパリで、写真家、そしてそのデザイン応用の個展は
ほとんど国内で宣伝をしていませんが、
私自身、その個展を見てくるつもりです。
幸い、教え子たちにも会えそうです。


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『「KK塾」の対談と質問はイニシャルで方向決定』


   


     11月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

「KK塾」スタートは米国から、すでに大阪大学招聘教授である
濱口秀司氏の講演と私との対談、観客からの質問により、
予定時間を大幅に超える熱気の中で行われました。
講演内容は、林信行氏が、
会場から同時間のままSNSアップをしていただきました。
この実況があったためか次回参加者の申し込みが殺到しました。
したがって、ここでは私が彼との対談や観客への回答を
記述しておきたいと思います。
私からの対談テーマというか質問は、
IoTの今後、特に人工知能の可能性でした。
私は彼のプレゼンテーション映像や彼が認知している、
特に彼は「Bias的手法での成功例」や、
阪大親友・石黒教授との合作である2体のロボット会話、
その会話に、人間が加わるだけで、
2体ロボットには、全く人工知能化はいらないことを説明。
そこで、私の持論となりつつある「人工知能無理説」、
つまり、DNAと神経がロボットに実装されない限り無理を
人工心臓デザインの実際や、エボラ出欠熱がRNA破壊など
そうした実例での人工知能の無理説、無謀論を述べました。
人間細胞を決定している遺伝子=DNAはすでに解釈されていますが、
DNAを制御しているRNAを破壊するエボラ出血熱は
ほとんど医療治療は不可能です。
これは100億人を地球環境がとても支えられないことへの
自然淘汰なのかもしれません。
濱口氏の回答は明解でした。
ともかく仕事としての問題があれば最適解を必ず出しますという姿勢。
これこそ、私がデザインを学術性と芸術性を統合出来る能力者、
こうした次世代を大阪大学大学院の私の講座、
「コンシリエンスデザイン」で育成したいテクノロジストです。
そのお手本がまさに濱口秀司氏でした。
観客からの質問は二つに集約できました。
濱口氏は「ともかく練習・訓練が必須」でありその方法論紹介でした。
そして、私にも向けられた質問は、
自分の提案が拒否された場合は?でした。
これは私がデザイナーとしての40余年間の生き様でした。
私の提案が拒否されたなら、
「拒否する人物の社会的存在そのものを総否定する」ことです。
この意見には濱口氏も賛同をしていただきました。
理由は簡単です。
私はデザインからのイノベーション定義こそ必要と考えます。
イノベーションの提唱者であった
「社会階級論」著者・シュンペンターは、
革新ではなく、コンバイネーション(独)、
「新結合」でした。
これこそ、コンシリエンスであり、
これも18世紀の造語であり、対語であったレジリエンスを
現在の大学機構、特にデザイン系大学では
この教育が無いことです。
だからこそ、
私は「KK塾」でも一般的な認知論を開講したのです。
次回からこの講演レポートを配布します。

講演実況 by林信行氏*http://togetter.com/li/893475


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『「KK塾」キックオフはテクノロジスト・濱口秀司氏』


   


     11月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM

大阪・京都から東京パルコ劇場に直行しました。
友人たちの革新的なことばと場踊りを観劇したのです。
松岡正剛・田中泯・石原淋・宮沢りえ、「影向」yow gowを
新たなことばとパフォーマンスとして受け止めたまま、
いよいよ、翌々日、
「KK塾」を大日本印刷のDNP五反田ビル 1Fホールにて開催。
キックオフ講師は、
国際的イノベーター・濱口秀司氏を米国から迎えました。
イノベーターというより、私にはデザインとエンジニアリングでの
企画コンサルタント=テクノロジストであり、
私が大阪大学大学院・医学系研究科に開設した
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の育成目標人物です。
まず、私は前座で「コンシリエンスデザイン」を紹介して、
なぜ、濱口氏からかを紹介して、彼の講演を開始しました。
私は、最近、「デザイン思考」という、
スタンフォード大学のd.schoolとIDEOの手法論から
拝借しているデザイン論が、
デザイナーだけでなく一般的なイノベーション開発手法として、
東大のi.schoolでそのコピーが用いられていること。
また、イノベーションとは、提唱者であるシュンペンター自身が、
「革新」:コンバイネーション(独)「新結合」と呼び、
すなわち、私的にはコンシリエンスであることを説明しました。
シュンペンターのイノベーション=革新が、
共同的な発想で行えるコトへの大疑問や、
1927年・「社会階級論」が、結局は彼の予知どおりに
1929年の「世界大恐慌」につながったことなどから、
わが国の3.11復興策こそ、新たなコンシリエンスデザインです。
コンシリエンスも18世紀の造語であり、なおかつ対語的なレジリエンスが
決して、デザイン系大学教育には登場しないだけに、
まずは看医工学という提示とその教育成果こそ濱口秀司氏だと紹介し、
彼は約280枚のKeynote画面とホワイトボードで、
詳細な成功実例での方法論を懸命かつ賢明に講演していただきました。
DNPホールの現代ホール性能では、私も濱口氏もMacでKeynoteプレゼ、
これはおそらく初めて、映像と音楽を運用することができました。
よって、まだまだこのホールのPA音響から
コードマネージメント、さらには照明を変えることが可能です。
丁度、大日本印刷とは、「デジタルアッサンブラージュ」を進行中。
そしてこの大ヒントは、松岡正剛氏の「影向」が与えてくれました。
「KK塾」の今年度最終の講師は松岡正剛氏です。


