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Posts Tagged ‘裏切る’


『伝統工芸こそ、今すぐに裏切って、新イノベーションを』


   


     4月 23rd, 2019  Posted 12:00 AM

フォールディング・ナイフとして、
オピネル=Opinelは、知っている人には知られたブランドです。
これは、まずはなんといっても「火を熾す」ということもできます。
が、私は刃物産地に長らく携わる中、
ズーッと「鍛造技術」からそろそろ「鍛造」では無いモノづくり、
新たなデザインを日本の全ての伝統工芸産地に提案すべきと考えています。
福井県、越前市(元・武生市)で開発した
高品位サンドイッチ・ステンレス「鋼」での
刃と柄一体型はおそらく世界初でしたが、それを「裏切る」ことです。
それこそ、火造鍛造や蛤刃から解放されるべきだと考えています。
また、隣の鯖江市では、眼鏡もまったく発想が異なる、
両方のレンズは無くて目の前の空気の屈折率を変えるコトを考えています。
日本各地の伝統工芸の継承は止め、再興あるいは革新のため、
素材開発、脳内と道具の反応と反射・代謝などのつながりなど、
それに合わせた回路基板といった新たなイノベーション
これこそがイノベーション実装が必要だと感じています。

革新

イノベーション


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12月08日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 8th, 2018  Posted 12:00 AM

12月08日 赤口(甲戌)

デザイン自らの解体を常に隠匿して、
デザインがデザインを
裏切らなければならない
ラディカリズムは必至であろう。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』2ワイングラスのインジケーター


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『「タケフナイフビレッジ」は3年連続褒章を叙勲』


   


     12月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

福井に戻って越前打刃物にデザイン主導を始めました。
「タケフナイフビレッジ」を設立して35年?ほどですが、
今年度も瑞宝単光章を叙勲、3人目で毎年1名いただいています。
こうした褒章制度への様々な見解などには
私は何の制度批判論もありません。
ともかく私には「タケフナイフビレッジ」デザイン主導を信じてくれていた、
越前打刃物の仲間たち=10人でスタート、1名逝去ゆえ親方たちが、
それこそ市長から議員さんまで集まって本当に温かい叙勲記念、
その集まりがとても大事だと思っています。
そして生きていてくれたならという、何人かの裏方だった人や、
生きていれば叙勲されたメンバーを思い出します。
「タケフナイフビレッジ」については、日本でトップ、
無論世界でトップの刃物にデザインを導入できたその大きな喜びがあります。
当然、越前市には、打刃物だけではなく、和紙から漆器までの
日本の根柢的な伝統工芸が継承されるだけでなく、
真の「伝統」trad=先代を裏切る進化、
それをデザインが主導出来たことです。
越前市の市長も大学卒業から即、松下政経塾に入り、
地方行政のリーダーとしてずーっと見てきたことです。
これは私の人生の大きな一面としても自分デザインでの作品が、
今なお全くデザイン変更無くても市場性を失っていないことです。
北陸新幹線が隣の金沢市を活性化しています。
しかし、それがやがては福井市から敦賀市までという計画ですが、
私の見識では、果たして新幹線での観光都市が正解とは思っていません。
「タケフナイフビレッジ」は連続して3人も叙勲して、
後継者も若い次世代20名も居ますが、彼らは私を怖がっています。
当然でしょう、30数年の経験から未来のデザイン、打刃物の近未来から、
もっとその伝統工芸を正直私には明確な夢があります。
しかし、私に残された人生の時間もあります。
叙勲者は同世代であり、私自身も彼の親父さんから学びました。
「知延常楽」を彼は鋼の火造りレンガの釜場に残しました。
そして「槍鉋」という宮大工ならば使いこなすべき刃物づくりが出来ます。
現代の鋼素材加工では絶対に科学的解明不可能さえ、
私は見てきましたから、それを今では使用する宮大工さんもいませんが、
私はデザイナーとして彼の火造り鍛造を残すつもりです。

