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6月4日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

6月4日 友引(丁巳)

発想はもちろん、
思考の結果ですが、
その軽薄さに、
デザインを載せることは
不可能です。

川崎和男の発想表現手法


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『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』


   


     5月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

このブログのテキストのみの表現は無視されることが多いのです。
しかし、テキストとしている「ことば」は
「かたち」発想のための極めて肝要な発見です。
このところ現状のデザイン、デザイン界に向けて
相当の評価をしてきました。
その根底にあるのは、温故知新と不易流行であり、
自分なりに調べ上げてきた重要な新発想の造語ばかりです。
ただただ自分はデザイナーという天職の認識を遵守したいのです。
「Silience」という古語とその言語であるラテン語、その意味を見つけ、
それはメタ発想とパラ発想に至っています。
翻って再思考すれば世情は簡単に誰もが「IoT」という将来像を掲げます。
具体事例はあまりに曖昧ですが、その講演会や書籍が氾濫しています。
しかし、その詳細領域やあるいは決定範囲こそ
明確にするべきであり、デザイナーゆえ、
温故知新の原語からそのメタ論理とパラ論理を下敷きにして
まず、「コンセプト発想」から解放して「問題解決」に至ります。
「イノベーション」なぞを安易に用いず、
それこそ「IoT」での曖昧さを拒否します。
結果、Internet of Medical Thingsを具現化するモノのデザインをします。
そのモノからこそコトが見えてくれば制度化される次世代デザインを提案。
その提案こそ、不易流行と成しえる「価値の創出」になります。
まもなく、肝心なInternet of Medical Thingsを提案します。
その背景にはコンシリエンスデザインと今、
熊本地震で地道に活動しているレジリエンスデザインチームがいます。
予想されている南海トラフのリスクにはなんとしても
IoMeTが必要だと考えています。

*『手づくりから物事デザインと事物デザインを決める』
*『非常事態の準備は再考しなければならない』
*『これからのデザインを語るために=・・・signare・・・』
*『silienceからパラ理論とメタ理論への展開が可能になる』
*『IoTは、再度アナログとデジタルの融合が基本』


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『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』


   


     5月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

無念だが、これが「天命」でしょうか。
グラフィックデザイナー・佐藤晃一氏が逝ってしまいました。
毎日デザイン賞を1990年に同時受賞しました。
受賞式は帝国ホテル、彼は群馬から両親をそのホテルに泊めていました。
控え室で、グラフィックデザイン界の重鎮たちから
「いい親孝行ができたね」と、言われていました。
初めて彼と出会いましたが作品はほとんど知っていました。
彼の受賞理由は「グラフィックデザインにおける日本的精神性」でした。
独特の淡いグラデーションの簡潔さは今も生きています。
今ならデジタル表現ですが、当時の手法を真似ることは不可能でしょう。
二人きりで「やかん」の話をしました。
丁度自分はニューヨークでダンスク依頼のデザイン開発を見てきた話、
恩師の作品やなぜ日本では製品デザインが困難かなど打ち明けてしまい
興味津々の彼の眼差しが今も心によく残っています。
彼のやかん探しに自分が驚いたことですっかり打ち解けていました。
お互いに若くして40代で受賞できたことを喜んでいました。
「これでやっとデザイナーだよね」と言い合いました。
受賞式の壇上では、自分を選んだ倉俣史朗氏の急逝を思い出し、
ついつい、涙声になり、とても重すぎる賞碑を支えてもらいいました。
彼は多摩美術大学の教授ゆえ、
客員教授の自分はいつでも話せると思っていて、
とても大事な機会を失ってしまったことが悔やまれます。
当時の毎日デザイン賞の受賞には
必ず国際的な評価が必要だったはずです。
しかし最近はその事例が失われていると批判したことがあります。
壇上で、小声で話していた会話を懇親会でも話しましたが、
この続きは出来るならもうひとつの世界で話すことになるでしょう。
心から冥福を祈り、
やり残した仕事の結果を持っていく使命を確認しました。

