kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘航空機’


『日本人パイロットなら、絶対に正確なのです』


   


     8月 5th, 2019  Posted 12:00 AM



陸上自衛隊が新たに導入した日の丸オスプレイの映像を見ました。
今では最も危険だと言われている,
あの「オスプレイ機」は事故が多く航空安全性と事故調査や、
安全保障の体制と日本の対応が問題となります。
もう忘れていましたが、
日本製で提案してきた航空機も確かにありましたが実現していません。
米国「オスプレイ機 V-22」の小型戦術機も開発され,
自衛隊のパイロットが訓練を受け全く安全という記事を見ました。
なんといっても垂直離着陸輸送機であるオスプレイは、
垂直で上がってしまうわけですから、
滑走路を必要としない利点もありますが、
離着陸地点の高温・風圧前提の設計対応を要し、
また、人間の垂直感覚適応への訓練と
育成に時間とコストをかけなければなりません。
自衛隊ゆえに軍機になってしまいますが、
戦闘用からは外れればとっても面白い飛行機が
出てきたと言えるのです。スタイリングもいいです。
やっぱり、ダ・ビンチの想像のように、
「空中を飛ぶ」ことへの憧れがあり、
カーデザイナーを目指す教え子にも「車は空を飛べない」と
次世代への進化を求めていました。


オスプレイ機


目次を見る

『世界最大のジェット機されど軍用であるが未使用を』


   


     4月 16th, 2019  Posted 12:00 AM



世界で最大の双胴機が開発され、初飛行が成功しました。
結局は軍事であり、技術はやっぱり軍が進化させているようです。
名称は「ストラトローンチ」=Stratolaunch。
ボーイング・747型のエンジン6機を積み、厄介なのは、
戦術的にはミサイルを発射出来ることです。
最高速度は時速は304キロ、最高高度は5183メートルでした。
この企業はストラトローンチ・システムズであり、
インドには最大の空中輸送機「アントノフAn-225」があります。
しかし、これも軍用です。
軍事目的の利用であることと民主主義とは一致していません。
しかし、ロボットや飛行、航空機、宇宙関連など
最大のモノ開発はそういった目的のために進歩前進します。
私も例えば、ナイフの開発をしていますが、
ナイフそのものは、攻撃用にも護身用にもなり、
当然、日常生活用でもあります。
アップルで仕事をしていた頃、企業哲学として、
「国務省が絡むような仕事、製品をつくらない」がありました。
未来への技術開発が、戦争という手段に使われずに、
次世代の豊かな生活を築くものとなるよう信念が必要です。


目次を見る

『国産の戦闘機開発が見えてきました』


   


     1月 13th, 2019  Posted 12:00 AM



「F-3」完成がやっと見えてきました。
これは国産の戦闘機であり、しかもステルスレーダーには映りません。
誰だって「戦闘、戦争は反対」ですが、
戦後、航空機開発は禁止され、
国産エンジンの主力戦闘機採用は関係技術者にとって悲願でした。
なんといっても、「冶金でのエンジン開発」が遅れていました。
ようやく航空機での国産ビジネスジェットが国際的に認可され大ヒット。
続いて、戦闘機は絶対に日本では開発不可能とまで言われてきましたが、
戦闘機づくりに日本も国際的には参加できました。
それこそ、海外からの戦闘機では無く国産が出来るようになりました。
自衛隊は専守防衛でも、防衛力行使の大きな強みとなります。
技術開発を進めれば、戦争を防止する強力な装置が出来るのです。
かつて輝かしい技術でトップであった造船ですら、
今では後進国家になっています。
それこそ時代は、「宇宙部隊」を防衛省が新設しました。
いとこがJAXAで国際宇宙ステーションの立ち上げから
安全管理システム構築(IAASS)まで携わり、
教え子も宇宙での医療とデザインを掲げてJAXAにいますから
宇宙での未来も遠くはありません。
「F-3」の最高技術開発が出来上がってきたのです。
この技術開発と技術仕様が日本を守ってくれると信じています。


