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Posts Tagged ‘色彩論’


「やはり、持ち物はブルーが基本」


   


     4月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

身の回りをじっくりと見渡して見ました。
そして、とりあえず、最近使っているモノを並べて、
写真を撮って見ました。
やっぱり、ほとんどというか全てがブルーの色のモノばかりでした。
基本は時計と筆記具、そしてネームカードと名刺入れです。
筆記具は、
ワイフから誕生祝いに私が最も評価しているビスコンティのモノでした。
これを選ぶとは、私のコレクションで覚えたのでしょう。
とても欲しかったモノであり、国内入手は難しいと思っていました。
それで、
その万年筆に合っているモノはクロスで見つけたボールペンでした。
ボールペンはデザインのスケッチでは必需品です。
したがって、鞄もブルーのモノを選んでいます。
コレも最近なかなかのデザインです。
さて、ブルーという色は、
海と空の色に別れています。
もっと詳細に言えば、水と水以外の自然の色です。
一般的に「ブルー」と言われる元来の自然からの色彩論は、
すべてをリタイアしたら、書き残そうというのが私の夢のプランです。
時計は、おそらく全てが高級品だと思います。
自分でも「時計のデザイン」をして商品化もしていますが、
かつて、名古屋のマンションで仕事が終わると、
記念に収集をかねて持っていたすべての時計が奪われました。
正直、2年ほど立ち直れないほど落ち込みました。
しかも、その時盗まれた時計は全てがブランド品でした。
いわゆる「デザイナーモノ」は全く泥棒には無価値でした。
そのとき、デザイナーモノの一般的な価値感不足を見せつけられました。
それから、特に「スイス製」は徹底的に工房や職人技を知った気がします。
したがって、時計に関してはどれほど高級ブランドであっても、
市場価値の流れが分かるようになりました。自信を持って本が書けます。
私は、モノに拘らないというデザイナーが制作しているモノは、
きっと残らないモノと判断しています。
それは、私がデザイナーで出発したときに、
上司から、「高級品をしばらく勉強」と言われて、
銀座のある高級品ブランド店で学んだことがあります。
これは私の逸話にもなるので、また、書き残したいと思っています。
ともかく、大学を退官してからどういうわけか、
毎日、論文作成が大きな一つの仕事になっています。
と同時に、
これまで会員となっていた幾つかの学会を退会もしています。
ブルーを身につけることで、
あらためて「大学人の自分」と向き合っている気がしています。


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「赤と白、すぐに目に付く・・・」


   


     4月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

私は北陸人ゆえに、
色彩感覚についてはとても厳しく自分自身を見てきました。
理由は三つあります。
美大時代には「色彩論は実技で徹底的に教え込まれ」ていました。
私は金沢美大当時、
山岸教授からの「色彩との格闘」と塗装実習の中谷教授の授業は、
私の「色彩」への徹底的な改造が出来上がり、
デザイナーから大学人になるまで、
まず、色彩関連の書籍収集から現物でのカラーモノ収集によって、
自分の日常に寄り添っています。
だから、私は親友のデザイナーやアーティストには、
しつこく彼らの色彩感覚をよく聴き出します。
ただ、デザイナーで私に色彩のことで質問は、
学生と親友の数少ないデザイナー・建築家・アーティストだけです。
そして、私が気づいているのは、
車倚子になってふるさと福井で「色について」、自分を確認したのは、
秋から冬に向かう頃、寒さが厳しくなり、雨かも知れない、
雪かも、
そんなときに「利休鼠色」ってこの色、
本物の金色は、実った稲穂と麦の色が太陽に照らし出された感覚です。
春先の稲穂の緑、竹林の緑です。
しかし、北陸人の特長は、「色彩彩度が平均よりやや暗め」になる、
そんな傾向があることです。
だから北陸出身で同じ業界の後輩には、
よく色の「彩度感」の話をしています。
この写真はきまって海外では道端でカフェがあります。
日本の「軒先文化」との一論をまとめることができるでしょうが、
いつも、倚子・テーブルなどやその配置が気がかりです。
そんな中で、パリで白いテーブルと赤い灰皿が気になりました。
おそらく、赤い灰皿はパリだからだと思いますし、
きっともうすぐ人間から喫煙文化は消滅すると思います。
ただ、気づいたのは、白と赤です。
日本人にとって、「国旗のごとく日の丸カラー」も、
私の肉体感覚の色彩だと思っています。


