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Posts Tagged ‘美大時代’


『「カリグラフィ」のペンとインクとインク壺』


   


     10月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

「カリグラフィ」は美しい文字を書くこと。
書くというのは、欠くという原意からきています。
それは、パピルス(織物)からペーパーになって、
その表面を引っ掻いて、マイナスの行為であるから、
まさに、文字を「作る」作業です。
私は「カリグラフィ」と「書」を対等なものとしてしていますが、
そうなると、「書」は和紙に墨を染みこませますから、プラス。
つまり、染みこませて「造る」作業だと思っています。
もっと厳密に言えば、カリグラフィは創作であり書は創造です。
私が、「カリグラフィ」に選び抜いているペンは、
すべてイタリア製ですが、それに匹敵するインクは「青騎士」。
このインク自体が特殊ですが、色あいは私にとっては、
これ以上の色はありえないぐらいに思っています。
ただし、このカリグラフィのインク壺はとても似合っていますが、
私自身は、デコレーションされていてスタイリングとしては、
機能性が欠落しています。
だから私が選び抜いているインク、特に日本製は優れていますが、
そのうちに紹介したいと思っています。
美大時代にレタリングのインクは指定されていた意味が、
プロになって、やっぱりそうだったのかと思います。
自分が「書く」という行為は、自分の知識で欠落していること、
「欠けている」ことを埋め合わせるがごとく、「書く」のです。
そうして、「カリグラフィ」はデザインとして創作にあたり、
「書」は創造ゆえに、それらを「文字」が知識を用紙に、
染みこませている行為だということがわかります。
それゆえに、「文字」と「知識」はその人の人格表現ですから、
「文字」の品格が求められているということは明らかです。
それだけに、文字のためのペン・インク・インク壺には、
絶対に人格ともどもに周到な意味があると思っています。


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『私の護り神は恩師から授かった加賀の『出世頭』』


   


     10月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

フリーランスになって以来、いつも相談をし指導を受けました。
大学人になるとき、学長候補になったとき、大学転籍のとき、
「やっとその気になったか、君の使命だよ」と言われてきました。
その美大時代の恩師はもう居ません。
命日には、先生の奥様と手紙や電話で話をします。
「加賀の出世頭」です。
学位を取得したときに先生に知らせると、これが届きました。
先生が逝かれてしまってからは、
ともかく、この「出世頭」に話しかけることにしています。
「先生、これからこれをやってみます」、とか、
もう迷いに迷っているときには、
先生が存命中、電話をして、時には泣いてしまうこともありました。
60歳還暦になって、
「先生、まだ少し大学でやっていきます」と言ったとき、
「定年までは大学で好きなことをやりなさい」と言われました。
これが、金沢で先生との最後の会話でした。
ある日、奥様から電話いただきました。
「行きました(逝きました)から、伝えますね」と。
「えっ、こちらに来られるですか?」
「いえ、あちらに逝きましたことを伝えますよ、遺言ですから」
「では、すぐに金沢に行きます」
「必要はありませんよ。もう初七日が終わったのです」
「・・・・・では、誰も知らないのでしょうか?」
「はい、あなたに伝えることで構わないとの遺言です」。
それから、まず、私は大学の同期に伝え、後輩に伝え、
彼らから大学にも伝わりました。
いかにも先生らしい、この世からあの世への姿勢と態度でした。
このところ、この「出世頭」に語りかけています。
先生、解答が欲しいのです。
日本は国難なので、最期の仕事に精進しますが、どうすれば?、
生まれ変わったら、また、この先生に学びたいと思っています。


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「また、岡倉天心を追いかけている」


   


