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Posts Tagged ‘見識’


「わが研究室は今年から重要拠点にしていく覚悟あり」


   


     1月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

昨年7月には、防災大臣と大企業の姿勢に大落胆。
私の復興デザインと南海トラフ対策デザインは停止しました。
けれども諦めずに、
8月に「危機管理デザイン賞」を創設しました。
それは、
わが研究室のこれからのミッションを
意識したプライミング体制づくりでした。
わが国は、天災大国です。
そして広島・長崎、そして福島と原子力の大被害国家になりました。
脱原発・卒原発では済ませられない現実と、
我々は対峙していかなければならない国家です。
ならば「公共政策としての危機管理産業の創成」を
国際的に求められています。
私は、脱原発でも卒原発よりは
「範原発」を目指すべきという見識と良識を蓄積してきました。
プルトニウムは、人類が扱える元素ではありません。
U239、U240は自然界には存在していないのに、
今回の福島では確認されてしまいました。
それなら、
原子工学の対象元素をさらに明確にするべきだというのが、
私が提示する「範原発」です。
正月早々、おそらく大きな反感を買うと思っていますが、
それを乗り越えるべき、
新たな「危機管理工学へのデザイン主導」
そして「公共政策グランドデザイン」が必至です。
原子力工学の対象は、原発だけではありません。
放射能への新たな科学的見識や公共政策での
政治的、産業的、経済的、さらに文化的胆識が必要です。
あの「はやぶさ」は放射能の宇宙界で電子機器は確実でした。
JAXAの安全工学的な経験が必要になってきたということです。
3年3ヶ月の政治的悪夢を終焉させるには、
同胞を失ったこの経験を必ず、
日本の復興や危機管理体制づくりを世界に提示していくことが大事です。
活断層の報道だけでは済まされないことは多大にあるはずです。
もう一度、
プライミング・エフェクトを思考見識に取り入れるべきでしょう。
もう家電も、情報も、車輌交通も、
すべからくエネルギーへの依存から解放されないならば、
日本の産業構造を大きく変革すべきでしょう。
私は4月には、デザイナーに立ち戻って、
わが国には
「危機管理産業の創成」を大きなテーマに掲げていくつもりです。
この開設準備室で、春を迎えたいと考えています。


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「ブランド の表現統一には、センスと見識あるディレクターが必然」


   


     9月 29th, 2012  Posted 12:00 AM

このブランドのグラフィックス表現力は一流です。
パリ本店で、一枚のシャツを見つけました。
私の大好きなクロッキータッチの素描画が描かれているシャツでした。
美大入学当時は、クロッキーは相当に鍛えられました。
だからたまらなく私の物欲に直線的に飛び込んできました。
そのシャツの素描画が、バッグの内面ファブリックにも使われました。
そのバッグは
英国鞄ブランドのグローブ・トロッターとのコラボ商品であり、
「ヴァルカン・ファイバー」と呼ばれる
伝統的な紙を多重層にした素材を
さらにこのブランド用に協同開発されたモノでした。
軽量さは格段に改良されていました。
そのバッグの内装生地にはシャツと同柄の素描が描かれていました。
もちろん、シャツと裏地は別生地でしたが、その接着あるいは圧着技術は、
このファイバー素材を見事に活かしていました。
このブランド組織においても、
シャツ部門とバッグ部門は異なっているはずです。
だから、ディレクターの存在を感じます。
このコラボ的な商品開発において、
自社ブランドのクロッキー描画グラフィックスを選んだことです。
つまり、ブランドは、モノづくりの根本的な理念を表現するには、
「何が、そのブランド表現の核心なのか」は、合議制ではありえず、
「一人の決定者」が必要だということです。
国内企業では、センス無き経営者の趣味趣向が優先され、
価値観は「好き・嫌い」だけでしかなく、
デザインを「たかがデザイン」としか見ていない経営者が
本当に日本は増殖し過ぎました。
エンジニア出身であろうが営業経験者であろうが、
その人の「ファッション性」を見るだけで、野暮ったい経営者が、
デザイン=ブランドの核心の決定者であっては企業は衰退するだけです。
私は、このバッグとシャツのグラフィックスの素描画を統一し、
このブランドが「馬具製造からのメーカー」であったことを
さりげなく表現する決定をしたことに注目しています。
日本のメーカーが「ブランド化」するには、
まず、経営者のデザインセンスそのものが大問題だと指摘しておきます。


