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Posts Tagged ‘自分自身’


6月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 17th, 2016  Posted 1:00 AM

6月17日 大安(庚午)

コンセプトから
その発想をストップすること、
そうすれば、
着想からの思考に基づく
全てが変わる。

それは自分自身が
変わることを意味している。

川崎和男の発想表現手法


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『コンセプトから逃走してほしい・・・』


   


     6月 17th, 2016  Posted 1:00 AM

おそらく20世紀後半に、人間の思考は、
「コンセプト」に呪縛されてきたとようやく指摘できます。
この言葉は側に「概念」という訳語を
日本語解釈には持っています。
しかし、概念とコンセプト、あるいはconceptについて、
自分はデザイナーとして確かに寄りかかっていたことは
自白しておかなければなりません。
そして、デザインを教育する立場では、
まず、「概念」と「観念」についても、無論、哲学用語からも、
さらには「概念」と「観念」の間にconcept=コンセプトを置いた講義、
それだけでは自分自身が「コンセプト」のまともなあるいは正当な
その定義を確実に伝えたという経験はありません。
もっとも「コンセプト」を多用しているそれこそ、企業の開発、
あるいは大学での研究などにおいても、
「コンセプト学」などは皆無と断言していいでしょう。
したがって、自分が「コンセプト」とは何か?という説明では、
「端的に一言で言い切ってしまえる印象」ということが
的を得ていると一応思ってきました。
でも、これすら自分のデザイン活動の中で大きな疑念がありました。
特に大学人になってから、それこそ一流の学者たちが、
日常的に多用している「コンセプト」ということになると、
この疑念は明白に、思考的、哲学的、科学的な
「大間違い」であると言い切れるようになりました。
例えば、
黒というコンセプトと白というコンセプトと言い切った場合、
「コンセプト」で語られた白であれ、黒であれ、
印象の曖昧さしか残っていないということです。
断言すれば、黒は全てを飲み込み、いや包含していて、
白は反射して、概念でも観念でもありえない事実でしかありません。
かねてより、「観自在」に委ねられた人間の発想・着想、そして思考には
もっと連綿とした対立や対比が「ライン」で連続しているのです。
「コンセプト」を早く捨てることを推奨します。

*『空間へのdolly的な隠喩性という手法』
*『デザインのようなデザインという大誤解の現実がある』
*『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
*『照明の文化論としての陰翳礼讃』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』


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『日沈む景観であっても景気はデザインが主導する』


   


     6月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

大阪城は現在、大阪谷町に残っています。
秀吉は日いずることと日沈むことの両方見ていたのだと思います。
大阪には夕陽丘と名前があるごとく、
日沈む美しさ、その「景観」の歴史性があります。
自分自身すでに大阪に住んで10年です。
そして自宅からは日沈む「景観」を毎日見詰めているのです。
遠方には瀬戸大橋や大阪湾までが見えるときもあります。
この10年大阪の景気は低迷を連続し、しかも大阪は犯罪が最多。
この10年大阪そして関西の景気は、少なからず行政力低下が、
「景気」刺激無能と、断言できると考えることが可能です。
理由は、産業の基盤である「金型づくり」は、
国内では25%のシェアを持っています。
ちなみに、関東62% 東海1% 中京12%で、技術力は中京です。
このことは自分が大阪にデザインの焦点を合わせてきた見通しでした。
大阪そして関西が例えば兵庫県の地場産業は他県を圧倒しています。
それなのに「なぜ、景気がこの低迷?」という理由を
昨日、この関西軸でデザイナーたちと対話をして、
関西のみならず日本全体での産業とデザインの関係を再整理しました。
無論、関西地方だけではなく、
日本全体のデザインと景気への期待観が終わっています。
しかし、自分が天職としてきた特に工業デザインにおいて、
決定的にある経営者から学ばされたことは、
「川崎さん、要求されるデザイン対価がこれだけなら、
デザイン料を2倍にすれば、デザイン効果は2倍になるね」、
この提案に震え上がった経験があります。
無論、この企業に不況の時代は皆無であり、業績はずば抜けています。
最近、デザイナーの若手は中国での仕事に惹かれているのは当然です。
若手から私にも中国依頼の仕事への参加を伝えてもらいます。
このことには「デザイン=策略」としている策略的な一党支配が明確です。
比して若手デザイナーの仕事を先人デザイナーが奪うことに平然たること、
さらに、盗作平然たることは絶対に許してはいけないのです。
「景気」を根本で変動させるデザインの再成立をめざします。

*『シュンペンターと象形文字を同次元に考える』
*『高層は50階以上がいいようだ』
*『景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している』
*『悪夢は醒めたのだろうか・・・・・』
*『日本の低迷は企業経営前の知識不足』


