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『日本民族の傍らにあった飲み物』


   


     8月 19th, 2017  Posted 12:00 AM



ワインのことをもっと知りたいと思ってまず赤玉ポートワインを買ってみました。
そうして気づいたことは、
日本人いや日本民族には、歴史的に絶対的な「飲み物」として、
この赤玉ポートワインと養命酒があるということです。
当初、スペインからのワインは不評だったらしく、
それならいわゆる「滋養強壮剤」として、
この二つが日本人の傍らにずーっと在ったということです。
したがって、なんらかの思い出に残っているのではないかと思います。
私にとっては、幼少の頃は身体が弱くて、偏食は今も変わらずですが、
祖母からもよくこの二つは飲まされていたとうっすらと思い出します。
それこそ、養命酒にいたっては江戸時代からだったとか、
ヌード写真でのポスターが日本最初だったということなど、
おそらくほとんどが忘れられていくのでしょう。
最も2300年には日本民族はケルト人のごとく存在しなくなる統計結果です。
地球自体があるかどうかもわかりません。
養命酒はおそらく日本人家庭には、必ず一本はあるのかも知れません。
そうして、その効用が素晴らしかったということもなく、
どういうわけか超ロングライフ商品になっています。
今ではワインはファッション性ある飲み物になりました。
もはや滋養強壮剤ではありません。
しかし、養命酒で癌が治ったという話もありません。
ともかく、この二つの飲料が日本民族に与えてきた影響や市場性は
もっと語られることがあっても良いように思っています。
私なりには、赤玉ポートワインも養命酒も私たちの遺伝子には
入っていない気がします。
そして、品格性には、んーっと考えてしまいます。
品位などがあっては残らないのかもしれません。
しかし、こうした民族とともに存在してきた歴史性は、
それが生み出されてからの系譜はもっと語られるべきでしょう。


* 「マルチツールナイフをワインスクリューから検分」
* 「日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・」
* 『商業主義の貧しさは経営から離脱した盗作である』
* 『ふるさと納税に私デザインのカートリッジを発見』
* 「製品が商品となって、愛用されるまで」


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『日本文具大賞の「機能部門」と「デザイン部門」って?』


   


     7月 10th, 2016  Posted 12:00 AM



2016年・第25回「日本文具大賞」の発表と表彰式が行われました。
日本文具大賞はこの時期の大きな行事になっています。
今年も審査委員長として概評と審査基準や文具業界へのお願いをしました。
年毎に応募は増え、今回はwebsiteで事前調査を各審査委員がすませて、
その後、現物審査をしました。
これはまず個々人の主観性で評価され、
それが、審査会ではぶつかり合って客観性に変わります。
つまり、デザインにとって最大に重要な客観的な評価が成立します。
この審査は二つの部門があります。
「機能部門」は、
常にデザインと言えば「機能的が美しい」という常套句がありますが
これをもっと広範囲でとらえ直しています。
性能=モノの性質の能力と、
効能=モノが社会的・時代的に存在している意義や効用と効果が問われ、
結果、性能と効能の可能性が文明的な史観で
「機能性」という可能性になるのです。
「デザイン部門」は、
機能性にさらに美学性が将来性を持っているか、までが問われるのです。
簡単に言い切ってしまえば性能性という誠実さと効能性という信頼性が
社会的に存在を許容しているかどうかまでが確かめられているのです。
特に「グランプリ賞品」には、
誠実さと信頼性に美しさという倫理観が適合していく未来性を
求められているということです。
本賞の商品は、毎年必ず大ヒットになることは間違いありません。
そしてこの審査会が
「各商品や各メーカー事情を詳しく組み込んで評価している!」
という理由から、審査会自体が褒められることがあります。
これは審査委員会の伝統的な誇りであり自慢だと思います。
賞品市価は200円から2000円、高くても5000円のモノですが、
わが国の「文具は世界一」であることを今年度も再確認できました。
ただし、今回は各社のwebsiteを見ましたが、
残念ながら、websiteには
企業各社の特色ある美しくてインターラクションが
より必要であることを付け加えて述べました。

*『日本流見本市の創出=日本は常にホスト国であるべき』
*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
*『『第22回日本文具大賞』を発表しました』
*『アートからの革新=フォンタナの作品から』


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『美大教育の終焉が始まっている・教員の責務を問う』


   


