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Posts Tagged ‘絵’


9月12日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 12th, 2016  Posted 12:00 AM

9月12日 先勝(丁酉)

絵が下手なら、
図は誰でも描ける。

絵は、ある規則を知ってしまえば
誰でも、
すぐに上達するものだ。

川崎和男の発想表現手法


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9月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

9月11日 赤口(丙申)

鉛筆デッサンの意味
これはとても重要だ。

絵が上手いことと
絵が下手なことを
決して、
教育で区分してはいけない。

川崎和男の発想表現手法


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8月30日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 30th, 2016  Posted 12:00 AM

8月30日 仏滅(甲申)

「創育」にはスケッチ、
こういうと
「絵が下手だから」という
この理由が多い。
その時は
「図」がある。

川崎和男の発想表現手法


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7月28日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

7月28日 赤口(辛亥)

「手」と「脳」を
絵を正確に描く回路を
訓練でつくること。
これが
「創育」になる。

川崎和男の発想表現手法


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7月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 27th, 2016  Posted 12:00 AM

7月27日 大安(庚戌)

絵を描く、
そのトレーニングは
写真のごとく
正確に描く「手」
そして脳との間を鍛える。

川崎和男の発想表現手法


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7月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 26th, 2016  Posted 12:00 AM

7月26日 仏滅(己酉)

スケッチを描くには
トレーニングが必要だ。
まず、
絵=現実のモノを
確実に
描けることだ。

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7月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

7月25日 先負(戊申)

スケッチと絵には
違いがあると思っている。
スケッチは
脳内のイメージを描くこと。
絵は、見たものを描く。

川崎和男の発想表現手法


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7月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 24th, 2016  Posted 12:00 AM

7月24日 友引(丁未)

「創育」の基本は
私は決定している。
絵を描くことにつきる。
すなわち
スケッチである。

川崎和男の発想表現手法


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『美大教育の終焉が始まっている・教員の責務を問う』


   


     7月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

多摩美術大学で年1回の特別講義をしました。
正直、大学をすでに退官したときから
あらためて講義を大切に考えています。
不思議だと自分自身思います。
それはいくつかの大きな理由があります。
まず、わが国の「モノづくり」低迷は産業経済力を著しく悪化させており、
それはデザイン界自体が、相当に誤った方向にあるからです。
そのことに全く平気であり
それでもスター扱いされている悪者デザイナーがいることです。
高校時代だったなら・・・絶対に肉体的な喧嘩をしていたと思います。
美大時代の先輩から、「川崎、あいつ殴ろうか?」といわれると、一応、
「先輩、今は立場があるので勘弁してください」と言います。
多摩美大はデザイン界問題の渦中の大学ですが、
この八王子校は全く違いますが、
日本のデザインが海外からも非難されることを
しっかりと次世代に「デザイナー責務」としての発言を実務活動で紹介。
しかし、年々、美大生は大人しくなっています。
これには大問題があります。
「絵が描けるから美大ということ、文系になっていること」。
高校での管理教育の成果にはとてもまじめ過ぎるのでしょう。
真面目な学生は教員意識の反映です。
本来なら他の教員の教育ベースであるデザイナー実務を知りたいです。
「上から目線」と言われても結構です。
が、阪大で退官後に進行している
デザイン実務はやはり最先端であると再確認しました。
3.11を忘れることは出来ないほど熊本地震も連続しています。
それに対してレジリエンスデザインにこの美大のほんの一部教授にも
参画をしてもらっていますが、学生との一体感は無いようです。
それもそのはずです。
大間違いを放置している大学理事会の怠慢性を訴求します。
「デザイン思考」などの大間違いが「ジェネリックデザイン」となり、
その風潮があったことは書き残しておきます。

*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』
*『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
*『造形言語と形態言語とcodeとmodeと、そして・・・』
*『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』
*『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM

この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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