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Posts Tagged ‘自衛隊’


『ヘリコプター救助の高度な技術は称讃されるべきだ』


   


     10月 3rd, 2014  Posted 12:00 AM

御嶽山の水蒸気爆発は、また私たちは自然への恐怖感を知りました。
日本では多くの温泉に恵まれ、それも自然の恩恵ですが、
その温泉の多さこそ日本には多大なほど活火山があるということです。
そして、私たちは前政権がまたどれほど低レベルで政治能力が
全く無かったことを思い知らされました。
確かに、自民党一党支配を「変えたい」という思いは
当然でしたが、私は、民主党議員レベルは素人集団と判定し、
民主党には投票しませんでした。
案の上、東日本での大震災大津波、原発事故の政治指導の無能さと
私自身も仕分けという無能さ被害を受けていました。
そうしたら活火山測定予算も民主党の仕分けで排除されていたとか。
日本の歴史では、政治混乱期には必ず大天災が起こることを
民主党はまた立証してしまいました。
しかし、日本の自衛隊、この存在には感謝しなければなりません。
水蒸気爆発、ガス噴出、火砕流の中で、なんと救助する自衛隊、
その最も素晴らしいことは、ヘリコプターを3000m高度で、
ホバリングを成し遂げて、人命教授をしたことです。
私はただ、ヘリコプターが大好きなだけですからなんでも覚えようの
ヘリコプター趣味は人並み以上に詳しいと思っています。
だからあのホバリングが可能なのはわが国だけだと確信しています。
あの山岳救助はヘリコプター救援は絶対に容易くはありません。
自衛隊だから救助は当然ということ自体が間違っています。
それこそ、自衛隊の隊員の人命すら危ない状況で彼らの職能技術、
これは大絶賛されるべきことですが、左翼的マスコミは無報道です。
左翼的マスコミも民主党も、わが国には不必要です。
大嶽山の水蒸気爆発も日本が自然との調和はありえないことを、
もう一度認知すべきことでした。
そして、いかに政治政党が悪いと日本は天災を受けることが立証され
自衛隊のすぐれた技術を再確認したということです。
日本列島は本当に脆弱な島国ですが、
私たちは素晴らしい国家に住んでいるということです。

「ユーロコプター」


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『活火山の噴火で学ぶこと=高密度情報化の再熟考』


   


     10月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

御嶽山を右奥に見て、正面には白山山系が見える約1500mの高地。
南乗鞍キャンプ場を取り囲んで湖があり、
そのキャンプ場には正式なヘリポートがある素晴らし場所です。
実は、もうすでに別荘を建てたいと目論んでいた所です。
無論、高山での建築については様々な問題があり、
すでに建築の専門家ともそれなりの話をしていました。
御嶽山が大噴火という報道を見て、日本列島の脆弱さを知り、
とうとう活火山にこれほどの影響が、とか
救難での自衛隊の装置などに興味が走ってしまいました。
活火山活動では、マグマ爆発と水蒸気爆発があること、
水蒸気爆発でのガス噴出や落石のすさまじさなどを学びどうなる?
今、私たちは地球温暖化での気候変動や、感染症や、災害現地など
ひたすら学ばされることは、何の解決にもなりません。
そうして、もう一度、御嶽山の位置確認をして、私はさらに驚愕。
なんと、御嶽山を中心に今救済センター地の玉滝村の対称位置に、
山根村・南乗鞍キャンプ場でした。
グーグルマップの情報性にはあらためてびっくりしましたが、
南乗鞍キャンプ場からライブカメラでそのまま御嶽山そのものの現在
それを見ることができました。
しかし報道ではまだ下山出来ずに生存者の確認が出来ないとのこと。
私は、自然の猛威などと言っている状況でもなく、
また気候変動、活火山、大震災の予想、RNA破壊病の感染と
めまぐるしく情報化されて学んでいる自分にこそ、疑問を持ちます。
もし、私の計画通りで高根村に居たとするなら不安よりも、
生命の危うさを実感していたでしょう。
その心情でおられる人たちには何ができるのでしょうか?
次第に情報の高密度化の中に埋没している自分の怪しさこそ、
今、もう一度、この列島の住民として、その生命存続を再熟考です。
この日本列島の自然の猛威にしっかりと対峙していく覚悟こそ、
自分を壊さない危機解決だと思うのです。
昨日は、阪大のフォトニクスセンターで河田特別教授から、
深紫外線でのDNAからRNAの検証フォトンの話を
じっくりと教示していただきました。
私の役割であるデザインアイディアを急がねばなりません。


