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Posts Tagged ‘製品開発’


『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』


   


     12月 15th, 2013  Posted 12:00 AM

布には七つの要素があることは何度も書いてきました。
・こし
・はり
・きしみ
・しゃり
・ふくらみ
・ぬめり
そして、しなやかさです。
私は、しなやかさは形容動詞ですから、布の手触り感覚はまず、
このしなやかさで最初に判断が可能です。
こし・はり・きしみ・しゃり・ふくらみ・ぬめりの六つは、
まず、主観的に確認し、さらに、同意意見を確認することで、
客観的な感覚評価が出来ると判断しそのためのツールを考案して、
持ち込まれた繊維メーカーからの素材すべてにひとつひとつ、
しなやかさを確かめ、次に、ぬめり感があるか、はり感があるか、
あるいは、きしみ感があるが、それはしゃり感を感じるからとか、
そのような会話と素材を手触り合いながら、
ふるさと福井の繊維メーカーの若手たちと確認をしあいました。
私は、このような感性評価を成し遂げていくことは、
おそらく世界でも最初のことだと確信しています。
いづれ、この感覚を源に、
「製品開発とその実際感」の展示会を必ず開催することで、
私はやっと人間が布・繊維の感性評価が可能になる、
そんな気がしてなりません。
それは布と人間の関係、
特に、感性的な評価軸を再検証することで、
もっと重大な繊維素材の開発が可能になるだろうと思うからです。
これまで、ファッション的な商品選別の確実な感覚を
日本だから、繊維産地だから世界の評価軸を決定するつもりです。
この決定こそ、「羽二重・HUBTAE」ブランドの基盤にします。

関連ブログ記事
『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』
「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」
「『布』平織りの集積された知恵=晒を見直すこと」
「ふるさと福井の織物・繊維を世界の標準にデザイン主導する」


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「17年間という時間は『私・きもち時間』だと思っている」


   


     1月 4th, 2013  Posted 12:00 AM

人間には、
なにかしらをやり遂げるにはそれなりの時間が与えられているようです。
そんな「私・きもち時間」があるということを幾たびか体験してきました。
・鯖江市で社会人向け講座も17年、
・MacPower誌での連載も17年、
・ふるさと福井でのデザイン活動も17年、
・名古屋市大と阪大にて大学人17年間だった。
「私・きもち時間」はそれぞれの活動期間が、
3年、7年、17年、21年が私の時間帯だとつくづく思う。
この17年、
私が心血を注いできた一つに
「PKD=Peace-Keeping Design」という提案があります。
この具体的な製品開発はまだ連続しています。
最初は、経皮タイプのシリンジでしたが、
現在では国内のシリンジ針生産拠点が失われて海外になりました。
だから、経鼻タイプ=鼻からミスト状ワクチン接種のシリンジと、
ワクチンは「結核」に絞り、結核感染の検診も
遺伝子検査を極めて短時間システム開発が終わっています。
なんとしても、今年はその具現化をめざしたいと考えています。
そして、アフリカの子ども向けの栄養状態検査システムは、
糖尿病検診システムの応用が出来そうです。
2004年に、私はPKDというコンセプトを文章で発表して、
阪大に来てから、
具体的なワクチン接種方法や検査システムをデザイン主導で始めました。
それは、阪大の医学史的には、適塾から医学校の系譜があります。
つまり、緒方洪庵が日本で最初の牛痘を幕府にも容認させ、
橋本左内などがワクチン接種を始めていたことからも、
この歴史性を引き継ぐ意義があるわけです。
再生医療や、こうした医療技術へのデザイン適用は、
今後、日本は世界的に
「尊敬される危機管理産業」の一つとして重要課題だと思っています。
それだけに「私・きもち時間」をより短縮させたい思いで一杯です。


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「BMW i8が実現し始めた新たな造形言語と形態言語」


   


