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Posts Tagged ‘自殺者’


『商業主義の貧しさは経営から離脱した盗作である』


   


     2月 3rd, 2017  Posted 12:00 AM




恵方巻きという節分時の大阪での習慣がすっかり全国区になりました。
これを経営戦略とするなら
商業主義が習慣を破壊しているとしか私には思えません。
ここ数年にコンビニの商売として全国区にした習慣化商いでしょう。
私はそれ以前に日本の、たとえば「包む」と「詰め込む」ということや、
海苔巻きとサンドイッチでそれこそ文章構成を比較したことがあります。
海苔巻きは中核の食材をお米と海苔で巻き上げていくことで、
話題の中心を取り巻いている状況記述。
パンで食材を重ねていくことで、話題となる話のポイントを
重ねるということの違いでした。
ついでに包むというのは、「つつましい」の原意に連鎖し、
風呂敷で包む行為と缶詰やソーセージで詰め込むこと、
この習慣化した文化の差異性でした。
さて、そこでの問題ということになりますが、
バレンタインのチョコレートやクリスマスのプレゼント、
ボージョレヌーボーのワイン、ホワイトデーでのプレゼント、
すべからく輸入された習慣の商いです。
この習慣の経営は果たして商売化する商業主義のあり方です。
確実に文化習慣の商業主義的な経営は、
それなりの新しい習慣文化の付加であることは認めます。
しかしこの商品化=商業主義的な経営はまとも?
売れさえすればいいという明白な貧しいいやらしさが、
理念で論理性明確な借り物であることは盗作と言わざるをえません。
今年のコンビニでの売り上げ強化だけや
恵方巻きの商い手法が売り上げ競争化されてしまうこと、
これこそ商業主義の貧しさを
重大な地方の習慣そのものを破壊しているのです。
したがって、商業主義でのあたかも理念を捨て去った盗作などは、
確かにこうした商売スタート時には自殺者を出した時から、
この経営に、それこそデザインが加わると、
文化はすっかりと破壊されるということです。


*  「慈愛資本とは、優美の隠匿資本でなければならない」
* 「包むことと詰めることの大きな違いを知った頃」
* 『マンガ表現での瞳表現、そのインターラクション』
* 『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』
* 『モノ真似防止、他のデザイナー作品は暗記すべきだ』


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『熊本の草木鳥がレジリエンスのシンボルになる』


   


     6月 16th, 2016  Posted 12:00 AM



きわめて自分は焦っていました。
熊本地震の現地から、最も気にしていたのは身障者、車イスの人たちです。
やはり避難所には行きづらいという連絡がありました。
現地では終息しない2000回を超える地震。
崇城大学と九州大学に「レジリエンスデザインチーム」を
39大学が後方支援。
しかし、自殺者まで出ると「レジリエンス」そのものが崩れてくるのです。
そこで「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」という標語を思いつき、
早速、シンブルなキャラクターはすんなりと「くまモン」としました。
ところが認可は一ヶ月も先とのことです。皆が頼っているのです。
ならば、熊本のシンボル=楠・竜胆・雲雀に決定をし、
ビジュアル表現に入りました。
ところが若いデザイナーには、草木鳥の基本知識が大欠落。
美大同輩からは欅(自分は思い込んでいた)じゃない楠という指摘。
そういえば、欅と楠では木質も枝振りも全く異なります。
まして竜胆(スズラン)ともなると、
これは高山植物にまで登場する様々な種別があります。
竜胆を家紋にすれば歴史的な象徴の何を重要視しているかが明確です。
そして雲雀(ヒバリ)となればこの鳥は真っ直ぐと上昇して飛び立ちます。
この飛び方には飛翔前の小走り方と、天高くから垂直に降りますが、
実は地上に降りると、
下降地点からすぐに数十メートルを小走りしてしまいます。
美大時代に木質と木立はいっぱい写生をしてきました。
花にいたっては何種類の花を花弁や苞葉をデッサンしてきたでしょうか。
雲雀か雀か鶯かも最近では定かで無い装飾が氾濫しています。
これをデザインと言われるのは真っ平です。
少なからず、草木鳥にレジリエンスはありえません。
よって、熊本の元気のシンボルは、楠・竜胆・雲雀に、
ビジュアルデザインの基本を求めています。
熊本の現地で、負けそうになったなら、
このワッペン、あるいはビジュアルシンボルを
叩いてもらい自分を奮起してもらいたいのです。
これはレジリエンスデザインが果たせる役割だと考えています。