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「日本の倫理性が3Dプリンターの根本を変える!」


   


     5月 31st, 2013  Posted 12:00 AM

3Dプリンターがとても話題になっています。
私自身、そして確実な人たちからの依頼もあって、
光造形から3Dプリンターまでの系譜を書いてきました。
話題になっているのは三つあります。
・大統領が本当は票集めなのに演説に取り入れました。
・モノづくりの傍観にすぎない著作がベストセラーです。
・廉価な3Dプリンターで、拳銃・マシンガンまで造れます。
このような拍車がかかりました。
しかし、未だに18世紀からの兵器が社会安全の擁護道具、
このような認識にしばられている社会性には、
根本的な倫理性は育成されていません。
本来、戦争なんて最も望まなかった、
それこそ「武士道」のあるわが国には、「日本刀」すら、
武器ではなくて「象徴」としてきた私たちには、
潔癖な倫理観があるはずです。
それは宗教でもなく、哲学でもなく、日常感覚に根ざした事です。
いまなお、SF映画でもマシンガンは18世紀の遺物に過ぎません。
その撃ち合いを冷徹に眺めることです。
拳銃?、マシンガン?、ひいては原爆、軍事、つまらないです。
だから、わが国なら、
その軍事・警備の銃器武器こそ変革するべきでしょう。
私が大学人にもどって、
「先端統合デザイン」を「危機管理産業創成デザイン重要拠点」を
目指してきた具体的な理由は、
軍事や警備や防災や防犯を根本から変えることです。
確かに日本でも警察官はじめ自衛隊でも武器を所有しています。
しかし、「武器」そのモノが、
人命尊重で有り、軍備をしないことを認識した「器」=文明です。
それこそ、日本での3Dプリンターは、
元来、光造形でも日本の発明系譜を遵守して、
「失神させるだけの攻撃防止」、この技術とデザインで、
「倫理性」を確実に獲得できる「産業化」を狙っています。
日本の叡智は、倫理性=尊重と敬愛を源泉とするような、
たとえそれが「武器」であっても、
コレを「変革」させれる頭脳と社会システムを保持しています。
私は、たとえ3Dプリンターですら、
倫理性をデザインの奈辺にしたいと思っています。


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「軍需こそデザインによる革新の真の目的」


   