目次を見る

『3台目のICD、その手術経過』


   


     11月 2nd, 2018  Posted 12:00 AM



2018/10/10に私は心臓の手術をしました。
正常なリズムを失った心臓に電気ショックを与え制御する医療機器、
ICD=植込み型除細動器の入れ替え手術です。
もちろん投薬治療で不整脈を抑えてはいますが、このICDの管理のもと
交通事故由来の私の心臓病とともに生きていけるのです。
丁度、前回の手術から8年目ゆえに取り替え=電池の取り替え時期でした。
当初は来年初め頃と思っていましたが、9月中旬に、
不整脈からICDで大きなショックを受けました。
このショックは失神してもいいくらいの衝撃でしたが、私は2回耐えました。
翌朝に阪大でICD内のデータを確かめましたが、ICDは初期化していました。
機器の動作確認が困難となり、すぐに手術を決めました。
初期化しているエビデンスも見当たらずで、手術をしてICDを取り出し、
これを米国に送るしかないとなったのです。
2006年、阪大に赴任したときには、心臓の発作から名古屋市立大病院に
入院中で病院からヘリコプターで、それも大好きなユーロコプターで
阪大病院へと移送ということになり、とても興奮していました。
ヘリコプターで、起き上がりたいと2人のドクターに言ったら、
「何を考えているんだ」と私はえらく叱られました。
しかしちょうど病院からの離陸を
名古屋大(今は東大)教授の友人がカメラに収めてくれました。
それから1台目が5年間、2台目は8年目、体内に埋め込んでいました。
もちろんこの間、機器自体様々な進化をしています。
2年前にはデザイナー・ユーザーとして京都大と京都府立医大のドクター達、
この米国の製造メーカー日本法人に呼ばれて講演をしました。
それからも私自身、プロダクトとしてのICDに不満があり、価格も
1台目当時400万円、2台目が440万円でありコードが16万円でしたから、
阪大の循環器系は私を米国に売り込みましたが、
日本では制度として、生産と制御が出来ないのです。
残念ながら日本では手を出すことができない対象が他にも随分あります。
私には電気回路も分かるし、循環器系で博士号もあります。
航空機のように制度を超えて、デザインを日本人がやってほしいのです
アメリカの友人がICDのデザインを手掛けていたこともあり、
日本人ならさらなる改良や革新ができると話ています。
今回の機器寿命想定は9.8年ですから、
8~9年間は心臓は大丈夫かも知れません。


目次を見る

『コンピュータ制御ベッドが示唆していたこと』


   


     7月 14th, 2017  Posted 12:00 AM



これは私が30代のデザイン作品です。
13の企業を統括して商品化し、大商事会社と大デパートで展覧会もしました。
そして、毎日デザイン賞の対象作品にもなったのです。
当時、とても優れたMacintoshの「ハイパーカード」で、
ベッドの動作仕様を決定して、寝たきりの患者さんの褥瘡を無くし、
ドクターがベッドの動きを指定すれば、
実際には歩けるようになる、ということまでを実現しました。
問題は市価だったと思います。
36個の上下動空気圧ポンプをコンピュータ制御するシステムであり、
背中を押し起こす機構など高価でした。
そして提案が早すぎたのでしょう。
現在は8個のポンプで新しい素材でのアドバンスデザインに至っています。
また何と言っても当時のハイパーカードは、現在ならカラーで展開が可能。
このハイパーカードこそマルチメディアという言葉を抹消したソフトです。
このソフトを知っている人こそ、Macのあるべき方向を言えるでしょう。
私の発想はこのハイパーカードで支援されていました。
今はありませんがMacProjectというソフトでは13社の工程管理をしてました。
現在、いわゆる褥瘡はこれからの老人医療でも大きな問題です。
私はウォーターベッドで、褥瘡から解放されましたが、
それでも瘻孔という事態にもなり、ワイフは完全無菌での瘻孔管理を
トレーニングした経験もあります。
褥瘡=床ずれは、手術時間4時間でも発症すると言われています。
この床ずれ管理は現在すべて海外製ですし、進化せず高額です。
車椅子生活での経験では、ベッドや褥瘡管理は私の使命かと思っています。
そういう意味では、これからのプロダクトデザインは、
韓国の環境デザインが、建築系ではなく、ロボット環境にしているように、
車両・航空機・造船デザインや、医療すなわち看医工学デザイン、
防犯防災デザイン領域へと焦点化と拡張化が必要です。
30代のこの私デザインこそ、
デザインでの問題解決をすでに示唆していたものと感じ取っています。