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『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


   


     6月 12th, 2016  Posted 12:00 AM

日本が壊れているから我々も壊れている、
このことを知らないままにしようとしているのでしょうか?
私たちは、3.11で思い知ったはずだったのですが、
報道されないと、どこかで忘れようとしているのです。
かつて若い頃に、自分はある企業に対して、
元同僚で同期の人物を口説いて、その企業のデザイン部門長にしました。
私がパリに飛び立つその日に、彼は突然亡くなってしまいました。
パリで私はあるデザイン賞の授賞最終候補になっていました。
しかし、その受賞式の華やかさの中で、完全に自分を失っていました。
帰国したら、すぐに空港から彼の実家に行かなければならない、
そんな気持ちで一杯でした。
そして、受賞出来なかったときの(悔しさがあふれました)感覚と
同様の気持ちに、3.11でも、今の熊本地震でも、包まれています。
「倒壊してしまった人たち」と「倒壊せずになんとか無事だった人たち」、
この対立があると、現地から情報が入りました。
「負けるな!・泣くな!・楽しもう!」、
このコピーは、現地では絶対に使えません、ということです。
この我々の勝手さになんとここまでも壊れてしまっていると知りました。
しかし、レジリエンスデザインチームに39大学が、
なんとか、まだまだ壊れそうなこの日本列島に、
レジリエンスデザインで最も困難なデザインでの問題解決を
熊本に向けたいと考えているのです。
それは、最も怖れていた自殺者を出してしまったことからも、
レジリエンスデザインの最も重大な使命を果たさなければなりません。
デザインだから可能なことに向かいたいと考えます。
デザインで「最悪な状態」は何としても解決するのです。
自殺防止はレジリエンスデザインの目標の最大使命です。
壊れない自分自身を全員が支え合わなければなりません。
壊れていく生涯ゆえ、この列島の花棌の国の鄙美人で生きることです。
そこで、せめて今このビジュアルデザインを差し出し、
死という平等な、幸不幸を生涯に取り入れ直すことです。
「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」を持ち合うことを提案します。

*『海抜4mの日本列島で大丈夫だろうか』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『山は崩れてはならない=つちのかたちデザインが要る』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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『海事関係にデザイン介在という使命』


   


     6月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

すでに26回目となる「Ship of the Year」の
最終審査会に出席しました。
すでに日本船舶工学会にて応募から選別された
昨年度の造船すべて、客船から漁船まですべての船舶、
その審査会は、造船工学・製造から海洋、海事、港湾、漁業まで
海事関係から海洋気象、最近では環境適合性から新エネルギーの提案まで
応募企業からのプレゼンテーションを受けます。
プレゼ後には相当の専門用語で詳細な質問とその応答が飛び交います。
「Ship of the Year」は恩師が設立されていて、
自分も「関西海洋教育アライアンス」にて、
大阪府大院・神戸大院・大阪大院で「海洋デザイン論」を
教えたことや、この審査員でそれなりの知識を獲得してきました。
しかし、船長会の名誉会長や建築、海事マスコミなどで
自分自身も相当に鍛えられてきました。
恩師からは、海事関係にデザインの職能を介在させることが使命ですが、
まだまだ船舶や海事・港湾関係は「デザイン」=デコレーション意識です。
ところが、今回は大阪大院卒から「先生!」と声をかけられました。
この審査会は、最初は相当に難しくて「海洋デザイン論」講義のために、
自分なりにも熟読ノートづくりなどをしてきました。
最近では、船舶機関から漁業、さらには海洋輸送、港湾関連など
とりわけ国際的、大変な経済や国際法などとの対決が激化しています。
恩師はすでに名誉審査委員長ですから、最近の活動報告をしました。
自分の役割としては、特に、鉄道・自動車・飛行機などの空力特性から、
世界的な海洋の気象との適合性などを
質問する役割に徹しています。
「海の日」に大賞や部門賞が発表になります。
今、日本の特に造船産業・遠洋漁業は経済的問題に包囲されています。

*『本日も審査だが、日本の船舶デザインをデザイン対象に』
*『『Ship of the Year』審査委員会・日本学士院会館にて』
*『防潮堤工事は土木工学ではありえず』
*『関西海事教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン』
*『Ship of the Year・日本船舶海洋工業界の今後』


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『座姿勢の複合制御性能とその機能化からのIoMeT』


   