     6月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

それこそ、私が美大に入った頃、
私は友人に言っていたことがあります。
「自分はデザイナー志望だから、
決して、岡倉天心を好きになることなんて絶対に無いよ」と。
当然のこと、美大時代は岡倉天心や彼の行動を、
知ろうとすることさえしませんでした。
ところが、デザイナーになってから、
「茶の本」をまず何の動機もなく、読みました。
「力囲希咄」、この意味がわからないままに、
この意味を求めている自分に出会いました。
この言葉を作品名にしたこともあります。
そして、決定的になったのは、ボストン美術館に行き始めてから、
私はどんどんと岡倉天心にのめり込んでいきました。
気づけば、彼は福井藩主の子どもでした。
私を取り込んだのは「東洋の理想」でした。
「アジアは一つである。」
これが、著作の冒頭にあります。
そして、この言葉は1903年、海外で出版された書籍にもかかわらず、
冒頭の一語は、大東亜共和圏構想の広告コピーに使われました。
だから、あたかもこの一語はアジア支配力の一文になりました。
私は、この書籍も理解せずに、当時の軍部のまるで悪行推挙、
軍部はすべからく悪人集団、
この指摘と著作意図を常に読み比べてきた気がします。
最近、またあらためて岡倉天心を読み始めました。
というより、調べ尽くしたいことが大学に在学しながらも、
次々と増加してきています。
とても読み切れないほどの資料に取り囲まれています。
だから、写真の「東洋の理想」もハードカバーを探せなくて、
文庫本を買ってまで、もっと知り尽くしたいと思っています。
理由はただ一つです。
「アジアは一つである。」という彼のこの一語は、
決して、軍部に使われただけではなくて、
大東亜共和圏をなぜ、
この小さなアジアの小国が軍事を果たしてまでも、
「アジアの主張」をしなければならなかった。
この理由をなんとしても書き残したいからです。


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「三つの革命を促してくれた『光造形』デザイン」


   


     5月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

私は大学人を選んでもう18年目になります。
なんとしても自力でやりたかった事が「光造形」でした。
それ以前に心臓発作で何度か倒れて、
結局、162日間入院して担当医への質問攻めをしました。
流石に担当医は、一般書から専門書を私に貸していただきました。
私は人体が中空な物の集合体だと思ったのです。
「光造形」は大学でそれなりの設備が無ければ不可能でした。
様々なトポロジーの代表形態を想像力で、
当時のEWSと3D-CADでは、とても困難でしたが、
とりわけ、私を惹き付けていたのは心臓でした。
それは私がやがては「心臓障害者認定」までなりましたが、
これは見事に空洞の中に中空なパイプがトポロジー空間でした。
私は、次の三つを次世代の革命と予想して、
講義や講演ではその具体例をグラフィカルに見せていました。
  ● 遺伝子革命・・・iPSが具体例
  ● 光重合革命・・・光造形から3Dプリンターへと進化
  ● 電磁波革命・・・エネルギー(水・食糧・電力)を意図
この三つの予測はほぼ的中していたと思います。
それでも、おそらくデザイナーとしての半分は、
この進化や連鎖を思考し、具体例を「見える形態=言語」へと、
私は様々な概念や理念で希求してきたと思います。
もっとも私はデザイナーですから、
その世間的な信頼性はいつでも、
「デザイナーは外観の造形専門家」とみられてきました。
しかし、美大時代から、
「デザインは造形という手法で問題解決を提示すること」でした。
したがって、
遺伝子革命や電磁波革命は、
私の科学性=知識性を高めてくれましたから、
直接的ではなくとも、
私の「造形手法での問題解釈」を支援してくれました。
そして、「光重合」では光造形システムから、
3Dプリンター、さらにはこれを取り巻く環境までを知りました。
しかも、この三つの革命は、やっと入り口にきたようです。
私が特に3Dプリンター素材に拘っているのは、
「中空」です。
そうした素材が、「危機解決」という、
人間として生存する日常での最適な応答・回答・解答こそ、
この国難・日本の産業に出来ないかとさえ思っています。


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「赤と白、すぐに目に付く・・・」


   