     4月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

私たちは間近に狂気の国家に苛まれています。
この国家には拉致された同胞が生きていますが取り戻せません。
それどころか、私たち国家をミサイル攻撃を加えようとするあり様です。
ここ数日苛まされています。
私は彼ら指導者だけを全滅させるべきと正直思っています。
ミサイル配備とともに、消滅させることは時代として当然です。
そして、「軍需産業は不可避」です。
ただし、原爆や原発、そして平和を謳歌した私たちは、
「新しい知恵」、すなわち、
全世界から新たな軍事手法の大変革が必要です。
それは、大量殺人をしない新たな軍事です。
軍事脅迫や軍事暴力を革新するデザインが必要だと考えます。
具体的には、命を奪う方法論を消去して、
「失神状態にて暴力の完全防止」させる新たな軍備物品の発明です。
そうした新たなデザインされたこと、
命を剥奪させない「軍需産業」を日本が提示することです。
たとえば、現在、
わが国の警官は拳銃を「警察権力のシンボル」にしています。
万一、発砲すれば裁判にかけられるほどの大事件になります。
しかし、警官は拳銃の練習では200万発の銃弾が必要と言われています。
しかし、本当に使われる銃弾=警官としての義務発砲は10数発。
もしそれを実行すれば「罪人」になってしまう国家です。
無論、押しつけられた憲法では軍隊を持っていませんが、
私たちの自衛隊は見事に国際的には軍隊です。
その軍隊が国家窮乏の時、拉致被害者になったとき、
海外で同胞が生死を軍事行動に晒されたとき、
私たちは軍隊ではないかぎり、何もできません。
であるならば、私たちの知恵は、
人命剥奪の戦争を永久に停止する新たな軍備・軍需をデザインすべきです。
専制政治で狂い果てている国家のために、
私たちは苛まされていてはなりません。
私たちは「創ることで問題を解決」していく国家・国民であるべきです。
まだ攻撃してこない狂気国家を見ながらも、
私たちは新しい軍備=殺人行動を
決して起こさせない産業化をしていくことです。


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「『危機管理デザイン賞』特別賞の二つ」


   


     3月 29th, 2013  Posted 12:00 AM

「第一回危機管理デザイン賞」は審査委員会が、
応募を離れて「知られていない団体」をあえて選びました。
危機管理学や危機管理工学はまだまだ学際化されるべき学域です。
すでに大学にも、この関連講座はありますが、
ほとんどが「制度設計や行政論」に偏っています。
しかし、審査委員会は今回は3.11で見逃された活動に注目しました。
一つは、救急医療で人知られずに活躍したNPOがありました。
AMDA=Association of Medical Doctors of Asiaが
いち早く救護に入って、
どれだけの人命や救護活動をしていたことでしょうか。
この団体は、今回の3.11に関する情報も大変に精通していました。
もう一つは、この団体こそ、
北海道から自衛隊を被災地に隊員輸送を行いました。
3.12には15000人を送り込んだと言われています。
その成果は、本来なら35000人の同胞を失うかも知れなかったことが、
結局は15000人も救助していたことはほとんど報道もされず、
彼らも喧伝しませんでした。
無論、
3.11を裏から目立たず支えたグループや団体や個人も数多かったはずです。
そこで、
この二つのグループに会長賞=Excellent awardとして表彰しました。
昨日はグランプリに「検体DNA採集セット」を選びましたが、
危機=「最悪の事態」にデザイン=問題解決実務が、
制度設計だけではなくて、形態設計や実務設計で、
こうした危機=「最悪の事態」から、
人命が開放されることを意図しています。
制度設計としての危機管理学、形態設計としての危機管理工学、
さらにこの二つをさらに学際化=デザインすることで、
私は、この専門職種が必然だと考えています。
この二つの会長賞からも、
危機管理の専門職は新しいテクノロジストの養成でもあると考えています。
大阪大学大学院・工学研究科では、
「危機解決の産業を日本から起業し、
その主導をデザインが牽引する」こと、
これを目指して、
私はこれまでの医療・原子力・ロボット・警備などを
デザインでまとめ直すこと。
私の最期の仕事だと考えています。
インターン学生を求めています。
かなうなら、
専門のテクノロジスト・ドクターを養成したいと考えています。


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「暗号解読の論理演算からコンピューターが始まった」


   