     5月 31st, 2016  Posted 12:00 AM

身障者用具をおそらく日本で一番にデザインし、
造り続けてきている美大時代の同級生親友がいます。
工業デザイナーをベースにいくつもの実務を実施。
それぞれの要求を聞き出し、
デザイン・製作製造し、なおかつ社会運動でも
大きな実績を積み上げてきたM氏はこの世界では著名です。
現在も身障者向けの車イス製造、輸入、
さらには彼ら達の様々な倚子のオーダーメイドを続けています。
ほとんど商売にはなっていませんが、最近では人間工学を超え、
彼の実務理論とその実現性から、彼はシーティングエンジニアです。
以前から私自身の体型変形を指摘し、先月、測定をしました。
測定結果での座面、それの再検討と同時に、
車イスによる体幹保持として、
最もその制御製造をしている工房「輪」を紹介されました。
もはや、電動車イスを利用していますが、
改めて座姿勢の様々な複合姿勢、
伸展・側屈・回旋・リクライニング・チルトを基本とし、
使用者にとって複合的な機能として実現されていることを
自分自身がその車イスに乗って体験をしてきました。
まだ若いエンジニアやその周囲の若者たちの懸命な取り組みに、
さらに新しい素材開発やその提供、改善から革新をこなし、
その社会制度までが、自分のテーマになってしまいました。
M氏のねらいは、こんな若者集団をなんとかしろよ、と、
命じているのでしょう。そしてそれがもはや役割になってきているのでしょう。
大きな宿題を預かったようです。
おそらく、モービル産業の変革が最近めざましくなっています。
しかし、それらをIoTで語ることでは解決にはなりません。
IoMeT=Internet of Medical Thingsを実体験しました。

*『「座る」・人間工学からシーティングエンジニアリング』
*『電動車イスの効能的制度設計からの性能・機能デザイン』
*『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
*『賢明で懸命であることから始めた=社会人最初の実習で』
*『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』


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『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


   


     5月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

美大生時代には徹底的に「作品の暗記」をさせられました。
海外のデザイン誌に載っている作品を覚えました。
自分のデザインが決して誰かの作品に似てはならないことを
体に叩き込まれました。
あるときテーブルのデザイン依頼があり、図面化しました。
しかし、なんともどこか喉に引っかかっている気がしてならず、
ひょっとしたら、自分の記憶にある造形をしてしまったのでは?
この思いにとらわれてしまいました。
そこで、デザイン誌を積み上げて再チェック。
ほぼソックリなテーブル造形がありました。
それを見つけ出した喜びがあり、続いて、自分にがっかりしたものです。
それでクライアントにその誌面と自分の図面を持っていって、
気づいたら真似でしたと告白して締め切りを延長してもらいました。
クライアントからは
「もっと凄い造形が期待出来る」と言われ、
結局実現はできませんでしたが、信頼された思い出があります。
ところが、最近では、亡くなってしまったデザイナーの作品が
登録されていないからとか、
すっかり忘れられているからいいだろうということで、
物真似、あるいは盗作と呼ばれる事態が起こってきています。
その評判によって、日本のデザイン界全体が非難され、
デザイナーなんて、その程度、と言われてしまう状況です。
確かに、工業意匠登録は20年ということですが、
著作権となれば、それは永久に道義的な責任が問われます。
デザイナーは、知財権での権利保有とともに、
著作権としての道義的なデザイナープロ意識を毅然と持つべきです。
どういうわけか、
国際問題になりかねない盗作に対する訴えが自分に集まります。
しかも自分のモノ真似を「不細工」と発言すれば、
自分自身がSNSで非難されるそんな時代に直面しています。

*『ジェネリックデザインは模倣=犯罪である!』
*『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
*『不細工なモノは不細工である』
*『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』
*『知財権は意匠権によってコンシリエンスデザインとなる』


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『二つのビンテージカー番組に生きる文化論』


   


     5月 16th, 2016  Posted 12:00 AM

テレビ大好き人間だからTV音響も絶対に最高にと信じています。
そして見過ごせない番組は撮り溜めし過ぎているかもしれません。
最近はCS放送の方が面白くて、
地上波TVは段々とつまらない、最低になりつつあります。
デザイナーであるからどうしても車関係は何度も観ます。
でもそれほどマニアックではありませんが、ビンテージカーについては
「カーSOS」と「世田谷ベース」は大好物番組です。
自分自身も相当に車は乗り継いできました。
この番組は一方が英国であり、所ジョージ氏の番組は優れています。
「カーSOS」は最後に感涙してしまうほどの内容であり、
ビンテージカーのもはや使われていない技術の凄さにため息が出ます。
「世田谷ベース」での彼の車からの文化の話はあまりに長いらしく
早送りされているほどですが、わが国の手遅れ制度批判は大納得です。
ビンテージカーが好みではありませんし、
もはや人生最期の車はAMで最高です。
でも、デザイナーとしてもっともっと進化させたいことは山ほどあります。
その基本的な素材や実装のデザインは未だに現役デザイナーとして、
大学人としても最先端をねらっています。
もはや人生最期の終活デザインを開始しています。
明日もし、あの世に行っても、
やり残したことはできる限りスケッチと文章で残しておきたいと思います。
ビンテージカーのこの二つの番組を
地上波番組は決して追い抜けないでしょう。
これらの番組には確実な「コンシリエンス」が残っています。