     7月 9th, 2016  Posted 12:00 AM



多摩美術大学で年1回の特別講義をしました。
正直、大学をすでに退官したときから
あらためて講義を大切に考えています。
不思議だと自分自身思います。
それはいくつかの大きな理由があります。
まず、わが国の「モノづくり」低迷は産業経済力を著しく悪化させており、
それはデザイン界自体が、相当に誤った方向にあるからです。
そのことに全く平気であり
それでもスター扱いされている悪者デザイナーがいることです。
高校時代だったなら・・・絶対に肉体的な喧嘩をしていたと思います。
美大時代の先輩から、「川崎、あいつ殴ろうか?」といわれると、一応、
「先輩、今は立場があるので勘弁してください」と言います。
多摩美大はデザイン界問題の渦中の大学ですが、
この八王子校は全く違いますが、
日本のデザインが海外からも非難されることを
しっかりと次世代に「デザイナー責務」としての発言を実務活動で紹介。
しかし、年々、美大生は大人しくなっています。
これには大問題があります。
「絵が描けるから美大ということ、文系になっていること」。
高校での管理教育の成果にはとてもまじめ過ぎるのでしょう。
真面目な学生は教員意識の反映です。
本来なら他の教員の教育ベースであるデザイナー実務を知りたいです。
「上から目線」と言われても結構です。
が、阪大で退官後に進行している
デザイン実務はやはり最先端であると再確認しました。
3.11を忘れることは出来ないほど熊本地震も連続しています。
それに対してレジリエンスデザインにこの美大のほんの一部教授にも
参画をしてもらっていますが、学生との一体感は無いようです。
それもそのはずです。
大間違いを放置している大学理事会の怠慢性を訴求します。
「デザイン思考」などの大間違いが「ジェネリックデザイン」となり、
その風潮があったことは書き残しておきます。

*『特別講義・多摩美術大学『制度設計と形態設計』』
*『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
*『造形言語と形態言語とcodeとmodeと、そして・・・』
*『鉛筆削り・手動と電動を使いこなす』
*『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『客員教授の優れたオンリー教科書があるということ』


   


     4月 28th, 2016  Posted 12:00 AM



デザイン教育は今では二つの目的が出来ています。
それはデザイナーとしての技術習得と、
デザインを教養として学ぶ知識習得です。
私の世代は、知識習得はほとんど独学であり、
先生は入り口の話だけでした。
そのためデザイナー教育オンリーだったと思います。
だから同期はすべてがデザイナーでした。
しかし、最近はデザイナーになること自体が困難、
あるいは教養としてのみ、
そのような学生が増えています。
紹介するのは、ある美術系大学のデザイン系だけに、
デザイン評論家としても高名なS女史が、客員教授として、
自費でここまでの教科書を作成して講義しておられることです。
S女史の、自分の恩師である柳宗理先生について、
講義用に作成された小冊子を見て驚くとともに、
ここまでも準備をとのことでした。
少なからず、この恩師の解説は、まさに柳先生が海外での活動を支援された
彼女自身の体験とともに、間近で見てこられたことや、
彼女の収集品まであって最高のできでした。
惜しむらくは、
この小冊子がその美術大学のデザイン系だけのものということです。
おそらく、この小冊子だけでも一冊のデザイン教科書になります。
そしてもう一つ驚いたことは、
その大学の教員がこの4冊の教科書があることを知らなかったことです。
自分はもはやデザイナー教育は限られていますが、
これほどの準備はしていません。
デザイン系大学が、どれほど詳細な教育をしているかは、
一般大学には知られていませんが、
デザイナー技術習得と知識習得はとても優れているということです。

*『大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす』
*『教え子で得をしたことがあります。・・・』
*『主要3科目こそ受験勉強=回答訓練でしかない受験勉強』
*『デザイナー能力の格差が拡大している』
*『日本のレンダリング技術は先輩が切り開いてくれた』


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『天災・人災の日本こそ地球保全と人類存続をデザイン』


   


     4月 27th, 2016  Posted 12:00 AM



日本列島は地殻が三つのプレートに乗っている地震大国です。
そして敗戦国家として、ヒロシマ・ナガサキを持つ唯一の被爆国でした。
さらに、March 11. 2011は、大地震とその後の津波という天災、
しかもフクシマ原子力発電所の大事故による人災で、
日本国民は大きな経験をしました。
そして、April 16. 2016のクマモトで、さらに経験を重ねています。
次には、駿河湾と富士山、首都直下、南海トラフという
天災をすでに予測していますが、
これは地球全体の環境保全とエネルギーこそ
水、食料、電力によって人類は生き延びるということを
先進国家ゆえに世界中へ、
これらの体験を国際化する使命があるものと考えています。
それを「コンシリエンスデザイン」によって、
まず、レジリエンスデザインを果たすために、パラ理論とメタ理論で、
新たなデザインの理論拡大をねらっています。
その中心には「無意識な知的感性」であるsilienceからの拡大を
造形言語と形態言語によって、デザインの本質を熟考とその展開を
問題解決・価値創出・未来創成に向けています。
しかし、無念なことはこのデザインそのものの進化を積極化するという
デザイン教育機関があまりに少ないことです。
それはデザイン系大学の教員自体が、自分が経験してきたことがデザイン、
この停止思考に埋没していることです。
デザイン系教育機関の教員そのものの停止思考では、
決して次世代デザイナーは育成不可能です。
silienceからパラシリエンスデザインとメタシリエンスデザインを
この天災と人災国家であるからこそ、未来的な地球環境と人類存続を
デザインしていく義務さえあるということです。

