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Posts Tagged ‘絵’


『500年後のダ・ビンチを』


   


     12月 11th, 2019  Posted 12:00 AM



没後500年、1519年に亡くなった
レオナルド・ダ・ビンチの記念展や特別展が開催され、
あらためてその足跡を追い、徹底的な作品解析などが行われ
高い注目を浴びています。
私のデザインしたメガネが話題となり一躍、
海外からのインタビューを多く受けたとき
「人工心臓も手掛けるなんてダ・ビンチみたいですね」と言われ、
「ダ・ビンチより僕は絵が上手いよ」と冗談で返していました。
以前フランスから持ち帰ったこの本は常に自宅に置いてあります。
解剖図は、外科や兵器・軍器での手稿が多く、
それこそTAH=完全人工心臓の取り組みの中で
彼のスッケッチを何度も何度も見ました。
心臓の二つの弁も、彼は解っていました。
500年も前なのに解っていたことや、不明さもありますが、
彼の手稿が残されたことで、なぜこれが描けたのかと思われる
自分の村=ビンチ村のスケッチで彼の発明の軍器もあるのです。
これを眺めているだけでも、発想の啓示があり、
私のデザインのエネルギーとなるのです。恩師が私に、
「教職に就いている間は書物は持って行きなさい」と、
私はリタイアされて随分と経ってから、
大きな研究室と書庫を処分されました。
この言葉には、今になって気づかれます。
言葉通りに、自宅倉庫、レンタル倉庫と
必要十分な書籍に囲まれています。


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『手にぴったりの60−30の三角定規だけです』


   


     7月 8th, 2019  Posted 12:00 AM



三角定規は、45−45、60−30、が組になっています。
私は、スケッチにこの60−30の三角定規だけを
唯一の定規としてこれまでも使ってきています。
この定規は、私の掌にぴったりであり、これを回すことが出来ます。
三角定規もいろいろ使ってきましたが、回せるのは、これだけです。
だから、私の愛用ツールになっています。
これだと、60−30でスケッチが描けますから、
私の「直線的造形」を支える一本のツールです。
最近では、スケッチも車椅子ゆえ、タブレットを利用することが多く
あまり使ってはいませんが、45度に傾けて使えるのです。
そして、清潔に管理するのにトルエンが今では手に入りませんから、
除光液を使っているのです。
現在、秋に発表するスケッチでは大活躍です。
時にはペン回しのように、この60−30を回します。
寸法に関して、このところコンピュータ上だけで設計管理していると、
100分の一の寸法がとても「変」なのです。
たとえば、図面で書けないはずの82.25などといった寸法になっています。
82、82.5、80にならないのかとか、あるいは83の検討をすべきです。
造形デザインでは、10分の一なのです。
発想を生み出すスケッチ、寸法を管理する手描き、
そしてこの三角定規なら、スッケチも図面でも使えます。


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『365日の「日記帳」をつけようと考えている』


   


     7月 7th, 2019  Posted 12:00 AM



この日記帳は、大御所のグラッフィックデザイナー松永真氏の
アイデアでした。
1日見開き1頁で左が真っ白、右が罫線で、
半年で1冊つまり1年は前後半の2冊という仕様です。
スケッチや絵と文字書き両方満たすこの日記帳は、
多くのデザイン関係者が愛用していました。
私も送っていただき愛用していました。
162日間入院している時も、それは『プラトンのオルゴール』など、
その当時のアイデアを書き込んでいました。
やがてメーカーが製造をやめました。
私自身は毎年、スケジュール帳や新たな手帳をちゃんと持ちます。
しかし、紙面に「書く」よりも、
このブログもそうですがデジタルで「書く」が
大半を占めていました。
あらためて最近「私は終活は止めた」とブログで綴りました。
そしてM805・ブルーデューンでペリカンを買い求めました。
その流れで当然「書く」ための紙やノートを色々確かめていたら、
日記帳365を見つけました。
昔からノート類は綺麗な文字で書いていました。
美大時代には、数学の先生から私の授業ノートを「くれないか」と
言われましたほどです。
日記帳365は、その1頁目をいつからはじめてもいいと書いてありました。
1/365を自分で決めることができます。
父はじめ妹もきっちりと日記をつけていました。
また、いつか止めるかも知れませんが、
「よし、今度こそ」って思っています。