     12月 2nd, 2012  Posted 12:02 AM

造形言語と形態言語は、
ソシュールの「一般言語学講義」をテキストにして、
デザインが果たす言語=形態への適応と応用を私は試みています。
そして、私自身が現在、
造形言語と形態言語を製品開発の実例から見いだそうとすると、
正直、造形言語 – 形態言語の構造を持っているモノは、
ほとんど国内メーカーには不在であることが無念でなりません。
「ミッション・インポッシブル」にBMWの車が登場します。
映画ゆえ、それはコンセプト・カーと言ってもいいほど、
まさに「カッコいい車」が登場するわけです。
ところが、この車は2014年に発売されることになってしまいました。
無論、いくつかのスペック・ダウンというか、
アドバンス的なことは実現されないかもしれません。
しかし、このプロモーション・CFを見ていると、
ここまでの車がとうとう世の中に存在する時代になってしまった。
私は感激し、感動してしまいます。
車、それは「移動の手段としてのツール・マシン」でした。
しかし、21世紀を方向付ける情報ツールであり、メディアであり、
しかもこれこそ「電気自動車!」という
言語性を持って登場してきたわけです。
私の「製品記号論」講義の事例・実例として紹介し、
まさに言語=形態を「読み取ってほしい」のです。
たとえば、プロモーションCFですら、一つのドラマであり、
ドライバーの運転、すなわち制御性能は、
「情報操作性能」とそのマン・マシン系はやはり、20世紀に終焉して。
ほら、21世紀は、メディアツールというモードは、
これだけのコードとのインタラクションなんだよ、
とBMWは発明しているのです。
「ミッション・インポッシブル」が、
ひょっとするとあの「007」を超えるストリー性と
登場するガジェットの様々さを超えたかも知れません。
そんな印象があっただけに、
BMW i8 はメディアとしての車であり、
情報処理としての運転性能の技術表現内容を
デザインは造形言語の意図性は見事です。
そして、デザインされたこと、意味されている形態言語には、
21世紀は、電気自動車ゆえ、
「移動手段=目的地に着く」という以上のことを恣意しています。
すなわち、ソシュールにもどれば、造形言語が意味することと、
形態言語が意味していることの「恣意性」を
技術進化をデザインが果たしていることは明白だということです。


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「椅子取りゲームは、今なお続いている・・・」


   


     11月 28th, 2012  Posted 12:00 AM

24年前のプロジェクトは、
この画面から始まりました。
当時はスライドでした。Musical chairs=椅子取りゲームです。
つまり、椅子はいくつもありますが、自分が座るべき椅子を明確に定め、
そして、自分が座った椅子にスポットライトが当たるのです。
これは、いまなおマーケティングをゲーム化したとき、
「時代が、社会が、注目したモノづくり」です。
しかし、もはや、
「モノ(商品)づくり」+「コト(情報)づくり」が必要であり、
これだけでも産業経済を活性化して、
理想的で確約された日常生活を存続させていくことは不可能です。
24年前に、このMusical chairsをスライドで見せて、
製品開発に入りました。
しかし、商品化まではたどり着くことはできませんでした。
それは、私の大きな悔恨になっていますが、
再度、私にその主導役が回ってきました。
今、このMusical chairsは相変わらず、世界の経済活動の根本的原則です。
そして、注目されてこの椅子取りゲームの勝者は
その性質や存在感の変異が求められているのです。
いつまでも一つの椅子に座り続けられるわけにはいかないのです。
椅子の持ち主になり、なおかつ、注目されない限り、
社会的な存在性を失います。
40余年もデザイナーであると、
まるで予言者のごとく見えて来るものがあります。
たとえば、この企業名ではダメだとか、
商品名が時代遅れだとか、
パッケージがダサいとか、
とどのつまりは、経営者がダメだ!とかが見えてきます。
Musical chairsを考えれば、自ずとわかることですが、
椅子取りゲームの音楽が始まります。
リズミカルで、軽快で、それだけに、
急停止するだけの即応性が必要です。
リズミカルであるというのは、
時代性の流れに身を任せることが出来るのです。
急停止する即応性は、
経営センスにいつでも、「軽やかな信念」が必要です。
「軽やかな信念」はどうすれば鍛えることができるのでしょうか?
私は自分の生涯をかけて
この「軽やかな信念」の鍛錬をしてきたと思っています。
だから、「軽やかな信念の無い」リーダーには
牙を剥くことにしてきたことも事実です。


