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Posts Tagged ‘解答’


『四十暗がり・シニアグラスがこれでいいわけがない!』


   


     5月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

いわゆる老眼鏡=遠視メガネが高齢化を人に知らしめます。
私の寿命は40歳までと医師に交通被災直後に明言されました。
この医師の倫理観=そんなコトを言うのかとバカにしていました。
気づけば、40歳を超え、ちょうど心臓疾患になった頃、
私は確実に老眼になったことを自覚しました。
幸いに、私はメガネフレームをデザインしていたので、
役得ですが、自分用を意識したフレームをデザインしました。
と同時に様々ないわゆるシニアグラスを試してきています。
幸い、海外製などは私は鼻形状的にも最適であり、
なんとかこの形状をアジア系人種・アフリカ系人種への対応は
今も私の大きな課題であり問題としています。
したがって、私が出すべきメガネフレームは、その回答か解答です。
それこそ、シニアグラスは100円ショップですら手に入ります。
昔から日本には四十暗がりという言葉があったのです。
眼球=水晶体を支える毛様体さらにZinn小帯が老年になれば、
いわゆる水晶体のピントを調節する運動神経性が衰えます。
となれば、メガネそのものが私はこのままではデザインは
全く進化していないと断言します。
私はメガネフレームのデザインはもう一度根本からやり直すべき、
これが30年メガネフレームデザインに関与してきた者としての判断で、
しかも、メガネといえば鯖江が有名ですが、
これも大きな過ちであると断言しておきます。
いわゆる3プライスメガネは鯖江が中心と言いますが、真実、
眼鏡フレームの技術革新地は福井であり、確かに、
私が100年以上の歴史あるクライアントは鯖江からスタートしました。
しかし、どうでもいい眼鏡地場産地は鯖江ですが、
肝心なメガネ進化の技術中心地は福井だと断言しておきます。
メガネ技術がそのまま医療器具開発に直結しているという革新シーズ、
これは大間違いです。
水晶体・毛様体さらにZinn小帯の研究をデザイナーに要請します。

右下:私のデザインしたフレームをシニア用に
その他は、海外製。
国産にはいいモノ無し!


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『コンシリエンスデザイン事象を創出する職能』


   


     3月 17th, 2015  Posted 12:00 AM

Phenomenaは私がComputer Graphicで実体験した現象・事象です。
バーチャルで夕陽朝陽、火炎、水蒸気、水の様々な動きでした。
この過程を米国で私は間近に見護ってきた経験があります。
したがって、その体験は現象や事象を現実視できることです。
私はこの過程では必ず記号論的な、
意味すること=designing languageと
意味されること=designed languageが働いていることを知っています。
だからこそ、コンシリエンスデザインという学際化の過程、
その「大切さ」は誰が、いやどのような職能が果たすべきかです。
「大切」ということがコンシリエンスデザインの要です。
それは、危機解決による安心安全である解答と
生命と健康を愛護できうる解答であるためには切断仕切ることです。
その覚悟を常に持ち得るプロフェッショナルは、
学術的背景・芸術的背景・文科系的基盤・理科系的基盤を持ちうる、
デザインディレクターであり、それはデザインテクノロジストです。
デザインディレクターという職能は数名が決めました。
しかし、今では、それがなぜそのような職能名が出来たのは、
忘れられていますから、あくまでも、どれだけの見識・胆識を
護り抜いて大切に出来うる能力が実績としてあるかどうかです。
ましてや、これからデザインの革新と変革は、
コンシリエンスデザインを少なからず看医工学が基幹です。
現象と事象を創造できるプロフェッショナルには、
大切さの覚悟を学際的に統合できる才能を私は求めます。
その才能が学際化して融合・結合・統合を仕切る覚悟が不可欠です。
学際化を基盤と背景にしたからこそ、簡潔に切り捨てる覚悟、
私がコンシリエンスデザイン看医工学で育成された職能家は、
デザインディレクターからデザインテクノロジストとして、
地球存続とエネルギー創発を求めます。

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『私の護り神は恩師から授かった加賀の『出世頭』』


   