*『レジリエンスデザインは真正面で自殺と向き合う』
*『非常事態の準備は再考しなければならない』
*『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』
*『自然から学んだはずだった・・・のだが?』
*『扇子の季節、伝統センスが壊れ始めている』


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『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


   


     6月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



日本が壊れているから我々も壊れている、
このことを知らないままにしようとしているのでしょうか?
私たちは、3.11で思い知ったはずだったのですが、
報道されないと、どこかで忘れようとしているのです。
かつて若い頃に、自分はある企業に対して、
元同僚で同期の人物を口説いて、その企業のデザイン部門長にしました。
私がパリに飛び立つその日に、彼は突然亡くなってしまいました。
パリで私はあるデザイン賞の授賞最終候補になっていました。
しかし、その受賞式の華やかさの中で、完全に自分を失っていました。
帰国したら、すぐに空港から彼の実家に行かなければならない、
そんな気持ちで一杯でした。
そして、受賞出来なかったときの(悔しさがあふれました)感覚と
同様の気持ちに、3.11でも、今の熊本地震でも、包まれています。
「倒壊してしまった人たち」と「倒壊せずになんとか無事だった人たち」、
この対立があると、現地から情報が入りました。
「負けるな!・泣くな!・楽しもう!」、
このコピーは、現地では絶対に使えません、ということです。
この我々の勝手さになんとここまでも壊れてしまっていると知りました。
しかし、レジリエンスデザインチームに39大学が、
なんとか、まだまだ壊れそうなこの日本列島に、
レジリエンスデザインで最も困難なデザインでの問題解決を
熊本に向けたいと考えているのです。
それは、最も怖れていた自殺者を出してしまったことからも、
レジリエンスデザインの最も重大な使命を果たさなければなりません。
デザインだから可能なことに向かいたいと考えます。
デザインで「最悪な状態」は何としても解決するのです。
自殺防止はレジリエンスデザインの目標の最大使命です。
壊れない自分自身を全員が支え合わなければなりません。
壊れていく生涯ゆえ、この列島の花棌の国の鄙美人で生きることです。
そこで、せめて今このビジュアルデザインを差し出し、
死という平等な、幸不幸を生涯に取り入れ直すことです。
「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」を持ち合うことを提案します。

*『海抜4mの日本列島で大丈夫だろうか』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『山は崩れてはならない=つちのかたちデザインが要る』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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『レジリエンスデザインは真正面で自殺と向き合う』


   


     6月 10th, 2016  Posted 12:00 AM



正直、油断をしていました。
デザインが最も対抗するべきは「死」への態度でした。
したがって、Resilience designとは、
人間が、ストレス・プレッシャーに対抗するための
「強靱な精神力」をデザインすることでした。
勿論、あの3.11天災人災においても自殺に追い込まれた人がいたこと、
その反省から、レジリエンスデザインの必要性を掲げてきました。
まさか、熊本地震において、
まだまだいつ終止符となるかもわからない地震は連続しているのです。
わが国の報道も、もう落ち着いたかのように熊本関連のニュースは無く、
それだけに気が抜けてしまっていたのかも知れません。
現場である崇城大学、九州大学からは、行政が極めて大変であり、
ようやく写真記録も、という報告はありましたし、
報道されないともはや我々は忘れがちになってしまいます。
「自殺者が出た」というニュースで、
とても混乱しました。
デザインが自殺と面と向かったとき、
何ができるのだろうと必死で考えている
そんなアイディアをまとめています。
国際的なコンサルタントにもヒントを求めました。
「恋愛感情を持つこと」、
「何事かに熱中して生きている実感」を維持していることがその答でした。
人は、自分で自分の命を絶ってはならないのです。
その最大の理由は、命は自分のものではないからです。
直接的には父母に与えられた命ですから、
自分でそれを断絶することは辞めるべきです。
「葉隠」の、
「死ぬ事と見つけたり」の意味をもう一度振り返るべきです。
プレッシャーやストレスに押しつぶされようとも、
それを突き返す強靱なる自己を持ち続けるには、
デザインとして生き延びる力を守り抜ける
自克心の育成、激励が必要なのです。
「レジリエンスデザインチーム」は、
なんといっても「自殺」と真正面で対決することを再確認しています。
その早急なデザインアイディアを実務実践するつもりです。
「負けるな!」「泣くな!」「生きるんだ!」というこのフレーズから
Resilience Designを展開していきます。

*『病院という制度の中の患者心理・私の場合』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『コンシリエンスデザイン仮説をレジリエンスデザインから』
*『危機解決学としてのコンシリエンスデザイン』


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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM



震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。


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