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「欧州の紋章とタータンチェックから学ぶこと」


   


     11月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

英国の伝統柄・タータンチェックやツイード、
欧州のセーター・編み方などは、伝統的なアイデンティティ表現です。
最初に車を所有したとき、室内のブラックに対して、
私はタータンチェックに興味を持ちました。
これからの季節はタータンチェックのシャツやストールは、
それなりの自己表現・ファッションやオシャレ感につながっています。
ところが、タータン柄でも、画像のMACLEODは、
ほとんどシャツは見かけません。
ピクニック用の敷物は持っていますが、シャツを探していました。
京都の洋服仕立て屋さんで、いっぱい調べてみました。
確かに、紋章と柄には、
歴史的な意味・勇敢さや戦争時の心構えなどが克明にありました。
日本のようにやはり英国での戦乱時に、
明確な理念・哲学がファブリックにおいても、
「雄牛」との対決を事例とした話や、
14世紀にこの家系が誰によって男爵家系となり、
16世紀には売却されていくのか、
なぜか、シャツでの応用は現代でも見つけ出せないのか、
そんなことに心をめぐらしつつ、
あらためて、
「企業戦略としての国際的な存在性デザイン」に思い巡らしています。
タータン柄はおおよそ3000種もあるらしいのですが、
少なからず、300程度は暗記しておこうかと思うほどです。
タータンの色彩背後に潜んでいる「物語り性」は、
もう一つの色彩論になるでしょう。
タイガースの黄色と黒の対比調和のシンボル性と
非常に近似性を感じました。
ということは、この色だから、ファッションとするなら、
それなりの現場でのT.P.Oがあるのだろうと想像しています。
日本のすべての復興は、ともかく、政治もリセットされる中で、
もう一度、挑戦するデザインを感じています。
実は、予定では「中国で展覧会」をやっていることになっていましたが、
政治事情ゆえ、中止になっています。
国際関係が「文化交流」でなんていうのは幻想です。
「いざ、カマクラ!」という思想は、
このタータン柄の哲学になっていました。
なるほど、私の性格がこの柄を好んでいることに自己納得しています。


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「このごろの夕焼けはオレンジ色が薄くなっている」


   


     10月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

わが家は、計算上は上町台地+32階ゆえに、
海抜120mから夕陽が沈むまでの景観が望めます。
丁度、真西に向かっては明石海峡大橋まで見渡せます。
最近は、高層マンションが大阪市内は格段に増加しています。
だから、私自身はもっと高層に住みたいと思っています。
さて、上町断層の情報を知って以来、
やはり、南海トラフの異常が無いことを祈るばかりですが、
そのことも気がかりなのか、
なんとなく、夕焼けの空が白っぽく、できるだけ写真に収めています。
「空が青い、夕焼けが赤い、なぜ?」というのは、
色彩論的な回答が可能です。
けれども、夕焼けがなんとなく白っぽいのは、
私なりには、台風が近づいてくるとオレンジ色が脱色していく気がします。
きっと、台風の原因である熱帯低気圧が近づいてきていると、
散乱光からオレンジ色を奪うのだろうと私は思い込んでいます。
実際、「台風」となぜ呼ぶようになったのかも諸説あるらしいですが、
これは近代の中での用語であり、
日本の伝統語では「野分」の方が風流です。
「野分」から「台風」に名前が変わったときに、
一つの日本の美意識は吹き飛ばされたはずです。
源氏物語「野分」と、夏目漱石「野分」は、
対照的に、台風の様を隠喩的なタイトルにしていますが、
いづれにも、色の感覚的には夕焼けの橙色を感じる気がします。
それだけに、今はやはり千年に一度の
気候環境に取り囲まれているのかもしれません。
この夏の猛暑は一辺に過ぎ去り、秋の気配よりも、
昼は残暑を強く感じ、夕刻から明け方には冷え込みます。
ひたすら、体調を真剣に自愛しなければと思いつつ、
「やっぱり、夕焼けのオレンジ色が消耗しているなー」と、
私は思っています。


