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Posts Tagged ‘菅野沖彦’


『音場になるハウ・ハイ・ザ・ムーンでバド・パウエル』


   


     6月 25th, 2020  Posted 9:22 PM



ジャズ ナンバー「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」をかけました。
今はAMPZiLLA2000が「修理中」ゆえ、
「音像」より、「音場」を確かめました。
この「音場」は、BeoLab5とBeoCenter2の組み合わせで
搭載された技術により部屋の特性を計測し、
最適な音質で創り出しています。
私の大好きなバド・パウエルの演奏です。
バド・パウエルがフランスで演奏したものを収録したアルバムで、
その二年後に彼は逝きました。
「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」と言えば倉俣史朗の名作のイス。
自宅では中央に置いてあります。「シング・シング・シング」から
倉俣史朗はまたジャズ ナンバー付けたイスです。
この作品について私の著作『夢の形見に』では
「リトルネット論」で書き上げました。
まだとてもジャズ論では書けなかったのです。
ワイフが「この曲は?」と、
そこで、ジャズ論を述べようかと言いましたが、
「フーン」で終わりました。
このバド パウエルの名盤は、今、私を奮起させる音場でした。
そう言えば、故・菅野沖彦先生には、
「ジャズ」を日本人が録音する事が書いてあった。


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『もう一度、とっても会いたい菅野沖彦先生』


   


     3月 27th, 2019  Posted 12:00 AM



昨年、10月13日にダンディズムとしてのオーディオ評論家、
その道を極められた菅野沖彦先生があの世に逝かれてしまったのです。
私は好き嫌いがはっきりとしています。
たくさんの評論家の中でも特に先生に傾倒していました。
東芝時代、若手のデザイナーとして私のデザインを、自社の営業より
評価、理解していただいた先生の期待に応えたいと通っていました。
オーディオ評論家という枠を超えて、
パイプ、西洋人形などの世界観を教えてもらいました。
菅野先生が提唱された「レコード演奏家」は必ず残っていくでしょう。
コンピューター雑誌に私は連載を2つ持っていました。
あるときに、新進のスピーカー企業に行きました。
前日には菅野先生からもアイディアをもらったことを聞き、
「S先生」とエッセイで、菅野先生との東芝時代の想い出を書いたところ、
「S先生」とは菅野先生のことではないかと、オーディオ雑誌の編集者、
M氏が、交通事故と東芝退社で、途切れていたご縁をつないでくれました。
先生の自宅にお邪魔しました。
懐かしい空間と、選び抜かれたオーディオから、
音響を何十年かぶりに体感しました。
ワイフは、息が出来ないという音質を感じ取りました。
そして、先生から、「レコード演奏家」として、
私を取り上げていただくことになりやはり部屋を改装し準備しました。
今では、この程度で?と、
残念なオーディオでありビジュアルの評論家が多いのです。
東芝時代には、まずは先生に試作を持っていき
なかなか通らない私のデザインを
東芝の偉いさんに先生から説得してもらいました。
無神論者である私ですが、
先生とこちらで再度会いたいと思っています。

先生との対談


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『私デザインの最終商品がオークションで入手する』


   


     3月 26th, 2019  Posted 12:00 AM



今までは手に入らなかった自分デザインを手に入れています。
当時は、SZ-1000は市場価格10万円だったモノ、
まだ私は月給5万円の頃ゆえ、デザイン担当だけれど、
その頃には高級過ぎて、手にすることが出来ませんでした。
それをオークションで入手できますし、
また、店舗用ディスプレイモデルまで出ていました。
今ではSZ-1000も5台まで持っています。
なにしろ、東芝時代の最後の作品であり、これがプリアンプです。
それもエレクトレットコンデンサーで、
それには最高のエレクトレットコンデンサーのカートリッジだけです。
この開発には、エレクトレットコンデンサーのチームと
私だけで進めました。コンデンサーや回路基板までデザインしました。
デザイン部長からも、何度も「何かやってるだろう」と
質問を受けましたが、その返答は「何もやっていません」、でした。
3年かかり、出来上がったときには
部長にこっぴどく凄く叱られましたが、それも許容される良き時代でした。
しかし、これはオーストラリアからTV取材がきたことや、
オーディオマニアにとっては、大ヒットしました。
これに力を貸してもらったのは、
オーディオ評論家の故・菅野沖彦先生でした。


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『ミキサーとグラフィックイコザイラーで周波数領域』


   