*『昨日大先輩は旅立たれた・栄久庵憲司氏から私の評価文』
*『緊急課題になった「リトルネッロ論」の再考と具現化』
*『ケトル・デザインへの好みの集中が不景気感になっている』
*『インダストリアルデザインからプロダクトデザインへ』
*『幻の発明だったモノの現物があった=柳宗理のデザイン』


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『羊と鋼が調律の要だった、それを実証した友人』


   


     5月 21st, 2016  Posted 12:00 AM

「羽二重」ブランドの産地ブランド計画指導はすでに5年になっています。
結果も出せずにやや焦っていますが
「布のかつての絹織物革新」を歴史と科学的論証、そして、
絹織物から最先端的素材開発はそろいました。
それでも焦った気持ちを親友に帰阪途中に愚痴ってメール。
そうしたら故級友・上田喜久雄氏の息子と飲んでいると返信。
そうだったんだ。級友上田は高校時代の友人であり特別進学クラスなのに、
唯一、大学ではなく「調律師」になった男でした。
進学間際まで、休み時間はスティックをいつでも練習していました。
正直毎回うるさかったのですが、
とうとう問題になり進学クラスを出されることに、
そこまで高校は決断していました。
彼はブルーコメッツが福井公演の時に、
バンドマン希望をブルーコメッツに伝えたほどでした。
進学高校で唯一大学には行かず調律師学校を出て「調律師」になりました。
医師・看護師・調律師と「士」ではなく、「師」ですから、
やはりそれなりの知見と技術技能があったのです。
福井時代、自宅に来たときにオーディオからデザイナーになった私に
彼も驚いて、オープンリールのテープ2巻をくれて、
ジャズの話が出来た男でした。
上田喜久雄も夭逝してしまいましたが「彼を偲ぶ会」があったほどです。
福井のジャズやピアノの世界では活躍をしてくれていたのでしょう。
それが、なんと「本屋大賞」の「羊と鋼の森」という小説になっています。
後書きには彼の名前がしっかりと記されていました。
しかもこの小説の作家・宮下奈都女史も福井県出身でした。
是非、上田の息子と会いたいと思っています。
なぜなら、この息子も、羽二重を継承している中心の若者も
同じ国立名門のN工業大学出身者だからです。

*『ビートルズに出会った世代の幸運さ』
*『ふるさと福井はまだまだ恐竜の聖地になれる』
*『あれから・・・ふるさと福井の織物産業』
*『素材産地からWブランドのアライアンスイニシアティブ』
*『オノマトペ=感性評価軸が学術検証された』


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『災害時の衣・食・住・医・職・趣その不便と不安の解決』


   


     5月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

九州大学での「レジリエンスデザインチーム」と
現場におけるこれからのデザイン活動を論議しました。
その結果は、ともかく巨大な「不便さ」を
被災者社会は受け入れざるを得なくなるということです。
熊本現地にデザインチームの「調査」は
予想していたとおり、デザインがなんで調査に関係がある?
この質問に取り囲まれたということからでした。
明確な方向を「レジリエンス」=ストレス・プレッシャーに
克っていく個人とその社会づくりは、
「衣・食・住」にまず、天災は不測の事態が突然襲いかかり、
衣料も食・水、さらに住まいが不足することです。
これはもう一つの「医・職・趣」に関わります。
不潔さは感染症を引き起こし、医療が必要です。
職業は当然、休業になります。それこそ、不利が
その集団を取り囲むのです。
ところが、たとえば救難所では編み棒が欲しいとか、
何をして、災害避難所で編物や刺繍とかが求められるのです。
そうした不備さや、自宅への盗難などの不穏さが、
結局、不平と不満が個人毎のストレスやプレッシャーになります。
不信感と不真面目さを被災者は気持ちにため込んでいくのです。
しかしこれらは自律的な解消を個人個人が自克しなければなりません。
こうした「不平感」は、自律的な克己性を高めなければなりません。
ところが不潔や不足、不備や不利、不穏さは他律性で解消解決が当然です。
「不便であること」と「不安であること」の自律性と他律性をデザインで
すべからく問題解決するというのが、
まさに「衣・食・住・医・職・趣」への災害時・防災のデザインです。
すでに 37大学支援がこのチームにあり、
具体的に防災課題の実例報告が入ってきています。

