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Posts Tagged ‘融合’


「デザイン成果としての『かたち論』は生涯論考するだろう」


   


     1月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

私の学生時代は、「デザイン理論」の著作は数少ないものでした。
したがって、私はほとんどデザイン論理を成立させるために、
可能な限りの建築論を読みあさりました。
建築論文募集にも応募していました。
落選ばかりしていました。
そして出逢うのが、建築家・菊竹清訓の「代謝建築論」と、
「機能主義理論の系譜」は一つのバイブルでした。
特に、「代謝建築論」の「か・かた・かたち」論は、
今なおその論考を私なりに深度をもたせるべく展開を試みています。
「か・かた・たち・ち・かち・かたちは、いのち・きもち」、
さらには、「つち・とち・まち」にまで至りました。
そして、現在執筆中の「形と性能」についても、
「かたち」と「性能」を一旦分離すれば、
自ずと「か・かた・かたち」論の展開が可能です。
か=化、ち=値、かた=型、たち=質とすれば、
か+たち=化+質は、工業化によって性質を与えますから、
そのまま、化質とは工業化された性質が「性能」となります。
「性能」は使用価値性の根幹になるでしょう。
もう一方では、
かた+ち=型+値は、意匠化によって形態を与えて、
単純には嗜好的な価値観、すなわち所有価値観を訴求することができます。
私は、
「機能美」や「美しい形態は機能に従う」を率直には認めていません。
それは、自分自身のデザイン、とりわけ形態の美を目標とするとき、
必ずしも機能主義と美学性が統合されるから、
美の創出が出来るというわけでは無いという経験があるからです。
今、こうしてこのBLOGで、メモ記述しているのは、
論文作成の構成・プロットづくりを図解から求めようとしているからです。
私は、「デザインとは何か」という問いかけでは、
デザインの定義性が曖昧になって、
即、機能的デザインとか機能美にデザインが、
結合・融合・統合されることにすこぶる抵抗があります。
むしろ、まず、技術仕様による性能があり、
そのデザイン成果が社会的な存在性に効能が生まれます。
そして、性能と効能が統合されるときに
機能を宿らせることができるというのが経験値です。
「化質」こそ、性能となり、「型値」こそ、形態。
「化質」=かたち、「型値」=かたちに、
「形と性能」の構造(関係)が記号化するという思考に至っています。


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「博士号学位取得論文が一段落」


   


     9月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

昨日、いつものICD(除細動器)の定期検診を受けました。
エピソードと言われている心臓への機器異常は皆無でした。
良かった、というよりも、
今年度から博士論文指導では、
特に、Skypeで二人の学生はもとより、
研究室の学生までを罵詈雑言の限りでした。
「バカモン、何をやってる!」何度、怒鳴っていたでしょうか。
しかし、何も心臓異常は起こっていませんでした。
「パワーハラスメントでもなんでも構わん、
ヤレと言ったらやり通せ、その資料も読んでないのか」、
これをどれほど言うかというより叫んできたかわかりません。
『造形言語と形態言語によるデザイン造形の数理的解釈論の考察』。
『糖尿病を対象とした医工連携の問題解決による先端的デザインの研究』。
この二つが二人の学生それぞれのテーマでした。
デザインと言語的な解析を記号論と数理科学的な分析を試み、
もう一方では、
480万人の糖尿病患者はやがて2000万人と言われる健康問題へ、
医工連携への現実的な解決から未来的な解決のデザイン提案研究でした。
ようやく、私の研究室テーマである、
先端的かつ学際的なデザイン手法と医療系との融合を
二人の学生が専門家として、博士号学位論文にまとめました。
まだ、これからは博士前期課程の学生、その修士論文指導が始まります。
夜中であろうが、常に、
Skypeは繋ぎぱなしで私の怒号を彼らに与えてきました。
少なからず、私のデザイン活動はそろそろ幕を下ろす季節になりました。
私の社会的・教育的役割は、
これまでの知識と経験をできる限り語り尽くすことになっています。
これからこの準備原稿は
3名の副査教授のこれまた厳しい検閲が始まります。
それは主査である私自身が詰問されることです。


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「ISOTでの勘違いを発見」


   