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「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」


   


     10月 16th, 2012  Posted 12:00 AM

台所用品、浴室用品の地場産業といえば、
和歌山県海南市です。
「東の湘南、西の海南」、当時の市長の弁でした。
海南市で国際コンペの審査と
現地の「地場産業」に関わったことがあります。
徹底的な、ウレタン素材で「洗浄用スポンジ」の製品開発にのめり込み、
商品化もしました。とても高額商品でしたが高く評価されました。
しかし、素晴らしい素材の「スポンジ」は、
100円ショップの中国製には市場では完敗でした。
ただし、モノの性能・効能・機能は抜群だったと自負しています。
だから、その頃、同時に「トーラス亀の子束子」も開発してみましたが、
これは製品開発で終了せざるをえませんでした。
今、私は私自身の「乾燥肌対策」には、
あらためて、当時、様々な「泡づくり」と「泡性能調査」をしました。
だから、TV-CFで「洗顔用石けん」の泡立ちを見るたびに、
「泡」そのものの「泡立ち」の肌理の細かさが気になります。
それは、ボディソープからシャンプーに至るまで、
TV-CF画面の泡を見ながら、
「本当か?」とTVに向かって、話しかけてしまいます。
そして、学生にも、「正しいシャンプーの仕方」などを論じてしまいます。
つまり、「泡立ち」という性能は「肌をきれいにする」、
とても大事な手続きであることは間違いありません。
「綺麗」な泡立ちが、必要不可欠なわけです。
となれば、絶対に「泡立ち評論家」になるつもりで、
「泡」をじっくりと観察しています。
今、ブームで売れているシャンプーが、
本当に「正しい洗顔・正しい洗髪」ではないのです。
どれだけの肌理の細かさの「泡」=バブルかが大事です。
そのバブルで綺麗にするべきかが問題だということです。
結局、「バブル」ってのは、
やはり、何かしらスゴイ力があることは間違いありません。


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「1980年代のデザインと伝統工芸産地の活動」


   


     7月 22nd, 2012  Posted 12:00 AM

埼玉県春日部市(クレヨンしんちゃんがいます)は、
桐箪笥の伝統工芸産地です。
当時から桐箪笥産業の収束が始まっていました。
現在もきっと厳しいかもしれません。とても気がかりです。
1980年代は現・埼玉県産業技術総合センターが中心になって、
「桐とデザイン」の再開発が14名のデザイナーに求められました。
私も講演や製品開発に参画しました。
その時の作品は二つありました。
まだ、アロマセラピーが知られていない頃でしたが、
桐箱の「アロマボックス」と「貯金箱」を提案しました。
なんだか、今、商品化できる気がしています。
実は、このようなプロジェクトのことは正直うろ覚えでしたが、
3年がかりで、当時の「伝統工芸産地とデザインの関係」を、
埼玉県産業技術総合センターのK部長がまとめられて、
出版直前の玉稿を読ませていただきました。
もう赤面するばかり、
30代の私の言動が本当に詳細にまとめられていました。
当時、私はタケフナイフビレッジを世に問いました。
場所はAXISビルの展示会場でした。
だから、K氏は、福井に私を訪ねてまで、
私の参加を求められたにもかかわらず、
どれほど私が過激に、
「伝統工芸とデザイン」を結びつけようとしていたのかも
本当によく記憶されておられました。
しかも、それはAXISのH氏が師匠だったことです。
私もこの当時のことはまとめておかなければと思っていただけに、
とても感動しました。
H氏は、80年代の伝統工芸産地とデザインの関係は、
タケフナイフビレッジを詳細にと示唆指導していただいたということです。
H氏にどれほど、
「デザインの作法」・「伝統工芸へのデザイン投入」を
徹底的に指導していただいたにもかかわらず、
ご無沙汰をしてしまっています。
早速にも、筆を取りたいと思っています。
会いに行くべきだと思っています。
Kさん、Hさん、改めて深く感謝します。
出版がとても楽しみです。
日本の「デザイン史」としても貴重な資料になると判断しています。