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『インクルーシブデザインの間違いを正す=KK塾』


   


     10月 24th, 2015  Posted 12:00 AM

デザインというより、デザイナーの考え方、手法が
ようやく注目をあびましたが、それはいくつかの
デザイナー実績での誤解が他の学術芸術分野で拡大したようです。
たとえば、言葉では、コンセプト、マニフェストや
アイデンティティなどは定義や使い方間違いを発見しています。
現在、デザイナーの発想や成果への方法論での間違いは、
デザイン思考とインクルーシブデザインだと私は判断しています。
先般、ある大学が医学と工学、つまり医工連携に
デザインを加えるためにはデザイン思考の導入を重ねていました。
これは国家プロジェクトゆえに、
来月、その特別講演で私は是正と実務例を紹介します。
今夜はあらためて、インクルーシブデザインについては、
ニーズとシーズ、
あるいは文理融合やユニバーサルデザインが米国で提唱されたままに、
これもデザイン思考として取り入れていることへ、
論理的な正解を記述しておきたいと考えます。
インクルーシブデザインは、
インクルーシブとエクスクルーシブを
厳密に語彙論として再整理しておきたいと思います。
インクルーシブデザインとは、人称のデザインであり、
これは米国よりも英国でのデザイン思考がまともだと判断しますが、
私は、一人称のデザインでなければニーズの本質は不明だと考えます。
一人称、つまり、「私のニーズ=必要性は何か」がテーマであり、
この一人称=私の必要性を二人称=あなた:家族や兄弟や配偶者、友人、
あなたが必要かどうかを確認しない限り、ニーズになりません。
それどころか、
私=一人称とあなた=二人称の決定的な必要性が確認できなければ、
三人称である彼・彼女、彼ら・彼女らの必要性=ニーズと
その必要性を追求するシーズはありえないということです。
つまりインクルーシブとは一人称と二人称という範囲の指定であり、
エクスクルーシブは三人称であるという認識が必須だということです。
ところが、インクルーシブデザインで、
健常者に障害者や妊婦や幼児や老年者をデザイン対象とする
米国的な定義は大間違いだと指摘しておきます。
この思考方法では、必ず、デザインは機能的な活動、
形態は機能に従うという時代遅れな発想がとりついていくのです。
私は、このことも「KK塾」でオープンにしていく所存です。

* Website-HP


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『学術+芸術の統合性=コンシリエンスデザイン:KK塾』


   