* 『「眠る環境」その要素としてのウォーターベッド』
* 「ジャンボ・ジェットは747-8が完成型だった」
* 「コントローラーのデザインはまったく進化していない」
* 『宝飾品を実際に確かめていた頃を思い出す』
* 『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』


目次を見る

『車イスデザインに取り組み、今や、電動車椅子と制度改革』


   


     10月 6th, 2014  Posted 12:00 AM



私が自分自身で車イスに取り組んだのは、今は亡きK氏からでした。
K氏は大デパートの生活用品本部長で無印良品の最初の仕掛け人。
この大デパート支援でコンピュータ制御ベッド開発もしました。
無念ながら、K氏はゴルフ場で倒れ入院、癌が見つかり急死でした。
彼は最初、自転車メーカーから名古屋の日進医療器を紹介、
私はその企業の元社長と2年契約でスタートしましたが、
まだ中小企業の事業には大きなテーマをぶつけていました。
結局、そのメーカーに「NISSIN」のロゴタイプを最後に契約切れ。
大学の後輩が鉄工所の跡継ぎだったことから、そこでチタン溶接から
アルミハニカムコア車輪で「哀しみのためのデザイン」車イスを開発。
スニーカーのような車イス「CARNA」はINAXと福井の大電産業が
スポンサーとなってもらい、それはMoMAや幾つかの美術館に
永久収蔵される私の代表作になりました。
しかし、最近では、私の体力も落ちてきたことや、
リチウム急速充電バッテリーの米国製の車イスを使用しています。
だから、次のテーマは、もっと軽量でsegway的な車イスをと、
自分のデザインテーマにしています。
電動車椅子によって、行動範囲は著しく拡大しました。
が、社会の交通制度、航空機と鉄道ではいくつものトラブルを経験。
航空機は、ようやくですが、リチウム電池は機長判断という
未だに古い慣習になっていて、いつもトラブルを経験しています。
鉄道では、新幹線と特に毎月、ふるさと福井へサンダーバード乗車、
伊丹空港や新大阪駅では顔なじみになっていますから、
ほとんど通過できますが乗船乗車のシステムは制度改革すべきです。
おそらく、身障者の人は文句も言わずにいる者と思いますから、
私は「ここがまずい」とか「海外に恥ずかしい」を連発しています。
ワイフにはいつか「刺されるよ」と言われますが、
私は言い続ける役目だと思っています。


『そろそろ電動車椅子デザインの時期=一人称デザイン』


目次を見る

『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』


   