     4月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

私は北陸人ゆえに、
色彩感覚についてはとても厳しく自分自身を見てきました。
理由は三つあります。
美大時代には「色彩論は実技で徹底的に教え込まれ」ていました。
私は金沢美大当時、
山岸教授からの「色彩との格闘」と塗装実習の中谷教授の授業は、
私の「色彩」への徹底的な改造が出来上がり、
デザイナーから大学人になるまで、
まず、色彩関連の書籍収集から現物でのカラーモノ収集によって、
自分の日常に寄り添っています。
だから、私は親友のデザイナーやアーティストには、
しつこく彼らの色彩感覚をよく聴き出します。
ただ、デザイナーで私に色彩のことで質問は、
学生と親友の数少ないデザイナー・建築家・アーティストだけです。
そして、私が気づいているのは、
車倚子になってふるさと福井で「色について」、自分を確認したのは、
秋から冬に向かう頃、寒さが厳しくなり、雨かも知れない、
雪かも、
そんなときに「利休鼠色」ってこの色、
本物の金色は、実った稲穂と麦の色が太陽に照らし出された感覚です。
春先の稲穂の緑、竹林の緑です。
しかし、北陸人の特長は、「色彩彩度が平均よりやや暗め」になる、
そんな傾向があることです。
だから北陸出身で同じ業界の後輩には、
よく色の「彩度感」の話をしています。
この写真はきまって海外では道端でカフェがあります。
日本の「軒先文化」との一論をまとめることができるでしょうが、
いつも、倚子・テーブルなどやその配置が気がかりです。
そんな中で、パリで白いテーブルと赤い灰皿が気になりました。
おそらく、赤い灰皿はパリだからだと思いますし、
きっともうすぐ人間から喫煙文化は消滅すると思います。
ただ、気づいたのは、白と赤です。
日本人にとって、「国旗のごとく日の丸カラー」も、
私の肉体感覚の色彩だと思っています。


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「誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決」


   


     2月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

60歳還暦から徐々に自分の「命」を考え始めました。
多分、亡父もそうだったのだろうと想像します。
64歳になって阪大も退官となると、
自分の「命とデザイン職能」を随分と考えるようになりました。
まだまだ語り尽くさなければならない「デザイン」があります。
そういう意味では、私は大変に幸運でした。
なぜなら、日本の工業デザイン、
その出発点を際立たせた製品を選びぬくと「五つの製品」があります。
画面の製品すべてがその代表作だと言えるでしょう。
この五つの製品が「日本のデザイン」を決定づけてきたものと考えます。
そして、この五つの製品それぞれのデザイナーは、
全ての人が私のデザイン・デザイナーとしての師匠たちです。
醤油ビンは栄久庵先生、毎日デザイン賞で推薦文をいただき、
いくつかのデザイン講演をご一緒しました。
電気釜は、東芝時代の部長・岩田先生であり、いつも私は怒鳴られれば
喧嘩を望みながらもかわいがっていただきました。
柳先生のバタフライスツールは
美大時代・東芝時代・フリーランスになっても先生でした。
平野先生のファイルシステムは今もなお超ロング製品であり、
19歳から徹底的にデザイン発想・表現・伝達を鍛えられて、
今でも先生には阪大退官での最終講義にも来ていただけます。
スバルデザインの佐々木先生には、美大時代の非常勤先生であり、
一時の日本デザイン界トップはすべてが先生の弟子たちでした。
この5人の先生方と会話し、
デザイナーとしては、沢山の先生方に教わってこそ、
現在の私が「生きぬいていく」ことになりました。
阪大退官を目前にして、
「伝え残していること」が沢山あることになっています。
幸いにも私は、日本のデザイン界スタートの代表作とともに、
そのデザイナー先輩全てに教わることができました。
そして、全ての先生方から教わったのは、
「デザインといえば意匠=かたち造形の専門家」という
意識や風潮や認識ではなかったことです。
常に、哲学であり、理念であり、思考結果の意匠であっても、
「根本は問題解決の実務」そのものだったことです。
私は、デザイン=機能とは決して思っていません。
デザインは問題解決に造形が寄り添い、
性能・効能・機能の造形言語と、
形態言語の表現性と意味性だということです。
結局、日本人として、デザイナー命として、
モノのわび・さび・幽玄まで、
問題解決の「言語化」ができるかだと思い続けています。