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「少数派のためのデザインから・再度、再検証」


   


     8月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

ワイフが母校で特別講義を、ということになりました。
そこでのテーマの相談を受けて、
彼女なりの調査や読書を聞くと、
デザイン史的にはきっちっりとまとまっていないことを知りました。
「生きのびるためのデザイン」
「E.H.エリクソンのノーマライゼーション」
「1970年から準備された1981年からの国際障害者年」
この三つを軸に、
1973年からはわが母校の卒業課題化された「少数派のためのデザイン」や、
私自身が障害者になり、
1998年のNewYorkで開催された国際ユニバーサルデザイン学会、
この学会には私自身も特別講演をしました。
「ユニバーサルデザイン」については、
政府に対して最初の報告書を書きました。
特に、1960年代に
米国・英国・カナダでの「アクセシブル」というデザインコンセプトや、
ユニバーサルデザインという言葉の詳細や系譜、
それらがまったくまとまっていないことを知りました。
これは、私がまとめておく必要があると思っています。
すでに、私の役割には次世代デザイナーに伝えおくべきことが
余りにも多く残っている気がします。
特に、「ユニバーサルデザイン」を軸とするなら、
この歴史的なコンテクストも
故ロナルド・メイス中心で語り残されると思いますが、
これはもっと深く、故マイケル・カリルの存在を書き残す必要があります。
これからこの仕事をやり終えないといけないと思っています。
歴史は、その時期に政治的に記述されると、
それがあたかも「真実」になります。
これは「歴史」の真実です。
「民衆は声を持たない。
己を自覚し自らに誇りを抱くことさえ、
彼らには許されていない。」
私は歴史に向かうとき、この言葉に戻ります。
デザイン史となるべき、私の体験での知識と見識は書き残します。


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「iPhoneアプリ、六つ目の開発」


   


     12月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

1984年にMacintosh 128kと出会ってから、
私の知識と意識は日常的にAppleで支えられてきたとも言えるでしょう。
そのパソコンがiPhoneという新たな形式となり、
ソフトウエアは「アプリ」と呼ばれています。
私たちはそのアプリ開発をしてその配布販売をしています。
目的は、私が提唱し始めたPeace-Keeping Designの一つの戦術です。
PKD活動の具体的開発は「結核ワクチン」のシステムが今中心です。
その活動支援として、アプリを販売して資金の一部にしています。
今はアプリ一つが85円です。
すでに、5つのアプリを開発配布販売しています。
「時計」HOLA・「TheClock」称号を持つモノをiPhoneに入れました。
「脈拍計」=15回の脈拍で、1分間の脈拍が計測できます。
「黄金比計算機」=黄金比がすぐに計算することが出来て、
デザイン設計時の補助計算機になります。
「緊急時のコール」=HelpCallとして、
声が出なくても助けを呼んだりすることが出来ます。
「手旗信号練習マニュアル」=手旗信号は
知っておいてもいいかもしれない、という提案です。
そして、時刻計測の基本に戻って、
「砂時計」を新たに開発しました。
これら全ては大阪大学大学院の私の研究室で学生達が私のディレクションで
プログラミング化して認証を受けて配布しています。
私の狙いは、これからのデザイナーはアプリ開発も出来ること、
リアルな機器設計とバーチャルな機器設計能力を身体化してほしいのです。
そして、iPhoneアプリには、
知識と意識を良識と見識にするソフトウエアの力があると認めています。
PKDはまさしく、率直に良識と見識のデザイン活動であり、
「デザインが世界を変える」ということです。
その活動の資金確保としては微々たることかもしれませんが、
それでも、その販売利益を得るとともに、学生達の能力を高め、
しかもPKD活動の連続性を告知広報する訴求力をもっています。
アプリ開発は、デザインの根幹である利便性を徹底的に求める
「思いやり」を込めることができます。
是非、こうしたアプリを使っていただきたいと願っています。

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『資本主義からの逃走』
   「スケッチは能力訓練に過ぎず、逃走訓練として」


   