* 『タケフナイフスクールは越前打刃物産地に開設する』
* 『「寸は尺よりも長し」をデザイン表現したハンガー』
* 「『知延常楽』・打刃物職人の哲学にローカリズム」
* 『機能美に器能美を五大器械から語り直す』
* 『ハサミを鋏から「刃裟美」としての相対論の記述』


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10月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

10月27日 仏滅(丁亥)

「裏切る」ことが
ゆるされるのは、
伝統の破壊だけである。
Tred:Tradituionalとは
裏切って破壊するが、
「創造・創作」に居たることだ。

川崎和男の発想表現手法


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10月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 26th, 2017  Posted 12:00 AM

10月26日 先負(丙戌)

「伝統=trad」という
ラテン語の意味には、
「裏切る」という意味が
確実に含蓄されている。

「伝統」を守るとは、
手続きとしての「変型」という
手法や形式を凌駕して、
まずは、かたちを裏切っているわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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05月05日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

05月05日 先勝(壬辰)

「裏切る」ことが
ゆるされるのは、
伝統の破壊だけである。
Tred:Tradituionalとは
裏切って破壊するが、
「創造・創作」に居たることだ。

川崎和男の発想表現手法


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『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』


   


     7月 6th, 2015  Posted 12:00 AM

「伝統って何ですか?」とこれまで何度も聞かれてきました。
私が伝統工芸にデザイン導入をして、
ふるさと福井では特に「タケフナイフビレッジ」を創ってきたからです。
伝統=トラッドは、世界的に一つの意味に集約されています。
「統」という漢字には明確にその意味がありました。
それは糸口となることを単に伝えていく伝承とは、
全く意味が違っていて、「裏切る」という意味があります。
端的には、父親の仕事を裏切って=破壊して、
新たな技法を発明して繋いでいくことを伝統というわけです。
ところが、最近の焼き物や日本的な文様を見ていて、
とても気になるのは、日本に限らず欧州の伝統工芸と思える意匠に、
デッサン間違いを多く発見します。
特に、意匠とすべき写生体験の欠落です。
鳥の嘴や足の形、魚の口、植物に葉脈、花弁などはデッサンが狂い、
それをあたかもディフォルメされたかのような意匠にしていること。
こうしたお店で、私は」ついつい大声でワイフに言います。
「コレ、またデッサン間違っているぞ〜」と、
ワイフはそんなに大声で言わないことと窘められます。
が、時には、お店のご主人が出て見えて、
「そうなんです、間違っていますが、日本画の大家の先生なので・・・」。
そんなとき、私のような者でも発見していたと伝えて下さいと。
美大生時代はスケッチの基礎である写生で植物や鳥などを随分描きました。
元来、美大ではすでに高校時代に絵が上手かった級友だらけでしたから、
彼らについていくには、私自身、相当に写生で静物画が描き、
特に、葉脈や花弁、嘴、魚などを描きましたから、
デッサン無しの伝承的なまやかしディフォルメは認めることが出来ません。


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4月15日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 15th, 2015  Posted 12:00 AM

4月15日 仏滅(辛酉)

裏切ることに平然たる
そのような人物は
喧嘩相手にもならない。

喧嘩相手にされない
そのような人物は
いづれ
人格が社会的に抹消されるものだ。

川崎和男「喧嘩道」


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4月14日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 14th, 2015  Posted 12:00 AM

4月14日 先負(庚申)

裏切ってはならない。
裏切ることは
人道上も最悪の
信頼と信用と自己の否定である。

裏切ることは
だからこそ、喧嘩ではないのだ。
喧嘩相手にならないほど、
自己否定しているのだから、
それは
喧嘩よりも
もっと、残忍な仕返しがあるだろう。

川崎和男「喧嘩道」


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4月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 21st, 2012  Posted 4:28 PM

4月21日壬子(先負)

「伝統=trad」という
ラテン語の意味には、
「裏切る」という意味が
確実に含蓄されている。

「伝統」を守るとは、
手続きとしての「変型」という
手法や形式を凌駕して、
まずは、かたちを裏切っているわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』6変形という観念としての裏切り


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