*『毎夏、再自覚決心の日』
*『ふだん・忘れた頃に、まさか・想定外はありえない』
*『国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要』
*『大学でのデザイン教育=デザイナー育成をめざす』
*『大津波、その対策が地元反対を無視して進行している』


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『7.1chTVのセンタースピーカーはこれからエージング』


   


     8月 21st, 2015  Posted 12:00 AM



私がそこまでなぜこだわるのだろうか?と言われます。
少なからず、自宅のオーディオシステムは、
音像と音場にはもうこれ以上でなくてもいいだろうと思っています。
しかし、4KのTVの外部スピーカーシステムは、
あえてコントローラーと7.1chでは、主にはLINNで固めてきました。
しかし、どうしても試してみたいスピーカーシステムは、
JBLのセンタースピーカーと整備万全と保証されたDENONで2chを、
悩みに悩んできましたが、なんとかワイフを説得しました。
JBLセンタースピーカーをやっとこれからセッティングできます。
基本的にはLINNを使うこと自体がありえないと言われていますが、
これは私がこれまで試して、もっと部屋の広さを考えて、
あるシステムなどは、スタッフに使ってもらっています。
このセンタースピーカーは中音部はフルレンジであり、
ツイーターで高音部をまかないますが、できる限り、
フラットな周波数特性とコストパフォーマンスを考えました。
ともかく、「中心の中高音部をちょっとなんとかしたい」と
もう随分言ってきました。
映画館とコンサートフォールもいくつか設定が可能ですが、
私は、2.1chから、5.1chは大阪に来て10年あまり聴いてきました。
しかし、7.1chで本当に私はビックリしました。
なんとこれは通常の映画館やコンサートフォールを超えています。
これまでメーカーのサービスマンの方にもお世話になってきました。
あるとき、あるメーカーのマニアである方から、
「お客さん、多分、ご存じないと思いますが、これよりも一発で
とてもいいメーカーのTVがありますよ」と言われました。
「どこですか?」と聞くと、
「北陸のEIZOという会社ので、もう売られていないのですが、
 FORIS.TV 32インチです」と。
私はすぐに「それはありがとうございます」と言ったら、
「エッ?」
「それ、私のデザインで、音も80Hzなんです」と答えたら、
もっとびっくりされて、「別の部屋にあります」と言うと、
「・・・・」という具合でした。
これから、このセンタースピーカーもエージングをどうすべきかです。


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「日本システムが壊れた理由のひとつ」


   


     8月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

敗戦後懸命だった日本。
それからの日本システム。
それは日常性が確約されていた、
今となってはパラダイス国家でした。
大震災と原発事故はこのパラダイスを破壊しました。
しかし、それ以前、政権交代を希求に至ったのは、
すでに崩壊していたと思います。
格差社会とか「勝ち組・負け組」とかという言葉が象徴でした。
日本システムは中産階級がほとんど日本流システムの中核。
それは企業の家族的な情緒性と完全雇用体制の完備でした。
現在は正社員と派遣社員という企業構造が、
企業中心の日本システムを失いました。
しかも、正社員より派遣社員の方が企業機能を果たしています。
雇用体制での差別社会、リストラと呼ばれる「解雇」、
これは日本システムの根幹=骨抜きにしています。
無論、この方向に追い詰められた原因は少なくとも、
五つあるでしょう。
◆ 政治能力・政治的リーダーがいないこと。
◆ 国際的経済破綻の連続とその政治対応無策性。
◆ 企業法人税はじめ税制度の無策性。
◆ 未来不安が次世代の精神性を低能力化。
◆ 教育システムー小学から大学までの教育者能力不足。
理由はまだまだありますが、無策性と能力不足が、
あらゆる局面、あらゆるコミュニティ、
そして高密度情報社会での情報格差が覆い被っています。
たとえば、コールセンターなども外注であったり、
サービス性だのCRM、ISOだの、さらにはブランド化だの
この喧騒性の中で、肝心のことが見失われています。
私は 47歳で大学人になりました。
すでに16年になります。大学環境と世間との隔離を見ています。
新設される公立大学の学長候補になったこともあります。
そして辞退したこともあります。
すべからく、日本システムの崩壊が見えていたからです。
一方では、現役のデザイナーですが、
それゆえに、企業と大学の断絶性や、
法人化大学から公益法人までがまったく「革新性」皆無を
毎日体験しています。
ある予測には2300年には「日本人」という人類は滅亡、
これは「少子化」や今回の日本列島・放射能汚染からも
かなり想像可能になってきています。
だとするなら、東日本の復興ではなくて、
日本列島全体の復興という名の「新生日本システム」化です。
無策性と能力不足への対策は、想像性と創造性、
懸命さと賢明さ、精神性・日本人としての意識改革、
これらを各個人意識とそれを先導するリーダーが不可欠です。



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