     7月 6th, 2012  Posted 12:00 AM

今年の文具展は一つのエポック的事件でした。
二つの事件がエポック性を語っていました。
1 アナログとデジタルとの融合が開始されました。
2 二極化スタートの芽生えかも。
まず、デジタル文具が様々な形式で登場してきました。
文房具としてのデジタル化とは、
そのようなシステムは長続きするわけがないという商品の存在です。
それをビジネスニュース番組でも、
「未来の文具」として取り上げているのです。
それはTV報道全般が最近では、
裏付けの知識が欠落していることと連動しています。
「未来の文具」をまったく会場で見つけていないことです。
その商品では無くて、
これが「未来の文具」という見立てが出来ないのです。
アナログ的文具性をデジタル文具との関係で見極めていたのは、
やはり、グランプリになった二つの商品です。
「書く」という文具基本を重要視した二つのノート形式です。
一つはラグジュアリー価格で「書き心地」を世界最高にしたノート。
これは機能性だけでなくて、日本の文具を二極化、
やっと日本の文具の付加価値性を高めていくスタートになりました。
もう一つは、「書く」ことの意味性=アナログ感覚を
デジタル文具に対決化させたノートです。
比して、デジタル化を中国で、
本当はアナログ作業なのにデジタルに見せかけているノートですが、
これは相当なる勘違いであり、海外労働力だけを頼った商品、
文具文化、たとえば情報の垂れ流しは国防的にも大変に危惧されます。
私も使ってみましたが、この高額商品は今後進展しないでしょう。
もっと、
デジタル化をすっきりとさせているメモノートの方を私は選びます。
もう一つは、OEM発注していて、
自社ブランド商品にしているにも関わらず、
その製品の素晴らしさを理解していないブランドが散見できました。
これも勘違いです。
結局、ユーザーの厳しい商品選別眼に、
文具メーカーや文具ブランドは気づいていないということです。
日本の文具がもっともっと貿易輸出品になっていくには、
このエポック性を
再吟味することを文具業界に伝えておきたいと思っています。


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「2012『日本文具大賞グランプリ』は書くことの再確認」


   


     7月 5th, 2012  Posted 12:25 AM

第23回国際文具・紙製品展=ISOTは盛大でした。
今年度の文具大賞は、ひとつのエポックだったと思います。
私は審査委員長として、次のことを総評として表彰式で述べました。
アナログとデジタルの融合がスマートホンで開始しました。
文具メーカー(作り手)より、ユーザー(使い手)は、
明確に、自分の日常での文房具のアナログ生活と、
スマホやPC、デジタル生活を身体的に、
能力認識として使い分け始めたことです。
それはグランプリが機能部門もデザイン部門も「ノート」。
つまり、結局は「書く」という行為に、
文房=記述・記録・筆記を決定していることでした。
私は、紙と文具において日本はトップだと確信しています。
それだけに、Made in Japanを体現している業界です。
ただ、欧州のブランドメーカーに比べれば、
低価格商品が多すぎると私は常に思ってきました。
しかし、機能部門グランプリ=Premium C.D. NOTEBOOKは高価格で、
シルクのような紙質面と書き味は世界でトップでしょう。
日本だから、日本の紙質だから、という技術言語になっています。
さらに、デザイン部門のデイリー・プランナー“エディット”は、
日常的なメモがスマホゆえに、
あらためて、一日1頁への記述を大切にという製品企画が見事に、
現代的なアナログ性とデジタル性との使い分け、
「書く」という行為ゆえに、
一日をどう生きたかということまでを商品言語にしています。
ともかく、取材マスコミも格段に増加し、
国際展の風格が育ってきました。
まさに「文具は日本がトップ」ということを
会場いっぱいに活気がみなぎっていました。


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「KAIST=韓国科学技術院の先生を招いて」


   


     6月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

なんとしても風邪を治さなければ、
この想いを実現できました。
KAISTの先生お二人を招いて阪大での講演。
Prof.Kim Myung-Suk先生とはすでに20年来の友人であり、
Prof.Bae SangMin先生は、New York留学中に、
私の講演を聞いてもらったこともあるという仲です。
KAISTはおそらく、全世界的にみても、
最高級の大学・大学院であり、デザイン系でも筆頭です。
Kim先生は「環境デザインとしてのロボット」を
Bae先生は「国際貢献としての製品デザイン」、
それぞれが実現されているプロジェクトを語っていただきました。
私もKAISTで講義をしましたが、
この大学が世界からも注目されている「未来創生の発想」は、
いくつかの重要なキーワードでした。
Why・なぜデザインを、なぜ生きるのか、
Implement・必ずデザインを実現させて未来を創る、
Evolution・常に進化は「融合」=Consilienceを、
Donate=Sharingを、Passionを、と、
重大なキーワードを沢山いただきました。
しかも確実にコンセプトは製品形態に集約化されていました。
私は、3.11以後、デザインによる復興をと考え続けてきただけに、
改めて、デザインの理想主義を語る二人の教授に、
支え直してもらった気持ちでいっぱいになりました。
たとえば、家電は当然ながら、
造船もどれほど韓国は進歩させたか、
その事実を知っているだけに、韓国の勢いを体感しました。
日本も韓国もアジアの小国です。
これからはお互いの交流をさらに深めて、
世界の先導国になっていくべきだと思い直した次第です。
お二人に励まされたようで、すっかり、風邪から立ち直ったと思います。


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『資本主義からの逃走』
「三大観念である物質系デザインはエコロジーの具現化か?」


   


