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Posts Tagged ‘美術’


『気障と美とデザイン』


   


     11月 15th, 2019  Posted 12:00 AM



私はデザイナーであり、常に思っているのが「デザイン」と「美」です。
「真善美」の中で、私が選んだのは「美」でしたが、
気障に見えるかもしれませんが、毎日「美」をともかく見ているのです。
私が音楽か美術に進みたいと言った時に、
「あなたはそっちが向いている」と母が後押ししてくれました。
そして美大進学のお祝いに「気障に生きなさい」と
指輪とブレスレットを買ってくれました。
また、書もそれこそ一流の禅寺で、
高校時代に自分から申し出て特訓しました。
この書は空海の寄せ集められた「般若心経」です。
そして、なにかにつけて、この書を見ます。
日々様々な物事があり、汚れやわだかまりなど
純粋な美だけを追求できなくなりますから、
心を空っぽにしてこの書を見たり、読んだり、書くことで知恵を授かり、
「美」を感じ取れる私自身となり、デザイン活動に戻れます。
時々の再起動を要します。
ともかく、「美」とは何か形あるものでは無くて、
この書の思い、考えを巡らせます。
それが、「美」に向かってきたことを確信できます


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『玄関にアナログシンセサイザーでクラッシック』


   


     1月 6th, 2019  Posted 12:00 AM



自宅の玄関には音楽が鳴っています。
玄関は、鏡とグレートーンの石タイルと
天井壁紙で仕上げてあるので照明がない時は真っ暗です。
そのため、ドイツ家具 KAREのチェストをアクセント的に置いて、
その上にコルグのピアノ シンセサイザーを設置しました。
このシンセサイザーは、61鍵盤の電子ピアノとして演奏を楽しめ、
普段は鍵盤の数だけのデモ曲を自動演奏にしています。
ここの空間には音楽がどうしても欲しくて、ズーッと探し求めていました。
本格的なシンセはプロ用で2台持っています。
美大の頃に、ロバート・モーグが本格的なシンセを発明しました。
そのシンセのデザインをやりたいと、
主任教授の命令でしたが東芝に入ったわけです。
東芝での配属希望を記入するときには
「第1希望 音響 第2希望 音響 第3希望 音響」と書きました。
フリーランスになってからも音響作曲は継続していて、
コルグはアナログ・ミニシンセを三台使って様々な音を創りました。
亡くなった母から、
「あなたは美術か音楽が向いている」と言われていたこともあり
音楽はピアノが出来ないけれど、16拍子は手では無理でしたが、
32拍子以上まで自在に出来るシンセにのめりこんだのです。
東芝の総研にある音響研究センターで音楽を徹底的に学び、
特にモーツアルトのピアノ協奏曲には、
暗記する程にスコアと音響を聴きました。
だから、玄関をドアを開ければ、
クラシックの音が響いていてほしいのです。


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「富山県工業系高校先生方への講演」


   


     12月 8th, 2017  Posted 12:00 AM




高校生や校長会で講演をする意義は大きいと考えています。
今回は富山県高等学校工業科主任研究協議会にて講演をしました。
呼んでいただく高校はそれなりにいわゆる偏差値も平均的、
大学進学が OKなのですが、65は越えていただきたいと思っています。
なぜなら、高校教育では偏差値60以下は大学進学はすべきでないと、
私は思っています。
無論、偏差値そのものが高校生の能力だとは考えていません。
所詮、課題に回答、その丸暗記の訓練に過ぎないからです。
私は高校生として問題意識をそろそろ持つべきと考えています。
現に、主要5科目よりも問題意識とその解答は、
美術・音楽・スポーツが本当は主要科目だと確信しています。
したがって、工業系高校は本当に理科系でしょうか?
それは理科系へ偏向しているだけだと思うのです。
工芸科、電気科、情報科、建築科などの理科系要素は専門的に高校生、
彼らの能力に匹敵しているのだろうかということです。
それこそ最近の生徒(小学生や中学生)書き文字がとても下手くそです。
さらに、読書不足は甚だしくて、
「本を読むと頭が痛くなる」という学生を
教諭である先生方は、その治療義務を見逃しているのです。
本を読んで頭が痛くなる時点で脳障害があること、生理的な大問題に
全く先生方が無関心過ぎるのです。
これは日教組なる組織が生徒や学生ファーストよりも自分ファーストで
待遇という権利しか主張してこなかった歴史にうずもれたのです。
実例を言えば、
「絵が下手だね-」ってこの言葉で
生徒・学生は傷つき絵が苦手になるのです。
文字と絵の関係は頭脳開発ではとても大きな問題です。
こうしたことから、高校生になってしかも理科系はとても偏った、
それが教育、課題:回答と暗記だけで偏差値を決めていることです。
最近の一芸に秀でているとか、
AO入試などは最低の能力検定だと主張します。
私はこの講演を「学術と芸術、文科系と理科系の融合概念」と題しました。
それは「コンシリエンス」という言葉=概念を知らせたかったからです。
私は高校での工業系、商業系、あるいは農林や水産という専門性は、
高校教育には今後は絶対に不必要だと考えています。
それならむしろ高等工業専門学校で
5年生の高等教育制度が必要だと思っています。