     1月 28th, 2019  Posted 12:00 AM



最近の商品には、この周波数領域の説明がありません。
私にしてみれば、周波数の20Hz~20kHzがないと
どこかに不安を感じます。
これは私が前回ブログで書いていたAurex SS-320の周波数です。
私がデザインしたAurexの最高製品だったと思います。
528Hzは特別な周波数として、ヒーリング効果、
DNAの修復あるいは熟睡を促すということが発見されています。
また440Hz=A音は、
ギター、ピアノなどの 一般的な調律の国際標準ピッチです。
この周波数をもって、自分の再生音は
16chのミキサーを8chオープンデッキで使いこなしていました。
ミキサーはプリアンプになります。
これはビクターのグラフィックイコライザーを使えば、
スピーカーシステムの音を自由に変えることができるのです。
そして、私は最高の音源を求め、
スタジオでおさめた音に対して「再生音」という言葉は
相応しくないから「レコード演奏」と思っています。
これこそ、故・菅野沖彦先生のことばです。
1970年頃には、ビクターのSX-3が大ヒットでした。
これが、コンポーネントの始めだったと思います。
私はKORGのシンセサイザーで作曲をし、
16chのミキサーで8chから、
さらにグラフィックイコザイラーで4chに落としました。
これが、私の周波数に自由に変化を与えていました。
音大ではなくて、美大出身だからこそ、
周波数特性グラフにはまり、現代の私の作曲をしました。
私のオーディオデザインにも
それが大きく反映したのだと思います。


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『教え子で得をしたことがあります。・・・』


   


     4月 29th, 2015  Posted 12:00 AM



柳宗理先生にとって、私は反抗的な弟子でした。
ところが、私は先生の薫陶を4年以上も受けていたことで、
とても得をしたことが二つあります。
一つは、ニューヨークMoMAで、アッキーレ・カステリオーネ氏が
個展を開催していた時、ちょうど私は招待されていたこともあり、
その個展の会場で、彼に挨拶をしました。
「君は日本人か?、日本には親友がいるんだ」。
「私は柳宗理先生に学びました」、と言うと、
彼はとても喜んで、強くハグされてしまいました。
「そうか、そうか、教え子か」と喜んでもらいました。
(とんでもない教え子にも関わらずでした)
そして、東芝でのデザイナー時代には、よくオーディオの師匠、
菅野沖彦先生です。東芝時代には数名の評論家の先生自宅に、
企画や新製品の評価をもらいに出入りをしていました。
その中で最も親しくなり、先生には新製品企画を応援してもらいました。
そんな折りに、美大で誰に学んだかと問われました。
「柳宗理先生でした」と答えると、
「これをあげる」と言われてもらったのはLPレコードでした。
しかもそのレコードの制作ミキサーは、菅野先生自身のものでした。
柳先生の母上である、オペラ歌手だった柳兼子女史のレコードでした。
彼女は、あの柳宗悦の奥様でした。
東芝時代にレコード盤は2000枚ほど持っていましたが、
CDになってからは50枚ほどに、そのCDもハードディスクです。
けれどもこの50枚ほどのレコード盤の中にまだ私は持っていました。
最近は、やはり、もう一度、LPの再生システムを、
組み直すべきかとさえ考えています。
それは、LPレコードを整理しなければ良かったとさえ反省をしています。
私は、柳宗理先生に学んだのは、デザインだけでは無くて、
これほど得をしてしまったとさえ思っています。




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『これで最期のメインテナンス・JBL4343』


   


     4月 6th, 2015  Posted 12:00 AM



私がJBL4343について学んだのは東芝と故瀬川冬樹先生からでした。
東芝時代には、コーンケープと言って、スピーカーユニットの
コーン紙の構成は逆円錐形を遵守させられていました。
その形式は、JBLのスコーカー形式でした。
しかし、私が最もJBL製の凄さはボイスコイルの巻き線、
この緻密な美しさは、何故良い音がするかを立証していました。
そして、瀬川先生の自宅では、音のバランスの組み合わせを
数枚のレコードで教えられました。
まず、なんといっても人の声=ボーカルとピアノ協奏曲であり、
ピアノ協奏曲は、東芝総研では徹底的にスコアで教えられました。
したがって、ピアノ曲、ヴァイオリン曲、コントラバスで
音のバランス、その良さはスピーカーシステム全体を決定します。
だから私がフリーのデザイナーになって、なんとしても絶対に、
と思って最初に手に入れた製品でありそれは1980年でした。
だから、私のデザイン活動をずーっと側で見てきたモノです。
名古屋では、オーディオ評論家の菅野沖彦先生にも聴いていただき、
それは専門誌「レコード演奏家」シリーズで取り上げられました。
そして、もうこれが最期のメインテナンスだけに、
それが出来る人も限定されています。
今回も、自分でもJBL4343のユーザーの方でしたし、専門家。
こうした人物はもう数人しかいません。
スピーカーはウーハー(低音)もスコーカーもウレタンエッジは、
おそらくメーカーでも部品供給はこれが最期になると思います。
JBL4343はそれこそ全てを一新しました。スピーカーネットは、
編み地で最もいいB&Oを選択して張り直してもらいました。
これから、ウーハーはじっくりとエージングをしていきます。
おそらく、半年、そして一年後には思い通りの音と音質に
私の音がもどってくると確信しています。
こうなれば、最後はスピーカー背面の壁面だけが気がかりであり、
これはある素材にペイント素材を試したみたいと考えています。
オーディオで音を聴くには、それほどモノへの世界観が大切です。
私はデザイナーとしてオーディオからスタートできたこと、
それは最高に幸運なことでした。
今、自宅にはとても美しいJBL4343が鎮座してくれています。


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