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『日本が開発するレーザー拳銃』


   


     1月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM



ピストルという呼称より、私が覚えたのはピースメーカーでした。
この絵を子どもの頃に随分と描いていました。
ピースメーカーこそ、米国が開発したリボルガーでした。
また、日常的には警官だった父はS&Wのリボルバーを携帯していました。
当時は在宅時でもピストルを管理していたのです。
あるとき、私は男の子だからやはり興味をしめしちょっと触ろうとしたら、
父から押し入れに閉じ込められ、こっぴどく怒られました。
今では、モデルガンを相当に持っています。
オランダ語のピストルは、
もはや、英語のハンドガンと呼ぶようになりました。
今、日本の警察が使用している
ハンドガンでもSIG223JP が一番進んでいるでしょう。
またピストル、ハンドガンから
3Dプリンターでのリベレータが登場しています。
私は、殺傷目的ではなく「失神銃」を
日本がやるべき新しい拳銃だと思っています。
それこそ殺人を絶対にやらないで、
レーザー光線で1~5分間は失神する拳銃です。
この話を警察大学校の講演ですれば、大きな拍手をもらいます。
今、阪大にもレボルバーや自動拳銃の話、
モデルガンを事細かに話せる教授がいます。
実際、欧州の工業デザイナーもハンドガンの設計を手掛けており、
その造形ディテールで、他の製品でもわかります。
工業製品のキーワードとしての人間工学=エルゴノミックスは、
元来は戦術的学問として登場しました。
戦闘状況下での「効果」と「安全」から
第2次世界大戦後には労働成果のための科学となりました。
Ergonomics は、Human Factor Engineering と呼称が変更され、
その目的は、「快適」「健康」「安全」の工学として変容したのです。
時代とともに変容すべきなのです、
SIGはそもそも列車をつくっていました。
(ここの歴史を述べたいぐらいです)。
日本は絶対にレーザー拳銃(人を殺さない失神銃)をやるべきです。


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10月05日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 5th, 2018  Posted 12:00 AM

10月05日 先負(庚午)

なぜ多くの人が
ツールにとらわれてしまうのだろうか。
多くの理由があると思うが、
そんな理由を確かめることをまず忘れている。

列挙してみよう。
1 時聞がない・・・・じっくり考えていない
2 手先が不器用だ・・絵や写真に興味がない
3 面倒くさい・・・・本来プレゼンに熱意がわかない
4 手早く済ませたい・想像力が欠如している
5 ともかく便利だ・・図を描くことが苦手
ということになる。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


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09月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 29th, 2018  Posted 12:00 AM

09月29日 先負(甲子)

なぜ多くの人が
ツールにとらわれてしまうのだろうか。
多くの理由があると思うが、
そんな理由を確かめることをまず忘れている。

列挙してみよう。
1 時聞がない・・・・じっくり考えていない
2 手先が不器用だ・・絵や写真に興味がない
3 面倒くさい・・・・本来プレゼンに熱意がわかない
4 手早く済ませたい・想像力が欠如している
5 ともかく便利だ・・図を描くことが苦手
ということになる。

『プレゼンテーションの極意』タブーの逆説「いい加減」なプレゼンの「良い加減」づくり


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『正三角形でのデザイン発想で造形言語と形態言語』


   