     10月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

フリーランスになって以来、いつも相談をし指導を受けました。
大学人になるとき、学長候補になったとき、大学転籍のとき、
「やっとその気になったか、君の使命だよ」と言われてきました。
その美大時代の恩師はもう居ません。
命日には、先生の奥様と手紙や電話で話をします。
「加賀の出世頭」です。
学位を取得したときに先生に知らせると、これが届きました。
先生が逝かれてしまってからは、
ともかく、この「出世頭」に話しかけることにしています。
「先生、これからこれをやってみます」、とか、
もう迷いに迷っているときには、
先生が存命中、電話をして、時には泣いてしまうこともありました。
60歳還暦になって、
「先生、まだ少し大学でやっていきます」と言ったとき、
「定年までは大学で好きなことをやりなさい」と言われました。
これが、金沢で先生との最後の会話でした。
ある日、奥様から電話いただきました。
「行きました(逝きました)から、伝えますね」と。
「えっ、こちらに来られるですか?」
「いえ、あちらに逝きましたことを伝えますよ、遺言ですから」
「では、すぐに金沢に行きます」
「必要はありませんよ。もう初七日が終わったのです」
「・・・・・では、誰も知らないのでしょうか?」
「はい、あなたに伝えることで構わないとの遺言です」。
それから、まず、私は大学の同期に伝え、後輩に伝え、
彼らから大学にも伝わりました。
いかにも先生らしい、この世からあの世への姿勢と態度でした。
このところ、この「出世頭」に語りかけています。
先生、解答が欲しいのです。
日本は国難なので、最期の仕事に精進しますが、どうすれば?、
生まれ変わったら、また、この先生に学びたいと思っています。


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「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」


   


     6月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

大阪大学を定年退官して、
現在は特任教授にて研究室はインテリアを変更し残っています。
大学人のときは、論文指導はしていましたが、
今年はすでに3本論文を 1st Authorとして国内外に書きました。
このブログで2本目を紹介します。
前回は、自動車技術関係、今回は、機械工学領域が相手でした。
両方とも東京大学系からの「依頼論文」です。
これからは「危機管理デザイン工学」そのものの学域定義が目標。
この専門家としての博士を阪大中心に養成していきたいのです。
したがって、この2つの論文も、「March 11.2011」という、
自分の生涯で経験したくなかった国難が背景ですが、
もはや、日本という国家での「技術とデザイン」の学際化が目的。
特に、機械工学という問題解決の手法と、
デザインという問題解決の手法との境界の明示、
そうして両学域の融合点の発見についてです。
今回、初めて「形態の言語化と言語の形態化」を基点にしました。
つまりデザイナーは造形をして形態をつくることになっています。
少し難しく言えば、造形した形態は「言語」です。
だから、私はこれを「造形言語」と「形態言語」と呼んでいます。
「造形言語」=designing language=デザイン造形した形態。
「形態言語」=designed language=デザイン解決された形態。
この二つを次のように、「記号論」で再解釈・再定義します。
designing languageとは、意味する・表現形態であり、
designed languageとは、意味された・内容形態です。
この「記号論」あるいは「記号学」にデザイン、デザイン解決、
その最適解が造形する意味のある形態と、
造形されているから意味されている形態という関係があるのです。
もう少し難しく付け加えると、「記号論」的には、
designing language=造形言語=表現(Signifiant)言語と
designed language=形態言語=内容(Signifie)言語です。
これが、デザイン実務である問題解決で、
  ● 話題・応答
  ● 課題・回答
  ● 問題・解答
このそれぞれへの答として、
デザインと機械工学との学際性についてがこの論文です。


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「『オスプレイ』形と性能・デザイナーから見れば」


   