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3月5日Staff Blog


   


     3月 6th, 2012  Posted 1:03 AM

3月5日

製品開発の打合せ中、
モデルで直接検証中の
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)


BOSS本人の入院と通院の経験から
より一層検討が厳しいです。


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「陶磁器はモダンデザインの枠組みから解放したい」


   


     2月 18th, 2012  Posted 12:38 AM

陶磁器のデザインをやりたい。
だから、収集もしてきました。
そしてここ数年は本格的に調べながら、
製品開発と商品化に取り組んできました。
特に、伝統工芸産地の特色を見極めようとしてきました。
なんと、伝統に呪縛されているのだろう、
それは海外も同様ですが、
いわゆる有名ブランドであっても全く変貌も革新もしていません。
装飾的陶磁器をデザインしたと今でもそう思っている産地ばかりです。
万一革新されていると言っても革新性もすべからく枠にはまっています。
私はもっと根本から革新したいと思っています。
コーヒーカップとティーカップをまず商品化します。
産地は有田焼です。
だから、まず根本的な装飾を変革します。
それは、有田の釉薬を新たな素材感に変えました。
試作はまだまだ納得できませんが、
予定どおり3月に有田で発表するつもりです。
陶器と磁器の違いも今では人々に分からないのが現実です。
有田の青・赤は、すでに海外ブランドの発色性には追い抜かれています。
デザイン界の有名大先輩も、
モダンデザインということで一つの表現は極められました。
だからこそ、私はこれを「裏切る」ことが当然だと考えています。
もっと明確に言い切れば、確かにモダンデザインの歴史的作品であっても、
結局、デザインの本質から見れば、「伝統」とモダンを融合させれば、
デザインでは無かった、つまり問題解決は皆無だったのかもしれません。
さらに日本では、
特にティーカップとソーサーの伝統的関係性は見落としてきました。
そのことも伝えなおしたいと考えています。
海外ブランドさえ出来なかったことを成し遂げることになってきました。
陶磁器にはまだまだこのような表現手法があったのかということ、
それを全国の陶磁器産地はもとより、
海外の有名ブランドにも、
伝統と思い込んでいることの間違いを作品でモノ語るつもりでいます。
発表は3月中に佐賀県、有田焼きの現場に行って発表します。

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「アンプジラ・パワーアンプ(電質)の音響聴覚」


   