*『「危機」・ことばの定義について』
*『資本主義、逃走した後の文明と文化の対象』
*『デザイン領域の「統合」による安全・安心・防災・防犯』
*『「不安」が最大なことは被災することである』
*『お月様が見ているよ・・・性善説の人にもどるために』


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『デザインはすでにここまでが必然となっている』


   


     5月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

これは現在整理中の動物実験の結果写真です。
あくまでもこれはデザイナーとしての活動。
デザイナーにとって、これまでは動物実験にまで臨むというのは
デザイン活動とは考えられてきたことではありませんが、
「医工連携」での開発では決してその成果は実現されておらず、
流行の「デザイン思考」も間違いであると主張してきました。
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」を結びつけて
全く新しい医療機器を開発してきたために、
医学・看護学・保健学・工学、これらの統合化こそ、
デザインがその主導権をもって進行させるということでは、
この動物実験そのものにデザイナーが加わるというより、
実験そのものを再デザインする立場にあるということです。
まず、動物実験のシステムさえ、
この分野にはまったくデザインは立ち入ってきませんでした。
では、「医工連携」と言ったところで、
工学的なアイディアも、まず、生体=動物上での
確認が必要です。
生体上での「安全性・確実性」が証明されて、
医学的証明=エビデンスになり、生体としての人体での効用性が
やっと明確になるということです。
そのためには「コンシリエンスデザイン看医工学」が不可欠という
実務的な具現化された医療機器が登場するということになります。
かつても、こうした研究成果を国際コンペに提示したことがありますが、
「難しい」とかの理由で受賞出来なかった時に、
デザインが未だにデザイン自身が解法されていないと、
自分は明確に自覚しました。
よって、この動物実験からの「デザインによるモノづくり」を
ようやく公表することが出来そうです。

*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『デザインは問題解決の手法であると再度主張』
*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『ベクトル論理では「何がデザインか」となる』
*『商品である「デザイン思考」は経営論にすぎない』


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『デザイナー能力の格差が拡大している』


   


     4月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM

デザイナーの能力が想像以上に低下しています。
これはデザイナー教育の教員能力が低ければそのまま学生に反映、
デザインコンペも審査委員能力が低いと、受賞は低レベルです。
ところが反対に、熊本の収束が見えない連続する大地震に、
直・現場の崇城大学のデザイン系教員と学生、
九州大学のデザイン系教員(レジリエンスデザインがテーマ)と学生は、
目の前で起こっている被災状況に必死で取り組んでいます。
あるデザイン系大学では「防災もデザイン?」とか、もう呆れかえります。
自分は「コンシリエンスデザイン」を昨年、正式に訴求してきました。
しかし、大企業のデザイン部門では、
「デザイン思考」が社内では理解されているわけではないけれど、
他部門は、企業ビジョンとか、イノベーションがデザイン思考で改善する、
かもという期待感が最もらしくブームになっているとのことです。
とても、造形言語=designing language、
形態言語=designed languageによる、形態デザインと制度デザインが、
デザイン意図・デザイン内容で、その社会的なプライミング効果がある、
このような論理展開はまったく通じないことだと思わざるをえません。
あるデザイン事務所が小冊子130号出版をやり終えていました。
この中身は、それこそ、言語論であり、記号論でした。
素晴らしい小冊子を発行されてきましたが、
この書籍を読了不可能なデザイナーがリスペクトされないのは当然です。
40数年デザイナー、そしてデザイン学者として生きてきて、
果たして、まもなく動物実験結果がわかり、
製品と論文と、そして制度設計が待ち受けている
プライミング効果としての期待をされるデザイナーが育成不足です。
デザイナー教育に大問題があるのでしょう。
デザイナー能力格差が激化しています。

*『記号論でのコンシリエンスデザイン』
*『かたちの意味・造形言語と形態言語』
*『『007』形態言語を変更した新たな造形言語の失敗事例』
*『『形と性能』・デザイン成果=造形言語と形態言語』
*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』


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『コンセプト主義からの解放=デザインテクノロジスト』


   