* 『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』
* 『コンシリエンスとレジリエンス』
* 『書いて覚える=コンシリエンスデザインを語るために』
* 『主要3科目こそ受験勉強=回答訓練でしかない受験勉強』
* 『デザインは解である』


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『デザインでデザイナーが美しさをどう創るか』


   


     10月 11th, 2017  Posted 12:00 AM




デザイナーにとって、私は最も難しい質問は「美しい」ってどういうこと?
この質問に一言で、体系的に、経験的に、学術的になど、
応答・回答・解答出来るかは本当に難しいと思います。
そして「美しさ」は美学という学術的な領域がその答を出しています。
それは音楽と美術が中核だったことは間違いありません。
私自身、「美しいってどういうこと?」という質問は、
福井伝統工芸産地、越前和紙に創ったオータキペーパーランドからでした。
思わず身構えましたしどう答えるべきか随分と逡巡した思い出があります。
私はまず、先天的に答えることができますが、
これをあたかも美学的に体系までは困難です。
そして後天的には、知識と経験で知見化することが可能です。
まず、美しいというのは景観での気分や気持ちよさでの一言です。
本当に気持ちいいほど空が青いとか、
夕焼けが綺麗という単純な景色感覚への評価です。
空・海・山の景観や景色が挙げられます。
これが先天的での景観評価が素直さでの感覚=センスだと思っています。
かって名古屋大学での講義で、自分が美しいものを上げてレポートを、
こんなカリキュラムを数年やったことがあります。
工学部相手でした。そうしたらなんと三分の一の学生が数学の美しさを
徹底的に分解してきたレポートには感動しました。
私はデザイナーとして、体系的には、二つあります。
その一つはパウル・クレーの「造形思考」でした。
もう一つはカントの代表作である「純粋理性批判」での
真善美と感性・悟性・理性での美の解釈です。
東芝時代はモーツアルトのピアノ協奏曲のスコアとその旋律再生音。
このマッチング性に美しさがありました。
登山懸命だった大学時代は山岳と空・夜空が私の美しさの根源でした。
今は自宅から望める夕方の夕闇の変化を眺めて、
自分デザインの美しさを綺麗さからも求め直します。
美術的や音楽的を離れた時には、デザインでの美しさは、
今ではかなりの制約が乗りかかってきています。
たとえば、PL法違反などは、現代的には当然であり、
重量なども、万一、落ちてきたら危険は美しさを語る以前の問題です。
デザインでの美しさは追い求める義務がデザイナーには不可分です。


* 『家具デザインの「家具」定義を変えるべきだ』
* 「伝統は熟知必然・実例としての和紙か和風紙か」
* 「若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認」
* 『ポケットブックになる「造形思考」が出版』
* 『月明かりの前の沈まない大阪、それは日本』


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10月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

10月02日 友引(壬戌)

想像力を定着させる、
そのセンスは
「リズム感」である。
リズム感を鍛える方法は
二つしかない。
音楽を聴くことと
美術で絵を観ることだ。



川崎和男の発想表現手法


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10月01日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 1st, 2017  Posted 12:00 AM

10月01日 先勝(辛酉)

想像力と言われ出したのは、
想像力が世の中から、
人間から消滅したからだ。
想像力がメモされるのは、
音楽と美術の世界だけだ。



川崎和男の発想表現手法


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08月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

08月02日 仏滅(辛酉)

美を求めるのは、
美術と音楽。
これは
「美学」が語られる
二つの分野だが、
私は、デザインの美を
求めている。



川崎和男の発想表現手法


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07月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 22nd, 2017  Posted 12:00 AM

07月22日 先負(庚戌)

美術、音楽、体育、
体育?、いやスポーツ
これが一番、デザインに
向かっている。
取り囲んでいる。
私には
中心、中核に歴然とある。



川崎和男の発想表現手法


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『学校での美術教育では教えないことを入院児に』


   