     6月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

昨日、自動車関係の論文で、
私は車両の「形と性能」に関する依頼論文が発刊されました。
そうしたら、またまた大阪市長の提案発言が社会問題です。
これはわが国が「敗戦」結果、日本が背負い込んだ大問題です。
それ以前に、私は、この飛行物体を評論するべきと考えました。
水平飛行=飛行機と垂直飛行=ヘリコプターの融合体です。
アイディアとして、垂直と水平を結合させることは当然です。
また、デザイナーとしてとりわけ飛行機やヘリコプターは、
私にとって、生きがいを感じる物体=モノです。
無念なことは武器であり兵器だということです。
だからこそ、社会問題をさらに厳密にしています。
私としては、ずばり、「安易な飛行物体」と切り捨てられます。
それは、飛行機としてプロペラ機であることは、
人類の知恵が辿りついた解答であったことは認めています。
さらに、上昇飛行としてのヘリコプターも、
航空工学的には、まだ未解明部分が残っていても、
安全な飛行物体であることも諒解することができます。
しかし、この水平と垂直、両方を飛行機とヘリコプターの構造を、
一つに統合して、形にそのまま性能を表現したデザイン、
この安易さを私は疑わざるを得ません。
私が最も危険と見なす点は、
飛行機としての飛行翼先端に駆動機があること、
これは水平飛行するときの揚力と抗力の制御が不可能です。
そして、ヘリコプターとしての上昇において、
駆動機が横並びでは気圧変動差の制御に不安感があります。
これは縦並びで水平飛行を補助すべき配置であるべきでしょう。
そして、最も肝要なことは、
垂直と水平への移行が駆動機であるプロペラが、
垂直から水平へと変化に進化した何かが欠落しています。
したがって、ヘリコプターでたとえば戦車をぶら下げて移動、
こうした軍事訓練は、けっして海洋でなければ困難なはずです。
韓国へ行けば、高速道路は長距離で真っ直ぐです。
高速道路が、そのまま滑走路機能になっています。
比して、わが国の高速道路にその機能はありません。
それこそ、大阪八尾空港の滑走路は最大6t許容までです。
まして、オスプレイ16t許容はすでに無理だということです。
だからこそ、このアイディアはデザインで進化させるべきです。


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「光造形から3Dプリンターへの系譜は人工人体へ繫がるか」


   


     5月 24th, 2013  Posted 12:00 AM

人間はほとんどの人が長寿を願っています。
「長生き」することの大事さを最近わかります。
私が「人工心臓=Artificial heart」にたどり着いたのは、
人工心臓がArtartで挟まれた言語性が象徴しているのです。
「芸術性・新たな革新」にほかなりません。
本当は光造形が日本の発明であり、
その進化は「生体医工学でのマイクロ&ナノテクノロジー」にて、
その進化を成し遂げました。
日本の高密度な技術進化は、人間の寿命に結びついています。
現在、日本人の寿命年齢と健康年齢では10年の格差があります。
つまり、寿命つきるまで生きるほとんどは病院介護が必要です。
ところが、健康寿命はその人たちより10年早く逝ってしまいます。
命果てるまで要介護者が必要ゆえに、医療制度や税金が必要であり、
健康年齢での死は、脳溢血や心臓障害などで10年早く死亡です。
この根本的な理由は、
わが国の工業産業での技術進化は見事に敗戦からも復活しました。
しかし、ポスト工業社会のままでは、
情報社会への対応は大変に遅れたということです。
たとえば、プロのデザイナーとして、
「世界の何とか標準にわが国は準じていないから・・・」とかを
よく耳にします。
私は明快に、
「そんな世界基準こそ、わが国、クライアントが創ればいい」と、
主張すれば、私との敷居が高いと言われます。
しかし、世界の動向に、デザインは、
その先手=ガンビットを打つことですし、
私も60代ですから今後が見えてきています。
結局、「人造人間」というロボットに技術は集中しますから、
ヒューマノイド、メカノイド、アンドロイド、アバターへと
実際は工業時代成果と情報時代成果の二つの技術は、
さらに、
遺伝子制御技術・光重合技術・電磁波制御技術が加わるでしょう。
そうして、
その工業技術・情報文化・遺伝子制度・光制御文化・電磁波進化、
この五つが必ず、光造形から3Dプリンターを実装置として、
アンドロイドとアバターの創出に向かうものと思います。
そのための「問題解決」の解答は、
ロボット学者・石黒教授の新書である
「糞袋(くそぶくろ)の内と外」に記載された、
「人間とは何か、何が人間か」になるでしょうかという著作に、
その重要なヒントがあるようです。
これが、今の私の60代の、プロとしての想像です。


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「三つの革命を促してくれた『光造形』デザイン」


   