     10月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

次世代のためのデザインは「コンシリエンスデザイン」。
新たな提唱のために「KK塾」を開講します。
私にとってデザインはこれまで「問題解決」の実務手法でした。
しかし、未だにデザインはデコレーション・装飾だという認識が
とても強く、デザイン=デコレーションがまるで定義になっています。
しかし、一方ではデザイナーの発想手法が「デザイン思考」という
そんな認識が米国で生まれ、そのまま国内でもこのブームがあります。
しかし、デザイン思考という以前の認識が不足しています。
デザイン思考には、感性と理性の融合化や、
管理や経営への思考=発想や行動展開があります。
それはマネージメントやマーケティングに応用されていて
如何にもデザイン思考こそが、それこそ「革新」=イノベーションという
そんな理解にまで持ち込まれています。
私はあくまでもデザイン=問題解決という認識でプロとしての
デザイン活動を実務実績で生きてきましたからこそ、
これまでの経験と実績から、
問題解決から価値認識論と未来創出論にと
基盤を学術性と芸術性の「統合」にむけてコンシリエンスデザインを提唱。
そのためには統合についても、次にように考えています。
それは統合による学際性をマネージメントとマーケティングに集約し
統合も次の四つの領域で学術的かつ芸術的な問題解決を、
まず規模的統合、
それは問題解決を図る領域の範囲や影響度を指定します。
その規模的な統合性をどのように伝えていくべきかを、
伝達網的な統合、
すなわちネットワークという関連性や関係性の決定能力を、
どう鍛え上げるかです。
そして、機能的、というのはデザインを実際は曖昧にしています。
そこで性能性という具体的な数値的な価値測定と、
効能性という社会的な存在性の共有意識の確認によって、
初めて機能性を語ることができるのです。
性能性と効能性を下敷きにしない限り機能性は完結しません。
結果、学術と芸術というコンシリエンスデザインという
それこそ様々な難問解決への実務手法が文化としての統合性になります。
つまりことばで歴史性が人類の知識や知恵の集合体である文化に繋がる
そのことを本講座=KK塾にて、
実際の実務活動や社会的な実績を事例に明らかに出来る、
そのような講師陣へ私はデザイナーとして、学者として、
さらに実務家として明らかにしていきます。
多数の参加を求めます。

* Website-HP


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『落下傘としても羽二重は最高品質だった』


   


     10月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

2012年からふるさと福井の繊維産業の一新化に関わっています。
ともかく、歴史から福井の繊維を語り直そうと考えています。
それは「羽二重」が絹織物の名品となって
日本からの貿易輸出品だったこと。
ゆえに羽二重から人絹取引所まで生まれ、
今はポリエステル繊維が中心になっていますが、
羽二重が最高に優れていたのは、
これが落下傘=パラシュート素材でした。
富岡製糸場は由利公正が西洋の絹糸を学ばせた最初の工場でしたが、
生糸では欧州とは競合が出来ないことから、
縦糸2本に横糸1本で羽二重こそ、最高の絹織物でした。
そして、日本には落下傘部隊が誕生し、
それは左上がその部隊のマークだったらしいのです。
羽二重でのパラシュートは、最高のモノであったらしく、
そのパラシュート生産の産地が第二次大戦時には、
米国から大変な空襲を受けて、福井は焼け野原でした。
当時、米国兵たちもパラシュートは持ち帰って、
ウェディングドレスにしたものらしく、
羽二重織物を超えるために、ナイロンが出来たとさえ言われています。
由利公正と言えば
五箇条の御誓文・東京府知事ですが、
それは橋下左内と横井小楠の殖産興業の興し方から学んだことでした。
絹織物は羽二重が世界を制し
日本の輸出品筆頭は九谷焼磁器を凌ぐばかりか
落下傘部隊創設も、
パラシュートとしても最高であったことは知られていません。
生糸産業、羽二重産業、それは人絹織物とまでなり、
人絹取引所は、
その文化までが福井にはあったようでした。
私自身が子どもの頃は親戚の織物工場は学校より大きいものでした。
ところが、最近では羽二重は、お土産物の羽二重餅が知られていて
羽二重が最高の絹織物ゆえに落下傘までが進歩していましたが、
このようなことはすっかり忘れられています。
かつて、福井大学では繊維工学が隆盛していましたが、
繊維工学科はもはや信州大学にしかありません。
私は、生糸→羽二重→人絹→ポリエステルを
さらに進化させた高機能ポリエステルでの新たな商品アイテムづくりが
私にとって、パラシュートを陵駕する、
トランスポテーションや防災、医療、全く新たな産業を
生み出してくれるものと思って
デザイン戦略=問題解決戦略を織物産地に、
その象徴が、羽二重での落下傘=パラシュートだと
私は考えています。


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『何がデザイン思考かは終わったのだ』


   