     8月 4th, 2018  Posted 12:00 AM



江戸時代から「絵図をえがく」というのは、
泥棒が使い、刑務所用語となって、今でも警察用語になっています。
絵や図が発想の起点だと考えていいでしょう。
だから、デザイン発想の一つのやり方だ、と私は考えてきました。
ところで、「絵」は難しいけれど「図」ならやさしいと言うこと。
「絵」は誰かが「下手」と言えば、「絵」は性格的に苦手になるものです。
だから誰でも「絵」や「絵画」を否定的に批判することは駄目です。
「図」はたとえば地図をかけばそれなりにコミュニケーションができます。
そこで、正三角形は四つの配置があります。
右の各図にともかくA・B・C を三角形の頂点におけば、
いわば、「木」があって「林」なり、それが「森」になる、とか
「森」は「林」からなって、それぞれが「木」であるという、
このようなシナリオが書くことができます。
そこから、A・B・Cはコンセプトという要因や要素になります。
これが、発想での正三角形の応用だと考えることができます。
もし、「造形言語」といってコンセプト3つでシナリオを描けば、
今度はさらにシナリオによって「形態言語」が生まれます。
三角形での「造形言語」は「用途」のコンセプトを決めて、
「形態言語」として「内容」をシナリオ化できます。
正三角形の発想、その一つを論理化したいと望んでいます。
これは発想方式として私は書籍化することを考えているのです。


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『超音速だからこのカラーは零戦と同じかも』


   


     12月 14th, 2017  Posted 12:00 AM




まるで「ネギ」のようだって言うのは素人感性です。
子供の頃、ともかく記憶したのは
まずは拳銃:ピースメーカーと軍艦と戦闘機でした。
これらの絵が描けて本当にほとんど知っていました。
今、子供が新幹線や山手線の駅名を言えるようなものです。
だからNASAが開発した超音速機、その船体=飛行機は
SHIPと呼ぶので私も船体としますが、
この音速機=東京からニューヨークを5時間というのは、
大丈夫と思いますが、コンコルドを超えた飛行機の登場です。
よくNew YorkのJFケネディ空港でコンコルドを見ました。
どうしても乗りたくて申し込みを2回やりましたが、駄目でした。
そうしてコンコルドは無くなってしまったのです。
あの模型が置かれている国内のホテルは知っています。
とてもモデルとしても美しく、これほどの模型はなかなか無いでしょう。
では、このNASA開発の超音速機はまるで「ネギ」だと言われていますが、
その指摘は間違いだと私は思っています。
これはあくまでも私の推測でしかありません。
なぜ、「ネギのような」というのは、
二つの理由があると思っています。
一つは明らかに来年度の流行色がグリーンとホワイトだということです。
そしてもうひとつは、零戦のカラーリングです。
最初の零戦、真珠湾攻撃は灰色だったらしいですが、
零戦の性能とその攻撃法にあったのだと私は思いたいのです。
零戦性能は長距離を飛ぶものでしたが
操縦技能が訓練されたパイロットたちは、
急降下一撃発射にありました。
急降下するそのスピードは、特にスッピットファイアーなどにとって
その急降下しながらの戦法は恐ろしく正確だったらしいのです。
そこで急降下スピードを知って音速機はグリーンになったのでしょう。
グリーンといってもそれはカモフラージュ柄です。
そして特に高度があって、その飛翔物体色としては、
おそらくプロモーションビデオを撮れば、
きっとこの物体色=船体カラーは美しいと私は思っています。


* 『「電卓」内の増殖化と焦点化にパソコンがある』
* 『軍事技術である人間工学 は軽薄に語るべきでない』
* 『ケプラー452b星人かもしれない』
* 『大戦学理を超えた平和構築の情勢報告』
* 『情報戦とマッハ戦から無関係であってほしい』


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「富山県工業系高校先生方への講演」


   