     5月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

私は大学人を選んでもう18年目になります。
なんとしても自力でやりたかった事が「光造形」でした。
それ以前に心臓発作で何度か倒れて、
結局、162日間入院して担当医への質問攻めをしました。
流石に担当医は、一般書から専門書を私に貸していただきました。
私は人体が中空な物の集合体だと思ったのです。
「光造形」は大学でそれなりの設備が無ければ不可能でした。
様々なトポロジーの代表形態を想像力で、
当時のEWSと3D-CADでは、とても困難でしたが、
とりわけ、私を惹き付けていたのは心臓でした。
それは私がやがては「心臓障害者認定」までなりましたが、
これは見事に空洞の中に中空なパイプがトポロジー空間でした。
私は、次の三つを次世代の革命と予想して、
講義や講演ではその具体例をグラフィカルに見せていました。
  ● 遺伝子革命・・・iPSが具体例
  ● 光重合革命・・・光造形から3Dプリンターへと進化
  ● 電磁波革命・・・エネルギー(水・食糧・電力)を意図
この三つの予測はほぼ的中していたと思います。
それでも、おそらくデザイナーとしての半分は、
この進化や連鎖を思考し、具体例を「見える形態=言語」へと、
私は様々な概念や理念で希求してきたと思います。
もっとも私はデザイナーですから、
その世間的な信頼性はいつでも、
「デザイナーは外観の造形専門家」とみられてきました。
しかし、美大時代から、
「デザインは造形という手法で問題解決を提示すること」でした。
したがって、
遺伝子革命や電磁波革命は、
私の科学性=知識性を高めてくれましたから、
直接的ではなくとも、
私の「造形手法での問題解釈」を支援してくれました。
そして、「光重合」では光造形システムから、
3Dプリンター、さらにはこれを取り巻く環境までを知りました。
しかも、この三つの革命は、やっと入り口にきたようです。
私が特に3Dプリンター素材に拘っているのは、
「中空」です。
そうした素材が、「危機解決」という、
人間として生存する日常での最適な応答・回答・解答こそ、
この国難・日本の産業に出来ないかとさえ思っています。


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「大きなヒントだ!『危機とは、何が危機か』」


   


     5月 7th, 2013  Posted 12:00 AM

「March.11.2011」を体験した私自身の運命。
私はデザイナーという天職である幸運があり、しかも車倚子生活。
自分の生涯でこの国難と真正面に対峙しなければなりません。
そして、大学を退任しましたが、
「までい-Project」=東日本大震災の復興デザイン計画と、
それをさらに大きな視野で捉え直す「危機管理」へのデザイン。
これが私にとって最期の仕事になると常に言い聞かせています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を率いています。
しかし、危機管理学・危機管理工学、
さらに、危機に対するデザイン、プロダクトデザインの学際化。
この学際化で「危機への臨機応変なデザイン」と、
その「産業化」をめざしています。
問題は、「危機とは何か」ということ、
私の定義づけの言い換えは、「何が危機か」です。
おそらくこれからも、このFBで、
その「応答・回答・解答」デザインを記述していくでしょう。
資料を読み込んできましたが、
最近、この「危機とは何か」について、
真正面からしかも冒頭で、
この考察を「ことば」にした本にやっと出会いました。
とても大きなヒントです。
というよりも、私の人生でこうしたことは度々起こります。
それは、常にこの「問題提起」を掲げていれば、
誰かにささやかれたように、思考のヒントを目前にするのです。
まず一回読んで、さらに私が読みあさった資料から、
この考察のままでいいのだろうか、と再思考します。
結論は、
まだ浅薄過ぎると言うのはこの学者への反論のようですが、
それは、私がデザイナーであり、大学人として、
しかも「危機管理デザイン賞」を選別する責務での判断です。
さらには、「危機管理を成就する産業そのもの」に、
プロダクトデザインで主導していくことだけに、
私は、これだけの定義では無いと明言しておきます。
危機管理学と工学とプロダクトデザイン、
この三つの学際化によって、
この天災と人災、日常が「危機状況」に対して、
わが国の産業化をと考えています。


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「見本市と貿易と、国際関係の国家戦略」


   


     11月 2nd, 2011  Posted 12:00 AM

東京にいるということで、
「Silmo事務局」から、この会合でコメントが欲しい。
そんなことで、
『ファッションとインテリアにおけるクリエーション
そのトレンドをめぐる日仏の邂逅』に行きました。