     7月 30th, 2010  Posted 12:00 AM

能力訓練
デザイナーはスケッチが不可欠と言うと、
自分は子供の頃から「絵が下手だった」という声をよく聞きます。
私は、小学から絵は得意でしたが、高校時代は教科書だけの音楽を選択しました。
そして美大入試の実技で「水彩画」と「鉛筆デッサン」を入試で初めて描いたのです。
入試実技などまったく未知の世界でした。
当時「アトリエ」という雑誌で、鉛筆デッサンを拡大鏡で鉛筆ラインを真似た程度でした。
だから、美大時代は、デッサン、それから工業デザインでのトレーニングは必死でした。
さらに東芝で本格的なレンダリングをたたき込まれました。

結論は、デザインスケッチは、能力開発=訓練で必ずうまくなると確信しています。
デッサンも、訓練です。
無論、画家になる「絵画」の芸術的価値は、才能によるものでしょう。
が、いわゆるスケッチは、ある法則や現物描写のこれもある法則を知って、
あとはスポーツのようにトレーニングすればいいだけです。
そしてアスリートが、オリンピック選手になったり、
世界記録保持者は、トレーニングと才能が必要でしょう。
だから、プロとしてのデザインスケッチはそこまでのことは必要でしょうが、
子供時代に絵が下手だったから、すでに絵やスケッチが苦手意識は無用だと私は考えています。
むしろ、美大入学のための入試デッサン夢中というのは、
美大進学希望者をせばめている悪弊だとさえ思っています。
これからのデザインは、そのような入試デッサンで選別される学生より、
もっと「想像力と創造力」のある子が必要だと断言します。

逃走訓練
今、自分が取り組んでいる様々なデザイン領域では、
学識・美意識・見識・胆識が必要だと思います。倫理観と礼節は常識です。
特に大学教育では、
私が高校生のときから大学批判とともに語られてきた「入試改善」は、
まったく日本では停止したままなんの解決もはかられていません。
つまり、「資本となる能力」が、ますます求められるとするなら、
「資本主義から逃走」する体力としての「知力」+「個性」=才能が必要です。
それは「逃走するための訓練」が重大だということになります。
そして、その訓練のコーチこそ、
「逃走する方法」を熟知していなければならないということです。


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『資本主義からの逃走』
 「『付加するデザイン』は、デコラティブデルージョン」


   


     7月 25th, 2010  Posted 12:00 AM

デコレーション誤解
デザインの勘違いを40年間膨大に観てきました。
私は、デザインとデコレーションとを分別しています。
また、「これ、本当にデザインかな?」と思っていた人に、
「あれはデコレーションです」と言うと、
「なるほど!」と理解していただける人は確実に増えてきました。
デザインとデコレーションとは、なかなか区別できない人が多いのは、
「デザイン」という言葉は洋装が日本に入ってきた戦後であり、
同時期には「図案」や「装飾」がデザインと邦訳されたことに起因しています。
ファッションという言葉も同様です。
そして、必ずしもそれは間違いだと断定できない意味もあります。
デザインはファッション、というのも否定的な意味もあり、肯定的な意味もあります。
過飾的妄想
したがって、私自身は、デザインとデコレーションについては、
装飾そのものを否定するわけではなくて、
問題解決というデザインの本質に装飾が必然である場合は、これは容認しています。
しかし、加飾=装飾を施すこと、過飾=加飾いっぱいにすることは
華燭を越えた装飾し過ぎていること、
すなわち「不必要で実用性も無く、
商品の存在性を事大主義的に誇張すること」をデコラティブ=decorativeとみています。
ところが、このデコラティブであることを妄想的=delusionにまで拡大していることを、
「デザイン」ということは、目に余ります。
確実に「デザイン」の必要性が訴求される時代です。
だから、加飾・過飾・装飾が虚飾化された過飾的妄想=decorative delusionを
デザインというのは、見過ごすことはできません。
これを直感的に判断して否定する言葉が、
「simple is best」というパロール=会話文節も正しい見識ではありません。
デザイン系を有さない大学や行政などには、この認識が蔓延しています。
デザイナーとしては「視覚的・認識的に痛い」とすら感じる
ポスターやパンフレットがあふれています。
これらは「付加」されたデザインですが、デザインの妄想にすぎません。
デザインが妄想の中にある人は増加しています。
特に、経営者、技術者や社会学者や経営評論家が「デザイン」を語るとき、
この過飾的妄想=デザインとなると困惑します。
デザイン行政の担当者で、
「デザインを見下して、あたかもデザインの定義」として語られるときは、
見過ごすことは私には不可能です。
デザイン価値の美学性
「過飾的妄想」が社会に存在していることは、
ある種のサブカルチャーだということも私は理解することができます。
これは「一過性的」であって、連続している騒音的なことですが、
文化の一面であることも否めません。
文化は確かに玉石混淆です。
が、デザインの純粋性にのみ、「デザイン価値の美学性」を私は求めたいと考えています。
私がデザイナーとして育成したいのは、less is moreをしっかりと確認できる資質です。