     10月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

デザインはエンブレム問題・盗作問題・Gマーク問題で
一般的な不信を背負ってしまいました。
これは未だにデザイン=問題解決の手法というより、
デコレーション・装飾性や付加価値性が強いからです。
一方では、「デザイン思考」これなどはスタンフォード大学からの
借り物に過ぎませんが、私はユニバーサルデザインを
米国から持ち込み、その定義を政府に提示した一人です。
しかし、ユニバーサルデザインも誤解され、
ヒューマンファクターデザイン:HFD、UXデザイン、
インクルーシブデザインなどの大勘違いを指摘しました。
そうして「デザイン思考」に行き着いたわけですが、
この借り物を「コンシリエンスデザイン」にしました。
根本は、March 11.2011東日本大震災から、
気候異変・感染症増大に対してのデザイン実務背景を整理しました。
これは文科系+理科系をさらに学術+芸術にして、
信頼学・価値学・保健学・防衛学を加えることで
安全・安心・防災・防犯へ。
デザインを危機=危険時を機会として
解決を図るデザイン実務文理学際学にすることが可能になります。
危機解決では、リスク:起こるであろう危険だけではなくて、
クライシス:起こってしまった危険との、両方の危険回避と解決を、
デザイン実務に向けるという論理的な図解も、
学術と芸術の学際はデザインに集約するという段階に至りました。
実際は大阪大学大学院の医学系研究科にこの寄附講座を設置して
後期からは私が授業をやり、社会的には「KK塾」を
霞ヶ関にある大阪大学の分校的な場所で講座を開設します。
講師は、私がすべてのとりまとめをしますが、
選び抜いた講師陣を配置することになっています。
「KK塾」は、以前は大阪で実施してきましたが、
どうしても東京でという
この要請が強いことや講師陣を東京にも拡大することができます。
「デザイン思考」が例えば、医工連携+デザインになってきましたが、
私が看医工学という、保健学がきわめて真の人間学、
それは環境化(人工:ロボットや情報と自然との調和ではない)に
最適であることをこの図解では、明確になっていると考えます。
当然にPKD=Peace-Keeping Designと「完全無菌」対「抗体保健」を
なんとしても3.11復興と気候異変+感染症防止に向ける開発は
年内には、「デジタルアッサンブラージュ」としての
機器装置からロボティックス情報環境づくりで
これがデザインであるという、
デザインと何らかの発想を大転換できると考えています。


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『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』


   


     9月 22nd, 2015  Posted 12:00 AM

私の記憶では勝山市北谷で、恐竜の小指発見が、
わがふるさと福井を恐竜の街にしたようです。
昔、恐竜の本物を米国の自然史博物館で観ました。
その圧倒的な巨大さがありましたが、
現在はデザインされた妙な展示で面白さが消えています。
そういう意味では、ふるさと福井駅に着くと、
正直、金沢駅の華やかさは全くなくて、
まさに田舎街ですが、「ここまで恐竜か」と驚きます。
先般も「羽二重」織物工業の青年部会指導に帰ってみると、
工事現場の看板にまで用いられ、
様々な恐竜には「フクイなんとかザウルス」まで、
どんどんと発見されているようです。
そして恐竜博物館は、ボランティア組織での運営など、
新たな博物館のあり方としては注目。
全国の小学生男の子たちには「聖地」が勝山市だそうです。
私も一時期は恐竜の名前や図鑑を一通り完読。
男の子にとっては、
とめどない古代への夢のロマンあふれる恐竜たちです。
最近では、羽毛もあったとか、まだ恐竜の実在的な色彩も不明ですが、
アルゼンチノサウルスやディプロドクスの巨大さは、
長さが30mで100tとか聞くと、これは船舶と同等の大きさに感じます。
今は自宅には唯一のティノサウルスが一頭います。
いわゆる巨大動物は象やキリンやカバ程度でも
彼らの大きさは実感できますが、
こうした恐竜たちが生きていた時代となるとそれは想像を絶します。
勝山市北谷近辺は加越国境の山々が、大長山から烏帽子岳などが、
白山山系の手前にあり、高校時代にはすべて縦走しています。
今でも白山手前への加越国境の山々はすべて名前と、
高校時代に縦走していた思い出が重なります。
この縦走訓練が、
大学時代の後立山・立山・剣岳それから針ノ木峠に出て、
そこから一気に大町駅に下ることを4年間やっていました。
私が高校時代には勝山市北谷ならば、イワナが捕れる山系でしかなく、
まさか、この勝山市が恐竜の中心地となって、
福井県が恐竜の街として、これほど私が帰省するたびに、
ここまで恐竜で語っていると思うほどですが、
プロのデザイナーとして、地方活性のシンボルとするならば、
まだまだ知恵不足なことは確かなようです。
もっともっと、「恐竜の聖地」になっていってもらいたいものです。


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『英文の日本文化百科辞典も見つかった、その思い出』


   