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「黄金コンパス・黄金比と白銀比を身体化するには」


   


     4月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

NHK番組で「頭がしびれるTV」の企画がきました。
「黄金比」をテーマにとのことで、
メールで質問を受け、
担当ディレクターが来学してインタビューを受けました。
結局、収録して私も出演することになりました。
「黄金比」は古今東西、
歴史の中で一つの美学的基準としてはゆるがないものです。
美大時代からまず学んできたように思います。
なぜなら、黄金比を意識してデザインするということではなくて、
デザインし図面化したときに、寸法チェックしてみる私なりの手法です。
特に気がかりなのは、私の先祖が宮大工として、
徹底的な「割図」をして宮大工をしていたことは明らかです。
300年前の図面を伯父から譲り受けて現物図面で確認していますし、
時々取り出してこの「割図」を凝視することがあります。
宮大工道具としては曲尺で十分にこの割り出しが可能です。
そして、
私は万年筆マニアでもあるので、VISCONTIにこのセットがあります。
限定生産品ですから、もう手に入らないかもしれません。
またVISCONTIの万年筆は、万年筆でも別格です。
あるホテルのバトラーの方がサインを入れるときに、
VISCONTIを差し出されたとき、
やはりそのホテルは別格だと感じました。
そのことを告げると、
「もう見分けていただけるゲストは年々減少しています」
と告げられました。
私は、この黄金比よりも白銀比に興味があります。
黄金比はフィボナッチ数との連関は見事です。
しかし、私はむしろ葛飾北斎の『冨獄三十六景』の「神奈川沖浪裏」や
竜安寺石庭は、
黄金分割の論理を熟知していて仕上げられたものとは思えません。
だから、私もデザイン設計の始めから意識して
黄金比や白銀比を使おうとは思っていません。
けれども教育として、
歴史的な美術作品・建築、自然界の様々は知識獲得のためには不可欠です。
だから、iPhoneアプリでこの計算機を研究室で作成し販売しています。
収益はPKD活動(Peace-Keeping Design)のデザイン実現に向けています。
おそらく、デザイナーを天職としているので、
きっと生涯、
黄金比・白銀比の世界をいっぱい見ておくことと
デザイン設計結果が適合することを常にめざすでしょう。

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「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」


   


     4月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

「HIRANO DESIGN METHOD」のイニシャルトレーニングです。
A3(B2)サイズに2mmピッチ、フリーハンドで鉛筆下絵に
「デザインストローク」=3?2ミリ線を引き、
そのままもう一度、2?1ミリ戻りながら仕上げていきます。
これをほとんど正確に引けるように訓練を繰り返すのです。
一枚仕上げるのに平均18時間。
これはベトナムからの国費留学生で多軸加工自動CAMシステムから、
先端デザインを博士前期課程とした3枚目の作品です。
まだ合格させていません。
私は美大時代、9枚描いてやっと合格しました。
平野門下生はすべて最初に合格するまで苦しむ課題です。
私の時代は、丸ペンに黒インクで描いていました。
現在は、イラストペン0.2mmを数本使います。
これを数枚仕上げれば、三つの効果が身体化するのです。
直角・直線・水平垂直が見分けられるようになります。
次の課題がレタリングをフリーハンドで描く基礎になります。
そして、手描きする「手」の運動神経が柔らかくなるということです。
レタリングでセリフ体とサンセリフ体をトレーニングし、
デッサンも「デザインストローク」で、
私は生きている鶏をA1(B1)サイズで50枚あらゆる角度で描きました。
そうすると、アイディアスケッチが、
頭の中が空っぽ=無思考状態でも、
手を動かせば「形態」が何か描けてしまうのです。
だから、たとえばデザイン対象アイテムをテーマに無思考状態でも、
「手が考えて線を描いて頭脳にイメージが投影」されます。
私は、その状態を「手が頭脳化」していると言っています。
一気に仕上げる18時間はほとんど徹夜仕事になります。
若いときなればこそ、
この訓練はデザイン実務に入っていく最初のトレーニングです。
今はパソコンで書体を選べばレタリング作業など無しで事足りますが、
やはり「手で考える」というのは、
デザイン実務の根本という考え方は教育者としての哲学になっています。
多くても5枚程度で、
完璧なデザインストロークの基本が身体化するはずです。
だから私は、
発想の根本は、絵=フリーハンドが最も近接していると確信しています。