     4月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

デザイン発想は「コンセプト」主義に呪縛されています。
僕は、コンシリエンスデザインと看医工学を対象として、
「コンセプト主義からの解放」を
新しい手法論に持ち込んでいます。
それは、文脈と物語性、コンテクストとアフォーダンスで
「ライン」にコンセプトからストーリー発想を込めています。
この結果がつながっていくのが、
インターネットの高密度情報ネットワークの基盤化です。
ところが、これはすでに「スマートシティ」計画や
「ビッグデータ」に結びついていますが、
現在、この言葉もコンセプト、
ほぼ概念どころか観念に近く破綻しています。
これは何としてもコンシリエンスデザインの実務実績の目標です。
また、わが国の3.11での天災と人災では、その復興と対策は不可欠ですが、
国内の全大学でも、3.11を教訓として「レジリエンスデザイン」は大欠落。
僕の次世代デザイナーへの置き手紙はここに集約されなければなりません。
これらをテクノロジーで陵駕していくのは、
まさしくロボット社会ですが、
これは、人工知能的な思考に「手=脳」というアナログ性をデジタル化が
コンシリエンスデザインの最大目標だと認識しています。
そこから、このデザインの対象は
「私たちが幸福だろうか」という根本疑問があります。
この問題解決・価値創出・未来創成を創発させるのは、
「ライフケア」という新たなプライバシーと社会的な新たな制度設計です。
これらを成し遂げる次世代デザイナーは、
必ず、「コンシリエンスデザイン」を下敷きにした、
デザインテクノロジストの養成だと考えています。
インターン生・研究員を公募しています。

*『看医工学としての介護のコンシリエンスデザイン』
*『モノの神話性から物語り性がアフォーダンスを超えていた』
*『コンセプトからイノベーションは起こらない』
*『プライバシーという人権の荒唐無稽さ』
*『コンシリエンスとレジリエンス』


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『素材産地からWブランドのアライアンスイニシアティブ』


   


     3月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

産業のスタートは繊維産業でした。
五か条のご誓文を書いた由利公正は国家の殖産興業を考えた最初の人物。
彼が橋下左内、横井小楠から学んだ結果は富岡製糸場に結実しますが、
すでに生糸は海外から認められなくなっていました。
結果、細井順子女史らの「縦糸2本横糸1本」の「羽二重」は
世界制覇をします。
羽二重でのパラシュートを陵駕するためがナイロンの発明であったのです。
「羽二重」は人絹から今では高密度ポリエステル産業に発展してきました。
繊維には長い間に繊維性能が七つありました。
 ・「しなやかさ」
 ・「ふくらみ」
 ・「はり」
 ・「こし」
 ・「ぬめり」
 ・「しゃり」
 ・「きしみ」。
この七つの感性評価が繊維・布の基軸になることはありませんでした。
私たちはこの七つの感性評価をオノマトペでの研究で、
明確に手本・見本にするマーク表現をしてきました。
僕自身が母方の実家周辺は
いわゆる「機織り屋さん」が幸盛を極めて来た時期、
僕の遊び場は小学校より大きな機屋工場でした。
ふるさと福井に、私は「ダブルブランド戦略」を準備しました。
まず、ふるさと福井は「素材産地」として「羽二重=HUBTAE」にて
メーカーでは、企業毎、商品アイテム毎をブランド化します。
そして、「素材」はさらに新素材から新たな製品化・商品化を産地から
高密度素材開発からの「記号商品」を発表していくことになるでしょう。
素材には確実な感性評価基軸のマークが、素材性能を表します。
すでに、新素材は新たな繊維としての試作を開始しています。
この新素材はやがては医療用として、細胞シートになる可能性があります。
いずれ衣食住の基本である繊維は
日本の新たな素材産業を創成するでしょう。
その大きなきっかけが、繊維の歴史から、
それはコンセプトではなくて
LINEとしての新産業のアライアンスイニシアティブを
かつて、由利公正が意図していた
日本の主産業になると僕は確信しています。


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1月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 23rd, 2016  Posted 2:30 AM

1月23日 先勝(甲辰)

美しさ、
その結果に至るプロセスは?
この問いかけが「品質」を創る。

川崎和男の発想表現手法


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