     12月 8th, 2017  Posted 12:00 AM




高校生や校長会で講演をする意義は大きいと考えています。
今回は富山県高等学校工業科主任研究協議会にて講演をしました。
呼んでいただく高校はそれなりにいわゆる偏差値も平均的、
大学進学が OKなのですが、65は越えていただきたいと思っています。
なぜなら、高校教育では偏差値60以下は大学進学はすべきでないと、
私は思っています。
無論、偏差値そのものが高校生の能力だとは考えていません。
所詮、課題に回答、その丸暗記の訓練に過ぎないからです。
私は高校生として問題意識をそろそろ持つべきと考えています。
現に、主要5科目よりも問題意識とその解答は、
美術・音楽・スポーツが本当は主要科目だと確信しています。
したがって、工業系高校は本当に理科系でしょうか?
それは理科系へ偏向しているだけだと思うのです。
工芸科、電気科、情報科、建築科などの理科系要素は専門的に高校生、
彼らの能力に匹敵しているのだろうかということです。
それこそ最近の生徒(小学生や中学生)書き文字がとても下手くそです。
さらに、読書不足は甚だしくて、
「本を読むと頭が痛くなる」という学生を
教諭である先生方は、その治療義務を見逃しているのです。
本を読んで頭が痛くなる時点で脳障害があること、生理的な大問題に
全く先生方が無関心過ぎるのです。
これは日教組なる組織が生徒や学生ファーストよりも自分ファーストで
待遇という権利しか主張してこなかった歴史にうずもれたのです。
実例を言えば、
「絵が下手だね-」ってこの言葉で
生徒・学生は傷つき絵が苦手になるのです。
文字と絵の関係は頭脳開発ではとても大きな問題です。
こうしたことから、高校生になってしかも理科系はとても偏った、
それが教育、課題:回答と暗記だけで偏差値を決めていることです。
最近の一芸に秀でているとか、
AO入試などは最低の能力検定だと主張します。
私はこの講演を「学術と芸術、文科系と理科系の融合概念」と題しました。
それは「コンシリエンス」という言葉=概念を知らせたかったからです。
私は高校での工業系、商業系、あるいは農林や水産という専門性は、
高校教育には今後は絶対に不必要だと考えています。
それならむしろ高等工業専門学校で
5年生の高等教育制度が必要だと思っています。


* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
* 『コンシリエンスとレジリエンス』
* 『書いて覚える=コンシリエンスデザインを語るために』
* 『主要3科目こそ受験勉強=回答訓練でしかない受験勉強』
* 『デザインは解である』


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『薔薇というシンボルから花言葉も消した問題解決』


   


     10月 7th, 2017  Posted 12:30 AM



美大時代に、絵・スケッチが最も下手だった私が練習で描いたのは、
薔薇と菊の花が一番多かったことを思い出します。
薔薇は花弁と茨・棘の関係を最もよく観察していました。
菊は花苞と葉っぱの葉脈でした。
花というと直ぐに、薔薇と菊が練習した思い出に重なります。
47歳の母を見送ったとき、彼女を取り囲んでいた菊は好きではありません。
薔薇の品種改良はとてつもなく進化しています。
薔薇というロマンティックさもありますが、
一時は薔薇の花言葉をすべて暗記していたこともあります。
最も、よく薔薇で女性へのアプローチなどはふやけた男だという意志は、
今でも全く変わりません。
しかし、薔薇それぞれの色を見れば、
最近の映画では、決して間違ってはいけないはずなのに、
花言葉に気づかない監督?や助監督?に呆れることが多いです。
最近はある企業ブランドの薔薇をシンボルとしてきたその理由からも、
このようなシンボル、あるいはマークはあり得ないだろうと思って、
幾何学的にとか、特に化粧品とかの
ブランドマークとかを全て見詰めています。
そして、なぜ人は薔薇にロマンを求めるのかは、
どうも自分には似合わないとか思いながらも、
「薔薇は美しい」対「美しい薔薇」を再考しているのです。
これはあの「花は美しい」と「美しい花」を薔薇に求めているのです。
決して薔薇はあれほどの棘があってもロマン性は傷まないのです。
だから、それこそクライアントがもっと薔薇をシンボルに求めたい、
その気分・気持ちと商品価値性を現代整合性を見直しているのです。
もう一度、菊と薔薇を見直し、さらには牡丹という花など、
花言葉を決めてきた極めて人の物語性的な存在感を求め直しています。
きっとそれはグラフィカルなシンボル性の目印としてのデザインなのですが、
私自身は、花言葉も放れ、ロマン性を翻したそんなデコレーションとしても
薔薇という存在感に問題解決を必ず置きたいと思っています。


* 『「酉年」シンボルにモダンデザインの名作がある』
* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『注射器はまだまだ痛い』
* 『装飾はデザインにあらず、されど装飾はデザイン可能』
* 『デザインというスタイリングの二種類』


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