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「ブルー青色へのヒューマン・ファクター問題」


   


     8月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

最近は空を見上げることが増えました。
今年はまだ海の青色を見ていません。
青は私の持ち物の基本色にしています。
だから、大好きな色です。
ただし、デザイナーは好きな色は持たないことは鉄則です。
色全てが大好きでなければいけないということを私は美大で学びました。
私も「色彩論」では、学生には「全ての色を好きになること、
色に対する依怙贔屓はしないこと」を教えてきました。
青色は、空と海と鉱石や貴石に存在しています。
写真は銀座の夏空に、工事クレーンが一つの風景を成していました。
とても清々しくて、被災地にもこの青色が広がっているけれど、
被災地の皆さんは希望を持たれているのかと想像しました。
さて、可視光線・青は450~495nmの波長があります。
パソコンが普及して20年目に一つの結果が出てきたようです。
450~495nmの青に対する眼球反応が
とうとう生理的な劣化が始まってきているという指摘があります。
これは、かつて私がプラズマTVからの近赤外線が
子ども達の視覚に危険で相当の懸念ありかもしれないと発言し、
メチャクチャに叩かれました。
今もその時の叩かれ文が残っています。
が、結局、プラズマ表示画素は市場存在価値を失いました。
最も、トリノの冬オリンピックでのプラズマTV販売は
欧州からは拒絶されていたことは知られていません。
プラズマ技術が私の予想通りに、
対人間への弊害が明確になっていたからでした。
そこで、最近は、パソコン画面用の眼鏡は、
「青色対策」として喧伝されて商品化されています。
しかし、私は、現在喧伝されている商品が
「青色対策」を確実に具現化しているとは評価していません。
解決をつけるべき問題提起と問題解決には、
単なる商業主義的な能書きしかないと断言しておきます。
私は、パソコン画面なら、まずは「ドライアイ対策」そして、
「青色反応劣化の原因が、なるほどパソコン画面なのだろうか」、
450~495のどこをフィルタリングしているのか疑問だらけです。
まだ疑問点や安価な製品での限界がありすぎます。
もっと懸念すべきはWiFi電磁空間が人体に及ぼしている結果が、
やはり20~50年後に明らかになるかもしれないことの方が心配です。


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「絵画に惚れることの重大さ」


   


     5月 4th, 2012  Posted 12:00 AM

絵画にはいつも目配りをしています。
それは美大で学んだこともありますが、
「絵が大好き」という天性の嗜好性があるからでしょう。
心臓疾患で長期入院162日間入院をしたことがあります。
ちょうどその時に、
以前から美術雑誌で見かけ心を奪われていた画家がいました。
彼の初めての日本展開催を知り、
妹にカタログ購入を頼みました。
その後、フランスで彼の画集を随分探し回りました。
しかし見つかりませんでした。
ところがそれは書棚の一番上に大量に並んでいました。
まさかそれほどの人気画家とは思ってもいなかったのです。
モンパルナス付近の美術書専門街でも、
そこの書店主は「家族全員が大好きだ」と告げられました。
フランスでは本当にポピュラーでした。
ともかく、大好きな画家はいっぱいいますが、
彼はその中でも一番です。
パソコンなどのデスクトップ画面は、
必ず彼の絵にしています。
あるとき、
グラフィックデザイナーから画家に転身した友人から、
「誰の絵が好きか」と尋ねられて彼の名を上げたら、
「買えばいいじゃないか」って、簡単に言われました。
「彼の名をあげるなんて最高にいいよ」と評されました。
私は「色彩論」を教えるときには、
彼の絵画での私なり解釈の色彩調和論を講義します。
この「サッカー」などを見ても明らかに、
具象性と抽象性、さらにマチエールもミックスメディア性など、
現代絵画を革新しています。
現代絵画と現代音楽は相通じるところがあります。
「絵画」と「音楽」は美学の対象分野であり、
私にとっては、デザインをするときの背景、
特に造形と色彩選びの基盤・下敷きであることは間違いありません。
そして、彼のこの絵が代表するように
世界の画壇に大きな影響を与えるものとしてスターになりました。
これからさらに一般的にも有名性を獲得することを約束されました。
ところが個展準備の制作中、個展直前に自死しています。
どういうわけか、私は自死を選んだ画家が好きなようです。
フランスに行くと必ず彼の画集を探し求めています。
彼の作品で欲しい物が数点あります。
彼の名は「ニコラ・ド・スタール」です。
「絵画」を眺めるということと自然風景を見ること、
すなわち「鑑賞」するということの重大さを心眼にしていくことは、
きもちの振幅にα波を与えるようなものです。
このα波がいのちを活性化するのです。
このα波を絵画に込める苦難が作家を冥府に誘い込むのでしょうか。
デザインも絵画同様「鑑賞」してもらうことを願っています。

