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Posts Tagged ‘若い頃’


『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザインを』


   


     6月 12th, 2016  Posted 12:00 AM



日本が壊れているから我々も壊れている、
このことを知らないままにしようとしているのでしょうか?
私たちは、3.11で思い知ったはずだったのですが、
報道されないと、どこかで忘れようとしているのです。
かつて若い頃に、自分はある企業に対して、
元同僚で同期の人物を口説いて、その企業のデザイン部門長にしました。
私がパリに飛び立つその日に、彼は突然亡くなってしまいました。
パリで私はあるデザイン賞の授賞最終候補になっていました。
しかし、その受賞式の華やかさの中で、完全に自分を失っていました。
帰国したら、すぐに空港から彼の実家に行かなければならない、
そんな気持ちで一杯でした。
そして、受賞出来なかったときの(悔しさがあふれました)感覚と
同様の気持ちに、3.11でも、今の熊本地震でも、包まれています。
「倒壊してしまった人たち」と「倒壊せずになんとか無事だった人たち」、
この対立があると、現地から情報が入りました。
「負けるな!・泣くな!・楽しもう!」、
このコピーは、現地では絶対に使えません、ということです。
この我々の勝手さになんとここまでも壊れてしまっていると知りました。
しかし、レジリエンスデザインチームに39大学が、
なんとか、まだまだ壊れそうなこの日本列島に、
レジリエンスデザインで最も困難なデザインでの問題解決を
熊本に向けたいと考えているのです。
それは、最も怖れていた自殺者を出してしまったことからも、
レジリエンスデザインの最も重大な使命を果たさなければなりません。
デザインだから可能なことに向かいたいと考えます。
デザインで「最悪な状態」は何としても解決するのです。
自殺防止はレジリエンスデザインの目標の最大使命です。
壊れない自分自身を全員が支え合わなければなりません。
壊れていく生涯ゆえ、この列島の花棌の国の鄙美人で生きることです。
そこで、せめて今このビジュアルデザインを差し出し、
死という平等な、幸不幸を生涯に取り入れ直すことです。
「負けるな!・泣くな!・生きるんだ!」を持ち合うことを提案します。

*『海抜4mの日本列島で大丈夫だろうか』
*『大雨・洪水・山崩れ・・・自然とは調和できない』
*『山は崩れてはならない=つちのかたちデザインが要る』
*『瓦礫と化した自動車が問題ではない』
*『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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『葉巻を語り直すことで「グローバル化」の神髄に近接』


   


     5月 9th, 2016  Posted 12:00 AM



日本が「グローバル化」を国家戦略にして久しいと思います。
正直、自分には「グローバル化」と「ローカル化」は
同値の国家戦略だと考えてきましたが、
大きな違和感があったことは確かです。
なぜグローバル化ということの本質的で実務成果が見えないのか、
この理由を探していました。
そして気づいたのは、若い頃、海外での仕事では食事の時の話では
よく、オペラや現代美術での評判を話合う場面に自分がいるのです。
こんな場面で、こうした会話に望んでいる自分のことを思いました。
そんな思い出とともに、たまたま喫煙文化におけるタバコの歴史は、
癌の元凶ということから、総否定が蔓延しています。
「葉巻」だ、「パイプ」だなんてことはほとんど否定されています。
かつて喫煙については自分自身も禁煙をしていましたが、
改めて「葉巻」に取り憑かれた私が、大きく気づいたのは、
日本が「グローバル化」を語るのはすべて産業経済でのことであり、
「葉巻」・「乗馬」・「ライフル撃」・「鉄道模型」などの「文化」は、
日本でも余り表立ってこず、欠落していたということです。
そこで、「葉巻文化」をクラブづくりとともに、
日本の「キセル」での喫煙文化も加味することで、
確かに喫煙が病因的な元凶であったとしても、
国際的に文化を語り直すことで、政治や経済を離れた文化を共有する
「グローバル化」の語り直しを行う重要性を見直したいと思いました。
葉巻クラブの結成を言い出したら、とんでもなく様々な人からの
参加申し込みがありました。
そこでこのクラブのマークやすでに商品化しているデザイナー仲間と
クラブ結成とその理事長までを決定して国際的な存在をめざします。

*『葉巻文化、その道具こそプロのデザイナーの仕事だ』
*『葉巻文化と筆記具文化の統合性は凄いのだ!』
*『知ったとしても、ダンディズムがあると思う!』
*『酒とタバコと、そして・・・』
*『風土とゲマインシャフトがグローバルへ』


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『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


   


     8月 16th, 2015  Posted 12:00 AM



私の企画戦略には必ず立ち戻る基本があります。
それはインド思想の木火土金水と仏教思想の風地火水空です。
この四句分別によって25 のマトリックスが生まれます。
それは25のコンセプトが生まれるということにつながります。
少なからずこれは世界観での25の問題点が整理されたコンセプトです。
しかし、これだけ全てを列挙すると、二つの疑問にぶつかります。
まず、デザインでそのようなことをやってもらいたいとは・・・
これで台無しにして仕事をどれだけ失ってきたでしょうか。
デザインでそこまで語ってほしくは無かった・・・
これで仕事をしたくない行政マン、役人(人に役立つ人)を知り、
彼らの生息生理をほとんど知ってしまいました。
このことで、若い頃はクライアントに喧嘩を売り喧嘩師になりました。
最近は利口になって、インド思想にも仏教思想にもある火と水を
主体的に語っていくことを中核にしています。
無論、両方の思想の核心にある火と水には同意性と差異性があります。
それを論理的に学び直したのはガストン・バシュラールでした。
バシュラールは、明確に水と火は対照的な著作を残しています。
そして彼の著作を度外視していたつまらない輩がいたこともあります。
私にとって、現実的には、水と火、それぞれがCGになる過程を
まさに米国で立ち会ってそのプログラミングを見ることができたこと。
これは生涯の思い出になっています。
しかも、このNatural Phenomenaというコードネームには、
明らかにバシュラールが基底で語られていたことです。
火も水も、デジタルとして燃えさかることと水滴や流れまでが、
制御と否制御が起こってしまうことでしたが、
結局、火は燃えさかっても熱くはなくて破壊することがありません。
水も自然と水滴から大洪水も決して起こらないことです。
これがデジタルの限界でありながらも、自然よりも勢いがあります。
私は、自宅にデジタルの全く無温度の火と水を配置します。
それこそ、自然と人工を対比させた日常を側に置いてみることで、
自然=アナログを絶対にデジタルで調和も制御も出来ないことを
言い聞かせる手法だと思っています。


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