     5月 22nd, 2010  Posted 12:45 AM

世界観としての物質・情報・エネルギー
私は「物質・情報・エネルギー」が世界観だと考えています。
そしてこれらをまさしく、歴史的な世界観と照合させます。
五大思想や五行説、あるいはインド的三大(火・水・土)です。
「物質・情報・エネルギー」この三大世界観を日常化するには、
この三大世界観、私なりには、世界の構造軸、
その要素と要因を意図しています。
物質
物質というのは、物ですから自然物から人工物全般です。
私はこの中でも人工物=モノと表現しています。
デザイナーとしては、このモノ=人工物を中核にしています。
本来なら、自然の中での人工物ですが、
私は、デザインするモノ・デザインされたモノが、
自然との関係と人間との関係、すなわち世界観の構造というわけです。
自然物が当然、世界観の基本ですが、
私は、人工物=モノから自然を見ていると思っています。
エコロジー
このまなざしゆえに、たとえば「エコロジー」という、
ある世界観へのまなざしには慎重でありたいと考えています。
とりわけ「エコ」ブームには懐疑的になっています。
「エコプロダクト」という呼ぶ方に集合されているモノのデザインに、
「デザインの本質性」があるのでしょうか? 正直、無いと思ってます。
いづれ明快な回答と解答を書くつもりですが、
現在、「エコプロダクト」という商品で、
デザイナーとして納得できたモノは有りませんでした。
なぜなら、人工物=モノと自然物=もの・物,
この二つは対決せざるをえない構造を持ち合っていると判断するからです。
もし、世界観における「物質」系=自然もの+人工モノは、
調和・ハーモニーと均衡・バランスの相互性が必要です。
したがって、モノとものという「物質」系は、
ハーモニーとバランスという相互作用性がデザイン対象意図だと判断しています。
ただし、調和とバランスには、反発構造や対決と融合・融解までの幅もあるわけです。
あらためて「エコロジー」という言葉の由来、
そして生態系バランスのあり方を見直す必要があります。
デザインが世界を変える
「物質系」世界観の最適解としてのデザインこそ、
「デザインが世界を変える」ことになります。
「世界を変えるデザイン」というのは、
本質的な論理性が実は壊れているのです。
このことに気づかないデザイナーには、
デザインの本質がまるで見えていません。
もっと基本的な「世界観」・観念論的哲学の基本が必要でしょう。


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12月2日Staff Blog


   


     12月 2nd, 2009  Posted 8:00 PM

12月2日

BOSS(川崎和男)新作発表です。
有田 福泉窯 × Kazuo KAWASAKI による
ステッキです。
伝統技術と先端医用工学的デザインの融合。
体重中心設計によりグリップと主軸の関係を
ベースとしています。

IFFT interiorlifestyle living 2009
東京ビッグサイトにて
12/4まで展示しております。
kz-arita」です。

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『資本主義からの逃走』
 「資本主義、その逃走の基本方程式」


   


     12月 1st, 2009  Posted 7:39 PM

デザイン」は、「問題解決の方法」だとこれまで、
ズッーと私は、一般に、学生に、企業に伝えてきました。
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それも「問題解決」でありしかも「難問解決」なのです。
その唯一の方法だとさえ確信しています。
ただし、宗教ではありません。奇跡は起こせません。
まして、科学・技術・芸術でもないのです。
科学と技術とを接着・融合させるたった一つの方法です。
ところで「科学技術」という日本語は大きな間違いです。
哲学者・中村雄二郎先生は、
「科学」は「分科学」の略語にすぎないと教えられました。
デザインの難問解決という論議から、
問題解決の簡潔な方程式を、
私はデザイン思考の基本と基準にしてきました。

つまり「問題」には、
  ●「話題」=Topics
  ●「課題」=Question
  ●「問題」=Problem
があります。

この解決は、
  ■  Topics – Reply
  ■  Question – Answer
  ■  Problem – Solution
ということまでが、本来の方程式=equationです。

この方程式は、デザインでは次の二つになります。
AlgorithmとProgramです。
そこで、「資本論」のために、
マルクス(数学に関する遺稿集)が、なぜ導関数を
エンゲルスに教えたのかがわかるはずです。
数学的思考は、応答と回答は、
「算数」や「数学」で学ぶことができます。
芸術も、応答的な作品と回答的な作品しかありません。
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本来、「問題解決」・「難問解決」によって「解答」が
創出されるのです。
創出されるから、クリエィティブでなければいけません。
しかも「解答」は美しさが必要です。
私は、「逃走する方程式」はかくあるべきと考えています。
そして、デザインには、
「デザイン数理学」というAlgorithmとProgramが、
「分科学」として「技術」を支え、
造形言語によって美しさが創出されるのだと思います。
「資本主義から逃走できるデザイン」、
その時代を牽引できるデザイナーは限られているのは、
多分、「仕分けられた」才能でしょう。


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