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「『青の物語り』陶磁器の精彩な仕上げ進化」


   


     3月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

デザイナーは好きな色を持ってはいけない。
これは美大時代にたたき込まれました。
「色全てを好きになりなさい」と教えられました。
私の色彩論の演習も講義もこれを基本にしています。
だからこそ色相=色味については常に詳細に見つめてきました。
昨年発売されたエルメス陶磁器の「青」を見たとき、
大きなショックを受けました。
一つはやっと自分のデザイン領域に陶磁器を対象にする機会がやってきて、
コーヒーカップやティーカップを「有田焼」で制作を始めてきました。
有田は九谷に通じる磁器産地です。
すでに、ARITAもKUTANIも商標権は中国のものにされてしまいました。
九谷は、子供の頃から慣れ親しんできた磁器です。
そうして有田にも大好きな窯元がありました。
ところがいずれの磁器にも「青」の精細さが失われてしまっています。
そうしたらあのエルメスが画然とした「青」を新作で実現してきました。
この青色はルーブルの天井画です。
ジョルジュ・ブラックの鳥の絵につながっている、
そんな気がしてなりません。
その鮮やかさは欧州の有名ブランドの青色を
さらに進化させていると私は評価しています。
間もなく、私は初めて陶磁器の商品発表をします。
ただ、まだまだ産地へのデザイン導入を強化しなければなりません。
今日気づいたのは、有田の伝統を切り捨てるべきと決心しました。
いくつかの要素と要因がありますが、
たとえば、欧州の有名陶磁器ブランドでさえ倒産する時代です。
となれば、日本各地の陶磁器産地は
根本から意識・製陶工程・流通・情報化を再考すべきです。
今月、有田に入ってそのことを講演し、
産地を鼓舞しに行くつもりです。

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「暗闇に光をというのは・・・」


   


     8月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

“mehr light”
「もっと、光を」、
1832年、ゲーテの最期の言葉です。
1749年生まれですから、
私が1949年、200年前に生を受けた人物。
彼の業績、特に「色彩論」はまさに光との格闘でした。
それだけにこの最期の言葉には重量感がありますが、
これは、薄れていく命が暗闇にあったからでしょうか。
私は違うと思っています。
生命の最期には確かに「闇」に投げ出されていますが、
光は遠景に絶対にありますから、
この言葉は彼を神格化する創作物語だと思っています。
“mehr light”とは他の解釈で訛り口調だったなら、
意味は「全てが虚実だ」という説もあるほどです。
この方が実は彼らしいと私は思っています。
つまり、光ある世界は虚実世界・虚像世界であり、
私たちが視覚で視ていること、
それは真実ではないのかもしれません。
生ある世界の虚実を言い残したのでしょう。
なぜなら闇・暗闇には次元があるようでわかりません。
私はここがポイントだと思っています。
ゲーテは、色彩を論じるための「光」の正体とは
壮絶な闘いをしていたと思います。
つまり光の反極にある闇を見つめていたと想像すれば、
おそらく死期の寸前にこの言葉はありえないでしょう。
闇の反極が光なのかどうかも死を迎え無い限り不明です。
まず、闇を再検討するための前提としておきます。
私が闇を視覚ではなく聴覚から確認するのはこの前提です。

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「見ること・見えることで分かること」


   