     9月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

書庫からはなんとしても見つけたかった
英文での日本のいわば百科事典も見つかりました。
これをなんとしても手に入れようと思っていたのは、
米国でApple社での仕事、
そのプレゼのために必要だと思っていたからでした。
ところが、どうしても2巻が見つからずに
探しまわりました。
それは一番なんとしても調べあげて、
徹底的に知りたかった項目がその2巻にありました。
すっかり忘れていた項目には、
ポストイットが色褪せて張り付いていました。
それは明確に、仏教、道元、曼荼羅には、
確かにその当時には「Mind Top」というネーミングであり、
3×3で9つの金剛界曼荼羅がデザイン表現意図でした。
まだ、Appleがノートタイプの開発に入ったという
そんな噂しか知りませんでした。
私の提案の骨子は曼荼羅であり、その曼荼羅の仏教と、
さらには自分のふるさと永平寺と道元を
デザインの背景だと絶対にCEOであったジョン・スカーリー氏に
話さなければと思い込んでいました。
スカーリー氏は実際にはCEOではなくて、Chief Listenerであり、
この理由を知っていた私は
Dream Designerという名刺を作成までしていました。
そして、英文での曼荼羅の大きな図鑑も持参しお土産にしました。
なんとか下手くそな英語で曼荼羅を伝えて、その図鑑を差し出したら、
彼の社長室の本棚でも際だったところに同じ曼荼羅図鑑がありました。
ノートブックPCは、デスクトップ、ラップトップ、ハンドトップから、
最終的にはマインドトップが私の狙いで、その裏側の仏教、
特に道元そして曼荼羅を懸命に話した思い出が
すぐにこの百科事典で浮かびました。
そうしたらなんのことも無くスカーリー氏は、仏教、そして曼荼羅、
いずれにも詳しかったことを後に知りました。
そして、プレゼが終わると時間が延長になり、
スカーリーが呼び出してくれた人物はアラン・ケイでした。
私が夢かと思う出会いで、
同じ内容、仏教、道元、曼荼羅の話でプレゼしました。
丁度Apple社はコードネーム「ASAHI」開発の現物を見せてもらって、
「なぜ君はキーボードが奥にあって
手前がスクロールボールになるのですか」と聞かれました。
この英文の日本文化の百科事典も、やっと書庫で10年ぶりに出会い、
そして自宅に持ち込んでいます。
これで、英語での日本文化紹介には最適な百科事典です。


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『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


   


     8月 16th, 2015  Posted 12:00 AM

私の企画戦略には必ず立ち戻る基本があります。
それはインド思想の木火土金水と仏教思想の風地火水空です。
この四句分別によって25 のマトリックスが生まれます。
それは25のコンセプトが生まれるということにつながります。
少なからずこれは世界観での25の問題点が整理されたコンセプトです。
しかし、これだけ全てを列挙すると、二つの疑問にぶつかります。
まず、デザインでそのようなことをやってもらいたいとは・・・
これで台無しにして仕事をどれだけ失ってきたでしょうか。
デザインでそこまで語ってほしくは無かった・・・
これで仕事をしたくない行政マン、役人(人に役立つ人)を知り、
彼らの生息生理をほとんど知ってしまいました。
このことで、若い頃はクライアントに喧嘩を売り喧嘩師になりました。
最近は利口になって、インド思想にも仏教思想にもある火と水を
主体的に語っていくことを中核にしています。
無論、両方の思想の核心にある火と水には同意性と差異性があります。
それを論理的に学び直したのはガストン・バシュラールでした。
バシュラールは、明確に水と火は対照的な著作を残しています。
そして彼の著作を度外視していたつまらない輩がいたこともあります。
私にとって、現実的には、水と火、それぞれがCGになる過程を
まさに米国で立ち会ってそのプログラミングを見ることができたこと。
これは生涯の思い出になっています。
しかも、このNatural Phenomenaというコードネームには、
明らかにバシュラールが基底で語られていたことです。
火も水も、デジタルとして燃えさかることと水滴や流れまでが、
制御と否制御が起こってしまうことでしたが、
結局、火は燃えさかっても熱くはなくて破壊することがありません。
水も自然と水滴から大洪水も決して起こらないことです。
これがデジタルの限界でありながらも、自然よりも勢いがあります。
私は、自宅にデジタルの全く無温度の火と水を配置します。
それこそ、自然と人工を対比させた日常を側に置いてみることで、
自然=アナログを絶対にデジタルで調和も制御も出来ないことを
言い聞かせる手法だと思っています。


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