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「司法最高権威のインテリア=恩師の作品」


   


     4月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

私の美大時代・40年前はデザイン関連書はほとんどありませんでした。
だから、国内外の「建築家の著作」は相当に読んでいたと思います。
その時に決意したのは、
「工業デザイナーも言葉を持たなければいけない」ということでした。
それが、連載や著作、
しかも難解な文章のものと易しいもの両方出版をしてきました。
さてその頃、「システム」という言葉が建築界を席巻していました。
そして、私が「システム」の本意を納得したのは、
建築家・岡田新一氏のある一節からの解釈でした。
記憶違いではないと思いますが、
「製図台の前に立ち尽くす私の背後から包み込むシステムとは・・・」
彼の代表作に、国家権威の象徴である「最高裁判所」があります。
そして、そのインテリア、ドアノブからすべからく、
恩師・平野拓夫先生の作品です。
最も、わが国の「司法の最終的裁決の場」ですが、
その場を観ることはほとんどの国民にその機会がありません。
ところが、その最高裁の建築費は倹約の連続だったということで、
最も権威の象徴となる部屋の照明費用が皆無だったということです。
お二人は悩みに悩んで、気晴らしに時代劇の邦画を観にいかれたそうです。
ある場面は「月光の中での立ち回り」、
二人が同時に「これだ!」と合点したことは、
天井から「月明かりを入れる設計」にするということになりました。
その提案がすっきりと通過したというのです。
理由は、裁判は夕方には終了してしまうので、
照明装置や器具はいらないのではないかということになったそうです。
日本の司法の最高決定機関は、
まさに「節電」をしている造形の天井を持つ空間だということです。
おそらく、日本の建築界もこの裏話は知らないでしょう。
先生の著作は、MITから出版されていたり海外ばかりです。
私は意識してコレクションしています。
デザインに対する寡黙さの先生に対して、
私は饒舌に語りすぎていますが、
これにはやはりある恩師から言われたエピソードがあります。
平野先生は、私の著作は必ず読んで感想をいただいています。

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「あくまでも青を聴くということ」


   


     4月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

「音」については、美大時代からこだわってきました。
そして、iPodという進化を私たちは手に入れています。
それゆえ、私は「青色を聴く」ということに焦点を当てています。
当然ながら、Hi-FiとしてのiPodのためには、
それなりのヘッドホン、
特に、インナータイプも随分と購入もし聴き比べてきました。
ヘッドホンアンプが絶対にあるべきだという考え方にも拘っています。
しかし、簡便に「音を聴く」というのは、
私は「音楽で脳内から体を包む」こと
という具合に考えています。
しかもそれはiPodはじめインナーヘッドホンも「青色」に限定しています。
ところがApple社の青は統一されていませんから、
もちろんサードパーティーが造る、
ヘッドホンやアクセサリーも様々な青になります。
私は持ち物をともかく青色にしておくことに決めていますから、
時に、iPodのタイプ別と色違い、
それにヘッドホンで「音」が変わって聴こえているという錯覚があります。
しかし、これはどうも錯覚とは言えないのかもしれないと最近思います。
それは、「痛みを和らげる色彩効果」として
「青色」があるという仮説がどうも正しいらしいからです。
「青色効果」を熟考してしまいます。

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