     12月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

世界大戦は暗号解読という知恵比べがありました。
暗号解読に関わった人たちは生き証人として、
次のようなことを述べています。
「戦争を終わらせたい平和な時代のために私たちは関わった」、と。
私は、現代生活においてパソコンが不可欠のものになっていましたが、
その根本的な源流には、戦争=暗号解読=論理演算があったからです。
その最初が、ドイツ・ナチスが開発した「エニグマ暗号機」がありました。
このことはコンピューターの歴史ではそれほど重要視されていません。
そして、ナチスからの暗号解読に苦心していた英国のMI6は、
アラン・チューリングたちがこの解読に関わり、
その結果が、論理演算→二進法につながっていくのです。
私自身がパソコン、
特に、MacとEWSにデザイン手法を乗せてきた背景には、
「論理演算」の知恵に最も興味があるからでした。
これまでこのブログでこのことを書き忘れていたと気づきました。
暗号解読の世界とパソコンの歴史は
どこかで分断されてきたと私は感じています。
つまり、パソコンの歴史の源流、インターネット歴史の源流には、
「戦争」があったということです。
しかし、「戦争」に対して、たとえば暗号解読に関わった数学者たちも
「平和」を懇願していたからです。
人類の最大悪と言われる「戦争回避=平和希求」は、
今日のSNSに至るまで、
「平和」を祈願する人類の理想主義があることを
銘記しなければなりません。
日本が右傾化するというアジアでの評判は、
きわめて偏向した観察だと考えます。
それこそ、自衛隊の幕僚長が語っていた言葉に、
「最も戦争をしたくないのは我々です」ということに表れています。
私は、
平和希求で生まれてきたコンピューターの背景にある「論理演算」にこそ、
理想主義への論理演算という手法が
埋め込まれていると確信しているからです。
だとするなら、
理想主義の実務的手法にある「論理演算」には、
デザイン手法=記号化手続きがあるのだということも、
デザイナー、大学人として、
そろそろ明快にテキスト化すべきだと考えています。
まだまだ書き残すことがいっぱいあると思っているわけです。


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「岸辺のアルバム=家族平和とは安泰」


   


     12月 26th, 2011  Posted 12:00 AM


1977年TBS・TVドラマ・山田太一原作脚本に、
「岸辺のアルバム」という名作がありました。
精神的な家族崩壊と水害での完全崩壊が描かれたヒットドラマです。
そして1993年北海道南西沖地震M7.8は奥尻島に火災と津波が襲いました。
私はその地震で津波の恐怖を知りました。
そして被災した人たちが、最も失ってしまったもの、
それが家族のアルバムの大事さだったことを知りました。
3.11では自衛隊無くしては、この災害救援はありえなかったと思います。
しかし彼らの活動はまったく報道すらされませんでした。
たまたま彼らが救援や捜索で
一番に被災地の後片付けで心を配っていた物が写真・アルバムでした。
その報道画面を見つめて胸がしめつけられて涙しました。
家族アルバムは、家族の平和=安泰の物事メディアです。
したがって、「安全と安心」だけでは、国民の平和、
生命と財産の保護保全では無いのです。
「安全・安心・安泰」この三つが重要だと考えます。
安泰とは、ただのんびりとしている印象がありますが、
安全+安心=安泰という方程式になるのでしょう。
したがって、安全対策+安心対策は安泰創出です。
この方程式を忘れてはならないことを再確認すべきでしょう。
アルバムは、写真であり、その写真とは「物事の記録」です。
家族アルバムは、
ジャーナリズム対象=日々の記録が家族だということです。
ということは、災害時に持ち出す最大の財産、
その最も具体的な物は、貯金や預金通帳、
金品では無くて、アルバムが一番なのです。
だとするなら現代、家族アルバムは
「クラウド化」しておくべきことになるでしょう。

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「『国難』だから現政権への造反有理」


   