     12月 21st, 2011  Posted 12:00 AM

「食通」とは味覚が優れているという言い方です。
しかし、これには大きな誤解があるというのが定説です。
つまり人はその人の味覚のホメオスタシス的な定常性が、
14歳までの食習慣で決定すると言われています。
私は多分、五感覚=視覚・聴覚・味覚・触覚・臭覚も、
幼少からの環境で決定づけられると思っています。
それは「刷り込み」=imprintingと同値だと言ってもいいでしょう。
私は美大時代から本格的なオーディオマニアになっていきましたが、
当然ながら東芝総研(現・ 東芝中央研究所)の音響研究所、
そしてAurexの製品開発によって聴覚は鍛えられました。
当時市販されているほとんどの音響システムを
聴きつくすほど贅沢な期間でした。
そんな中で特に自分がイコライザーアンプ直結のパワーアンプ選びで、
あらゆるアンプを聴き比べた結果、一台のアンプが私を打ちのめしました。
それは当時GAS社の
ジェームス・ボンジョルノ氏設計のパワーアンプでした。
そして数年前大阪に来てから、彼の新作AMPZILLA2000に出会ったとき、
私の聴覚コントロール機器は決定しました。
おそらく私の生涯は彼のパワーアンプ以外は
ありえないとまで納得しました。
スピーカーシステムに送り込まれる寸前の音響を
電流・電圧による「電質」で制御するのは彼の思想表現です。
だからといって、ただ信奉するだけでなく、
冷徹に他のアンプも聴き分けを試みることにしています。
それでも、やはり彼の音響設計に戻ってしまいます。
このアンプよりはるかに高額なモノであっても、
彼のこのシンプルかつ大胆な設計思想が最高です。
単純には電圧昇圧させるトロイダルコイルスタイル、
ただしこの巻き方はJBLのスピーカーコイルにも通じています。
取説には、万一、感電事故になっても個人責任と書かれている製品です。
製品とはこうあるべきです。個人責任に使い勝手をゆだねることです。
したがって、家庭用の電流と電圧50Hz・100Vも、
定流電源装置とメディカルコードでこのアンプを支えています。
ジェームス・ボンジョルノ氏的な発想を引用すれば、
音響だけではなく、多分、映像も、
定電源装置までの気遣いが感覚を支えると判断しています。
つまり、私は電力には電流と電圧という「質」があり、
もし、これを「電質」と呼ぶならば、
これは私たちの五感にも大きく影響していると考えています。

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「『きれい』にすることが『美しい』こと」


   


     5月 13th, 2011  Posted 12:00 AM

美しいかたちのデザイン。
私の職能デザイナーの大命題です。
かたち=形式・形体・形態です。
このところ製品開発から商品化まで、
やっとたどり着いた商品のかたちは、
美しくあってほしいと願いを込めてきました。
もう40年も「かたち」にこだわってきました。
そして美しいということは本当に難しいことだと悩んできました。
そこで、私の方法論は、まず、「きれい」かどうかです。
サングラスは、顔の表情をさらに綺麗にしてくれるモノだろうか。
キーボードは、打鍵している指先やユーザーにとって、
本当に、大げさに言えば「働きがい」から「生きがい」、
その周辺に存在しているかたちになっているかどうかです。
いつも説明してきたのは、「きれい」と「美しい」には
ある隔たり・近さの概念が明確に横たわっているのです。
「きれい」は形容動詞ですが、
「美しい」は形容詞です。
これを距離感覚、近さという概念で検証し直してみることです。
まず、「きれい」にしないと「美しく」はなりません。
だからまず「きれい」なサングラスを創ります。
最近は「かわいい」という形容動詞が氾濫していますが、
私はあくまでも「きれい」なサングラスです。
具体的には、いくつかの目標を立てて、
目的である顔の表情はもちろん愛用してもらえるかたちです。
キーボードは素材開発が叶った時に、
素材の鏡面がすでに綺麗でした。
問題はここから実装です。
実装という日本語そのものが美しいことばです。
米国で私はConfiguration Layoutと言っていました。
筐体や機構設計では、Configurationになり、
回路設計や回路配置では、Layoutでしたから、
Configuration Layoutがデザインの主目標と説得していました。
さらに綺麗であることの基本は清潔であることです。
キーボードはそのまま、衛生的な清潔性を実現できました。
「きれい」の基本は掃除をすることです。
それこそ、女性が綺麗になるためにお肌の手入れということです。
ところで、「かたち」ということばから、
私は「いのち」・「きもち」・「ここち」の「ち」、
この語源から、さらに拡大することばに注視し集めてきました。
「まち」=町・街や「とち」=土地などがあります。
ともかく、今回の被災地は片付けや掃除や除染をして、
「きれい」にすることから始めなければなりません。
新しい「まち」を「きれい」にしてから、
それが必ず「美しいまちづくり」になるはずです。

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