ところが「Silmo事務局」側はフランスから来られず、
私が「Silmo展」=眼鏡界で世界最大の見本市を紹介し、
もう10年前にグランプリを受賞しているので、
その影響など私が紹介までしなければなりませんでした。
英語・仏語、かなり迷いつつ結局日本語で話をしました。
最後はフランス語表現を引用しました。
「Silmo展」はだいたい2年おきには挑戦しています。
しかし、最終選考に残っても以後受賞することができません。
競争相手はいつも決まっています。
国際的な風評の中で多くのファッションやインテリア関係者から
フランス商務省はまさしく「売り込み」でした。
しかし、この秋のフランスでのDesign Weekでは、
日本人デザイナー・吉岡徳仁氏が最高賞を受賞との
アナウンスもあり、彼も壇上でコメントをしました。
彼のヨーロッパでの活躍は素晴らしい作品が連続しています。
流石と言っていいでしょう。
今、日本のデザイン界は「国際的成果見事」なデザイナーは
居ないと言っても過言ではありません。
彼やデザイン界の大先輩にも久々にお目にかかれました。
今や、国際関係での見本市と貿易による文化交流は、
「日仏の邂逅」と言うもののやはり、商慣習として、
見本市ホスト国になることがとても重要です。
そういうことでは現在の日本がホスト国になる領域が、
年毎に激減してきました。
有明の東京ビックサイトや幕張メッセなどでどの商品アイテムが、
見本市「ホスト国日本」になれるかは大きなテーマです。
そして今やTPPに対して、日本は二分されています。
私は「答」の出し方が混乱しているのだと分析しています。
政治家たちにとっては、TPP課題への「応答」だけ。
経済界はTPP問題設定でのQ&Aづくりに入り込みたい、
だから最初から加わるべきとの回答判断だけです。
問題は農業や医療などは、問題解決としての「解答」が、
まったく不明ということでしょう。
歴史的観点では、まさに「安政時代」と同じ事が、
天災での国内混乱に国際関係が性急な日本の「解答」を
脅迫されていることにあまりにも酷似しています。
無関税であったが故に以後日本がどれだけ苦しんだでしょう。
このことを想記すべきでしょう。
貿易立国日本は、まず、見本市ホスト国家が第一です。
私は、TPPでの政治家応答・経財界回答の前に、
農業や医療などの、根本的な問題解決の制度設計での
「解答」に国家戦略を向かわせるべきと考えています。


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「失われし物事への無常、その答発見が企望」


   


     4月 15th, 2011  Posted 12:00 AM

無常観、正直むずかしいことです。
しかし、無常というのは、
失ってしまっても未練無き想いでしょう。
所詮、人は何も無くても強いはずという信念があります。
間もなく、桜が散ると思います。
大阪に来て、桜を見ることは日常的ではなくなりました。
名古屋時代は隼人池周辺の桜で取り囲まれた生活。
自宅から毎日、その桜並木を見ることができました。
この国難は、連日この日本列島を震わすのです。
だから、桜の花にあらためて無常な想いに震えます。
それなら無常という日本の伝統的美意識を覚醒することでしょう。
被災地の人が明るく「ゼロから再出発」という気持ちを、
正直、私が共有できるかというと出来そうにありません。
けれども、失ってこそ、気づき識ることが人間の精神力です。
私はこのことを識って生きながらえてきました。
まさか、自分の生涯で1000年に一度という天災どころか、
原電事故という人災まで体験できるとは思いもしませんでした。
もっとも、「歩けなくなる自分」とか「大学人」になるとか、
このようなことこそ、私の「想定外」だったのです。
かくなる上は、まず「想定内だった批判」を明確にしておきます。
その一つが、「玩物オタク趣味であった大学や研究機関の怠慢」と、
「独占的企業であった電力各社の原子力発電」です。
そして、現政権が立ち上げた「復興会議」の最初の応答が、
「復興のための増税」というのは、誰でも言えることです。
だから、私は「応答」でしかないと言っておきます。
まず、被災地の人々に「回答」をする義務があります。
「回答」ゆえ、課題は被災地の人々や原電事故修復・復旧です。
東芝が原電事故の修復日程は実務時間を示した「回答」です。
これをどれだけ政府意志決定を全国民は待っていたでしょうか。
まず、10年あの原電事故被災地が復旧はできないことです。
これからは国際的な原子力への「解答」合戦になります。
おそらくロシア・フランスが勝手な情報発信をしてくるでしょう。
日本人は「無常観」に照らし合わせて、
復興への真の「解答」づくりこそ、企望なのです。

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