     4月 29th, 2011  Posted 12:00 AM

真実、「国難」にある日本です。
しかし、大震災・津波・フクシマ原発だから、
国難になったわけではありません。
「政権交代」を望まねばならない時から、
この国難はスタートしていたのです。
そして、みんなが新しい政策転向に大きな期待を持ちました。
けれども、民主党政治は「素人政治」であり、
党内党略が国政の前に政治環境、その最悪化を連続させています。
逼迫した国家予算も、「バラまき」一辺倒であり、
なぜ教育費が無償化などには、知識層は疑念を掲げていました。
官僚支配からの解放は「仕分け」というパフォーマンスであり、
「世界でNo.2でも構わない」。この発言に国民は仰天しました。
このような低レベルな言動女性代議士はホステス閣僚であり、
見事に、大衆主義を体現する象徴になったままです。
日本のイデオロギー構造(この見方をしなくてはならない)は、
明らかに「社会主義化傾向」を見せ始めていました。
こうしたときに、必ず、天災に襲われるのです。
村山政権時も同様に、阪神淡路震災に見舞われました。
自衛隊を「暴力装置」とみなす政権には、
本来、国政を司る権力性を預けるべきではなかったのです。
大震災は原子力発電所の破壊を誘発しました。
しかし、これは明確に人災でした。
よって、私は原子力推進派ではありませんし、
しかも脱原発派でもありません。
むしろ、どれだけ「文明の利器」が怖いモノだからこそ、
新たな原子力技術の進化を求めたいという人類義務意識者でした。
[自然・科学・技術]・対・[人間・デザイン]ということが、
今や一方的な脱原発思潮が世論化しています。
私は、無論、救済・復旧・復興がこの国難と対峙していますが、
それ以上の国難は、一方的な脱原発志向だと思います。
なぜならこの国難解決をさらに困難にする政権支配だからです。
私の世代は、70年学園闘争世代です。
にもかかわらず、この政権を破壊出来ないでいるのです。
私なりの「造反有理」はここに書き残します。


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『資本主義からの逃走』
    「抑止力なんて!怒っている地球・原子力について」


   


     8月 8th, 2010  Posted 12:00 AM

わが国の抑止力は何?
軍事力は未だに人類と国家、その国際関係での「力学」になっています。
そして、その軍事力を最大に保証しているのが,
「原子爆弾」を保有しているかどうかという幼稚すぎる決め手です。
日本は甚大な被爆体験をさせられて敗戦国家となりました。
被爆国家としての怒りの主張もせず曖昧国家65年目を迎えました。
「持たず、作らず、持ち込まさず」という三原則を「原子力の軍事利用」を自己規定してきました。
そして、国家的な「抑止力」は、
米国との安全保障条約・在日米軍基地・自衛隊の専守防衛でさらに自己規制を守り抜いてきました。
島国であることも幸いしています。
しかし、第二次世界大戦後、地球上には「原爆保有」と「紛争」は連綿としています。
民族対決・宗教対立は歴然です。
テロリスト国家は「原爆保有」を今やことさらに公然としています。
日本という国家は、戦後の経済力によって、
自己規制で「原子力」との距離感を、
実際は国内に賛同と反対を抱きながらも決して明快にすることなく、
「原子力への曖昧さ」に委ねてきました。
すでに、国家経済は没落の道程にあります。
日本の何が「抑止力」なのでしょうか?。
そして国際関係での「軍事的力学性」に専守防衛の意義があるのでしょうか?。
先進的原子力技術
私は、「原子力技術の高密度な先進性」を「情報戦略化」するべきだと考えています。
何も、「原爆」で武装しようというのではありません。
もし、必要とあれば、
「日本の原子力技術の最先端性は原爆をすぐに準備できること」を誇示し訴求することです。
原子力反対派からは非難集中のことと推測します。
それでも、私は「原子力」利用は、発電・水源確保・CO2削減、環境の保全化をめざします。
その「原子力利用技術がナンバーワン国家」であることで、
古典的な「抑止力」を確保しておくことです。この幼稚さに呆れながらも・・・・。
治安も失われ、礼節も喪失し、倫理観も乱れ、
少子国家、高齢国家のわが国の「存続」、
その議論に「原子力技術」機軸にすることを、絶対に、タブーにすることは大きな間違いです。
怒りの地球
地球の全自然は怒っているのです。
それが昨今の天災だと素直に受け取るべきでしょう。
「抑止力」なんてことで対立している人類=人間そのものを
この地球に生かしておいてはくれなくなる日がきっと来ると思っています。


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