     7月 24th, 2014  Posted 12:00 AM



車イスで海外に出てからは様々な対応を体験してきました。
これは、パリでも有名なホテルですが、
この車イスで、ある壁面を押すとこの小部屋がありました。
それこそ、30代後半の頃に、この対応に驚いたことがあります。
まだ、バリアフリーとかユニバーサルデザインなどが未登場でした。
ヨーロッパゆえに、自動ドアや自動昇降もゆっくりでした。
しかし、この小部屋があることは知る人ぞ知る、そんな雰囲気で、
私は、この小部屋から突然、ホテルの鏡面の壁面ドアから
飛び出すことにとても快感だったことを思い出します。
そして、このホテルに限らず、有名ブランドショップには、
ほぼこれに似た仕掛けが、壁面、柱などが必ず鏡面になっていて、
そこを開けると、このエレベーターが仕掛けられていました。
あれからもそれほど変化はしていませんが、
残念なことに、海外の有名ブランドショップにはこれだけの設備、
にもかかわらず同ブランドの国内ショップには全く無設備でした。
今なお、国内のショップにはこの展開はなされていません。
有名ホテルなどでは、従業員通路やキッチンを通り抜けます。
私には、こうしたいわゆる裏道的な抜け道が面白いのですが、
私一人なら、この裏道は面白いでしょうが、大勢になったら?
と、心配になってしまいます。
したがって、私が車イスになって、空港、飛行機、ホテル、ブチック
などなどのこうした設備や設備無く裏道は随分体験してきました。
今でこそ、成田にしても、新幹線にしても裏道は無くなりました。
しかし、私が満足している設備は不十分です。
最近は、急速充電の電動車椅子への対応が、航空機や鉄道については
全く考慮されていないと判断しています。
だから、もし私がデザイナーだと知られれば、必ず、嫌がられようが、
私は真正面化からコメントをそのお店や企業にメールします。
なぜならやがて、街中に車イス使用者が増加することは明らかです。
だから、今から準備してほしいのです。

 「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」


目次を見る

「やっぱりだった、あの飛行機だった!」


   


     6月 25th, 2013  Posted 12:00 AM



ニュースキャスターで著名な人と盲目の人が遭難しました。
彼らはプロ級の腕前を持ちながらも、
さすがに、台風から温帯低気圧の凄まじさには負けました。
ヨットが破壊され、遭難での救済を求めたのです。
岩国(厚木かも)基地から海難救助が飛び立ったそうです。
私なりにはきっとあの飛行機が行ったのではと思っていました。
案の上、その機種は知る人ぞ知る名機でした。
「US-2」という水上飛行機でした。
しかし、波高3~4mに着水し、ゴムボートで救助して、
再び、水面が荒れ狂う海から飛び立つのは、
機種もさることながら、大変な飛行術と救難術があったからです。
救助されたニュースキャスターが、泣き声での事情説明。
「11名がたった2名救援のため」という説明は涙声でした。
命が助かるということは、彼らの冒険旅行以上に、
わが国には、素晴らしい飛行機と絶え間ない訓練があったことを
私たちに知らしめてくれました。
彼らの行動の是非はいろいろと個人的な所感が重なるでしょう。
けれども、私には、「やっぱり、あの名機だった!」ということ。
ちょうど、「Ship of the Year」審査会後に、
元船長からの海難救助がどれほど困難かを聞かされていただけに、
私は、その機種と海上自衛隊の存在を確認できました。
そして、航空機にはわが国の飛行機製造技術が、
見事にもしっかりと継承されていることに感動しました。
「US-2」に引き継がれてきたのは、
確かに大東亜戦争(太平洋戦争・GHQに書き直された)でしたが、
航空機の製造技術は遺伝子的に残っていたのです。
これだけの技術がありながらも、
わが国ではジャンボジェットは造れません。
かつて、政府からフランスに出張させられたときに、
トゥールーズでは、日本人のエンジニアが一杯いました。
ドイツ人のデザイナーが言ってました。
「ジャンボジェットが創れるのは我々と日本人だけだ」と。
救難された二人が言っていました。
「すばらしい国家の民だった」と。
わが国には、あの戦争から生まれたかも知れない技術であっても、
おそらく、これからの世界にとって肝要なモノづくりの民です。
そうして、日夜、訓練してくれている人たちもいる国民なのです。


目次を見る

「立体造形への夢は三つあったことから始まっている」


   