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『資本主義からの逃走』
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


   


     5月 31st, 2010  Posted 12:01 AM

私は、「情報」という日本語が、
次のような意味合いを統合しているとしたら、
すでに曖昧な言葉に成り果てていると思っています。

Information
報道・制度的な広報・私的あるいは公的事実性
Intelligence
秘匿事・隠匿事・企み事・戦略・策略
Knowledge
知識・経験事・生活の知恵・伝統伝承事
Consciousness
意識・見識・良識

私は「情報機器」という製品アイテムを対象として
デザイン成果も生み出してきたと自負しています。
それだけに、すでに新たな「情報機器」を概念と観念で再考しなければ、
次々と進化する機器設計そのものと、
人間との関係が成立しがたいのではないだろうかと考えるようになりました。
したがって、特に、デザインを職能とする人や、
情報工学、環境情報、情報制御、医療情報などすべてが、
「情報」の意味と意義がどこまで、
日本語ゆえに曖昧であるのかを検証するべきだと提言します。
企業情報戦略も国家情報戦略も、
これからのネットワークの進化に対して、
この日本語でいいのかどうか、
あるいは、日本文化が伝統としての「曖昧さ」が本質であるとするなら、
その曖昧さの再利用を創出する時期になっていることを提案したいと思います。
そうなると、「情報」だけではなく、
再考し新たな概念と観念の言葉そのものを探し出す必要があると考え提示します。

たとえば、次のような日本語が考えられます。
以下の言葉については、この20年ほどいつも熟考対象にしてきた言葉です。

福祉
機械
環境
人間
病院
医療
科学

などです。
そして、こうした言葉がもっとも多用され始めている大学、その学部名や学科名、
そのコンセプトやアジェンダやスキームなどに対する
大きな懸念性と疑念性を捨て去ることができないのです。
この懸念性は私に突然、襲いかかってきたある種の不安感でした。

「デザイン」提案の大前提
なぜなら、将来・未来は、「言葉」から始まります。
さらに、わが日本には、「大物主」「事代主」によって、
物質と情報は決定づけられた伝統の文脈があるからです。
決して、この論理は宗教論でも、神がかりな論法でもありません。
真摯に「未来づくり」へ文化への新しい文脈づくり、
すなわち「デザイン」提案の大前提なのです。


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『資本主義からの逃走』
「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」


   


     5月 29th, 2010  Posted 11:27 PM

曖昧性
ある有名情報機器メーカーがかつて、
「情報」とは、「情けに報いる」という広告コピーを出したことがありました。
なんとなく、人情味の交換という意味性を匂わせていますが、
厳密には、「情」は心の中の黒ずんだ感覚であり、
報はそのやりとりが縛り付けられていることというのが原意との解釈ができます。
それは、あまり良い意味性ではなく、
「情報」という表層的な意味の軽量観になっているということです。
したがって、「情報」というのは、四つの意味性で取り囲んだ核心に配置すべきだと考えます。

Information
報道・制度的な広報・私的あるいは公的事実性
Intelligence
秘匿事・隠匿事・企み事・戦略・策略
Knowledge
知識・経験事・生活の知恵・伝統伝承事
Consciousness
意識・見識・良識