     6月 11th, 2017  Posted 12:00 AM



大阪大学医学部附属病院の一階フロアには、展示コーナーがあり、
近郊都市の美術・写真・書などの同好クラブの作品が展示。
ほぼ一週間に一回、私はじっくりと見ています。
そうして附属病院小児科病棟には、
約80名の子ども達が入院していますから分校なのです。
医師はもちろん看護師さんだけではなく、
CLS=チャイルドライフスペシャリストという米国で資格取得された方もいます。
この資格取得はまだ日本での教育養成大学はありません。
私はこの病院に入院児たちの展示作品の絵を楽しみに観にきています。
随分前から、入院児たちの「絵」を見て、ここには分校にまでなっていますが、
日本の美術教育に疑念があっただけに、
私がプロとして「絵」を教えれば、絶対に日本の美術教育ではない、
それもデザイン教育>美術教育の基礎力を与えられると企画しました。
CLSの担当の方と打ち合わせをして、ともかく「実現」をやっと出来ました。
入院児たちは、体調でプレールームに来られる様子は毎回異なることや、
白衣は怖がるなどで、私の寄附講座だけではなく、
もうひとつのバイオ系寄附講座の教授、准教授も参加いただき、
とりあえず、「絵」のもう根本的で絶対に学校教育では
スケッチの本当の役割のスクールを私が実演=絵を描く方法を教えました。
4歳の子から中学生まで10名には、
黒板メーカー・馬印と時計メーカー・タカタレムノスから、
黒板と時計ユニットは、この企業も大賛成で協賛していただきました。
いわゆる患者でもある子供たちだけではなく、
親御さんにも、「なぜ絵を描くか」なども、
看護師さん、CLSさんにも協力をしていただきました。
基本を教えたら、手の描き方、顔の描き方、身体の描き方はどうするの?、
と言う質問も飛びだし、直ぐに私は実演でその質問には
「絵の基本と描き方」を実演してみせました。
4歳の子はすぐに理解し、初めて黒板には、ブドウ?だね、と言えば、
絵からブドウを私の手にも分けてくれました。
「自分のマーク」もと思って、
名前を聞いたらかわいい女の子:絶対に美人になる子からは、
「もっと教えにきてくれたら教える」と言われてしまいました。
もう時間だからと言っても辞めない子には「デザイナーになれるよ」と、
励ましたら、「ドクターになるから」とか言われる始末。
でも、ドクターも絵を描くから受けたとか。
みんなの瞳がキラキラしていました。
私は「入院したり大きな手術をしたけど、プロから教わった」、
その思い出を与えたかったことと、
入院している子供たちみんなが希望している、
大人には予想もしていなかったコトを知らされ、
デザイナーとしてなんとか実現を目指そうとかや、
黒板への想い、時計への想いを教えられました。
なんとか入院したからこそ出来る
このスクールを連続させたいと思っています。


* 『芸術工学からコンシリエンスデザインに』
* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』
* 『まだ私デザインHOLAは動いているしかし無情合掌』
* 『最も基本・バイタルデータの「体温」はデータ化してきた』
* 「心電図波形が意味すること・意味されていること」


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『アートの主観性とデザインの客観性、明確な分別』


   


     11月 14th, 2016  Posted 12:00 AM



私は金沢美術工芸大学でデザインを学びました。
そしてすでにデザイナーとしてのデザイン活動は40数年になります。
よく質問されるのは、デザインと芸術、アートとデザインの違いです。
この質問:課題=Question、回答=Answerとなれば、
明確に答えることが出来ます。
この図の左はマルセル・デュシャン:アートであり、
右は自分の「デジタルアッサンブラージュ」というデザインです。
アートは「主観的」であり、
デザインは「客観的」なモノと簡潔に断言することができます。
正直、アート、デザイン、工芸、建築、美術、音楽において、
主観性と客観性が分別出来るかとなれば、
この質問への応答、あるいは回答は難しいことは当然です。
しかし、アートとは、アーティストの主観が表現に向かうことであり、
デザインはデザイナーの客観、つまり、作り手や使い手の立場を熟考した、
その結論的な答の表現だと言い切ることが可能です。
これは、たとえばアート作品への評価も、
アーティストという作家の主観性が徹底的な客観的な判断に委ねられます。
デザイン評価は、最初はデザイナーや評論家の主観性を持ち寄りますが、
最終的にはそれらの主観性それぞれが作り手・使い手の立場という客観にて
評価は限定されるわけです。
アートは主観的な想いを客観性に判断を任せ、
デザインは客観的な想いを作り手・使い手の主観性に委ねている、
これがアートとデザインのはっきりした分別です。



* 『「金の美」展の出展説明表示プレート』
* 『診る・看る・観る・視るを取り囲む安全と安心の環境』
* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『マルセルデュシャンの立体化からアッサンブラージュ』
* 『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』


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