     5月 12th, 2013  Posted 12:00 AM



3Dプリンターが、国際的な問題になってきてしまいました。
3Dプリンター・ガンの登場は、
TVニュース番組でも、大きな話題となって取り上げられました。
当初からこの予測はありました。
それは3Dプリンターが「パンドラの箱」の実現という話題の中で、
深刻な問題の代表として、拳銃からマシンガン、
それもプラスチック製であれば、航空機搭乗もパスという問題。
私は、拳銃など銃器のデザインをデザイナーとして、
モデルガンも収集し、その歴史からデザイナー名までを、
結構好きな分野の一つにしていますがそれは全く意味が違います。
いづれ「日本だから銃器はこうあるべき」、を考えてきました。
この話はいづれ紹介するつもりです。
2002年に、愉快な=Fabulousモノづくり=Fabricationという
実際例が冊子=Fab Labにまとめられました。
要は、コンピューター上でのBitをAtomにそのまま立体化、
その夢の実現でした。
誰だって、「つくられたモノ」には経済的な大きな理由があり、
それに束縛されるほど、
購入困難もあれば、自分だけのモノが欲しいことは叶いません。
だったら、自分で「つくれるモノ」は、
平面にプリントアウトしながら、それを積層すればいい、
この特許もオープンにして、
しかも、その素材からプリントアウトするノズル=射出口までを、
一つの組み立てセットに、
このような考え方は2005年に、RepRap Projectとして、
誰もが、その装置の部品をネットワークで手に入れ、
しかも、モノの形状やプログラムまで自分でダウンロードします。
こうなってくれば、なんとしても、モノの大きさも自由です。
とうとう、3Dプリンターは、自分の家どころか、
宇宙に持ち出して行っても、基地づくりの可能性が見えました。
とうとうそれは、2012年のMAKERSで、
もう工場なんていらない、
デザイナーなんて自分でできる、という本になりました。
デザイナーの私が大疑問を持ったのは、この本でした。
案の上、余りに大仰過ぎる話は大統領の演説にまで登場しました。
3Dプリンターのこの三つの夢はたった10年でした。
しかし、光造形を1986年当時に知って、
1996年には光造形システムで苦労してきた私には、
いくつものインチキが見え隠れしていました。
それでも「モノづくりの夢」を否定する気持ちは全くありません。
問題は、この「夢のモノづくり」、
その対象に銃器をつくろうという「きもち」にあるのです。


目次を見る

「日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・」


   


     8月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM



私の移動、その大半は飛行機です。
そして、プレミアムシートでは軽食が出ます。
その軽食の種類、量、
パッケージが段々とコストダウンをしていくのを見ると、
「貧乏になっていくなー」と感じます。
敗戦後、日本は「豊かな国、国民になろう」と考えました。
結果は、貧乏だというのはお金が無いこと。
お金があれば「豊かになれる」と思ったのが、気がつくと、
それは「豊かさ」とは全く違うことがやっと分かったのでしょう。
最近は、格安航空券ブームです。
したがって、この軽食の質も格段にコストダウンをしています。
シャンパンがまずブランド品から格下げになり
スパークルワインになりました。
最も明解なのは、ファーストクラスの食事など、
「これが?」というほどになっています。
無論、それは一部のことだと言えますが、
「貧しい」ことの解釈が「豊かさの勘違い」を引きずったままだからです。
航空機会社ではファーストクラスを廃絶したところもでてきました。
世界的な傾向でしょうし、
それがスタンダードになっていくのだと思います。
私には未体験ですが、客船でも1等客室も2、3等客室でも、
食事は平等になりつつあり
それなら3等客室で十分という話を聞いたことがあります。
つまり、「貧乏」というのは、
「贅沢」との格差、その感じ方だと思います。
「贅沢さ」=「豊かさ」ではありません。
「貧乏」=お金が無いことではありません。
今、私たちに問われているのは、可処分所得の高低が貧乏さを決定したり、
贅沢・豊かさ・貧しさ、ということへの、
自分自身がどのレベルで「心」を満腹に出来るかということです。
ちなみに、「心」とは武士道では「腹」にあり、
よって、「切腹」とは、
腹の清らかさを確認する自死行為だったということです。
だから「腹づもり=心構え」こそ、
貧乏も贅沢も切り捨てた美学だと思っています。


目次を見る

1 2