以上のことを熟慮すると、「情報」という集約語には収束はしないのです。
むしろ、こうした「伝達性や伝導性の事項」の統合性を一言で言い切ること、
断言できる言葉が必要だったわけです。
「情報」という言葉に収束させて生まれてきた言葉、
「情報」が冠詞的となった、たとえば、情報工学や情報操作などがあります。
「情報」が結語的となった、個人情報やデザイン情報など、
すべからく、包含されている意味性が部分的であり、
なおかつ、誤解される要素に満ちていたものと判断します。
だからと言って、今さら「情報」を日常語から外すことは不可能かもしれません。
したがって、私は、情報を取り囲んでいるこの四つの意味性の総合化を諮るには、
「モノ」=物質=人工物が発明されなければならないと考えています。
この判断は、過去事例に明らかです。
「マルチメディア」という「マルチ情報」をコントロールするモノが結局は登場しなかったこと。
さらには、本来、Informationでしかなかったジャーナリズム思想は、
なんらメディア=新聞・雑誌・ラジオ・TVなどの
モノの形式から解放されなかったのです。

曖昧さからの解放と再利用
だからこそ、思想としての変革は置き去りになり、
電子書籍という形式とそのモノの登場がありました。
その発明とか登場によって、大きな驚愕とともに、
マスコミすら変質あるいは喪失すらするという不安が拡大しています。
私はあらためて「情報」という日本語に押し込められた意味性の曖昧さを指摘し、
この曖昧語からの解放、あるいはこの曖昧さの再利用が必要だと評価しておきます。


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『資本主義からの逃走』
  「日本の国際的立場、その再編にはNoblesse Oblige」


   


     1月 4th, 2010  Posted 8:00 AM

Noblesse Oblige

昨年は米国と韓国で、DESIGN made in Japanを
アピールとプロパガンダしました。
また香港投資銀行のあるファミリー企業から依頼されて、
Clinton Global Initiativeのプロジェクトに加わりました。
そして、グッドデザイン審議委員会にて2年間、
「日本のデザインをGマーク制度を運用しての国際化」、
その議論を相当にしました。
その視座から見えていたのは、
あらゆる「モノづくり」ほとんどすべての業態や産業が、
世界から注目されてはいないという現実でした。
大学では、「関西海洋教育アライアンス」を担当しました。
Ship of the Yearの審査委員にも推挙されました。
そこでも、日本の海事・港湾・造船領域が、
世界的立場を危うくしていることでした。
こうしたすべての現実に、産業界・経済界がともかく
国際化不能にしているものの正体を見たことでした。
それこそ、「日本の資本主義構造」を、
制度化と慣習化と革新化を怠ってきた問題が余りに多い、
ということでした。
この惰性的で怠惰性はデザイン界も同様でした。
昨年のGマーク賞の審査でもこの怠惰性が露見しました。
私は、デザイナーの美学は、
デザイナーの見識と良識だと思っています。
それはデザイナーという職能だけではありません。
まず、「自分の役割」とか「自分の責務」が前提です。
とても現代では死語扱いになっている「献身性」です。
たとえば、グッドデザインの審査委員は、
少なからず、建築・グラフィック・プロダクトなど
デザイナーとしては選ばれたある種のエリートです。
こうした人達に、まず求められるのは、Noblesse Obligeです。
それを尽くしてはじめて、
「わがデザイン」であるべきだと思います。
そんなことも欠落した者を
私は今後決して「デザイナー」とは呼ばないでしょう。
高校時代だったななら、
きっと、必ず、「殴っていたでしょう」。
そんな輩が、デザイン界だけではなく、
本当に、この日本中に増えました。
「この企業は、もう駄目だよ」って、スタッフに伝えると、
必ず、そんな企業は「倒産」=会社更生法適用となります。

Principle

日本は、まず「日本人であるPrinciple」あってこそ、
新たな「日本的な資本主義」、
それはきっと、「これまでの資本主義」を廃棄する勇気であり、
あらたなNoblesse Obligeだと考えています。


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12月29日川崎和男のデザイン金言 Kazuo's APHORISM as Design


   


     12月 29th, 2009  Posted 10:00 AM

12月29日 赤口(戊申)

私は、
常識から見識を、
「見識から良識」を
発見するのには、
知的なものの見方が必要だと考える。

『プラトンのオルゴール』
デザインは見識と良識の投影


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