     6月 22nd, 2011  Posted 2:00 AM

見るためのモノ。
私のデザイン対象アイテムです。
これまで様々なモノを製品化、
そして商品として市場に出し、
消費生活の一端を担う仕事・職能を選んできました。
メガネはずばり視覚補正支援機器であり、
モニターやTVは、視覚での情報収集機器です。
また、デザイナー次世代には、
デザイン教育として、色彩論を教えてきました。
さらに色彩論から色彩学には、
「実習・演習」で、身体的に、自分の視覚的な認識と、
色彩表現となる知識の獲得と研鑽を教示してきました。
だから、「見る」ということ、
さらに「見えること」には差異があることなど、
自分自身、ほとんど日常的な経験の中で醸成されている、
そんな自負心とともに、反照としては、
「見えているのだろう」と自問自答の毎日です。
したがって、メガネは必ず自分のデザイン設計したモノ、
メガネフレームはほとんど持っているというより、
これは良いデザインというモノも収集しています。
モニター・TVは、どこがポイントなのかは、
結構知り尽くしていると思います。
そして「見る」ことを支えている生理的な視覚物質には、
その物質の科学性が専門家によって、
どこまで現代知られるようになっているかについては、
とても興味があります。
おそらく、視覚物質については未知のことがありますが、
多分、「見る=see・voir」から、
「分かる=see・savoir」には、この物質が、
とんでもなく関与しているのだろうと予測しています。
認識することへ視覚が及ぼすことを、
デザイナーという立場で知り尽くしたいと思います。

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『資本主義からの逃走』
    「『美しい資本』を追い求める感覚のトレーニング」


   


     7月 13th, 2010  Posted 12:00 AM

美のためのトレーニング
「美しい」という言葉は、ある意味では「魔物」です。
しかし、この感覚が身体化するには、
厳しいトレーニングが必要だとつくづく思います。
美大時代に、「美しい」という言葉は、「西洋美術史」の講義で初めて、
その様々な解釈があることを知りました。
美学」というのは、大学の講義にはありませんでしたが、
美学という領域は、美術と音楽についての論考であることも当時は知りませんでした。
色彩論では、ムーン&スペンサーの調和論に「美度」という尺度が出てきますが、
やや疑問は今も変わりません。しかし、ここまで求めるという姿勢こそデザインです。
さて、資本はすでに私にはデザイン対象です。
デザインしたモノが資本です。
しかし、デザインは実務であり、実務学としては問題解決の結果=効用と効果です。
その実務手法・実務技法は、「手技」があります。
今では、パソコンでの表現手法になっていますが、
それでも「スケッチ一枚」でも、トレーニングは必要です。
美大時代、この基本は「デザインストローク」というフリーハンドでの線引きから、
私は「鶏」のクロッキーをそのストロークで描くというトレーニングを受けました。
生きている鶏は動き回ります。
その動きで、なかなかストロークを定めることはできません。
ところが、何枚も何枚も、おおよそ2週間も描き続けていれば、
ストロークで、確実に鶏のデッサンが可能になるのです。
「手」にメモリーがコピーされてしまいます。
そして、鶏の表現が「美しい・かも」というデッサンが残るのです。
この感覚がデザイナー志望者には必須です。
大学で教えるようになって、
無論コンピュータも大きな手法になってきましたが、
「手」でのフリーハンドそのものが発想している感覚があります。
そこで、「美しい資本」としてのデザイン対象を生み出すためには、
まず、「スケッチ」そのものが「美しい」こと「も」一つの条件になります。
ところが、「スケッチが美しい」ということを認識できるかどうかということです。
少なからず、「美しいスケッチ」か、「スケッチが美しい」かは、
「美しい花」・「花の美しさ」論と同値で、大きな疑問になりますが、
「美しい」という魔物的言葉に思いっきり飲まれ込むことが必要だと考えています。
かつて、「美しい日本」という表現や「美しい企業」なども、
この類であることは間違いありません。
「美しい資本」を創出するデザイン、
デザインによる「美しい資本」づくりの才能や才覚は、やはり、トレーニングが必要です。
私の「美しさ」を求めるトレーニングは
今も、フリーハンドスケッチを毎日欠かさないことです。
「美しい資本」づくりの基礎は、トレーニングという修練が必要だと思っています。


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