*『閏年の2.26=67歳なり』
*『女衒同族と羽織ゴロたる民法TVも国会も同罪である』
*『コントローラーのデザインはまったく進化していない』
*『10年使用すると、そうだったのかということ』
*『対決が明白なTVドラマの効能性の評価』


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『葉巻を語り直すことで「グローバル化」の神髄に近接』


   


     5月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

日本が「グローバル化」を国家戦略にして久しいと思います。
正直、自分には「グローバル化」と「ローカル化」は
同値の国家戦略だと考えてきましたが、
大きな違和感があったことは確かです。
なぜグローバル化ということの本質的で実務成果が見えないのか、
この理由を探していました。
そして気づいたのは、若い頃、海外での仕事では食事の時の話では
よく、オペラや現代美術での評判を話合う場面に自分がいるのです。
こんな場面で、こうした会話に望んでいる自分のことを思いました。
そんな思い出とともに、たまたま喫煙文化におけるタバコの歴史は、
癌の元凶ということから、総否定が蔓延しています。
「葉巻」だ、「パイプ」だなんてことはほとんど否定されています。
かつて喫煙については自分自身も禁煙をしていましたが、
改めて「葉巻」に取り憑かれた私が、大きく気づいたのは、
日本が「グローバル化」を語るのはすべて産業経済でのことであり、
「葉巻」・「乗馬」・「ライフル撃」・「鉄道模型」などの「文化」は、
日本でも余り表立ってこず、欠落していたということです。
そこで、「葉巻文化」をクラブづくりとともに、
日本の「キセル」での喫煙文化も加味することで、
確かに喫煙が病因的な元凶であったとしても、
国際的に文化を語り直すことで、政治や経済を離れた文化を共有する
「グローバル化」の語り直しを行う重要性を見直したいと思いました。
葉巻クラブの結成を言い出したら、とんでもなく様々な人からの
参加申し込みがありました。
そこでこのクラブのマークやすでに商品化しているデザイナー仲間と
クラブ結成とその理事長までを決定して国際的な存在をめざします。

*『葉巻文化、その道具こそプロのデザイナーの仕事だ』
*『葉巻文化と筆記具文化の統合性は凄いのだ!』
*『知ったとしても、ダンディズムがあると思う!』
*『酒とタバコと、そして・・・』
*『風土とゲマインシャフトがグローバルへ』


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『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』


   


     5月 8th, 2016  Posted 12:00 AM

わが国の少子高齢化は人口ピラミッドの視覚化により、
明白な事実が確認できます。
自分自身が「団塊の世代・s22・s23・s24」の一人として、
この図解はきわめて事の重大さを納得させてくれます。
高齢化というより高齢社会は人口の巨大な重石になっています。
少なからず、1949年生まれの私には2050年はありえないでしょうが、
少子化の重大さは、いくつかの国家的危機を明確にしています。
まず、防衛的問題が政治的にはトップ問題ですが、
経済システムの大変更は
2018年大学問題・国公立私立大学は半分になるでしょう。
入学者数の無い私立大学は不要です。
そしてこの教育問題が産業経済への多大な影響になることは
すでに一般的には暗黙の理解になっていることは間違いありません。
最も重大なことは「年金問題」と「介護問題」がこの少子化の
人口ピラミッドを見れば一目瞭然となります。
18歳からの投票が可能になりますが、彼らの「不安」の中心は、
「政治に荷担しても何も変わらない」という印象から
投票しないという発言です。
しかし、この不安感の実態は「年金」問題もさることながら、
実際は「介護者不足」は2025年には250万人の介護士が必要です。
この実態は18歳には届いていませんから、
彼らの投票参加がなければ「シルバーデモクラシー」になるでしょう。
しかし、もし、投票がインターネットであれば、
18歳人口は彼らのSNSネットワークで、
マスコミ操作不要の新たなデモクラシーが出来上がります。
その時には、ネットワークによる新たなリーダーが求められるでしょう。
その時には自分は逝ってしまっているはずです。

*『日本システムが壊れた理由のひとつ』
*『災害への勇気と希望の世代間団結』
*『世界・世界観変革が始まる』
*『2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない』
*『忘れた頃にを想定内に!』


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